第八夜 金色のアポカリプス
8-1 識欲の賢者
膝をつくレイヴモンを一瞥し、インプモンはやれやれと溜息を吐く。そうしてゆっくりと立ち上がり、洞窟の外へと足を向ける。
「で、あれが奴らの……嗚呼、エルドラディモンか、めんどくせーのがついてやがんな」
「って、見えるの?」
インプモンの言葉にもう一度目を凝らす。相変わらず見えるのは時折瞬く光くらいのもので……いや、その下で何かが動いている。ように見えなくもないけれど。よくもまあ判別できるものだと、半ば呆れながらインプモンを見遣る。
「ああ、動く要塞だとか言うデジモンだ。俺も初めて見るけど」
と、振り向き答えるインプモンにふと、違和を感じる。今まで薄暗い洞窟の中にいたせいだろうか。日の下で改めて見たその顔、その深緑の瞳には、見慣れぬ何かを見るような奇妙な感覚を覚えた。
「どうかしたか?」
「あ……や、何でもない。ええと、それで――」
不意に過ぎる感情は、どうしてだろう、歓喜にも似て。自分自身訳が分からず、頬をかいて話題を変えるようにまた戦場へ目を遣る。インプモンは一度だけ首を傾げ、しかしすぐに視線を移す。
「まあ、何よりまずは体を取り戻さねーとな。あそこだろ?」
「うん。……って、え、何で?」
「大体聞いてたし、大体思い出した」
「聞いて……え?」
「俺にもよくわかんねーから気にすんな。とにかく、大体の状況は把握できてる」
そう、言うだけ言ってこちらの言葉も待たずに踵を返し、また洞窟の奥へと戻る。困惑する私を尻目にインプモンはベヒーモスの車体を二度三度と小突く。
「ベヒーモス、行けそうか?」
問えば返ってくるのは低く小さな唸り。私は戸惑いながらも駆け寄る。そう言えば私は見ていなかったけれど、
「え、ベヒーモスも……大丈夫なの?」
「ああ、でもこいつは自己修復できる。心配すんな」
車体を軽く叩きながら振り返る。自己修復、って。いや、ダークドラモンのようなデジモンもいるのだ。バイクの形をした生き物だと言われても今更驚きはしないけど。ともあれ無事であるならと息を吐く。
「ならいいけど……でももうちょっと優しくしてあげたら?」
「あん? 大丈夫だってこのくら、い」
インプモンの手がまた一度車体を叩く。けれど響いたのは予想外に大きな音で。黒鉄の一部が跳ね上がるように形を変える。私はびくりと震え、唖然とその様を見つめるだけだった。
「ベ、ベヒーモス?」
思わずのけ反り顔をひくつかせながら、恐る恐るといった風に名を呼ぶインプモン。黒鉄の車体は座席の辺りが形を変え、跳ね上がるように真上を向いて――
「って、なんだ……」
横からそっと覗き込む。私は胸を撫で下ろし、ほっと息を吐く。インプモンがあまりバシバシと叩くものだからてっきり壊れてしまったのかと驚いたが、よくよく見ればなんてことはない。
「シートが開いただけじゃない。びっくりさせないでよ」
私が言えばインプモンの間抜けな声が返ってくる。叩かれた拍子か、普通のバイクのように座席下の収納が開いただけのようだが……こんなものがあることすら知らなかったのだろうか。鉄の獣なんて呼ぶ辺り、こちらでは珍しいもののようだし。
「大丈夫よ。ここって普通開くように……」
言いつつ覗き込み、ふと、目に留まるそれ。首を傾げながらそっと手に取ってみる。
「これ、インプモンの?」
座席の下に隠されるように仕舞われていたそれは、一冊の本であった。電話帳ほどもある分厚いハードカバーの書籍。赤茶色の表紙は所々が擦り切れて、この世界の言語であろう不思議な文字で綴られた表題も途切れ途切れ。
私が本を差し出すとインプモンはそれを受け取るもしかし、訝しげに眉をひそめてみせる。
「違うの?」
「……ああ、そういうことか」
「何が?」
インプモンは受け取った本と、それが仕舞われていたベヒーモスの車体へ交互に視線を移し、
「あのババアだ」
「って、リリスモン?」
城で一泊した時に仕込んだのか。けど一体どうしてこんなものを……。
「何が書いてあるの?」
「何、って、何か小難しいなんやかんやだ」
なんだそれ。私は溜息を一つ。もしかして読めないのかと疑いの眼差しを向けてやれば、インプモンはむっとした様子でページをパラパラとめくる。
「ば、馬鹿にすんなよヒナタ。これはあれだ、なんかその、魔術の理論だかなんだかを……」
「正確にはウィッチェルニーの魔術に関する、ね」
――と、そんな唐突な声はインプモンの手元から。私を見上げて眉毛を吊り上げていたインプモンも思わずポカンと目を丸く。はっ、と。私とインプモンが目を遣れば、開かれた本の上で“彼”は小さく会釈する。
「驚かせてすまないね。僕の名はワイズモン。よければ少し、話を聞かせてもらえるかな?」
「ワイズモン――」
書の中の小人が告げた名を反芻し、インプモンは眉をひそめる。記憶を探るように視線が空を撫でる。
「その名前、いつかババアの口から聞いたことがあるな。確か……」
「ああ、リリスモンとはもう随分と長い付き合いになる。魔王殿の相談役、といったところかな」
インプモンの言葉を引き継ぐように書の小人・ワイズモンは言う。相談役――名の通りの賢者というわけか。その口ぶりはどこか軽妙で、現実から一歩を退いたよう。まるで高みから傍観しているような印象を受けた。
