最終話 『花とヌヌ』 その二 魔神復活編






 荒涼たる大地に刻まれた溝はまるで、大河の如き大蛇が這ったよう。それは熊と熊との精神攻撃の名を借りた大規模物理攻撃による破壊痕。力比べに押し負け吹き飛んだであろう、ワルもんざえモンの所在を示す道標でもあった。
 痕跡を辿れば次第に細く浅く、矢印にも似たそれが指し示したのは、岩盤に開いた大きな穴だった。元より内部が空洞になっていたのだろう。先の衝撃で外壁が崩れ、穿たれ、露になったのは地下に広がる洞窟のような場所だった。

 熊に抱えられて穴の奥へと、広々とした洞窟の中へと飛び降りる。あたしたちが入った穴の他にも所々が崩落し、天井には幾つもの隙間が見えた。そこから細く差し込む外の明かりだけが光源の薄暗い地下空間は、見える限りでもちょっとした野球場ほどの広さはあるだろうか。
 身構えながら目を凝らして辺りを窺えば、しかして標的は拍子抜けするほどにあっさりと姿を見せる。いや、その表現は適当ではない。ワルもんざえモンはただじっと、薄闇の中であたしたちに背を向けて佇んでいたのだ。ごつごつとした岩壁を見上げて。

「逃げも隠れもしません、ってか? 随分と余裕じゃねーか」

 拳を握って言うもんざえモンに、ワルもんざえモンはゆっくりと振り返る。指はないがあれはきっとグーだろう。

「それとも、もはや煮るなり焼くなり好きにしろ、とでも?」

 不気味な静けさゆえにか、ツワーモンが挑発するように言うも、しかしワルもんざえモンは薄く笑みを浮かべてあたしたちを見据えるばかり。その口角が僅かに上がったのは、少しの沈黙を置いてから。それまで手を出せないでいた理由は当のあたしたちにも分からない。ただ何かが、胸の奥で警鐘を鳴らすのだ。

「黒い歯車が見えぬな……ニセアグモン博士までもが敗れたか」
「ああ、後はお前だけだぜ」
「ふむ……命はあるのか?」
「え? ああ、いやまあ、生きちゃいるけど」
「そうか、それはよいことだ」
「ん?」

 ばさりとマントを翻し、ワルもんざえモンは野獣の雄叫びが如く声を張り上げる。牙を剥き、両の眼にいまだ消えぬ炎を燃やし。本当の戦いは、本当の恐怖はこれからだと言わんばかり。膨れ上がる圧力が飛び散る無数の針のように肌を刺す。

「どうやらお前たちも無事のようだな!? お元気そうでなによりだ!」

 悪意と害意の限りをもって吐き出すような、呪詛にすら似たそれ。浴びせられたあたしたちは表情を強張らせ、抗戦の構えを取る。そして――そして少しを置いて顔を見合わせる。うん。ああ。いや。

「何言ってんの?」
「いや待て、今のは無しだ。ちょっと待て」

 たんまとばかりに片手を突き出し、もう片方の手で頭を抱えながらワルもんざえモンは言う。もう一度、ちらりとうちの熊さんたちに目をやれば、すべてを理解したかのように真剣な面持ちで力強く頷いてみせた。

「どうやら少し優しい気持ちになっているようだな」
「効いたのそれ!?」

 警鐘は、やはり何かの間違いだったかもしれない。ごつんごつんと自分で自分の頭を叩いてワルもんざえモンは首を振る。ぅおほん、と咳払いをするもしかし、既に弛緩してしまった空気を引き締め直すにはあまりに些細な抵抗だった。

「貴様には、礼を言わねばなるまい」
「あん?」

 そんな空気でも構わず続ける辺りはさすがの一言だが、それはともかくとしてワルもんざえモンは横目にちらりと背後を一瞥し、静かに息を吐く。言わんとしていることを理解できずに訝しむあたしたちへと向けるその目には、嘲りと狂喜の色が浮かんで見えた。
 ワルもんざえモンは暗い天井を見上げてそっと瞑目する。その足元へと落ちる外から差し込む光の筋が、なぜだかどこか神々しいものに思えた。

「ドッグモン、ターゲットモン、ポキュパモン、ニセアグモン博士……よくやってくれた」

 誰にともなく呟く言葉はどこまでも落ち着いて、追い詰められたもののそれでは決してない。
 そうこうしている内、次第に暗闇に目が慣れてくる。ワルもんざえモンの背後にあるものが闇の中より浮かび上がる。否、それはずっと、この戦いが始まる以前よりそこにあったのだ。

「我らが悲願はここに成就する……!」

 言葉の真意を理解したのは、ワルもんざえモンが拳を振り上げるその間際のことだった。止めるには、あまりにも遅すぎたのだ。
 岩壁に叩き付けるワルもんざえモンの拳が嫌にゆっくりと見えた。実際には秒の間にも満たぬ一瞬が酷く間延びして感じられた。ワルもんざえモンの口ぶりからしてまったくの偶然だったのか。事ここに至って、ここへと到ったのは。

「誇れ! 貴様たちこそが新たなる時代の立役者だ!」

 ただの岩壁などではない。よくよく目を凝らせばそれは、不思議な紋様が立体的に刻まれた石版のようなもの。大小無数の鎖に搦め捕られ、その中央に埋もれて眠るそれ。突き出す巨大な結晶がひしめくように密集し、その中に――生物の顔らしきものが見えた。
 両目は固く閉ざされ微動だにしない。眠りは深く、深く、どこまでも深く。一見すると命なき彫像のようで、けれども胸のざわつきがそんな淡い期待を素気なく否定する。

「さあ……刮目せよ! その幕開けを! その復活をおおぉぉぉ!!」

 拳の一撃に岩盤が砕け、放射状に亀裂が走る。崩れ落ちる岩に混じって朽ちた金属片と鉱石の欠片が舞った。

「ねえ、あれってまさか……」
「ああ、信じたかないが、そのまさかみてえだな……!」

 あたしたちは一体どこで神の怒りを買ったというのか。そう思わざるをえないほどに、誂えたようなこの偶然は運命と呼ぶにはあまりに酷だった。奴らが探し求めて止まなかったそれ。待ち望んで止まなかったこの瞬間。これを阻止すべく戦ったあたしたちを嘲笑うように今、秘匿されし歴史の闇より蘇るのだ。奴らが、神そのものと呼ぶその存在が――!

「今こそ目覚めよ! 大地の化身! 破壊の権化! 世界を喰らう究極にして絶対の反逆者……!!」

 どこか神への祈祷にすら似た叫びとともに、封印の石版が粉々に砕け散る。名を呼べば応えるようにそれは姿を現す。

「金剛不壊なる不滅の魔神……“ブラストモン”!!」

 濛々と立ち込める粉塵を掻き分けて、次第にその全容を見せる。全身を覆う鉱石は薄暗い洞窟の中で不自然なほどに輝いて、妖しくも厳かな様はまさに神のそれ。頭部だけで熊たちほどもあるというに、いまだ土煙に隠れたその全身を想像するだけで気が遠くなる。閉じられたままの瞼、その顔がゆっくりとあたしたちに向かって下りてくる。
 いや、実際にはほんの数秒の出来事だったろうか。恐らくは山程もあろう巨躯に、迫り来るその絶望に身を強張らせ、神経が過敏になっていたのだ。引き延ばされた時間の中で、あたしたちは何もできずただその様を見詰めるだけだった。
 勇者気取りの虫けらどもなど眼中にもない、とでもいうのか。こちらを見向きもせぬまま鎌首をもたげる魔神の顔が静かに下りて、下りて――そうして地面にぼてんと落ちて転がる。

 そう、転がって……ぼてん?

