第五夜 赤枯のジャーニー
5-1 霧中の道標
「それでは、ご武運を」
翌日の朝、私たちはレディーデビモンに見送られて城を後にする。正門から続く庭園を抜け、石のアーチの前で一晩中ほったらかしだったベヒーモスに跨がる。
「お待たせベヒーモス。……って、なんかピカピカしてない?」
荒野の砂埃や戦いの粉塵にまみれていたはずが、黒鉄の車体はやけに小綺麗で。まさか洗車までしてくれていたのか。光沢の眩しい車体を私がしげしげと覗き込んでいると、インプモンが頭をかいて溜息を吐く。
「またかよ……いいっつってんのに。お前も抵抗しろよベヒーモス」
「そんなこと言わないの。今はインプモン一人で乗るわけじゃないんだし」
そう言って後ろに飛び乗るインプモンにふうと溜息を一つ。そこで、自分の言葉にはたと気が付いて、
「あれ……そう言えば、レイヴモンは?」
最初の顔合わせ以降一度も見ていないけれど。言いつつ城を振り返り、そんな時。
「お呼びで?」
ベヒーモスの傍らで片膝をついてレイヴモンが問う。思わず跳ねるように高鳴った胸を押さえながら、私はそろりと振り返る。こいつ心臓に悪い。
「い、いえ……その、どこにいるのかなー、って」
「左様で」
「つーかお前、ずっとこそこそ着いて来る気か」
インプモンがやれやれと問えばレイヴモンは頭を垂れたまま返す。
「お二人を陰からお護りすべく……何か問題でも?」
「問題っつーか、てっきり表立って的になるもんかと」
「イ、インプモン……」
確かに正論なのだけれど。好意で着いて来てくれたのにそれはちょっとどうだろうか。というかまだ拗ねてやがるかこいつは。
そっと、レイヴモンに視線を戻す。すると当のレイヴモンはふむと唸り、
「成る程、確かに」
なんて、本当に納得したように頷く。どこまで本気なのか。いまひとつ読めない奴である。
「ではそのように」
「……ああ、そうしろ」
インプモンも半ば呆れた顔でそう返し。うん……まあ、なにはともあれ。
「じゃ、ええと、出発で?」
「おう、そうだな」
「御意に」
私が問えばインプモンは腕を組んで、レイヴモンは膝をつきながらこくりと、それぞれ頷いて。そしてベヒーモスが内燃機関の唸りで応える。
嗚呼……なんか気まずい。この悪魔め。
まあ何はともあれ、こうして私たちは朝日の元、リリスモンの城より旅立っていくのであった。
「ところで、次はどこ行くの?」
荒野を走り出してすぐ。ふと、そう言えばそれをまだ聞いていないなと気付く。私が首を傾げるとしかし、インプモンは何言ってんだとばかり、
「そりゃもちろん、アポカリプスなんとかの本拠地に決まってんだろ」
「で、それってどこにあるの?」
「さあ? でも光の柱でこっちに来たんだし、おんなじことすりゃそのうち着くだろ」
「適当な……というか昨日どうして聞いておかなかったの?」
「ああ、すっかり忘れてた」
言い切りやがった。はあ、と溜息を一つ。すると隣を飛んでいたレイヴモンが不意に言葉を挟む。
「奴らの本拠地は我々もまだはっきりとは」
「んだよ、使えねえな」
あなたもね。と心の中で突っ込む。
「しかし……お二人は光の柱でこの荒野へ?」
「あ? そう言ったろ。それがどうした」
インプモンが素っ気なく返す。そんな邪険にしなくても。しかしレイヴモンは気にもせずふむと唸り。独り言のように呟く。
「この物理レイヤの荒野は、デジタルワールドの表層レイヤ」
「知ってるっての」
「そして光の柱はリアルワールド球から降り注ぐ情報の波」
「だから知ってるっての」
レイヴモンは空を見上げて。釣られて視線をやればそこには彼の言うそれ。空に浮かぶ機械の塊。インプモンはあれが私たち人間の世界への帰り道と言っていたか。少し苛立った声を上げるインプモンにレイヴモンは視線を戻し、
