第四夜 紫煙のラスト・エンプレス

4-1 飛天の淑女


「ヒ、ヒナタあぁ~!? 本気かおい!?」
「舌噛むよインプモン」

 悪路にガクガク揺られながら喚くインプモンに、私は至極冷静に言葉を返す。本気も本気。大マジだとも。
 逃げ回ってばかりいてはいつまで経ってもリリスモンの城へ辿り着けない。そもそもそこがゴールである保障さえないのだ。余計なことにかかずらっている隙なんてない。

 こうなればなにもかも、ぶっ飛ばしてぶっちぎってやる!

 なんて、そんな私の思惑を察したようにインプモンが情けない声を上げる。覚悟を決めろヘタレ魔王。

「行くよインプモン!」

 うおんと、インプモンに代わって応えたのはベヒーモスの唸り。フルスロットルで内燃機関が雄叫びを上げる。うん。あなたは素直でよろしい。

 前方、飛来する敵を見据える。翼を背負った人影は次第に降下する。

 降りた?
 真っ向勝負をする気か。よほど腕に自信が……。

「インプモン! 相手のレベルは?」
「え? あ、ええと……!」

 私の背中につかまりながらインプモンは首を伸ばす。迫り来る敵を視認すると声を張り、

「か、完全体だ。レベルⅤ!」

 ってことは最初にベヒーモスが倒した奴と同等か。それなら……!

 再度ハンドルを握る手に力を込めて、乗り手の意思を汲み取るベヒーモスに自分自身の戦意を伝えるべく静かに息を吐いて――

 そんな折、首を伸ばしていたインプモンの頓狂な声が耳元で聞こえる。

「あれ? でもあいつ……なんで?」
「え? なに、インプモン?」

 問い返すが早いか、ゆっくりと地に降り立った翼の人影が、すう、とおもむろに手を挙げる。途端に何処からか生まれ出づるのは、無数の黒い影。

 あれは……コウモリだ。無数のコウモリが人影から生まれ、その頭上で規律立った編隊を組み――

「待てヒナタ! 止まれ! ベヒーモス!」
「え? わ……うわっ!」

 奇妙な文様を描くコウモリの編隊を目にした途端、インプモンが叫ぶ。それに答える間もなく急停止するベヒーモス。思わずつんのめり、何がどうなったのかと、ゆっくり顔を上げる。

 そうして視界に飛び込んだのは前方、今やほんの数十メートルに迫ったそれ。

 凛と立つのは黒衣を身にまとった翼の女性。青白い肌に銀の髪。その姿はまるで天使とは真逆の――

 インプモンが静かに言う。

「どうやら、敵じゃないらしい」


 一見するとまるで人間のようにも思えた。黒衣をまとったその女性はしかし、病的に青白い肌と煌めく銀糸の髪、何より背に負ったその翼が、人ならざる者であると物語る。

 黒衣の女性は静かに一歩を踏み出し、ぱちんと、不自然に長い指を打つ。瞬間、宙を舞っていたコウモリが黒い塵となりながら女性の翼へと沈んでゆく。彼女は荒野を一歩ずつゆっくりと進み、