 巨大な四肢を無造作に振るい、広々とした地下空洞をまるで卵の殻でも破るように破壊し尽くして、天をも撃ち落とさんばかりに目覚めの咆哮を上げる。想像したのはそんな感じのあれだったが、見たところそうはなっていないようだった。
 巨大な四肢、は見当たらない。というかお体が見当たらない。というか頭しかない気がした。そしてまだお目覚めでもない。でっかい頭だけの生き物が鼻提灯を膨らませてぐーすかといびきを掻いている。ようにしか見えなかったが、それはあまりの恐怖と絶望感に現実逃避でもしてしまっただけなのだろうか。単なる幻だとでもいうのだろうか。

「ねえ」

 確かめねばならない。そこに転がっているその物体が何であるのかを。願わくば幻覚であれ、とは何ともちぐはぐな感情であろうが、自らの心に嘘は吐けなかった。あたしはそっと、目の前の物体を指差す。

「ああ」

 とだけ応えたのはもんざえモン。その横顔にあたしは、静かにすべてを悟るのだった。皆にもしかと見えている。そう、これは現実である、と。

「それ……」

 指差したまま皆を順繰りに見る。回る視線が二周目に入る頃、沈黙にも耐え兼ねて変な汗が出だした頃、それは満を持して目を覚ますのだ。
 固く閉じた瞼がぴくりと動く。ほんの僅かな変化を誰一人として見逃しはしなかった。それは誰もが等しく意識の限りをもってその一挙一動に注視していたから。朽ちた古城の扉が開くように、ゆっくりと大きなあぎとが開いてゆく。
 固唾を飲んで見守るあたしたちの前で、発せられた第一声は――

「むにゃむにゃ。もう食えぬでありんす。おかわーり。むにゃむにゃ」

 であったという。
 あたしは、果たしてこの言葉をどう受け止めればいいのだろうか。額面通りの意味ではないはずだ。通りの意味だったろうか。

「ええと……これ何?」

 聞きたいのはこっちのほうだ。という顔が振り向けば並んで見えた。成る程、誰にも何にもわからないというわけだ。ふふ、どうしよう。
 とか言っていると真っ先に行動を起こしたのはワルもんざえモンだった。埒が明かぬとばかりに謎の物体に駆け寄って、遠慮がちにとげとげな頭を小さく揺さ振る。寝過ごしそうな旦那を起こす貞淑な妻の姿が重なって見えた気がしたのは、あたしがまだこの状況に混乱していたからだろう。

「あ、あの、もし? もし?」
「ぬぅう~ん、むにゃむにゃ……ぶるぁ?」

 なんて声を漏らしながら、巨大生首の瞼が少しずつ開かれていく。半開きの目であたしたちの姿をぼけっと見ながら、でっかい欠伸を一つ。ふぅむと唸る。

「グッドモーニング、エブリワン」

 だ、そうである。
 あたしは周りを窺って、生首を見て、ぎこちなく笑って返す。

「グ……グッドモーニング」

 うむ、と満足げに生首は頷いてみせた。生首が縦に揺れることを頷くと表現してよいものかは疑問だったが、今この状況では些細な問題である。
 嗚呼、あるいは言語が異なるのかもしれない。同じ発音であっても国によってまったく別の意味になる言葉などごまんとあろう。大昔に封印された魔神が大昔の言葉を話そうが何の不思議もないではないか。

「あの、えー、ブラストモン……様? でありますか? ありますよね?」

 あたしの仮説を立証すべく語り掛けたのはワルもんざえモンだった。あたしのためではきっとない。それはともかくとしてこの呼び掛けに応えねば、彼の魔神はあたしたちの知らない超古代言語で何か威厳たっぷりの話をしている可能性が微粒子レベルでなくもないことになるだろう。

「イエース・アイ・アム。いかにもあっしはブるるるるるぁぁぁぁぁぁストモン様でござんすが、かくいうおみゃーは誰だがや?」

 ならなかった。

「は……こ、これは失礼を! 自分は元バルバ魔王軍所属、陸軍第一歩兵師団第二連隊ドゥロール中隊隊長・大尉のワルもんざえモンであります!」
「もとばる……なぁんとロングなネームでござりんすかぁ」
「もと……あ、いや、つまりその、バルバモン様にお仕えしていたものであります!」

 もはや次第に気が抜け始めていたあたしたちの見守る中、変な熊と変な生首がわいわい言い合う。ぶっちゃけ手の出し方がよくわからない。そしてどうでもいいがあっちの熊さんはそこまで偉くもなかったらしい。これ以上偉い奴でも困るのだけれども。
 そんなそこそこのワルもんざえモンが必死に真面目に言うもしかし、当の生首魔神はのほほんと我が道を行くばかり。事情はまだよくわからないがなんか多分もうほぼほぼ詰んでる気がした。

「ねえ、まだ待ってればいいのかな?」
「オイラに聞くなよ。さっぱりだよ」

 まったくだな。

「ほほうバルちゃんの……うむぅん。だぁれだっけ、それぇ?」
「ええぇ!? 魔王バルバモン様ですが!?」
「まおー? マミーの知り合いかなぁにか?」
「マ、マミー? い、いや、それより! そんなことより! ブラストモン様? あの、そのお姿は一体……?」

 おずおず、といった風にワルもんざえモンが問う。そうそうそれそれ。よく聞いた。てゆーかやっぱりそういうものなわけではないんだな。ないよねそりゃ。

「おおっと聞いちゃいまっかね。聞くも涙、語るも涙の俺様エピソード・ゼぇロぉぉ……!」
「は、はい! それは是非ともお聞かせ願いたいのですが……!」

 それはこの場の総意であろう。

「モトハルよぉい……」
「モトハル!? いや、ワルもんざえモンですが!?」
「ならば聞くがよぉぉい、俺様の波瀾万丈ストぉぉリぃぃぃっズ!」

 ぐわっとその目を見開いて、生首魔神は歌うように高らかに語り始める。

「そうあれは、今を遡ることかぁれこぉれ……えぇー、今がいつかわからんがきっと昔むかぁしのことなのだわさ。俺様あるところでちょおぉぉいと喧嘩をしなすったのでござんす」
「け、喧嘩ぁ!?」
「そぉぉとも、ぼっこんばっこんいやーんとなぁぐり合ってぇぇ、そぉ・しぃ・たぁ・らぁ……このザマってわけでしてよ奥様ぁぁ!!」

 そして語り終える。かい摘まんだな。いや、摘みすぎだ。ほぼ何もわからんぞ。

「だぁが心配めさるなエビバーディ。ブぅぅぅぅぅるぁぁストモぉン様はぎんぎらぎんに超不滅っ! たとえ砕かれようとも地獄の淵より蘇ぇぇぇるのだぁぁ!」

 要は誰かに完膚なきまでにボコられてこんなとこに閉じ込められたと、そう言っているわけだけれども。あまり触れたくはないのだろう。あるいは無意識にかそこらへんはそっと流して、見る見る間に消えかけていた野心の炎をその目に取り戻し、ワルもんざえモンは高笑いを上げてみせた。ただ少しだけ、ぎこちなかった。