私はインプモンの手元、書の上の小さな賢者を覗き込むように身を屈める。
「それで、ワイズモン? あなたどうしてベヒーモスの中なんかに? ていうか、リリスモンの相談役ってことは……」
言いつつ洞窟の入口、膝をつく翼の騎士を一瞥する。と、賢者は僅か首を傾け、私に視線を向ける。ベージュ色のフードに隠れた顔は表情なんて判るはずもないのだが、どうしてだろう、振り向くその目はまるで私を値踏みしているように思えた。
「君がヒナタか……ああ、誤解のないように言っておくが、これは彼の与り知るところではない。彼はあくまで騎士団の使者……リリスモンは仲介役に過ぎないよ。どちらにとってもね」
そう言って賢者は肩を竦める。そんな賢者の言葉にインプモンは溜息を一つ、
「仲介、か。いいご身分だな」
なんて、肩を竦めて皮肉げに笑う。賢者は小さな笑みだけを返し、やれやれとでも言わんばかりに首を振る。そしておもむろに人差し指を立て、
「それと、もう一つ言っておこうかな。この姿のことだが……今、君たちが見ているのはただの幻だ。僕はあらゆる書物を寄り代に、自らの姿を知覚の一部を伴って遠隔地に投影することができる」
投影――要は立体映像のようなものか。何も危険極まりないベヒーモスの中でひたすら息を潜めていたわけではない、と、言いたいわけだ。
「なら、あなた本人はどこか別の場所にいるわけね」
「ああ、訳あってそれが何処かは明かせないがね。それから……嗚呼、そろそろ本題に入らせてもらおうかな」
賢者はくいと首を傾け、インプモンを見遣る。
「“思い出した”と、先程そう言っていたね。よければ詳しく聞かせてもらえるかな。場合によっては少し、君の手助けができるかもしれない」
そう言って賢者はまた、首を傾けた。
「手助け?」
賢者・ワイズモンの申し出にインプモンは、眉間に深いシワを寄せ、猜疑心などまるで隠しもしない目を向ける。インプモンの疑心も当然と言えば当然だが。
「あなたの目的は?」
インプモンの次の言葉も待たず、口を挟んだのは他でもない私。魔王の相談役を名乗るこの賢者は、まだ私たちに肝心なことを話していない。先の発言からは立ち位置すら明瞭でないのだ。
私とインプモンの視線に、しかし賢者は肩を竦める。
「なに、単なる知的好奇心さ。僕は真理の探究者・ワイズモン。僕を突き動かすのはただ、“知りたい”という欲求だけだ」
だからご安心なさいとでも言わんばかり、賢者はふと微笑を浮かべる。何やら随分とズレた感覚の持ち主のようだが、さて。
「……わかった」
「わかった?」
「話してあげなさいよ、インプモン」
小さく息を吐く。僅かを置いて私の口から、実に自然に零れたのはそんな言葉。インプモンは目を丸く、返す言葉は喉の奥にでも引っ掛かったように二の足を踏む。
「ちょ、ちょっと待てヒナタ。信じるのかこいつ?」
「いいじゃない。別に誰も損しないでしょ? それに、悪い音はしないし」
「悪い音って……音?」
私の言葉をリピートし、そうしてインプモンは、首を傾げる。訝しげな視線が私の目を捉え、しばらく無言で見つめ合う。悪い音……音?
「音ってなに?」
「いや知らねえよ」
インプモンの即答は尤も。私は一体何を口走っているんだ。訳もわからず眉をひそめて首を傾げる。と、そんな私に賢者はまた小さく笑う。
「君たちにとっての始まりもまた、恐らくはそこにある。今は少しでも多くを知っておきたいはずだ。信用しろなどと言うつもりはないが……」
賢者の言葉にインプモンは私を一瞥する。ほんの一瞬、けれど交わる視線は言葉以上に互いの心の内を語るよう。インプモンはそっと瞼を閉じて、誰にともなく呟くように、
「信用はしなくても、利用はできる……か」
ゆっくりと瞼を開く。深緑の双眸が真っ直ぐに賢者を捉える。
「わかった。お望みどおり話してやる。てめえの頭がどんだけ使えるか見せてみろ」
「使い物にならないようならこの本を焼き棄てるなりしてくれればいいさ。ともあれ、一先ずは交渉成立……ありがとうとでも言っておくべきかな」
ふ、と小さな笑み。そしてインプモンは、語り出す。
8-2 金色の追憶
怒号と銃声。血煙と硝煙。天使と――魔王。
巡るは記憶。始まりの戦場。
襲い来る天使の軍勢は数百を数えようか。迎え撃つ魔王は荒野に鉄の愛馬を駆り、嬉々とその牙を剥く。放つ銃弾、奮う魔爪に白羽が紅く染まり、虚空に散る。孤軍奮闘。一騎当千。けれど戦いは突如として天より降る“それ”によって終局を迎えることとなる。
「光の柱……じゃねえな。炎だ、白い炎」
空を貫き、地を砕き、血肉を焦がすそれ。光の柱と見紛うほどにまばゆく、さながら神より下される鉄槌の如き、白の炎。絶叫すらも許されぬ力の重圧の中、存在そのものが綻ぶような錯覚。喘鳴。気付けば炎は止み、焦点の定まらぬ目が空を撫でる。そうして、刹那。
「霧が降った。冷たい白い霧。あの戦いで思い出せたのはそこまでだ」
あるいは、記憶そのものがそこまで。
そしてそこからが、もう一つの記憶。魔王ベルゼブモンではない記憶。その片割れ、インプモンとしての記憶は冷たい闇の中から。