「ご無沙汰しております、ベルゼブモン様。突然の無礼をお許しください」

 私たちの眼前でその足を止め、社交界の淑女のようにうやうやしく礼をする。澄んだ鈴のような声は敵意など微塵も感じさせない。

 近くで見るとその黒尽くめの出で立ちは、とてもじゃないが天使には見えない。どちらかと言えばそう、その真逆。まるで悪魔のような――

「インプモン……この人は? それに、さっきのコウモリは……」

 飛び降りたインプモンに続いてベヒーモスから降り、ぽそりと問う。インプモンは私を一瞥して小さく笑った。

「あれは色欲の紋章――リリスモンの紋章だ。つまり……」

 促すようにインプモンが視線をやると、黒衣の女性はついと私を見遣り、

「お初にお目にかかります。私はレディーデビモンと申します」

 まるで貴婦人がそうするように、スカートの裾を摘み上げるような所作とともに深々と頭を下げる。

「我が主君・リリスモン様より、お二方を迎えにあがるよう仰せ付かって参りました」
「迎えに……?」

 インプモンと顔を見合わせ、思わず首を傾げる。凛と立つ淑女――レディーデビモンはこちらの言葉を待つようにただ黙して。インプモンはいぶかしげに淑女へ視線を移す。

「おい待て。あのババアどこまで知ってやがる? てゆーかどこまで関わってんだ?」

 眉をひそめてインプモンが問うも、しかし淑女は涼しい顔。小さく首を振る。

「さて……私は何も。詳しいことはリリスモン様にお伺いくださいませ」
「……なるほど。まあ、それもそうか」

 そう言うとインプモンはベヒーモスに飛び乗り、私を手招きする。って、

「え? 行くの?」
「元々そのつもりだったろ?」

 そりゃそうだけど。ただでさえ信用ならないと聞かされていたというのに。また随分と、都合のいいご登場に思えたけれど?
 なんて目で問うたところで、既にインプモンはその気のよう。私は溜息を一つ。

 はあ……悪夢だ。




4-2 魔王の招待


 私がベヒーモスに跨がり、ベヒーモスが唸りを上げたとほぼ同時。レディーデビモンが再度ぱちんと指を打つ。小さく広げたその背の翼から黒い塵が舞い散って、虚空に翻り無数のコウモリとなる。

「え……なに?」
「鉄の獣はやはり目立ちますゆえ」

 私の問いに、そう言って黒の淑女は長い指を指揮棒のように振る。するとコウモリたちは私たちの周囲を旋回しながらやがて六つの群れに別れ、

「デコイでございます。上空からであれば多少の目くらましにはなりましょう」

 三度指を打つ。コウモリの群れは2メートル四方ほどの塊となって――なるほどこれは、私たちだ。ベヒーモスに跨がった私たち、のように見えなくもない黒い塊となり、六方へと走り去って、否、飛び去ってゆく。

 間近で見れば雑な造形ではあるが、確かに彼女の言う通り、上空からであれば判別は多少難しくなるかもしれない。
 まさにデコイ――囮というわけだ。

「お待たせ致しました。では、参りましょう」

 ぺこりと一礼し、翼を広げる。ふわりと浮き上がった淑女はまるでエスコートするように差す手で進路を示す。今更だけど見た目にそぐわないキャラである。

 私たちはベヒーモスを駆り、隣をわずか先立つ淑女とともに荒野を走り出す。再び砂煙が荒野の空に舞った。

「ところで、二人って知り合いなの?」

 走り始めて少し。沈黙に耐え兼ねて、というほどでもないのだが、私はふと思い出して後部座席のインプモンに問う。確か先程レディーデビモンはインプモンに久しぶりと言っていたけれど。