「お、おおお! はは、ははははは! 聞いたか貴様ら!? これぞまさに究極の魔神! 不滅の破壊神だ!」
「え? あ、うん」
「うんじゃない!」

 うん。じゃないな確かに。それはぼーっとしてたあたしが悪いのだけれど。まだちょっと飲み込めていないのだから仕様がない。

「それで、ええと、万全にお戻りになられるのはいつ頃のことで……!?」

 ふ、と問われて魔神は笑う。ワルもんざえモンの目がきらきらと輝く。あたしたちの目は特に普通である。期待しないほうがいいと思うな。魔神はここ一番のドヤ顔で言ってのけた。

「しばし待たれぇぇい。ぼくちゃん不敵に不死身に復活しちゃいまんぼー。具体的には100年ちょいくらぁぁい?」
「100ねぇん!?」

 見たことない顔と聞いたことない声で叫んで、そしてワルもんざえモンは、ゆっくりと膝から崩れ落ちるのであった。

「おい……大丈夫か?」

 思わず言った熊の気持ちはよくわかった。可哀相だけれど、これが現実というものだ。神様は意外とフェアだったらしい。みんな平等に理不尽という意味でだが。もう一度言うが、気持ちはよくわかる。

「ふむ、警戒して損したネ。いい加減ぶっ飛ばすとしようか?」
「そうだね。というか、もはや抵抗する意味もないと思うのだが」
「だな。おい、もういいだろ。そいつ元に戻して大人しくしろよな」
「なんかもうイジメみたい」

 ツワーモンが肩をすくめ、魔術師が帽子を押さえて首を振り、熊がちょっとだけ優しい口調で言う。泣きっ面に蜂どころか槍でもぶっ刺すような真似はしたくなかった。曲がりなりにも勇者だもの。
 という、もはや完全に勝者の目線で言い合うあたしたち。最後は少し、いやかなり締まらなかったけれど、とにもかくにもこれで長く辛い戦いは終わるのだ。
 そう、確信し始めた時だった。

「ふ」

 と漏れた吐息のような声はワルもんざえモン。俯いて小さく肩を震わせる。
 安堵と戸惑いと、少しの同情。あたしたちが抱いた感情も向けられた視線もどこ吹く風とばかり。ワルもんざえモンは生首に巻き付いた鎖の一端を手に、ゆらりと立ち上がる。

「ふっ、ふっ、ふっ」

 顔を上げればその目の炎はなお熱く燃えていた。あるいは単なる燃え残りのボヤ騒ぎ。

「ふあぁぁぁーーーはっはっはぁぁ!!」

 なんていう高笑いは自暴自棄以外の何物にも見えなかった。だがワルもんざえモンの全身からはいまだ尽きぬ闘志が立ち上り、その表情に諦めの色は見て取れない。勝ち誇るには、早過ぎると言わんばかり。
 ワルもんざえモンはその剛腕をもって巨大な鎖を力任せに引いてみせる。自らの頭上で円を描くように振り回せば、その先で生首魔神もまた回る。何をしているのかは勿論まだよくわからない。ワルもんざえモンはなぜだかどこか晴れやかな顔で言い放つ。

「さあ、刮目せよ! 恐怖せよ! これぞ歴史の闇に埋もれし神話の時代の超兵器……!」
「ぬおおぉぉ!? まぁーわぁーるぅーぞぉぉー!?」
「“ブラストハンマー”だああぁぁぁぁ!!」

 はっはっはぁ、と、笑う様は妙に楽しそう。

「……だって」

 もはやラスボスにあるまじきやけくそっぷり。振り返ってそんな気の毒な熊さんを指差すも、皆一様にリアクションに困り果てている様子。だってと言われても、ってあたしも思うよそりゃあね。

「ふはははは! 恐れ! 戦け! 震え上がれえぇぇい!」

 ち、とうちの熊が舌を打つ。

「しょうがねえ、やるか」
「やれやれ、締まらない決戦ネ」

 とはもっともだった。もはやほぼ勝敗は見えた。戦う意味などもうない。こんなものは消化試合だ。その、はずなのだけれど。
 ただどこか、何かがいまだ、歯と歯の間に挟まったトウモロコシの皮のように心に引っ掛かっていた。こんなたとえが出る時点でそう心配する段階でもないのかもしれないけれど。警鐘が、鳴り続けている気がしてならないのだ。

「オイラが前に出る! 援護頼むぞ!」
「いいだろう、きっちり決め給えヨ?」
「よし、私も行こう! ハナ君は下がっているんだ!」

 口々に言って臨戦態勢に入る三人に、あたしは一拍遅れて頷く。魔術師が杖をかざし、ツワーモンが鎌のような武器を構え、もんざえモンがファイティングポーズを取る。対するワルもんざえモンもまた生首ハンマーを振り回す手に益々力を込める。

「我が野望は潰えぬ! 我が憎悪は尽きぬ! この覇道を阻むことなどできはせぬ!」
「言ってろ! 負け惜しみくらいいくらでもな!」
「ぶるぁぁぁ! まわるまわる俺様まわるんばぁぁぁ!」
「行くぜ! これで終わらせるぞ!」
「馬鹿を言え! これより始まるのだ! 新たな時代が! 新たな世界が! 貴様らとバンチョーレオモンの死をもってなあぁぁ!?」
「ぶるぁぁ!?」

 互いの闘志が目に見えて膨れ上がる。ワルもんざえモンはまだ微塵も諦めてなどいなかった。沸き立つデジソウルがそれを如実に物語る。一歩を強く踏み出して、弾けるように双方地を蹴る。その、間際だった。

「ぶぅぅぅおらああああぁぁぁぁ!!」

 戦意も吹き散らすほどの、怒号が轟いたのは。
 思わず耳を塞ぐ。思わずたたらを踏む。鼓膜を引き裂くような爆音は生き物の声帯から発せられたとはとても思えない。爆心源の真下でワルもんざえモンが一瞬硬直し、すぐさま己が頭上を仰ぎ見る。

「むぉトハルぁぁぁぁ!!」
「は、はひぃぃ!?」

 半ば意識の外に置いてしまっていた、この戦いのそもそもの中心。首だけ魔神ことブラストモンの雄叫び一つにその場の誰もが動きを止める。本能的、根源的な恐怖が肢体を縛り上げるように。

「今ぬぁぁぁんと言ったぁぁ!?」
「え!? あ、いや、その……!」
「バぁぁぁぁンチョぉぉぉぉとぉぉぉ……そぉぉう言ったのかぁぁぁ!?」
「バ……ええぇ!? バ、バンチョーレオモンをご存知で!?」
「なに!?」

 と声を上げるのはツワーモン。だがそれにも構わず魔神は続ける。身体もないのに鎖を己が血の通う首のように操り振り向いて。

「そぉれはこの俺様のううぅぅ美しすぎぃぃるボデー! を粉砕しくさりやがってくだすったバぁぁぁぁンチョーレオモンのことくわぁぁぁ!?」
「えええ!? は! あ、いや、はい! お、恐らくそのバンチョーレオモンかと!」
「ぬぅああぁぁんですとおぉぉぉ!?」

 頭の中で踊って回るのは疑問符ばかり。魔神が何を言っているのかなどまだ理解が追い付かない。ぞくりと、頭より早く胸の奥の何かが目前に迫るその脅威を察知した。身体が強張る。背筋に鉄の芯が刺さった錯覚。
 魔神が不気味なほど静かに「モトハルぅ」とワルもんざえモンの名を呼ぶ。名前ではない。ぎょろりと、その目があたしたちを睨み据えた。