「見付けてくれたんだな」
「え?」
「闇の中から俺を……俺の声をヒナタが見付けてくれたんだ」
孤高の魔王の孤独な叫び。助けを求めたわけではない。元より寄る辺なき身。けれど、それでもその声は世界の壁を隔てただ一人の耳へ届いた。
「私が……?」
「成る程。電脳核の奏でる命の旋律――デジメロディ、か」
闇の中のその声に、鼓動に、旋律に応えてくれたただ一つ。夜の海を漂うように彷徨って、昇る陽のように射した光へ手を伸ばした。
そうして魔王は、二つに分かたれた。
「ヒナタが俺を呼んでくれたんだ。そんなつもりはなかったろうけど……」
たゆたいの果て、流れ着いた岸辺で少女と出会った。光溢れる、彼の世界で。
「誰も彼もが予想だにしなかったことだよ。君たち二人の間にできた“繋がり”――偶然と呼ぶか運命と呼ぶかは君たち次第だが、その繋がりはゲートとなって君たちを引き合わせた」
けれど誤算がまた一つ。
魔王を留める封印の氷柱と、魔王を呼ぶゲートの引力。真逆のベクトルを持つ二つの力は、同時に果たし得るはずのない互いの責務を、あろうことか果たし切ったのだ。
「そうしてできたのがこの俺。魔王ベルゼブモンのエイリアス……いや、その記憶と人格の“仮の入れ物”ってとこか」
ふう、と一息を吐く。
語り終えたインプモンはどこか、儚げに見えた――
「白い炎に、霧……やはりそうか」
語り終えたインプモンを静かに一瞥し、ふむと一度だけ唸ると賢者・ワイズモンは誰にともなく呟くように言う。
「やはりって、何か知ってんのかお前」
「目星はついていたよ。あれだけの天使や聖獣たちを動かせるものは限られているからね」
賢者はそこで一息を吐き、空を仰ぐ。そうしてしばし、再びインプモンへと視線を移した。
「不意を突いたとはいえ、そうも容易く魔王を無力化する手並み。話に聞く能力や勢力を慮るに、恐らくは――」
遠く、地響きがした。賢者は一拍だけを置いて息を呑み、その名を口にする。
「“ホーリードラモン”」
と、ぴくりとインプモンの眉が揺れる。小さな舌打ち、インプモンもまた空を仰ぐ。
「四大竜……か」
「そう。すなわち神なる獣の長にして空の王者――四大竜が一角たる聖竜王。三大天使亡き後、神の隊列をアポカリプス・チャイルドとして再編成し統率できるものなど、四聖獣と同等の力を持つホーリードラモン以外に考えられない」
そう、語る賢者にインプモンは難しい顔で大きな溜息を一つ。ホーリードラモン……それが奴らの黒幕、魔王を封じた張本人というわけか。しかし、
「ええと……ねえ、ちょっといい?」
考え込むように黙り込んだインプモンと賢者に私がそう声を掛ければ、二人の視線が同時に私へと向く。空気を読まなくて申し訳ないのだが、
「その、四大竜……とか、四聖獣だっけ? どのくらい凄いのかイマイチよくわからないんだけど……」
ここまで来て話に置いていかれるのは、どうにもいい気がしない。私がしゃしゃり出るとしかし、賢者はそれもそうだと言わんばかりにふむと唸り、そして語り出す。
「デジタルワールドの創世期、世界が世界としてようやく形になった頃。この世界は一度滅びかけた。生けとし生けるものの敵、魔王が可愛く思えるほどの怪物の手によってね」
「怪物?」
「黙示録の怪物と呼ばれるが、正体はいまだもって謎だらけだ」
賢者は溜息を一つ。
「その怪物を退けたのが太古の英雄・四聖獣。時に一部のデジモンたちから神の如く崇められる四方の王だ」
「神……」
「四大竜は、そんな四聖獣と同等の力を持つと言われる四柱の竜の王だよ。四聖獣の中には四大竜にも同時に名を連ねるものもいる」
そこまで言うと賢者はまた一息。ふと、空を仰ぐ。
「あの空の彼方、天高きまほろばを統べるもの。天上の審判者――」
詩の一節を読み上げるように賢者は語り、そっと、私たちへと視線を移す。
「審判……?」
「そう、すなわち“神なる意志”の代行者。天の高みより地上の善悪を見極め、時として弱き善を救い、強き悪をくじく。と、云われている」
私が問えば賢者は僅かに肩を竦め、返答とともに小さな溜息を零す。先の言葉といい、その物言いにはどこか皮肉めいたものを感じるが、さて。
「神様ってさっきの……四聖獣だっけ、とは違うの?」
「ああ、君たち人間の世界と同じさ」
「同じ?」
「沢山いるものだろう? 神様というのは。そしてそれらが得てして、信奉者以外にはよくわからないものである、という部分も同様だよ」
なんて、今度こそ皮肉を隠しもせずに。神様――つまりは実態のない信仰対象。偶像崇拝というわけだ。
「要するに“武装したカルト教団の教祖様”みたいなことね」
「うん。中々手厳しいが、概ねそんなところだ」
否定してあげないあなたも十分に手厳しいけれど。私は小さく肩を竦め、やれやれと首を振る。しかし、ああ言ってはみたものの、話を聞く限りどうやらとんでもないのに目をつけられたようだ。賢者の語り口は“魔王より強い”と、そう言っているのだ。
「さて、この辺りまでがおおよそ、君たちの“戦いの始まり”であるわけだが……」
私が小さな溜息を零し、口をつぐむと、賢者は微笑を浮かべてそんな言葉を口にする。
「ここからは、終わりの話をしようか」