「光の柱を使った無作為な転移は表層から深層への一方通行」
「だからなんなんだよ」
「つまり、奴らの本拠地は深層の小世界ではなく」
くいと地面を指差した手を、今度は空へ向けて。
「この表層より更に上、ということになるのでは」
「……あれ?」
「え? それってつまり」
「光の柱では、辿り着けぬかと」
要はこの世界は、高層ビルのように幾つもの階層で構成されているわけだ。そして光の柱は上層から下層への一方通行なエレベータ。今いるここがビルの屋上で、てっきりビルの中のどこかに目的地があると思ったら……目的地はビルの上空だったと。
「なら、上に行くにはどうしたら?」
「樹上の果実が地へ落ちるほどに、深層へ降るは容易きこと。しかし……」
昇るのは、落ちた林檎を枝に戻すくらい難しい、と? というかそれだけ昇れるなら天使なんてスルーして家に帰るけど。
嗚呼……悪夢だ。
「つーかお前、空飛べんなら探してこれねーの?」
「ご命令とあらば」
インプモンの無茶な要求にレイヴモンは即座にそう返す。って、本気かそれ。
「ちなみに、この荒野ってどのくらいの広さなの?」
「確か、リアルワールドと同じであったかと」
リアルワールド――つまり地球の表面積と同じ、とでも? 空に浮かんでいるからには移動くらいできるだろうし。そんなの、世界のどこかを飛んでいる飛行機を小さな鳥が当てもなく追い掛けるようなものじゃないか。はあ、と溜息を一つ。と、そこではたと気付いて、
「ねえ、光の柱って真下に降りるものなの?」
「おおよそは、ほぼ真下のレイヤに転移するかと」
「なら私たちが最初に光の柱で降りた時、その本拠地って、真上にあったってこと?」
「恐らく」
レイヴモンが答え、そして私たちが首を傾げる。そうだ、あの時、私が出口を聞いたらインプモンがリアルワールド球を指差して――
「そう言えば無かったな」
インプモンが眉をひそめて言う。そうして私たちが視線をやると、レイヴモンはふむと唸り、
「考えられるとすれば……目視できない更に上層のレイヤに位置しているか、あるいは、外から見えぬようステルスが施されているか」
つまり――嗚呼、飛行機どころの騒ぎじゃない。ラピュタ探すようなものってことね。
「乗り込むのは、当面無理そうね」
「……そのようだな」
インプモンは肩を落としてそう言って、溜息を一つ。さあ、どうしたものかと、そんな私たちの迷いを感じとったかベヒーモスも次第に速度を落とす。隣を飛ぶレイヴモンは宙で腕を組みながらぽつりと。
「では……やはり仲間を?」
「そうね。私はそれがいいと思うけど」
レイヴモンの言葉にインプモンが口元をもごもごと、ああ、また文句だろう。その前に私が口を挟んでやる。
どうせ相手もこちらを探しているのだ。慌てなくともいずれ接触の機会はあるだろう。ならばその前に、戦力を整えるのが現状での最善。それに、
「そのうち知ってる人に会えるかもしれないじゃない」
「そのうちって……ヒナタなんか余裕だな?」
「もう慌ててもしょうがないし」
言って溜息。だって魔王とか神とか、そんなの聞いたらもう割り切るしかないじゃないか。安全第一だ。嗚呼、謙虚な私。そして可哀相な私。また溜息。そうして仰いだ空は、遥か遠く遠く。
「で、肝心の仲間だけど」
ふうと溜息を一つ。もう何度目かも分からない。ともかく落ち込んでも始まらない。今は前へ進もう。私は頬を叩いて後ろへ視線をやる。
「インプモンは……あ、友達いないんだっけ」
「ほっとけ」
「ならレイヴモンは? 当てとか、リリスモンに何か聞いてたりしないの?」