「おい、ツワーモン?」
「ソーリー」
「あん?」
「ミーも初耳ネ」

 言うや否や、再び怒声が地下洞に反響する。

「ぶぅぅん投げやがっておくれやぁぁす!」
「ぶん!? え、あ、はい! 失礼いたしまぁぁす!」

 ワルもんざえモンが鎖を振り回し、戸惑いながらも魔神をぶん投げる。巨大な首が見る見る間に迫り来る。両の目を見開き、牙を剥き、雄叫びを上げて。

「おおおおおお! ゴおおぉぉぉぉジャスぎらぎらどたまパああぁぁぁぁぁンチっ!!」

 逃げろ、と生存本能が声の限りを張り上げて叫んだ。瞬間に血が凍るような感覚。顔が引き攣る。四肢が強張る。耳をつんざく轟音が響き渡った。

 そして地下遺跡は、跡形もなく消えるのだ。





 舞い上がる土砂はまるで活火山から立ち上る噴煙のよう。事実、それに近いほどの威力があの閉じた地下空間で炸裂したのだろう。まともな生き物では生存など絶望的に思えた。その様子を外から見ていられるあたり、どうやらあたしたちは渦中からからくも逃れおおせたようだが。

「おいいぃぃぃぃ!? なんだあれえぇぇぇぇ!?」

 土煙の中から翼を広げてばたばた這い出して、もんざえモンは誰にともなく吐き捨てるように言う。まるで隕石でも落ちたかのようなそれ。蘇った逃走本能によっていち早く危機を察した熊に抱えられ、地下遺跡から脱出するその間際、あたしの目に見えたのは頭から地面に突っ込む生首魔神の姿だった。文字通り手も足も出ないあんな状態、他に攻撃手段なんてあるはずもない。そう、あれは正真正銘何の変哲もない、単なる頭突きでしかなかった。
 なかったのに、と。今の今まで地下遺跡だったその、ただの巨大なクレーターを眼下に見渡して息を飲む。技名に突っ込む余裕すらもなかった。
 あたしたちは、決して目覚めさせてはならないものを呼び起こしてしまったのだ。決して敵に回してはならないものと対峙してしまったのだ。そう、思えてならなかった。

「あれがブラストモンか。なんという出鱈目な……!」
「やれやれ、さすがに締まり過ぎネ。さて、どうしたものか」

 熊の頭の上で魔術師が言えば、下では脚にぶら下がってツワーモンが続く。間で熊がぎりぎりと歯列を軋ませた。

「どうもこうも、とりあえず一回退いて考えんぞ。無策じゃ死ねる。てゆーかお前ら自分で飛べよ」
「す、すまない。咄嗟だったもので」
「ミーも凧を用意する暇がなくてネ。しかし熊君はさすがの反応だ。よくあのタイミングで避けたものネ」

 たいしたものだとばかりに頷く。熊の足の先でぶらぶらしていては様にもならないが。

「いや、なんか逃げろって言われた気がして」

 あたしを抱えたまま空いた片手でこりこりと頭を掻く。まさに本能の為せる業か。

「てゆーかツワーモン。バンチョーだっけ? おたくの師匠は一体どんだけあっちこっちで怨み買ってんの?」
「ふむ……そう言えばロイヤルナイツやオリンポス十二神とも殴り合ってきたことがあったネ。いわく、“漢と漢が出会った。喧嘩の理由はそれで十分”だそうだが」
「「不十分っ!」」

 期せずして熊とハモる。ロイヤルなにがしとかが誰かは知んないけれども、その理屈が理屈にもなっていないことだけは断言できる。どこのバトル漫画の住人だ。知的生命体ならまずは話し合えというのだ。
 気のせいかなんだか耳が痛いが、それはともかくとして再びクレーターを見下ろす。まだ追撃してくる様子はない。粉塵にあちらも敵を見失っているのか、あるいは機を窺っているのか。
 なんて考えていると、ふと間抜け極まりない想像が頭を過ぎる。魔術師が声を上げたのはちょうどそんな時だった。立ち込める爆煙の中心へ、あたしと同じ場所へ視線を落として。

「あー、思ったのだが……」
「うん、あたしも思ったことがある」
「奇遇だな。オイラもだぜ」
「実はミーもだ」
「うん……」

 と頷いて皆一様にうんともすんとも言わない爆心をただ見据える。

「あれ……ひょっとして死んだ?」

 とはあまりにもあんまりな幕切れだったけれども、一向に音沙汰がないのだから想像してしまうくらいは仕様がない。というか、冗談抜きであの爆発だ。あれだけ至近距離で受けてまったくの無事とは思えない。
 あの威力を目の当たりにした後では、馬鹿馬鹿しくともいっそこのまま決着してしまえとも思えてしまう。あれはもはや、戦うなんて次元の話ではない。

「とにかく一回降りるか。いつまでもこんな――」

 はあ、と息を吐き、そう熊が言ったとほぼ同時だった。土煙の中に輝く何かが見えたのは。
 最初に気付いたのは脚にぶら下がるツワーモン。次いであたしだった。

「熊君! 避けるネ!」
「ヌヌっ!」
「ぁぅえっ!?」

 矢継ぎ早に掛けられた言葉に熊の思考が一瞬止まる。寸でのところで反応できた理由は本人にもわからなかったろう。ただ、咄嗟に身体が動いたとしか言いようがない。
 熊が身体をのけ反らせたと同時、目の前を人の胴ほどの物体が通り過ぎた。爆煙の中から飛来したそれが、巨大な水晶であったことを理解できたのは数秒も遅れて。勢い死なず彼方へ飛び去ってゆくその様子を後ろから認めた後のこと。

「どうやら、くたばってくれてはいないようネ」
「みたいだな。降りるぞ! つかまってろ!」

 言うや否や、半ば自由落下するように急降下を始める。あたしは目を細めて歯を食いしばる。こんな状況でも悲鳴を上げないなんて成長したものだ。可愛い悲鳴はもう諦めた。

「ヌヌ、男爵たちから離れて! あとウィザーモン、幻覚!」
「あ、おう!」
「ああ、わかっている!」

 指示を飛ばせば熊は地上を確認しながら下降方向を僅かにずらし、魔術師は呪文を唱え始める。ややを置いて淡い光の帯が、バカ猿に狙撃された時のように姿をくらます幻覚の魔術があたしたちを包み込む。やれやれ、勇者も板についてきたものだ。ついていい奴だったかはちょっとわからないが。
 ともあれこれでそうそう狙い撃たれはしないだろう。どうやってかワルもんざえモンもご無事のようだし、何にしてもまずは態勢を立て直すことが第一だ。
 思考しながら、次第に近付く地上に目を凝らす。不意に、一陣の風が走り抜けた。

「何あれ……?」

 土煙が吹き散らされて、悠然とクレーターの中心に佇むその姿があらわになる。だがそれは、あたしたちの知る姿ではなかった。まるで別物とまでは言わないにせよ、間違いなくワルもんざえモンではあるのだろうけれど、一目でわかる明らかな異変が起きていた。
 一言で形容するなら、水晶が生えていた。ワルもんざえモンの布地の至る所から幾つもの水晶が突き出していたのだ。そう、まるで傍らに転がる顔だけ魔神ことブラストモンのように。
 訝しげにその様子を窺うあたしたちの前で、ワルもんざえモンの顔に醜悪な笑みが浮かぶ。その目が真っ直ぐに、こちらへと向く。

「それで……」

 まだ随分と距離はある。風を切る音が鼓膜を叩く。だというに、ワルもんざえモンの声は空気の隙間をするりと縫うようにはっきりとこの耳へと届いた。眼光が矢となってあたしたちを貫く。背筋に氷が這う錯覚。