「終わり?」
「すべての“戦いの終わり”。あるいは始まりとも言えるが」
「……そもそもの目的、ってこと?」
問えば賢者はこくりと頷く。私はインプモンと顔を見合わせ眉をひそめる。インプモンもまた首を傾げ、
「強き悪とやらをくじくんじゃねーのか」
「それは手段だよ。いや、未だ推測の域は出ないのだがね」
そんな物言いにまた眉根を寄せる。
「もっと別の目的があるの?」
「ああ、その通りだ。ところでベルゼブモン……いや、今はインプモンかな」
「どっちでもいい。何だよ」
一拍を置いて賢者は問う。私たちの眉間のしわをより深く刻むようなそれ。問われたインプモンも頓狂な声を上げるばかりの。
「君は自らの生まれた意味、その力の理由――魔王の存在意義を考えたことはあるかな」
「……ああ?」
「大いなる名は、大いなる力を伴う」
賢者の言葉に私とインプモンは再度顔を見合わせる。相変わらずどこか遠回りで、こちらの反応を窺うような物言い。首を傾げる私たちはあるいは思い通りか。疑問符の踊る私たちの顔を視線でそっと撫で、賢者は続ける。
「そのままの意味だよ。名は即ち力だ」
「つまり……有名だから強い、ってこと?」
そりゃそうじゃない。と眉を潜めかけ、そうしてはたと。口に出した言葉を頭でなぞれば思わず眉根が歪む。私は首を傾げて再度問う。
「逆じゃないの?」
力があるから名が知れ渡る。名声は功績の後にある。賢者の言葉は順序がまるで真逆に思えるけれど。
しかし賢者は小さく首を振る。
「いいや。四聖獣しかり、三大天使しかり、そして……七大魔王しかり。その大いなる名こそが力の根源、大いなる者たる由縁だ」
語る賢者の指はゆっくりと、眼前のインプモンを指す。
「“ベルゼブモン”の名と姿を得たその瞬間、君は“魔王”となった。凡百のデジモンを凌駕する威力と雷名が、君に与えられた」
ぴくりとインプモンの眉が歪む。気付いているのかいないのか、賢者は構わず続けた。
「君は自らの意志と力によって七大魔王の地位まで上り詰めたのではない。用意された席に招かれ、用意された役割を与えられた。ただ、それだけのことに過ぎない」
そう語る賢者に、しかしインプモンは否定の言葉を口にしない。その目はただ静かに賢者を見据える。私はインプモンを一瞥し、賢者に向き直る。
「つまり、誰かがインプモンたちを魔王にしたってこと? 何のためにそんな……」
「“世界”だよ」
「世界?」
「国があるために王があるように、世界があるためには大いなる者たちがあらねばならない。彼らはこの世界そのもののにより、この世界そのものの歯車としてその役割を担わされた」
そんな言葉に私はただ沈黙。インプモンを見遣ることもできず、小さく息を呑む。
「アプローチこそ異なるものの、その目的は等しく“世界を護ること”にある。四聖獣が黙示録の怪物より世界を護る役割を担うように、君たち魔王もまた、守護の役割を担っている」
「俺たちが……守護?」
「その存在こそが鍵なのだよ。世界の闇を七分せし七大魔王……即ち“真なる闇”を七つに分かちて封印せし者。七大魔王が滅びる時、解き放たれる“真の闇”。その名を――」
8-3 進撃の機竜
灰と泥に濁る湖より撃ち出されるのは氷と雷の矢。水中を自在に遊泳するその射手は、恐らく10や20では済まないほどの大群。黄金の巨鳥・クロスモンは舌打ちを一つ、無数の影が浮かんでは消える水面を見据える。
間違いない。
奴らは“翡翠の海”と呼ばれる小世界に戦線を展開していたゼブルナイツの一兵団。我らの進軍を見越して既にこの地へ集結していたのか。いや……。
デジタルワールドに置いて小世界同士は様々な形で連なっている。荒野の大穴とこの地の空とが繋がっているように、“翡翠の海”と“水の森”もまた地下水脈で繋がっていたのか。
全ては計算尽く。ともすれば、我らがこの地に辿り着いたことさえも……!
「どこを見ている?」
おまけに、これだ。
薄ら笑いを浮かべて迫り来る、ダークドラモンの槍を避けてまた、戦場が遠ざかる。
完全体以下と究極体との間には戦力に余りにも大きな開きがある。自惚れではない。過大評価ではない。その力は正に一騎当千。戦局を容易く覆す戦略級の力だ。奴はそれを十二分に理解している。だからこそ、
「さあ、どうしたぁ!?」
究極体は、究極体をもって抑える。一見考えなしの単騎駆けに見えどもその実、窮めて合理的。先の奇襲には、この一騎打ちが絶対の前提条件なのだ。
いや……“奇襲”?
「貴様っ!」
自らの言葉をなぞり、はっと、再度戦場へ目を遣る。タイミングも弾道も読み辛いとはいえ、水中からの狙撃は翼ある自分たちにとってそれほどの驚異にはなり得ない。であれば、これは……!
「パロットモ……っ!」
自らに代わり飛行部隊を指揮するパロットモンへ向けた言葉は、激しい金属音に半ば遮られてしまう。
微笑。どこまでも嫌らしく、粗暴なケダモノの皮を被った狡猾な策士。ダークドラモンのその顔は、邪魔をするなと言外に語る。
決定打にはなり得ぬ氷の矢の斉射。だが、布石としては十分。避けられる攻撃を避けられる位置で避ける。その不自然さ。
気付けパロットモン! これは……罠だ!