今度は隣を飛ぶレイヴモンへ視線を移す。問えばレイヴモンは一瞬口の端を歪め……今笑った? 気のせいだろうか。気付けばいつもの仏頂面で、
「一つ、心当たりが」
「どんな?」
「北の地にある名も無きならずものの群れ。彼らが数度に渡り、アポカリプス・チャイルドとおぼしき天使たちと交戦している、と」
ならずもの? 要はギャングか、あるいは盗賊団のようなものだろうか。確かに魔王とかそっちサイドっぽい気はするけれど。困っているからと快く協力してくれたらそれはもうならずものじゃないような気もする。少なくとも今、私の頭に浮かんだイメージでは、だけど。それに、アポカリプス・チャイルドと“おぼしき”だしなあ。
「そのならずものって、結構有名なの?」
「表立って行動を始めたのは、天使たちと同時期のようで」
同時期、って割と最近? てっきり魔王とかに並ぶくらいの有名所かと思いきや。世界の闇を七分しているらしい魔王さん方と、ぽっと出のチンピラ集団じゃ落差が激しすぎるような。しかも後者のほうが善戦しているような言い方に聞こえたけど。
私が眉をひそめて考え込んでいると、インプモンがやれやれと皮肉げに肩をすくめる。
「当て、ってほどでもなさそうだな」
「確かに……そうだけど。でもこのまま当て所なく彷徨ってるよりはマシじゃない?」
「かもな」
「では……」
インプモンの言葉に、レイヴモンが視線を寄越す。インプモンは不本意だとでも言わんばかりに息を吐き、そこまで言うなら行ってあげてもいいんだからねっとばかりに頷いた。めんどくさい子である。
「しょうがねえ。案内しろ」
「御意に」
言うが早いか、レイヴモンの黒翼が風を打ち、ベヒーモスが唸りを上げる。嗚呼、なにはともあれ、これでようやく目的地が決まったわけだ。
私はもう一度自分の頬を叩いて、さあ、大変なのはこれからだ。前途多難であること以外、何も分からぬこの旅は、折り返しすらまだ見えないのだから。悪夢は、まだ始まったばかりなのだから――
5-2 暗中の道標
デジタルワールドとは、リアルワールドをトレースして創られた、言わばもう一つの地球である。その形状、大きさは寸分違わず地球と等しい。尤も、それは外観の基本骨子、枠組みに限った話ではあるが。
地球の地表に相当する物理レイヤの荒野、その下層に位置するマントルに当たる部分には、デジタルワールドでは“小世界”と呼ばれる小さなレイヤが点在している。球形の小世界レイヤはまるでブドウのように連なり、様々な独自の自然、生態系を形成している。
道すがら聞かされたそんな話を走馬灯のように思い出し、私は力の限り絶叫した。
向かうはとある小世界。現在地は物理レイヤの荒野。の、どこかにある、底の見えない大穴の中。ただいま、絶賛落下中である。
「はははは。元気だなヒナタは」
「ふむ。しかし程々にされませぬと喉を痛めるかと」
涙目で叫ぶ私を横目に、インプモンとレイヴモンは口々にそんなことを言う。というかなんで落ち着いてるのこいつら。私? おかしいの私? 合ってるのこの道で? というか道なのこれ?
「ここっこれっ!」
「どうしたヒナタ」
「だだ大丈夫なのこれえ!?」
どうしたもこうしたも。大穴を前にするやいなや、何の説明も躊躇もなく飛び下りやがって。これが叫ばずにいられるものかと私は声を大にして言いたい。
「心配するな。こう見えてベヒーモスは結構丈夫だ」
私が問えばインプモンは爽やかなサムズアップとともにそう答える。うん。違うから。私が聞きたいのはそれじゃないから。そうじゃなくて、
「わ、私はぁ!?」
これでもかと声を振り絞る。するとインプモンは今正に気付きましたとばかりぽんと手を打って。わざとか。わざとだな。私が嫌いなのね? 私も嫌いだともこの悪魔ぁ!