「ああ、何年か前にリリスモンの城に行った時な」
「あれ? 意外と仲良かったりするの?」

 なんて問えばインプモンは頭をかいて、

「そういうわけでもねえんだけど……まあ、ちょっと他に当てもなくてよー」
「友達いないのインプモン?」

 信用ならないババア呼ばわりしておいて。
 そう言えば魔王の癖して、こんなピンチに駆け付けてくれたのはベヒーモスだけだし。今のところ。

「ちょ……かわいそうな目で見んなよ。あれだ俺は、一匹狼だからな」

 そう言ってとんと胸を叩く。うん。まあ、なんだ。……これ以上は突っ込まないであげようか。

 私はふうと溜息を吐く。

 丁度そんな折。隣を飛んでいた淑女が私たちに声を掛ける。視線を戻すとやがて地平から、姿を見せたのは荘厳な城であった――


「それじゃ、ちょっと待っててね?」

 城を囲む庭園の入り口でベヒーモスを停め、私たちは城門へと向かう。見送るようにベヒーモスが唸りを上げた。

「綺麗なとこね」
「俺は息が詰まりそうだ」

 レディーデビモンに先導されて庭園を進む。色取り取りに匂い立つ、花々の薫りが鼻腔をくすぐった。魔王の城、と聞いて脳裏に浮かんだイメージとは随分と違う。

 花園にそびえる白亜の城を見上げる。まるでお伽話の世界だ。……今更か。

「どうぞこちらへ」

 レディーデビモンに続いて城へと入る。開け放された白塗りの大扉は、繊細なレリーフを積み上げたような、まるで一つの美術品。

 沢山の絵画や彫刻の並ぶ廊下、レッドカーペットの上を進み程なく、やがて花とは違う甘い薫りが漂ってくる。廊下の先、木造りの扉の前には、人影が見えた。

「おっ帰りっにゃーん」

 なんて、妙な口調で私たちを出迎えたのは、ジプシーのような格好をした二本足の猫のデジモンだった。

「誰?」
「バステモン……あいつもリリスモンの配下だ」

 声を潜めて問えば、インプモンもまた小さく返す。

「はじめまーしてっと、お久しぶりにゃー、ベルゼブモンさま」

 見たまま猫のようにひょいと一足飛びに詰め寄って、バステモンは私の手を握り、インプモンの頭を撫でる。

「おいこら、撫でんな」
「やーん。かわいーにゃ」

 そう言って屈み込み、なでなでと。手を払い抵抗するインプモンだったが、バステモンはそれを完全無視。そればかりかむしろ益々楽しげに、インプモンをぬいぐるみのように抱え上げてしまう。

 どうでもいいけど趣味悪いな。そんな等身大のばい菌みたいの。

「失礼ですよ」

 なんてレディーデビモンが窘めるもどこ吹く風。意外と力強いのか、抵抗するインプモンも平然と抱えて笑う。と、今度は私へ振り返り、

「あなたもかわいーにゃ。お名前は?」
「え? 日向、だけど」
「ふうん。……食べちゃいたいにゃ」

 言うが早いか、私の頬をさわりと撫で、にやりと舌なめずり。ぞわりと、冷たい何かが背筋を這う。私は思わず飛び退いた。

 目を丸くして言葉を失う私に、くすくすと笑うバステモン。はあ、とレディーデビモンが溜息を一つ。口を開きかけ、そんな時、

「これ……余りお客人を困らすでない」

 扉の奥から甘い風に乗って、そんな声が響いた。




4-3 魔王の物語


 まるで見えざる手がそうするように。外も内も、誰も手を触れていないというに。アンティークな扉はゆっくりと、ひとりでに開いてゆく。
 甘い香が鼻を衝いた。薄暗い部屋から紫煙が漏れる。まさに“色欲”の名に相応しい、とでも言うべきか。頭の芯がくらりと揺れた気がした。

「よう来たのう。近う寄れ、異界の迷い子よ」

 宮廷の寝室を思わせる暗い色調の部屋。柔らかなベルベットの奥で、紫紺をまとう艶やかなその女性は、掲げていた手をそっと下ろす。途端、小さく風が逆巻いた。

 言い知れぬプレッシャーに思わず二の足を踏むも、バステモンに促されそろりそろりと部屋へ踏み入る。

「大儀であった。下がってよいぞ」

 紫紺の艶やかな唇が、まるで拍子を刻む笛の音のように言葉を紡ぐ。レディーデビモンが礼をし、バステモンが手を挙げた。

「畏まりましたリリスモン様」
「はーい、お母さまー!」

 天蓋付きのベッドの上、ベルベットの隙間で細い指が踊る。風が私の頬を撫で、扉がゆっくりと閉まってゆく。そして柔らかなベルベットがオーロラのようになびいて、ふわりと二つに割れる。

「ヒナタ、と言うておったか。わしの名はリリスモン。七大魔王が一柱……色欲のリリスモンじゃ」

 どこか気怠そうに。ワインレッドのソファベッドにすらりとした肢体を沈め、色欲の魔王・リリスモンが私たちの前にその姿を見せる。

 肢体の線をそのまま描くような黒衣の上に、着崩した紫紺の絹をまとい。髪は烏の濡れ羽色。まげを結い、きらびやかなかんざしを差す。唯一怪物然とした金の右腕を除けば、その容姿は今まで会ったどのデジモンよりも人間らしい。のに。ただ在るだけで気圧されそうな存在感が、ここに魔王在りと、厳かに物語る。