第二の罠、第二の奇襲。互いの究極体が互いに抑えられているという現状、それゆえの僅かな油断。水中の射手は驚異足り得ないという、誤認。
そうだ、“奴”がまだ姿を見せていない。翡翠の海の兵団が集結しているのであれば“奴”は、“奴ら”の狙いは――!
眼下に遠い戦場で、光が瞬いた。
鉄と鉄とが擦れるような不協和音。重く低い唸りは、湖底で渦巻く水の慟哭。急激に集束、圧縮された水流が奏でる轟音は、まるで巨大な弩弓の弦を引くが如く。番えられた水の矢はその鏃を天に向け、今、弦を打つ。
「総員退避ぃいぃーー!!」
竜との剣戟の間を縫うように、巨鳥がようやく絞り出したその一言はしかし、今一歩届くことなく。瞬間、放たれる一撃はさながら命を貪る無慈悲なる龍。阿鼻叫喚さえも呑み込む咆哮が大気を揺らし、逆巻く激流は天をもえぐるが如く立ち昇る。
水の唸り。風の叫び。湖が震え、空が軋む。現れいでるは水天逆巻く、大竜巻。天地を繋ぐ柱にも見紛う巨大なそれ。
これが奴らの狙い。決定打足り得ぬ威嚇に近い射撃はこの布石。規律立ったアポカリプス・チャイルドの隊列を一つ所に誘い込み、一網打尽にするための……!
「ダークドラモン……っ!」
荒れ狂う風の中、嘲笑う闇の竜。耳をつんざく轟音の中にあってはっきりと、計画通りだとその薄ら笑いが語る。
ふざけるな。調子に乗るな。何もかもが貴様らの思い通りになど――
「行くと……思うなあぁーー!!」
噴き上がる怒りを金色の炎に変えて、巨鳥の叫びが風音を引き裂くようにこだまする。一瞬の静寂と、間隙。
この罠のため、執拗に追い縋る竜によって動きを封じられていた巨鳥。だが皮肉にもこの一撃の成功が戦場を掻き乱し、計らずも両者を僅かながら引き離すことになる。結果、巨鳥は竜の剣戟を辛くも摺り抜け振り切って、この二人きりの戦場からの離脱を果たす。
舌打ち。降下を始めた巨鳥の姿は既に遠い。即座に追うも竜に巨鳥を止める術はない。風を切り裂く金色の巨鳥は加速とともに光の粒子をまとい、その姿はさながら冠する名を体現するが如く。
眼を焼く閃光。金切り声にも似た大気の摩擦音。譬えるならば、降る星とでも。即ちその名を“カイザーフェニックス”。皇なる光の巨鳥は大竜巻を前にしてなお僅かな躊躇すら無く、我が身を武器と突き進む。その姿は一瞬に激流へ沈み――秒にも満たぬ刹那の静寂。その、直後。しかしてそれを破るは風の断末魔。
まるで枯れ痩せた老樹を伐木するように、斯くも容易く大竜巻を貫いて、霧消する風に一瞥もくれず巨鳥は更なる猛進。その嘴の穂先が水面を突いたとほぼ同時。瞬きの間に大竜巻は四散し、代わり、逆流する飛瀑の如き水柱が立ち昇る――
踊る気泡と泥土。濁流に澱む視界。仄暗い水底にあってなお輝く金色を纏う巨鳥は、ついと視線を巡らせ舌を打つ。視界の端には揺らめき溶ける影が一つ。水中の砲手を竜巻ごと射抜かんと自らを矢と放った捨て身の一撃もしかし、手応えはない。
躱された、か。
すんでのところでこちらの攻撃を察知し回避に切り替えたか。一瞬の思案。巨鳥は直ぐさま身を翻し、水上へ向け翼で濁流を打つ。水中は奴の領分だ。長居は無用どころか命取り。ここで仕留め損なったのは痛いが、砲撃を中断させただけでも良しとすべきか。
湖へ飛び込んでから、指折り数えるほど僅かの間の攻防。時間が圧縮されたような錯覚。黄金の軌跡は水中で弧を描き、巨鳥は再び中空へ舞い戻る。
水を払うように翼を大きく広げ、大気を打つ。視線は右へ左へ、空へ水面へと走らせる。
眼下には揺らめく影が一つ、二つ、三つと。浮かんでは消える、一足違いの迎撃者。獲物を取り逃がしたのはあちらも同じか。
そして上空にはもはや陣形とも呼べぬほど散り散りになったアポカリプス・チャイルドの兵。被害は最小に留めたものの、やはり先の一撃は大きい。依然として数の上での優勢は保っているが、それでも多くの兵を損なった。
これが奴らの狙い。奇襲による陣形と指揮系統の撹乱。士気への影響も決して無視できるものではない。
ぎりりと、知らず鳴る拳。硬質の爪が掌を穿たんばかりに摩擦する金属音。次いで、耳に届くのは逆方向からの風切り音だった。ふう、と一拍を置き、巨鳥は振り向きもせず即座にその身を反転させる。湖から飛び出しそこまでが、僅か数秒。息つく暇もないとはこのことだ。
宙で前転するように身を捻り、その軌道から逸れると同時。一瞬に目標を見失ったであろうそれを、ダークドラモンの槍を横合いから一撃する。
爪と槍との摩擦音。刹那に交わす視線。散る火花。一際大きく甲高い音を上げ、弾かれる爪と槍。再び離れる互いの距離。そうしてまた、射殺さんばかりの鋭い眼光が行き交う。
ぎぎぎ、と。軋むは具足か歯列か。張り詰めた空気そのものが悲鳴を上げるよう。
やってくれたな。とは互いに言葉無く。否、もはや言葉はいらない。すべきことは一つ。噛み合わぬ歯車。ここへ来ての再認識。皮肉にも意見はぴたりと一致する。この場での最優先。勝利のためにはそう――噴き上がる殺意が、膨れて爆ぜる。
怒号と剣戟。怒火噴き上がり、剣風吹き荒ぶ、戦場の空。戦意と眼光、竜の槍と巨鳥の爪とが、交わす互いのすべてが火花を散らす。
それは言葉なく。けれどこれ以上はないほど明瞭に、互いの胸の内を語るよう。
お前が邪魔だ、と。
勝利のためにはそう、目の前に立ち塞がるこの障害を、即刻排除することが何よりの優先事項。それだけが、なにもかもが噛み合わぬ互いの、唯一の共通認識。
竜が咆哮とともに猛々しく槍を突き出し、巨鳥が光の粒子を纏う爪をふるい、けれど互いに激突を待たずその身を翻す。フェイント。かと思えば一瞬離れた間合いを即座に詰め、槍と爪とが鎬を削る。虚実入り乱れ、虚々実々の騙し合い。千分の一秒に駒を進める、頭の中のウォーゲーム。ベットは命のオールイン。勝てば勝利のジャックポット。
ぎり、と。知らず歯列を鳴らす。ここが戦略の心臓部。この勝敗は確実に戦局の天秤を傾ける。
一、二、三撃を交え、僅かに開く彼我の距離。巨鳥は剣戟の間を縫うように横合いへ一瞥をやり、一瞬。再び目前の竜を見据え、再度空を駆る。
――どこから来る?