「そう言えばヒナタは生身の人間だったな」
「今頃!? 遅いぃ!」
「む。そろそろ出口のようで」
「もう!? 早いぃ!」
「はっはっは。ヒナタはおもしれーな」
殴ってやる! ぶん殴ってやるう! この悪魔あ!
暗い暗い穴の底。ぽつりと点った光が次第に大きく――と、思えば不思議な電子音が耳を衝き、辺りが電子基盤に似た蛍光色の幾何学模様に包まれる。ぴりりと、肌を撫でる静電気のような僅かな刺激。
けれどそれも束の間。一拍を置いて、今度は視界がホワイトアウトする。
そうして私たちが辿り着いたそこは――
5-3 枯野の行軍
荒野に口を開ける大穴へと飛び込み、下へ下へ。闇の道を抜け、光の門を潜り、そうして私たちは――空へと投げ出される。
声にならない叫びが口から飛び出して、嗚呼、下が見えない分さっきの暗闇のほうがマシだった。いっそ気を失ってしまいたかった。
「しっかしまた、えらいとこに出たもんだな」
なんて暢気にインプモン。なんで落ち着いてるのこいつ。というか私これもう普通に死ぬんじゃ。
「おい、ヒナタ頼むぞ」
「へえ?」
私が半ば命を諦めかけると、不意にインプモンがそう言って私の肩をつかむ。頼む? 何を? え?
「宜しいので? 必要とあらば鉄の獣ごと……」
「必要ねえよ。いいから……行け!」
「え? わああ!?」
言い終わると同時、インプモンはベヒーモスの上からレイヴモン目掛けて私を投げ飛ばす。元々空中だったものの、ベヒーモスという支えを不意に失い、姿勢を保つこともままならない。私は宙でくるくると回転しながら……って、なにこれえへえ~!?
「おっと。ご無事で?」
「ぶ、無事な、わけ……!」
もう何が何やら。上も下も分からぬままレイヴモンに抱えられる。後で覚えてろよこの悪魔。というか何故に私に一言も説明しないのだこいつらは。
文句を言ってやりたかったが体に力が入らない。怒鳴る気力もなかった。
レイヴモンはぐったりした私を抱え、ゆっくりと下降していく。
「お気を確かに」
「ならもっと早く……って、インプモンは?」
「既に着地されたようで」
レイヴモンの視線を追い、真下に目をやる。まだまだ遠い地上に、それでもはっきりと目視できるほどのクレーターができていた。
「あれは墜落って言わない?」
「ふむ、確かに。言い得て妙」
そう、レイヴモンは感心したようにこくりと頷く。うん、まあいいか。自信あったみたいだし。レイヴモンもちっとも心配してないし。
さて、と。切り替えるように息を吐き、改めて眼下の地上を見渡す。そこは――灰色の世界だった。土も、木々も、全てが灰に埋もれた、そんな世界。
「ここは……」
「その名を、枯れた森、と」
「枯れた……森」
そうして私たちはゆっくりと、灰に埋もれたその地へと降り立つ。
クレーターの真ん中でもがくインプモンの下半身を一瞥し、灰色の地平を見遣る。冷たい風が吹き抜けた。とても、とても物悲しい世界であった。
朽ちた木にそっと手を触れる。途端にそれは脆くも崩れ、灰となって枯れた地に散る。
「こんな所に……?」
見渡す大地は灰色で、見上げた空もまた灰色。とても生き物が棲める環境には思えないけれど。誰にともなく問えばレイヴモンが頷いて、
「どうやら近隣のレイヤを転々としているようで。ここへは数日程前から」
なるほど。拠点を移しながら天使たちと戦っているのか。と、なるとしかし、
「疑問が二つあるんだけど」
「は、なんなりと」
私はレイヴモンに向かって指を二つ立てる。一つ目は……いや、今更という気もするのだが。
「これから会いに行くならずものって、結局なんなの?」