「どっ、どうも。はじめまして」

 気付けば背筋は針金を挿したように伸び切って、声は裏返る。リリスモンの唇が薄く笑みの形に歪む。差した紅が毒々しく燭台の灯に照った。

「それに、蝿の坊や。今はインプモンかえ? 久しいのう」
「坊やは止めろババア。前置きはいいから話してくれ」

 そんなインプモンの物言いには思わず肝が冷えた。しかしリリスモンは気を悪くした風もなく。

「ほほほ……相も変わらぬ勇猛よ」

 なんて、どこか楽しげで。しかし一拍を置いた後、微笑むリリスモンの口角が僅かに下がる。魔王は静かに、では、と続けた。


 傍らの瓶にそっと手を伸ばす。縁に置かれたキセルを手に取り、紫煙を燻らせる。そうしてリリスモンは、静かに語りはじめた。

「“アポカリプス・チャイルド”――彼奴らはそう名乗っておるそうじゃ」
「アポカリプス……?」
「神の密命を賜りし子羊、とでも言いたいのかのう。方々を駆けずり回りなんぞ画策しておるそうな。大儀なことよ」

 くすくすと、まるで他人事。
 魔王に次いで今度は神ときたか。話がどんどん大きくなっていく気がする。嗚呼、早く普通の女の子に戻りたいっ。

「画策? あいつら何しようってんだ?」
「さて、それはまだ定かでない。ゆえに、こうしてそなたを呼んだのじゃ」

 眉をひそめてインプモンが問えば、リリスモンは顎に手をやり微笑んで、そして言葉を続ける。

「答えよ蝿の王、その姿はなんぞ?」

 と、ああ、考えてみれば何よりの当事者。他に誰に聞けという話だ。
 しかし改めて問われると、そう言えば私は何も聞いていないと今更に思う。聞かなかっただけだけど。
 インプモンは困ったように頭をかいて、眉をひそめてううんと唸る。

「なに、って言われてもな。ベヒーモスで喧嘩相手探して走り回ってたら突然あいつらが……楽しく百人斬りした辺りまでは覚えてんだけど」

 色々突っ込み所はあったが、とりあえず今はスルーと決め、私は黙って続きを待つことにした。インプモンは記憶を捻り出すようにこめかみを指で突く。

「確か……光の柱みてえのが降ってきて。で、気付いたらこんなナリで、暗闇の中だった」

 ほう、と。リリスモンが小さく相槌を打つ。

「ゲートの中だったかもしんねえ。どんだけそうしてたか分かんねーけど、そのうちまた光が見えて……今度はリアルワールドにいた」

 そう言って、ちらりと私を見る。察した私はポケットからケータイを取り出す。

「で、これがその出口?」
「ってことらしい」

 聞いているのかいないのか。紫煙を燻らせ天蓋を見上げるリリスモンに、インプモンは口調を強めた。

「俺が知ってんのはそんだけだ。なにがどうなってんのかはこっちが聞きてえ。お前、他になんか知ってることねえのか?」

 ふう、と。紫煙を零し、リリスモンは私たちを見遣った。ケータイを持つ手に僅か力が篭る。そして再び紫紺が揺れて、

「ちと、昔話でもするとしようかのう」

 そう、艶やかな唇が語る。


 かつて、二度に渡りこのデジタルワールドの支配を目論んだ魔王がいた。それは太古の世界に舞い降りた神の子。光の化身、至高の天使。その名を――“ルーチェモン”という。

「聞いたこたぁあるぜ。俺らと同じ七大魔王だろ? 会ったことねえけど」

 リリスモンの語りにインプモンがそんな相槌を打つ。リリスモンはふふと微笑んだ。

「そうであろう。なにせそなたの生まれる遥か以前の昔話。七大魔王などという称号さえなかった頃の、のう」

 太古のデジタルワールドを二分した大戦争。それを終結させた英雄であるルーチェモンは、この世界で初めての王となる。しかし、やがてその権力と正義は暴走し、神の子は――魔王となった。

 望むままに世界の秩序を造り変えんとするそんな魔王の支配に、やがて立ち上がる者たちが現れる。後に十闘士と呼ばれる彼らは、一度目の戦いでルーチェモンを封印。数百年の時を経て蘇ったルーチェモンとの二度目の戦いでは、十闘士の志と魂を継ぐ新たなる闘士が再びルーチェモンの野望をくじく。

 そして、そんな十闘士たちとともに戦ったのが、

「“三大天使”――アポカリプス・チャイルドを名乗る天使たちの、長であった者たちじゃ」
「で、あった?」
「そう、今は昔の話。ルーチェモンとの二度目の戦いの折、三大天使は十闘士の後継者を護るために我が身を盾に、戦火に散ったと聞く」