眼前には今まさに矛を交える“枯れた森”の闇の竜。眼下には水中の兵団の将にして先の砲手たる“翡翠の海”の鋼の海竜。と、なれば残るは……
「中の連中は、機を逸したと見える」
瞬間、竜の槍から鍔ぜり合う巨鳥の爪に僅かな力の震えが伝わる。それは刹那の、並のデジモンにとっては気付くことさえ困難な、隙とも呼べぬ微かな揺らぎ。
けれど、それで十分。
巨鳥の爪が閃いて、零距離からの更なる一撃に竜は身一つほどの後退を余儀なくされる。力任せの一撃は巨鳥自身にも隙を作り、追撃を加えるには悪手とさえ言えるが……狙いは、そこにはない。
「パロットモン!」
自らの力の反動そのままに距離を開き、作り出したその剣戟の空白。余りにも短く、伝えられたのは僅か二言。
「“中”だ!」
と、ただそれだけ。秒の間の空白を置いて、再び翔ける巨鳥と竜。鋭く乾いた金属音が言葉の余韻さえ呑み込む。
そう、これで十分だ。こちらには優秀な副官がいる。後顧の憂いはもはやない。これで――
嵐のような戦意とともに、轟く咆哮。光の粒子が巨鳥を覆う。
左手の手袋は、受け取ろう。
これで後は、一介の戦士としてこの眼前の宿敵を、心置きなく叩き潰せるというものだっ!
8-4 進撃の聖徒
ち、と舌を打つ。背の砲を構え、石畳を砕かんばかりに踏み締める。照準は空の編隊。まだ遠く、おまけに警戒までされてしまったが――これより後にこれ以上の機もあるまい。
「ぶっ……放せえぇーー!!」
低く重く、石壁を震わせる号令。と同時にエルドラディモンの背の古城から走る一条の閃光。それに続くように城の各所から光が瞬き爆音が鳴り響く。あるいは砲弾、あるいは誘導弾、あるいは粒子線。多種多様な砲撃が城に潜んでいた砲兵から次々に放たれる。火の尾を引くその弾幕はさながら流星群。静寂に似た間隙を置き、弾ける烈火、爆ぜる轟音。両軍入り乱れる戦場の空が、唐紅に染まる。そうして――ち、と二度目の舌打ち。
仰いだ空には、着弾空域から砲撃の直前に離脱した友軍。と、更にその直後に同様に離脱したのであろう敵軍の姿が視認できた。恐らく大部分は砲撃同士による誘爆。命中率は正味、一割にも満たないだろう。
本来であれば先の大竜巻に次ぎ、その討ち漏らしを追撃する手筈であったが……さすがは勇将・クロスモン、とでも言うべきか。“エルドラディモン”の出現、翡翠の海の兵団の強襲とその将“メタルシードラモン”による砲撃、そして我ら“赤銅の谷”の兵団による更なる追撃。三段仕込みの奇襲もしかし、成功と言えるのは初手が精々。二手目を阻むと同時に三手目の、我らの存在に気付き、おまけに潜伏場所まで見破るとは。実に恐れ入る。まあ、最後のそれは鎌を掛けられボロを出した頼もしい我らが大将のお陰でもあるのだが。
ともあれ、これで奇襲はネタ切れ。期待していた最後の“もう一戦力”もどうやら当てが外れた様子。つまりここからは……
「さあ、出番だてめえら! 暴れてこい!!」
そんな怒号に、続く鬨の声。城の至る所から姿を現す兵たち。ある者は飛び立ち、ある者は城の上から砲を構える。
もう出し惜しみは無しだ。後は純粋な力比べ。つまりは、真っ向勝負の総力戦。“枯れた森”の兵団とその将・ダークドラモン、“翡翠の海”の兵団とその将・メタルシードラモン、そして“赤銅の谷”の兵団と、その将。陸海空に大別されるゼブルナイツの三軍団とそれを指揮する三将軍、その最後の一人たる紅蓮の機械竜“カオスドラモン”は、待ち侘びたとばかりに鋭い歯列を覗かせ砲口を空へと向ける。
「思い知れ神の家畜ども……ケダモノの生き様を教えてやるぜ!!」
光瞬く空にケダモノの咆哮がこだまする。血にも火にも、黄昏にも似た赤きその肢体。混沌の名を持つ破壊者、暴竜・カオスドラモンはその研がれた刃のような牙と牙とを打ち鳴らし、背に負う砲の吹く火とともに雄叫びを上げる。迫り来るアポカリプス・チャイルドの軍勢を撃ち落とし、焼き払い、次なる獲物を求めて移ろうその目が、遠く視界の端に揺れる影を捉える。
来やがったな……!