最初に聞いた印象では盗賊紛いの連中が一方的に喧嘩を売っているのかと思ったが、拠点を転々としているということはつまり、襲い来る天使たちを迎え撃っているということではないのか。ただのならずもの、では納得できないけれど。
「さて……某も詳しいことは」
レイヴモンはふむと唸って思考するように手を口元に……まただ、ほんの一瞬だけど、その口端が笑みの形に歪む。
やはり何か裏があるか。まあ、あのリリスモンが半ば強引に同行させたのだ。全幅の信頼を置くことなどできないのは分かりきっていたけれど。
「して、二つ目は」
「え? あー、うん。……レイヴモンってレベル幾つ?」
「む? ふむ、某は究極体で」
「へえ、そうなんだ」
と、相槌を打って、溜息を一つ。本当は情報源を聞いてやろうと思ったのだが、今はまだ、下手に深く突っ込むべきではないか。
傍で疑う。多分今はこの関係がベター。真意がどうであれ、この距離が一番分かり易い。なんにせよ、今は味方という立場を取っているのだし。
まあ、ちょっとさっきの方向転換は強引だったけど。
「ところでこれから……」
「おい」
何となく気まずい空気に話題を変えようとするが、そこに割り込んだのはインプモンだった。何やら頭から灰まみれで。
「あらインプモン。お元気?」
「……人で無しめ」
一人でできるもんって自分で突っ込んどいて何を。肩をすくめて無言で溜息を吐いてやる。インプモンはぐぬぬと唸って、ちょうどそんな時。
ふむ。と、レイヴモンが空を見上げ。釣られて目をやれば、続けられた言葉はなんだか久しぶりの、
「どうやら、敵襲のようで」
「……え?」
色褪せた空に無数の影が躍る。あるいは白い蛇、あるいは金の天馬、またあるいは青い鋼の鳥。多様な姿のデジモンたちが規則正しく列をなし、編隊を組んで飛翔する。
「あれも、天使たちの……?」
空を仰いで傍らのレイヴモンに問えば小さく頷いてみせる。上空の軍勢は、どうやらこちらには気付いていない様子。というかこれ、
「本当に見えてないの?」
「見えてりゃ素通りはしねえだろ」
とはインプモン。レイヴモンの右翼――ベヒーモスごと私たちを覆う姿隠しの黒い翼の隙間からまたそっと空を覗き見る。相変わらず軍勢は彼方の空を目指して。目的地は、私たちと同じであろう。
見上げれば長い長い行軍がようやく途切れ、そのしんがりには金の翼を持つ巨鳥――あれ?
「あの鳥」
誰にともなく呟く。インプモンは私の視線を追って空を見上げ、
「ああ、ホウオウモンだな。究極体だ」
「や、そうじゃなくて」
「あん?」
「なんか今こっちをちらっと……」
言い終わらぬ内、不意に視界の端で何かが瞬いて――
「っ! ベヒーモス!」
そうインプモンが叫んだ途端、視界が一変する。レイヴモンの黒翼に日差しを遮られ、薄暗かった視界が瞬間、激しい閃光に満たされて。甲高い風のわななきが耳を突く。
慣れとは恐いものだ。何の変哲もないどこにでもいる女子高生のはずの私の頭は、現状を即座に理解してしまう。つまりは、
「み……見付かったの?」
レイヴモンに抱えられながら、先程まで自分たちのいた場所を、立ち上る白煙を目に問う。レイヴモン同様、爆心からベヒーモスによって脱したインプモンが溜息混じりに答えた。
「みたいだな。どうなってんだおい」
「むう、返す言葉も……」
インプモンの言葉にレイヴモンはうなだれるように。って、言ってる場合ですかこれ。
仰いだ空で軍勢は二つに別れ、八割程度はそのまま進軍、残る二割は真っ直ぐこちらを目指して降下する。二割、と言ってもざっと百にも届きそうな大所帯だけど。
「微かな邪気、ではなかったかな?」
金の巨鳥――ホウオウモンの背上で天使がくいと首を傾げる。