「隠れているつもりかああああ!?」

 雄叫びとともにワルもんざえモンが右腕をかざす。その手の先に黒い泡がぼこりと沸き立ち、弾け、散弾銃のように無数の黒い飛沫が撃ち出される。見えぬはずの、あたしたち目掛けて。

「ぅええぇっ!?」

 なんて情けない声を出そうが迫り来るそれは待ってなどくれない。見た目は黒い液体でしかないが、人畜無害なただの色水であろうはずもない。毒か、酸か、いずれにせよ無抵抗で浴びていいものでは絶対にない。

「シット! 熊君!」
「わかってらぁ!」

 ワルもんざえモンのその手を起点に発射された黒い飛沫は、あたしたちを取り囲むように放射状に広がりながら飛来する。上下左右どこにも逃げ場はない。あるとするなら……そう、後ろだけ!
 とか思った瞬間に熊は躊躇なく前進してみせた。左腕であたしを抱えたまま、右の手に火花をまとわせて。

「ひうぅぅ……!?」

 ぐらいしか声もろくに出せない。欠片も活躍の機会が回ってこない勇者を余所に、もんざえモンの突き出す手から雷の砲弾が発射される。“メガロスパーク”と、魔術師がそう呼んでいた漆黒の雷球は、目前の飛沫を瞬時に蒸発させながら直進する。その直後を、雷球によってこじ開けられた飛沫の隙間を熊が翔け抜ける。

「“バルルーナゲイル”!」

 翼を寝かせて弾丸のように飛翔する。その周囲を風の魔術が防壁のように包み込んだ。飛沫の中に突貫工事で作られたトンネルが崩れて消えたのは、僅か一瞬後のこと。熊がそこから飛び出すとほぼ同時だった。
 間一髪に逃れた飛沫の行方を一瞥だけし、ひゅ、と熊が息を飲む。そうして進路は下へ下へ。離脱の勢いそのままに地上を目指して急降下する。ワルもんざえモンが第二射を放ってみせるが、スピードに乗った熊は危なげなくこれをかわす。そして、久方ぶりにすら思える地に足をつける。勢い余ってたたらを踏み、熊が大きく息を吐く。

「うおお、あっぶね。死ぬかと思った」

 それはこっちの台詞だと言いたかったがまだうまくお口が動いてくれなかった。代わりに文句を言ってくれたのは誰あろうツワーモンであった。

「オウ、まったくネ。無茶をしてくれる」
「うえ? あれ、違ったか?」
「ミーは退けと言いたかったのだが、まあいい。結果オーライネ。魔術師君もナイスだ」
「いや、私もてっきり下がって迎え撃つものだと……用意したのが風の魔術でよかったよ」
「おお、マジか。悪かったな」

 いつもの調子でこりこりと頭を掻いて、けれども視線は真っ直ぐにワルもんざえモンを捉えて熊は言う。ここに来てチームワークのなさが露見し始めたが、それはひとまず置いておくとしよう。置いといて大丈夫なやつではないけれど。

「つーか……」

 荒れ果てた岩肌の大地に降り立ち、改めてワルもんざえモンと対峙する。遠目で見たまま、やはり身体のあちこちに水晶が生えていた。

「合体した、のか? なんだあれ、ジョグレスか?」
「ジョグレス?」
「まさか、ブラストモンをロードしたのか?」
「ロードって?」
「いや、擬似的ではあるがあれは……恐らく“デジクロス”ネ」
「“デジクロス”?」

 ツワーモンの言葉に熊が問い返せば、代わって答えたのは魔術師だった。熊の頭の上からのそりと降りて、心なしか僅かにその声は弾んで聞こえた。

「デジモン同士を属性や世代にかかわらず融合させるという幻のプログラムだ。まさか実在したとは……!」

 などと言った魔術師の目はあからさまに輝いていた。好奇心が旺盛なことで。そんな場合か。

「利害の一致……いや、マスターへの怨みか。感情の同調が引き金となったようネ」

 ツワーモンが言えば熊は真剣な面持ちで力強く頷く。勿論リアクションは予想通りのやつである。

「なるほど。よくわからん」

 その前にあたしはジョグレスとやらもロードとやらも知らないのだが。仮にも勇者に中々のスルーっぷりだなお前ら。そんな場合でないことくらいは、見ればわかるのだが。
 ふう、と肺の空気を絞り出すように大きく息を吐く。
 ざり、ざり、と。砂利を踏む足音は一歩一歩がじれったいほどにゆっくりと。歩み寄るワルもんざえモンの足取りからは余裕の色が見て取れた。

「おやおや、何の相談かね?」

 だとかなんとか。先程までのやけくそが嘘のように、薄く笑みを浮かべて小首を傾げてみせる。落ち着き払いやがって。あれだけの力を手に入れては仕方のないことだろうけれど。左腕に巻き付けられた鎖の先では、恐ろしき魔神がぶるぁぶるぁと唸りを上げる。割と雑に引きずられているが特に気にはしていないようだった。魔神は器も大きいらしい。

「愉快な話であれば是非ともお聞かせ願いたいものだがね」
「るっせ、お前の話題で盛り上がってんだよ」
「ほう、それはまた光栄だ。してどのような?」
「くそ、調子乗りやがって。随分ふざけた芸を隠してやがったな」
「芸だと? ふむ、一体何の話を……」

 不意に風が吹いた。あたしたちにとっては向かい風となり、ワルもんざえモンにとっては追い風となるように。どこか不穏なその風に、ワルもんざえモンのマントが翻る。肩に掛かったマントの裾を無造作に払い、ふと、ワルもんざえモンは自らの腕に目を留める。右腕の肘から生えた水晶を何気なく左手の爪でこつこつと突き、左腕にもあった水晶を見て、うんと頷く。身体を捩って全身の水晶を順に見る。
 そうして、愉快な恰好で愉快な声を上げるのだ。

「うおおお!? な、何だこれはぁぁ!? 何事だ!?」
「今あぁぁ!?」

 気付いたの!? なう!? おせーよ!

「むぉトハルぁぁぁぁぁ!!」

 などと、怒声一つで喚くモトハルを、いや、ワルもんざえモンを制するのはブラストモン。びくりと震えて振り返れば魔神はなお吠える。あんなでかい顔にそう間近で叫ばれてはたまったもんじゃないな。

「ぅおおおおぉぉ黙りんすえ! ちょびぃぃぃぃっと混ざっただけでござぁぁい!」
「ちょびっと混ざったぁ!?」
「ええぇぇい、やかまっしゃい! 細かいことをぐぅちぐぅちと……コマカイコトグチルモンですかああぁぁぁ!?」
「コマカイコトグチルモン!?」

 いちいち突っ込んでちゃキリがないと思うな。

「ヌヌ、いける?」

 やいやい言ってるモトハル君と生首を尻目にこそりと問う。魔術師とツワーモンにも目配せすれば、皆一様に頷いてみせる。ただ、お相手のずっこけ具合とは裏腹に彼らの表情には余裕などまるでない。倒せるか、とはあたしも問うてはいない。戦う意志はまだあるかと、ただそれだけを問う。
 あたしたちが退こうが敗れようが、いずれ誰かが奴らを止めてくれるかもしれない。それこそバンチョーとやらもいるのだから。けれど、魔術師の幻覚も看破する索敵能力に、あの超広範囲無差別攻撃だ。逃げ切れたとしても自分の身を守るだけで精一杯。男爵たちを連れて行く余力などないだろう。そして、きっと犠牲はそれだけに留まらない。
 成り行き任せの村勇者にだって、責任感と使命感くらいはあるのだ。放り出すわけにはいかない。