がりりと轍を刻むように石畳を踏み締めて、込める力は砲身が砕け散らんばかり。東の空より進攻するクロスモンの部隊から照準を外し、視線を移すは西の空。身を翻し、歯列を狂気に歪ませて、挨拶代わりと放つその一撃。西の空に火の花が咲く。
「はははははぁ! 早かったじゃねえか! 道中大事はなかったかあ!?」
爆煙を切り裂く、翼。暴竜の一撃を逃れ飛翔する数多の影。西の空より進攻するは怒れる聖獣の群。クロスモンに並ぶ聖獣部隊のもう一人の将、大鷲の翼と獅子の体を持つ雄々しき王なる幻獣・グリフォモンが率いるはアポカリプス・チャイルドの第二陣。幻獣は眼光鋭く、耳障りに笑う暴竜を見据え、声を張る。
「カオスドラモン……! 貴様あぁっ!」
開いた嘴は、砲口。叫ぶそのままに放つは音速の衝撃波。それはデータに綻びをもたらす破壊の旋律。姿すら見せず、足音すら聞こえぬ死神の鎮魂歌。正しく瞬く間に飛来するそれ。ゼブルナイツ陸軍・砲撃部隊の弾幕に威力の大半を相殺されながらもその間隙を縫い、古城の石壁をえぐり取る。
がらがらと湖へ落ちる瓦礫を横目に、カオスドラモンはその凶悪な顔貌を笑みに歪ませる。
「はははっ! 逸るな逸るな! せっかちな野郎だ! 愉しもうぜぇ!?」
「ふざけたことを……!」
仲間を捨て駒にしておいてよくもぬけぬけと言えたものだ、と。血が沸き、骨子と筋肉が軋むような錯覚。幻獣はぎりりと嘴を鳴らす。と、その時だった。
「グリフォモン!」
そんな声にはっと、冷静さを取り戻す。声を追って上空を仰ぎ見れば、闇の竜と矛を交える金の巨鳥の姿。
「クロスモン……すまない! 足止めを食っていた! 加勢する!」
激情を払うように頭を振って、幻獣は翼を広げる。視界に竜を捉え――けれど、その刹那。
「必要ない」
風切り音と、金属音。瞬きの間に青い影が、巨鳥の眼前より竜をさらう。
「お前の相手は、この私だ」
晴天に似た青が巨鳥の視界を過ぎる。同時に巨鳥の目前から掻き消えるのは闇夜に似た黒。残像を視線で追う。先程まで切り結んでいたその黒――ダークドラモンの姿は既に遠い。一瞬に黒をさらったその青はなおも流星の如く光の尾を引いて、戦場の空を翔ける。
ぎりり、とダークドラモンは歯列を鳴らす。我が身を否応なしに巨鳥から引き離すその青に、舌打ちを一つ。槍を持つ手に力を込める。
「ミラージュ……ガオガモン!」
その名を呼ぶ。眼前の青――獣騎士・ミラージュガオガモンもまた武器を持つ手に力を込めて、一拍を置き、火花が散る。獣騎士の体当たりのまま、鍔ぜり合う形になっていた両者が弾け飛ぶように離れる。距離にして、互いの間合いの僅か外。
「ミラージュガオガモン!? その腕は……!」
とは、金の巨鳥・クロスモン。装甲が砕け、焼け爛れた獣騎士の左腕に思わず声量が上がる。けれど当の獣騎士は自らの傷になどまるで構うそぶりも見せず、巨鳥と、次いで身構えた幻獣とを制するように痛々しい左腕を無造作に突き出す。
「ここは任せてもらおう。指揮官の出る幕ではあるまい」
そんな言葉は、言外の圧力を伴って。巨鳥と幻獣は自らを律するようにその身を強張らせ、翼を広げる。一瞬、その視線が交差し、そうして同時にその空域を離脱する。竜の舌打ちが二人きりの空に小さく響く。
「それがお前の選択か」
残念だ、とでも言わんばかり。遠ざかる巨鳥と幻獣を横目に、竜が吐き捨てるように呟けば、けれど騎士はゆっくりと首を横に振る。
「選択はこれからだ。私も、そしてお前もな」
「……何を言っている?」
「語るべき言葉は一つだ」
そう言って騎士はその右腕を、ぎらりと斜陽に照る獣爪を構える。視線がただ一度だけ巨鳥たちの向かった眼下の戦場を撫で、そうしてまた、眼前の竜を見据える。覚悟を湛えた双眸に強く光が差す。
時が凍てついたような静寂。互いの眼光が交差して、空に亀裂の走る錯覚。瞬間、裂帛の気合いが爆ぜ、甲高い音が乾いた空を打つ。敵の目に己が鏡像を見るほど間近に、騎士の爪と竜の槍とが火花を散らす。
「これが語るべき言葉とやらか! ケダモノの騎士よ!」
竜が吠える。嘲りと怒り、そして失望。胸の奥に渦を巻く感情が憎悪に変わる。その、間際。けれどそれは即座に霧散する。予想だにしなかった騎士の、その返答に――
高い空から乾いた音が降る。音を目で追えば上空――対峙する闇の竜と獣騎士を一瞥し、暴竜・カオスドラモンは舌を打つ。周囲をゆっくりと見渡し、次いで漏らす溜息。西も東も、北も南も隙間無く、エルドラディモンを取り囲むのはアポカリプス・チャイルドの兵。絶え間無く続くその砲撃がゼブルナイツ陸軍の弾幕を潜り抜け、徐々に城の石壁を削ってゆく。