「微かだとも。魔王とは思えぬ程にな」
「成る程、尤もだ」
巨鳥が答え、また天使。青い鎧に金の翼――初めて見る天使だった。巨鳥と天使を中心に、百近い軍勢が私たちを取り囲む。要するに……嗚呼、悪夢だ。
周囲をぐるりと空から取り囲むのは様々なデジモンたちの混成部隊。デジャヴュ、ではないな。数はざっと三桁に届こうかというところか。そしてその中心には明らかに他とは別格の鳳凰。と、金翼の天使。
「よもや我らが先にまみえようとはな」
そう言って天使は頭を垂れる。構えた剣がぎらりと輝いた。天使は私を見遣り、インプモンへと順に視線を移し、そしてはたと、
「……何?」
そんな天使の驚愕の訳を、私が理解するのは遅れること僅か。理解と同時、ぐいと、不意に腕を引かれた。
「遅い」
呟くような声は、一瞬の静寂を縫うように私の耳まではっきりと届いた。その声を追った視線の先、鳳凰の背の上でゆらりと空に溶ける影から白刃が伸びる。
ひゅん、と、風を切る音。天使の首を刈らんとする死神の鎌の如く白刃が閃いて――
「ほう」
と、感心するように白刃の主。問答無用に大将首を狙うレイヴモンの初撃を、寸でのところでかわし、天使はぎりりと奥歯を噛む。喉元へ迫る刃をのけ反るように避け、その体勢は余りに無防備。レイヴモンの口元が小さく笑みに歪む。
刹那、白刃の軌跡をなぞるように白翼が躍り、否、僅か一歩を踏み込んで。太刀筋は天使の胸を逆袈裟に走る。
秒の間の攻防。周囲の兵は勿論、背上という死角ゆえに鳳凰さえ即座には反応できなかったほどの。
「っ! 撃てぇ!」
倒れゆく天使が血とともに吐き出したそんな叫びが引き金。瞬間、静寂が打ち破られる。
鳳凰の翼から沸き立つ金の粒子が、狙いを定める間も惜しいとばかり、自らの背の上で爆発を引き起こす。仲間である天使を巻き込むことさえ厭わず。
白煙が渦を巻き――と、思えば渦中より踊り出る影が二つ。
ち、と舌打ちは誰のものか。確かめる間もなく躍る影が一つ・レイヴモンは逆手に構えた刀を掲げ、
「天之尾羽張」
愛刀に語りかけるような、静かな声。応えるように刀身が瞬いて、灰色の空に、漆黒の雷がほとばしる。雷鳴が耳をつんざく。
雷光は多頭の竜の如く複雑に分岐し、軍勢のことごとくを討つ。かろうじて逃げ延びたのは兵が僅か十と少し、そして鳳凰と、金翼の天使もまた存命。けれど、
「やってくれる……!」
混乱に乗じて逃亡を図った標的の背は既に遠く、眼前にいたはずの敵も稲光に紛れ再び姿を消して――鳳凰は、忌ま忌ましげに舌を打つ。
5-4 二叉の岐路
「またこれぇー!?」
「舌噛むぞヒナタ」
灰の大地にベヒーモスを駆り、疾走する。レイヴモンの放った雷電に、私たちへの注意が逸れたその隙に。
ハンドルにつかまりながら視線だけを背後へ移す。レイヴモンの一撃を逃れたのは、おおよそ十数体。不意打ちとは言えあの一瞬で実に九割近くを葬ったということか。なんて無茶な奴。
僅かな身震い。きゅっと、唇を噛んで視線を戻す。
「ねえ、これからどうするの?」
「どうもこうも……どうしたもんかな」
かくんと、首を傾げてインプモン。この役立たずが。なんて毒づいてみるも、確かにこれは、困ったものだ。
当初の予定通りならずものの皆さんを頼ってみるか? ただしその場合、鳳凰たちに追われながら先行部隊を追いかける形になるけど。挟み撃ってくださいと言わんばかり。そもそも味方をしてくれる保証すらないわけだけれど。
かと言って一旦姿を隠そうにもたった今あっさりと見付かったばかりだ。微かな邪気、とか言っていたか。どういう理屈かはわからないが、鳳凰はこちらを探知する術を持っているらしい。