「行くよ、ヌヌ!」
「おうよ!」

 鬨の声を上げて地を踏み鳴らし、牙を打ってもんざえモンは戦場を駆る。

「ウィザーモン、ツワーモン! 援護しろ!」
「心得た!」
「了解ネ!」

 がつん、と両拳を合わせて気合いの咆哮を轟かせる。走る勢いのままに両腕を翼のように広げる。その背を見ながら、あたしはぎゅっと骨こん棒を握りしめる。激化する戦いになんちゃって勇者の出番もいよいよ皆無だろう。けれど、それでもあたしはまだここにいなくちゃいけないと、そんな気がしてならないのだ。

「うおらあああぁぁぁ!」
「は! 馬鹿が!」

 言う通り、馬鹿正直に真正面から突っ込んでくる熊に、モトハルは横薙ぎのブラストハンマーをもって迎え撃つ。半円を描くその軌道。繰り出す速度は質量を感じさせないほどに速く、瞬く間に熊へと迫る。
 確かに愚策。何の戦術もないただの破れかぶれ。そう、見えたことだろう。

「ふんぬっ!」

 しかし熊とてそう馬鹿ではない。ああも出鱈目な威力と真っ向からやり合うなどするはずもない。鼻息一発、攻撃態勢からすぐさま回避行動へと移る。流れるような一連の動作は狙い通りとばかり。
 横合いから迫り来るハンマーを見もせずに真上へ跳躍し、突き出る水晶に手をついて前方へと己が身を踊らせる。

「俺様を踏みだヴィっふぉブ!?」

 なんか言いかけたハンマー魔神の目の前で炸裂するのは、ツワーモンが投じた毛糸束のような玉。弾けて広がるのは巨大なクモの巣。顔から突っ込んだハンマー魔神を粘着質の糸が覆い包む。これで窒息でもしてくれるなら大助かりだが、顔からというか顔しかないあんなふざけた生き物がこれしきでくたばりはしないだろう。だがそれでいい。首だけとはいえ跳ねるくらいはできるのだ。狙いはその視界を遮ることにある。

「今ネ!」

 目標を見失って無様に転げ回るハンマー魔神を余所に、ツワーモンが声を上げれば熊は一直線にモトハル目指して地を駆ける。その真横を熊より一拍早く魔術師の放つ光線が閃き翔ける。

「“プロミネンスビーム”!」

 それは馬鹿犬をいい色合いにこんがりと焼いてみせた魔術師の隠し玉。予備動作が長く軌道が直線的なそれは、こうも正面からまともに撃ったのでは万に一つも当たることなどあるまいが、援護射撃としては十分だ。避けようが防ごうが必ず隙は生じる。
 先行する光線を追って熊が疾走する。回避か、防御か、迎撃か。思考を巡らせすべての対抗策をもって攻撃態勢へと移る。骨格も筋肉もない拳に力を込める。だが、

「は……!」

 そんな状況にまるで動じる様子もなく、モトハルは鼻で笑ってみせるのだ。真横に伸ばした獣爪の左腕より赤黒い蒸気が立つ。

「小賢しいわっ!」

 無造作に左腕を振るえば爆発的に蒸気が膨れ上がる。紅蓮の熱風に易々と粒子線は阻まれ、残滓が四散する。いや、それだけではない。魔術師の光線を防いでなお勢いは死なず、目前にまで迫る熊をも一緒くたに蹴散らす。

「うおお!?」

 咄嗟に防御姿勢を取るも衝撃に吹き飛ばされてしまう。想定内のカウンター、けれど威力は想定外。混じったと、そう言っていたか。

「くっそ! さっきよりやべえぞこれ!」

 宙で反転し、よろめきながらもどうにか受け身を取って、熊は舌を打つ。

「本当にブラストモンと合体したのか……!」
「厄介ネ。まずはどうにか奴と切り離して……」

 とまで言ったところで、不意に怒号が響き渡る。

「ぶぅぅぅぅうるるるぁぁぁぁぁぁ!!」

 特徴的な叫びは他でもないハンマー魔神。咆哮とともにゴム風船が破裂するような音を立て、魔神の顔を覆っていたクモの巣が弾け飛ぶ。何をしたというなら本当にただ叫んだだけでしかなかった。やれやれと、半ば呆れた風にツワーモンが肩をすくめる。

「五体満足だろうがそう容易く引き剥がせるような代物ではないのだがネ」
「ゴミでも払ったみてえだったな」
「やはり分断するしか手はないな」
「だな。ありゃ無理にも程がある」

 そう言い合って、三人は再びモトハルとハンマー魔神を見据えて各々の武器を構える。まずいぞ。勇者が蚊帳の外だ。割って入って大活躍するビジョンなんてまるで見えないのだけれども。あたし何しに来たんだっけ。
 勇者が自分を見失う中、しかし構わず戦士たちは戦場を駆る。今し方言った通り、狙いはモトハルからハンマー魔神を引き離すこと。個々は強靭、だがそれを繋ぐのはただ一本の鎖だけ。決して不可能なことではないはずだ。

「うおらああぁぁぁ!」

 怒号を上げて熊が疾走する。少し遅れて鎌を携えたツワーモンが追走し、その陰に射線を潜めて魔術師が炎の点る杖を突き出す。大振りの攻撃を誘っているのだ。カウンターで鎖さえ断ち切ることができれば勝機は十分にある。
 ふん、と鼻で笑い、モトハルは無造作に鎖を引き寄せる。魔神がぶるぶると首もないのに首を振る。

「ぶるるふぅーん! よおぉぉくもやってくれやがりましたわねえぇぇ! 窒息したらどないしまんねぇぇぇぇん!?」

 すんのかい。どこに肺があるんだ。鑑みろ、己を。
 などと、突っ込みぐらいしか仕事のない勇者が職務を全うするのを尻目に、熊は岩盤を踏み砕いて跳躍する。その背の翼がぴくりと震えたことには、後ろにいるあたしたちだけが気付けたろう。玉砕覚悟の特攻に見せ掛け、その実態勢は回避一択。来い、来い、来い、と。固唾を飲んでその瞬間を、千載一遇のチャンスを狙いすます。

「馬鹿が……!」

 迫る熊たちにモトハルが迎撃の構えを取る。ハンマーを天高く振り上げて、地を這う虫けらを見下すようにあたしたちを睨み据える。何を目論もうが関係ないと、何を企もうが知ったことかと、その目が語る。

「小賢しいと……言っているのだあぁぁ!」

 天に向かって伸びた鎖の先で生首魔神に後光が差していた。何の冗談だと、言いたいところだが生憎と冗談でも何でもない。至って大真面目に、本能が警鐘を鳴らしていた。

「スペリオぉぉぉル! ぎんぎん流星ボンっバあぁぁぁぁーー!!」

 怒号は雷鳴のように天より降る。生首も落雷のように共に降る。
 戦術も何もない。隙を衝くだのそんな次元の話ではないのだ。なかったのだ。事実それは、ふざけきった技の名前そのままの威力をもって襲い来るのだから。天災を相手に、対人戦闘レベルの小細工が何の役に立つというのか。

「ぐぅぅうおおぉぉ!?」

 不格好にたたらを踏んで熊は無理矢理後方へと跳び退く。狙い通りの大振りな攻撃。目前の標的は隙だらけ。だが、もはや頭上の魔神は止まってなどくれない。着弾地点は熊と熊とのちょうど中間付近か。そのまま突っ込むのも一つの手ではある。一撃二撃を加える時間であれば十分にあろう。しかし、自身の巻き添えも厭わないこの攻撃は、自信の表れに他ならない。くたばるのはお前だけだと、そう確信しているのだ。なにより同じシチュエーションで崩落する地下遺跡から奴は難無く生還してみせたばかり。
 熊の選択は、恐らく間違っていない。その破壊力を目の当たりにしては、ガンガンいこうぜなんてとても言えやしなかった。