足元を掠める一撃に暴竜は顔をしかめ、牙を軋ませる。放熱も済まぬ砲を構え直し、そんな時。突如として響き渡ったのは怒声にも似た笑い声だった。再度空に目をやり、再度の舌打ち。愉しそうな戦いに巡り会えて何よりだと、毒づき、憂さを晴らすように周囲の敵兵へ向け背の砲を放つ。
「ここまでだな」
暴竜の砲撃を嘴からの光線で相殺し、そう言い放つのは黄金の巨鳥・クロスモン。元より連射性に乏しい暴竜の砲は、短時間での酷使にここへ来て著しくパフォーマンスが低下している。続く巨鳥の言葉は、降伏勧告。けれど暴竜はそれを鼻で笑い、返答代わりと過負荷に軋む砲口を向ける。
「ここからだろうが! “人質”に困り果ててんのはどこのどいつだぁ?」
そう言ってげらげらと笑う暴竜に、巨鳥は僅かな沈黙。図星をさされた、と言えば嘘ではないが、いや、意表をつかれたというべきだろうか。
「人質……だと?」
誰のことだと、問うているわけではない。ゼブルナイツの奪取した魔王の肉体が戦いの引き金であることなど、この戦場で知らぬものはいないのだから。
「移り気な忠誠心だとばかり思っていたが……」
「あぁん? 何が言いてえ?」
半ば硝煙に紛れる暴竜のその姿に目を凝らす。赤く熱を帯びた背の砲を一瞥し、巨鳥はその口調に精一杯の嘲りを込めた。
「“護れなかった主”の代替品ではなかったのかと、言っているのだ。誉れなき騎士よ」
瞬間、戦場から一切の音が掻き消えるような錯覚。かと思えば周囲の爆音をも飲み込むほどに鳴り響く、牙と牙との摩擦音。そして、怒号。暴竜の背の砲が呼応するように火を噴く。
巨鳥の言葉は暴竜の自滅を誘う挑発。行動自体は思惑通り。ただ、その桁外れの底力を除けば、だが。相殺し切れぬ威力は巨鳥の翼を掠め、包囲網に小さくはない風穴を穿つ。
「魔王直属は、伊達ではないか……!」
だが、と巨鳥は微笑する。仰ぐ空には揺れる影。さながらそれは、月が落ちるかの如く。
空の果てから響くのは、地の底から轟くような重低音。仰いだ空には遠く揺れる影。ずずん、と重低音が地鳴りに変わる。そうして空に格子状の光が浮かぶ。それは小世界の天蓋を構成するデータの骨子、ワイヤーフレームが外部からの負荷によって視覚化されたもの。つまりは――“それ”がこの小世界の外側より進攻してきたことを意味する。
「“生命の木”……!」
その正体を察したダークドラモンが驚愕の声を上げる。
小世界間を隔てるデジタル空間は、多種多様な情報の波が雑多に入り交じり、いわば指向性のない光の柱。情報はデジタルワールドの万物を構成する元素であり、それは膨大な質量とエネルギーの奔流。その只中を強行するアポカリプス・チャイルドの移動要塞――“生命の木”。
「援軍だ。もはやここまで――」
空に見える神の居城を、万の兵を有する母船たる“生命の木”を仰ぎ見て、先の自分自身の言葉をなぞるように巨鳥は暴竜へ再度の降伏勧告。これを目の当たりにしてなお戦う意志などあるまい、と。視線を暴竜へ戻す。けれど、
「マエ、が……っ! オマエがァアア!!」
巨鳥が視線を逸らした僅か数秒。“生命の木”の出現に誰もが思わず意識を逸らしたその数秒。そんなものは眼中にないとでも言わんばかり、その叫びはまるで己が喉をも食い破るが如く。紅蓮の竜は、跳躍する。
翼なきその跳躍はさながら赤い弾丸。巨鳥は咄嗟に爪をふるう。甲高い音が鼓膜を衝いて、火花が散る。
ぐ、と巨鳥が声を漏らす。目前には血走る眼の紅蓮の竜。激突の反動に互いが後方へ弾かれて、翼を持たない竜はそのまま湖へ落ち行くのみ。そのはずなのに。本能が警鐘を打ち鳴らす。巨鳥は無意識に迎撃の構えをとる。
瞬間、光が瞬く。暴竜の砲が火を噴いたのだ。けれど照準は、巨鳥ではない。何もない空中を撃ち抜くそれは、翼の代用。暴竜は砲火を推進力に宙を翔け、あろうことか付近にいたアポカリプス・チャイルドの兵を足場代わりに再度跳躍する。
「何が、神だ……!」
すべては怒りのままに。譫言のように呟くのは無念と憎悪。そして、天空城の守護騎士団――“ゼブルナイツ”の名につけられた傷と、塗りたくられた泥。その屈辱への憤怒と狂気。認められるものか。我らが敗戦の上に立つ王など、万物万象の唯一なる神の存在など……!
「“ルーチェモン”の復活など……俺は認めん!」
>>第九夜 銀幕のファンファーレ