 ならば彼らは、三大天使の遺志を継ぐ者、ということか。ルーチェモンと同じ魔王であるがゆえにインプモンを討とうというのか。いや、しかし、だとすると……。無意識に眉をひそめ、私は思考する。
 と、そこでリリスモンがふうと紫煙を零して。私は、はたと思考を止める。嗚呼……何考えてんだ私。

「三大天使亡き後、残る天使たちは表舞台より退いたが……どうやら志を共にする同胞を集い、ひそかに力を蓄えておったようじゃのう」
「それが、アポカリプス・チャイルドか」
「そなたらが出遭うたのは戦力の一部に過ぎぬじゃろうて。今やどれほどの勢力となったか……全貌は定かでない」

 こくりと喉が鳴る。あの軍勢が氷山の一角、だって? 嗚呼、思えばよく今まで無事だったものだ。私が小さく身震いをし、丁度その時、一息をつくようにリリスモンがふうと吐息を零す。

 静寂に紫煙が漂う。

 そうしてしばしを置いて――次に口を開いたのは、インプモンであった。


「それで、お前の知ってることはそんだけか?」

 少しの沈黙の後、腕組みをしてなにか考え込んでいたインプモンがリリスモンに問う。リリスモンはどこか人の悪い笑みを浮かべ、わざとらしく首を傾げてみせた。

「さて……なにぶんそなたの言う通り歳でのう。なんぞ、言い漏らしたこともあるやもしれぬが」

 そう言ってふふと微笑む。インプモンが眉間にしわを寄せて溜息を吐いた。出会ってまだ数分だが、そんな私にも眼前の魔王が食えない人物であることくらいは分かった。
 インプモンは再度深く息を吐いて、

「なら今度はこっちから聞く」
「ほう、それは妙案じゃのう」

 なんて茶々にもめげずインプモンは続けた。私たちにとってはむしろここからが本題なのだ。

「俺は、何をされた?」

 インプモンの問いにリリスモンは笑みを湛えながらふうと息を吐く。って、あれ? 何された?

「随分と雑な問いじゃのう。わしより、なんぞしおった者に直に問うてはどうじゃ?」
「いや、それができりゃそうして……ああ、なら聞き方変えるけど俺はどうすりゃ元に」
「あのー」

 惚けているのか本当に知らないのか。望む答えを返してくれないリリスモンに、インプモンが少し苛立ったように食い下がり、そんな折。横合いから話の腰をへし折ったのは、外ならぬ私。や、そんなことより……。

「なんだよヒナタ」
「いや、だって……それより私が帰る方法を」

 最初から言ってるけど、私、帰りたいだけだから。話を遮った私にインプモンは眉をぐにゃぐにゃ歪めて、わあ、変な顔。構わずリリスモンに視線をやれば、紫紺の魔王はさも楽しげに微笑んで、ふむと一拍を置き、

「そなたらは、如何にしてこの城より去る?」
「……は?」

 思わずインプモンと声を揃えて。何を言って……?

「恐らくは先程歩んだ道筋をそのまま引き返してゆくのじゃろうて。それが何より明快な道程ゆえ、のう」
「……それってつまり」

 先程のインプモンの問いへの答えが、いみじくもその通り。帰りたければ来た道を引き返し、戻りたければされたことをしかえせと。嗚呼、考えてみれば正論なのだけれど……身も蓋も無い。

「結局あいつらんとこ乗り込むっきゃねえのか」

 そんな結論に、よくできました、百点満点ですとばかりリリスモンは微笑んだ。私は、がっくりと肩を落とす。嗚呼――

「悪夢だ……」




4-4 比翼の騎士


「では今宵は城でゆるりと……明日の朝にでも発つがよかろう」

 そんなリリスモンの言葉に甘え、私たちは城で一晩を過ごすこととなった。本当はしばらく滞在してもいいと言われたのだが、どうやらインプモンは余りここを気に入ってはいないよう。先を急ぐと言って聞かないのだこの悪魔は。

 まあ、確かにここに留まったところで問題の先送りに過ぎない、か。

 案内された寝室のベッドの上で、天蓋を仰ぎながらこれからのことを考える。考えるほど鬱になるばかりで名案なんて出てきやしないのだけれど。

「にゃっほー! ごっはんっだよーん、にゃ!」

 なんて、騒々しい声に静寂が破られ、私は無意味な思考を止めることにした。

 賑やかにやって来たバステモンに案内され、ダイニングルームへやって来る。私とは別室を用意されていたインプモンは既に席に着いていた。何やら少し不機嫌そうではあったが……まあ、どうでもいいや。知るもんか。

 レディーデビモンに椅子を引かれ、大きなダイニングテーブルに着く。奥の席で微笑むリリスモンに会釈をする。
 ああ、でも困ったな。マナーとかよく分かんないや。いいのかな?