 ずん、と巨大な質量が地に沈む。自重だけでも人間大の生き物くらい楽に押し潰せようそれが、上空から自然落下以上の速度で飛来するのだ。それも明確な意志を、敵意と害意を持って。
 魔神の額が大地を砕く。最初の頭突きと何が違うのかは定かでないが、そんなことはまったくこれっぽっちもどうでもいい程の威力が荒れ狂う。地が裂けて、地が揺れて、地が宙を舞う。粉砕された岩盤が重力に逆らって天へと昇る。

 逆流する土砂のような光景。あたしは炎の壁の中で、魔術師が咄嗟に防御へと転じた炎の魔術の中でただ、悲鳴も出せずに青冷めることしかできなかった。
 球形の炎の渦の中にはあたしと魔術師と、それを抱えて爆心から遠ざかるように跳躍するツワーモン。予備動作の長さゆえに回避は十分に間に合った。はずなのに、あたしたちはいまだ余波に舞い散る岩の散弾のただ中にいた。炎の隙間をすり抜けて石つぶてが飛び交う。二人が庇ってくれなければとてもじゃないが命はなかった。

「あ……!?」

 はたと、随分遅れて意識が向いたのは熊の安否。視界の端にその姿を認めてようやくだなんて、相棒にあるまじきことだった。だが、どうやら無事ではあるようだ。天地が逆巻く中で金色の翼を広げ、あたしたち同様からくも難を逃れたらしい。無傷とは到底いくわけもないが、とにかく一旦退いて態勢を立て直すことがまずは――
 とまで考えたところで、それは目一杯の侮蔑を込めて笑ってみせたのだ。それで逃れたつもりなのかと。たかが一撃を避けた程度で何をやり遂げたつもりなのだと。

「う、おおっ!?」
「遅い!」

 気付いた時にはもう、間合いの中だった。反撃か防御か、咄嗟に腕を突き出すもしかし、それはあまりにささやかな抵抗でしかなかった。

「さあ……まずは一人!」

 繰り出すハンマーが風を切って岩を払い、熊の身体へと減り込む。避けるも防ぐももはや叶わない。真っ正面からのクリーンヒット。低く重く、鈍い音を立てて熊が吹き飛んだ。僅か一瞬の出来事に意識も視線も追い付かない。針を飲み込むような感覚を覚え、遅れて振り返れば熊の姿は既に遠く見えた。

「デジ忍法――“雲隠れ”!」

 間髪を容れずツワーモンが放った煙幕に視界は覆われ、熊の行方はすぐに見えもしなくなる。その間際にこちらを睨み据えるモトハルが見えた。まずは、の言葉通り、お次は当然あたしたちというわけだ。

「油断はノン、すぐに降りるネ!」

 ほっと、息を吐く暇もない。魔術師の姿隠しも易々と見破ってきたのだ。煙幕に隠れた程度で安心なんてできるはずもない。
 魔術師が杖を振るい、呪文を唱えればエメラルドの光の帯が虚空にたなびく。周囲を覆う炎を吹き散らし、風と光があたしたちを中心に渦を巻く。かと思えば瞬く間に高度が下がる。地面に向かっての急降下は飛行というより落下に近かった。その証拠に着地はあまりに乱暴、突風で勢いを殺して身のこなしだけを頼りに降り立つなどという荒業だったのだから。
 半ば転がるように地に降りて、広がる煙幕を一瞥だけして走り出す。煙幕を裂いて黒い雨が降り注いだのはその直後。今の今まであたしたちのいた場所のみを正確に撃ち抜くそれは、雨粒というよりまるで弾丸のよう。精密ゆえ逆に難を逃れたが、煙幕が晴れてしまえば次こそ狙い撃たれてしまうだろう。
 ひう、と思わず情けない声が漏れる。

「ね、ねえ! 何か手はないの……!?」

 あるならとうにやっている。そんなことくらいわかってはいたけれど、それでも問わずにはいられなかった。藁にも縋るとはこのことか。
 走りながら振り返れば、苦々しい顔のツワーモンと俯く魔術師の姿が見えた。

「手……いや、あるいは……」

 走る速度そのままに、次第に四散しつつある後方の煙幕を一瞥して歯軋りをする。その、間際だった。魔術師が何かを呟いて、と同時にそれを掻き消すようになんだか既視感を覚える地鳴りが響いたのは。

「え?」

 なんて辺りを窺ったその折に、あたしたちの真後ろで地面が弾け飛ぶ。

「ふぅあぁぉちもんとんくおぉぉーー!」

 どばっと沸き立つ石と砂。地中から勢いよく飛び出してみせたのはそう、誰あろう男爵であった。土煙の中、突然のことに目を丸くするあたしたちを男爵のつぶらな瞳が捉えてつかむ。

「発見! よし、勇者殿! こっちだ!」
「へ? あえ? あ、うん!」

 あたしたちを確認するとすぐさま身を翻して土中へ潜る。何がなんだかわからない。わからないけれど、問うより先に行くべきだというくらいはわかった。あたしたちは一瞬のアイコンタクトだけを交わし、男爵のお尻を追っ掛けるように穴へと飛び込んだ。
 少し離れた位置にまた黒い雨が降り、ツワーモンが置き土産だとばかりに再び煙玉を投じたのが最後に見えた。





「だ、男爵? ねえ、ちょっと大丈夫なの?」

 土中を掘り進める男爵の後を追いながら、狭いトンネルの中をふよふよ飛び回るハグルモンたちに眉毛をぐにゃりと歪めながら、いろいろ聞きたいことがある中でひとまずあたしはそう問い掛けた。

「む? おお、ヌヌ殿であろう。先ほど飛んでいくのが見えた。方角ならば問題ない!」

 だが返ってくる答えはこちらの意図と少しずれていた。勿論それも大事だけれど。

「モグラ君、彼女が聞いているのはユーのそのゾンビっぷりだろう。ついでにミーとしてはハグルモンたちまで連れてここへ来た理由も聞いておきたいのだがネ」

 やれやれと、溜息を吐いてツワーモンが言えば、男爵はドリルを止めることなく器用にうむと頷いて、

「派手な爆発が見えたものでな、居ても立ってもいられず這ってでも加勢に向かおうともがいておったら……何やらよくはわからぬが、ハグルモンたちが黒い石ころのようなものを吐き出したのだ」
「黒い石ころ?」

 うん、いや、それはもしかしなくても黒い歯車じゃ……。

「それが我輩の身体に入った途端、不思議と痛みも疲れも吹き飛んでな! こうして駆け付けたというわけだ! ついでに妙にハイだ!」

 ぐっと、いい顔でサムズをアップする。
 わかりやすいドーピング!
 操られているというわけではなさそうだが、多分それ駄目な奴だ。

「ハグルモンたちは置いてくるつもりだったのだが、言っても聞かんでな。すまぬ」
「やれやれ、仕方がないネ」
「むう、感覚器官を部分的に麻痺させているのか、あるいはオーバーライトに……興味深いな」

 ごめんよと男爵がドリルごと小さく頭を下げれば、ツワーモンが肩をすくめ、ハグルモンが意味もなく回り、魔術師はぶつぶつと一人考え事をする。後にしろい!