と、なると残るは、
「……逃げる?」
ぼそりと小さく提案すれば、インプモンは眉をひそめて舌打ちする。
「確かに。一旦出直すべきかと」
そんな相槌に視線を横へやる。相変わらず神出鬼没な。
「レ、レイヴモン! さっきの天使は?」
問いつつ振り返れば、最初の一割程に減った軍勢を率い、こちらに迫る鳳凰。天使は……背の上だろうか。地上からでは確認できないが。
「多少の手傷は。しかし……」
「かわされたな。つーか、あの鳥野郎が相殺しやがったか」
「相殺?」
「あいつ、雷撃を咄嗟に自分の炎で防ぎやがった。辺りの味方ごとな」
そう言って、ち、と舌打ち。インプモンは忌ま忌ましげに、迫る鳳凰を一瞥する。と、今度はその視線をレイヴモンへやり、またも舌打ち。
「……お前なら逃げ切れんな?」
「は?」
「ヒナタ抱えてどっかに身を隠せ」
「え?」
インプモンの提案に、私とレイヴモンは思わず顔を見合わせる。って、何よそれ。
「ちょっと、何言って……」
「ヒナタが乗ってなきゃもっとスピード出せる」
「っ……邪魔、だってこと?」
「そうなるな」
インプモンは冷たく言い捨てて。沈黙。私は小さく唇を噛んで、無言のまま、レイヴモンへ手を伸ばした。
ふわりと体が浮き上がる。レイヴモンに抱えられ、僅かもしないうちに地上が遠ざかる。
後方へ目をやる。鳳凰たちは私とレイヴモンが消えたことに一瞬の躊躇い、しかし見えぬ敵より眼前のインプモンを優先させたか、お荷物を下ろして速度を上げたベヒーモスを追う。
私はレイヴモンの腕の中、鳳凰たちより更に上空からその背中を見送った。
「……ベルゼブモン様は」
「いい。言わなくて」
レイヴモンの言葉を遮って、私が言えば彼もそれ以上は言わない。分かってる。あの大根役者が。
「それよりあなたは? 確かあの鳥に……」
「いえ、あれは魔性を滅する浄化の火。某は魔に属する身ではありませぬ故、さほどは」
浄化、魔性――嗚呼、と合点がいく。鳳凰たちが探知できたのは“微かな邪気”だけ。だから、私たちの前を通り過ぎて行ったわけだ。
はあ、と溜息を一つ。遠い地平へ視線を巡らせる。
「それで、これからどうするの?」
「身を隠せ、とのご命令で」
「どこに隠れて何するかは言われてないでしょう」
「では……」
小さく首を傾げるレイヴモン。私はふうと息を吐き、インプモンたちの消えた地平を正面に見据え、その視線を次第に左右へ移して、
「最初の、ってどっち行ったっけ」
問えばレイヴモンはその指をくいと左へやる。
「あちらだったかと」
「ってことは」
この先に、彼らがいる。やることは決まった。否、変わらない。隠れながら、当初の目的を果たすだけだ。
「追い付ける?」
「恐らく」
言うが早いか、風が頬を叩き、景色が見る見る間に流れていく。ベヒーモスより格段に早い。けど、レイヴモンが翼で庇ってくれているお陰で、耐えられないほどの風圧でもない。
ぎゅっと、レイヴモンの腕につかまり、そうしてしばし。長い長い空の路をひた走り――やがて、風の音に鋭い金属音や爆音が混じり始める。
見えた。でも、
「始まってる?」
「そのようで」
次第に見えてくるのは、灰の大地の上、あちらこちらでぶつかり合うデジモンたちの姿。先程の軍勢と相対する異形の怪物たちこそが私たちの目的――“ならずもの”というわけか。
しかしこんな戦場のど真ん中でどうやって……。
戦場を眼下に、どうしたものかと二の足を踏む。と、そんな時。
轟音、大気の震え、波及する戦慄。破壊とともに姿を現すそれは――
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