 どうしたものかと半ば固まるも、構わずレディーデビモンたちは次々に豪勢な料理を運んでくる。ちらりと向かいのインプモンへ目をやれば、マナーなんぞ知ったことかとばかりにがっついて。……まあいいか。私もそろりと手をつける。

「時に、明日は何処へ?」

 食事を始めて程なく、葡萄酒の注がれたグラスを片手にリリスモンが不意に問う。それに対するインプモンの即答には、思わず耳を疑った。

「とりあえず天使の本拠地に乗り込む」
「……は?」
「は、って。他に行くとこなんてねえだろ?」

 それは……まあ、そうなんだけれども。そういう問題じゃなくない?
 あっけらかんと言い放つインプモン。言葉に詰まる私。そんな私たちにリリスモンはさも楽しげに笑みを投げ掛けて、そしてこんなことを言うのであった。

「ほほほ。勇ましいことよ。しかし……せっかく拾うた命を無闇に捨てることもあるまいて」
「なら、どうしろって?」
「仲間を集めてみてはどうじゃ?」
「仲間ぁ?」
「孤高の蝿の王には気乗りせぬやもしれぬが……単身乗り込み、無様に散るが魔王の誇りかえ?」

 一度は眉をひそめたインプモンも、そんな言葉には反論もできなかった。


「手始めに、まずはこの城より兵を一人、連れてゆくがよかろうて」

 インプモンの返答も待たず、リリスモンはそんなことを言う。ぐぬぬと唸るインプモンは余程この提案が気に入らないのだろう。眉間にしわを寄せながらぶすっと返す。

「連れてくって、そいつらか?」

 グラスに葡萄酒を注ぐレディーデビモンと、給仕をしながらつまみ食いをするバステモンを視線で指して。問えばしかしリリスモンは肩をすくめて微笑んだ。

「ほほほ。嫁入り前の愛娘を傷物にされてはかなわぬわ」

 続くそんな言葉は一体どこまで本気で言っているのか。というか。

「……娘?」
「ヒナタ、こいつの言うことは一々真に受けなくていいぞ」

 いぶかしげに首を傾げる私に、インプモンは大きな溜息とともにそう言って。そうしてまたぶすっとした顔で天井の暗がりを見上げて、こう続けたのだった。

「で、なら……まさかあの、ずうーっとちょろちょろしてるあいつ連れてけってのか?」
「うむ。そのまさかじゃ。いやなに、余程そなたらが気になるようでのう。悪気はなかろうて」

 なんて会話にはまた首を傾げる。一体何の話をしているのかと、言いたげな顔でインプモンの視線を追えばその時、暗がりから静かに浮かび上がるのは黒翼。思わず心臓が跳ねる。それは長テーブルから少し離れた壁際にゆっくりと降り立ち、そしておもむろに膝をつく。

「失礼つかまつった。何分賎しき出自ゆえ礼節には疎く、どうか平にご容赦を」

 片膝をついて頭を垂れるそれは、鳥を模した鎧をまとう翼の騎士。片翼は漆黒で、片翼は純白。真紅の仮面が燭台の灯に照る。……って、ずっと隠れて見てたのかこいつ。そりゃインプモンじゃなくても気分悪いでしょうよ。

「某はレイヴモンと申す。何卒此度の旅路に同行させていただきたく」
「と、いう訳じゃ。仲良くやるがよい」

 やるがよい、と言われても。なんて強引な。いや、まあしかし。

「あのな、俺はまだそいつ連れてくなんて一言も」
「いいんじゃない別に」
「って……おいヒナタ!」
「だって強そうだし」

 少なくとも落ちぶれたチンチクリンの魔王よりは余程。私が言い放ってやればインプモンはぐうと唸って。助けを求めるように視線がさまよう。無駄だけど。
 そして程なく、インプモンは観念するように肩を落とし。こうして、新たな旅の連れが加わったのであった。



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