「とにかく熊君を迎えに行くとするネ。後のことはそれからだ」
「あ、うん……」

 でも、と言いかけて、言葉を飲み込む。大地を砕く威力がまともに直撃したのだ。下手をしたら既に、考えたくもないが再起不能ということもありうる。ありうるが、だからといって後ろ向きなことばかり言っていても始まらない。それならそれで熊を拾って逃げるだけだ。また今度頑張ろう。ボス戦で「にげる」コマンドが効かないなんて誰が決めた。大体あれがそんな簡単にくたばるタマか。

「ハナ君、大丈夫かい?」
「うん、へーきへーき。ウィザーモンも、てゆーか皆こそ大丈夫?」

 よし、と頷いて問えば、代わる代わる頷き返す。

「ミーは問題ないネ」
「私もまだ戦えるよ」
「はぐはぐ」
「うむ、我輩も妙に元気だ」

 ただ、最後の一人だけは素直にほっとできはしなかったが。先程は好奇心が先立っていた魔術師もさすがに心配そうに声をかける。

「ニセドリモゲモン、君は今……」
「いや、わかっておる。傷も癒えておらねば体力も尽きたままだというくらいはな」
「え?」
「だが、多少は無茶をせねばならぬ時もある。今がまさにそうであろう」

 はぐはぐと、何か言わんとしているハグルモンたちにぐっと親指を立て、男爵はおっとこ前な顔で言ってみせる。あるいは、歯車の正体にすらとうに気付いているのかもしれない。それでも、戦うべき理由があるのだと熱く燃える両の目が語る。

「なあに、心配めさるな。ともに宴に行くと約束したではないか。救ってもらっておいて粗末にはせぬよ、この命」
「男爵……!」
「ああ……そうだね、その通りだ。必ず生きて帰ろう!」

 男爵の言葉に魔術師は力強く頷いて、ぐっと拳を握る。はぐはぐと、ハグルモンたちも同意するように頷き合う。なんか段々言ってることがぼんやりわかるようになってきた気がしないでもない。
 だがそんな中、一人浮かない顔をする忍者がいた。水を差して申し訳ないのだが、とツワーモンが切り出す。

「しかし、これといって打開策が見付かったわけでもないネ。状況は依然として最悪だが、具体的にはどうしようと?」

 なんて言われては返す言葉もなかった。確かに、地下に逃げたこともすぐに気付かれてしまうだろう。いや、とうに気付いて追っている最中か。現状では撤退するも中々に厳しいところ。
 打って変わって押し黙るあたしたちに、ツワーモンは肩をすくめてやれやれと溜息を吐く。

「致し方あるまい。いざとなればミーが時間を稼ごう」
「え?」
「その間にハグルモンたちと熊君を連れて逃げるネ」
「ちょ、ちょっと待ってよツワーモン! あんなの一人で食い止める気?」
「本気かい? トループモンとは訳が違うんだよ?」

 魔術師がそう言えば、言われるまでないとばかりにまた肩をすくめ、ツワーモンは首を振る。

「少し足止めをするだけネ。ワルもんざえモンだけならともかく、さすがにブラストモンは手に余る」

 という言葉に嘘はないだろう。なぜだかわからないがそう思えた。
 戦力的にも戦術的にもそれがベストか。俺に任せて先に行け、をやってもらうのが今日だけで二回目というのは勇者的に大分あれだが、残念ながらそれ以上にいい案はなかった。心苦しくは思っている。
 しかしそんな勇者とは対照的に、魔術師はどこか吹っ切れたような顔で言ってのけるのだ。蛮勇でしかないと、誰もがそう思ったろう。

「なら私も残ろう。まだ余力はある」

 なんて提案には思わず呆気に取られてしまう。ツワーモンが少し皮肉げに、苦々しく言い返した。

「少々無茶が過ぎるように思えるネ」
「……わかっている。だがいないよりマシ程度の役には立てるはずだ」

 杖を握りしめ、どこか思い詰めたように言う。いや、あるいは事実そうなのか。あたしは叱り付けるように少しだけ口調を強めて言ってやる。

「ウィザーモン、もしだけど……もし自分があたしたちを巻き込んだとか思ってんなら、怒るからね」

 短い付き合いだがそんな性格だってくらいはわかっている。つもりだ。違ってたらまあまあ格好いい顔で言った分だけ恥ずかしいところだったが、しかし幸いと言うべきか残念ながらと言うべきか、魔術師は図星とばかりの顔をする。

「ハナ君、だがそれは……!」
「だがも何もないの。みんな自分でここに来たんだからね!」

 あたしが言えばツワーモンは肩をすくめて小さく笑い、男爵がうむと頷いてハグルモンたちがはぐはぐと同意する。

「その通りだ魔術師殿。自身で言ったばかりではないか。生きて帰るのだ、皆で」

 男爵のそんな言葉に、魔術師は反論を用意できないでいるようだった。何か言いたげで、けれど何も言えずにただ唇を噛む。無力が悔しいと、その気持ちは痛いほどよくわかった。
 ツワーモンがぽんと、魔術師の肩を叩く。あたしと男爵に視線を移し、わざとらしく首を傾げる。

「と、いう訳だ。やはり更々死ぬ気もないミーが適任と思うが、如何かな?」

 そう言われれば捨て身よりはずっと任せやすい、のだけれど。ツワーモンなら死地に置いてってもいいのかと、あたしの中の良識なハナさんがちくちく胸を突くのだ。
 とはいえ、やはりいくら頭を捻っても名案などさっぱり出て来やしない。あたしはぐっと、拳を握って搾り出すように言う。

「わかった。いざとなったらお願い」
「オーライ、任された。まあ、どれだけ持つかはわからんがネ」
「ええ、無茶はしなくていいから」
「する気もないネ」

 はんと鼻で笑う。この憎たらしさなら大丈夫だろうかという気にもなった。勿論、そんなはずはちっともないのだが。
 ともあれ、後はこれからどうするかだ。このまま逃げ切れるのならそれに越したことはないが……。

「ツワ――」

 そう、呼び掛けようとしたあたしの言葉はしかし、中程で途切れて消える。掻き消してくれたのは頭上から響く轟音だった。そして、激しい地鳴りと揺れが間髪容れずに襲い来る。

「……っ!」
「こ、これは……!」

 第一波が止むも待たずに第二波が地中を走る。何が起こっているのだと、そんなわかりきったことを聞くものはいなかった。そうは問屋が卸さんと、奴らが言っているのだ。

「ちぃ、バレたようネ!」
「むう、いかん。このままでは……!」
「ニセドリモゲモン!」
「わかっておる! 出るぞ!」

 言い合う間にも地響きは、ワルもんざえモンの攻撃は絶え間無く続く。生き埋めにする気か。いや、あの威力を思えば辺り一帯ごと消し飛ばされてもおかしくはない。それをまだしないでいるのは――恐らくあたしたちを確認するためだろう。
 魔術師が苦々しい顔をし、ツワーモンが舌打ちをする。あいつがその気になればこんなトンネルはとうに吹き飛んでいる。だが、それでは敵の生死を確かめる術がない。勝利を確実なものにするため、間違いなく倒したと断言するため、あたしたちをいぶり出そうとしているのだ。とっとと出て来て目の前で死ねと、そう言っているのだ。
 わかっていながら、それでもあたしたちは出ていかざるを得ない。あいつが心配する万が一など、億が一にも起こるはずがないのだから。あんな顔して随分と神経の細かいことだが、どうやったってあの大規模攻撃から生き延びることなんてできやしない。奴が痺れを切らした時点で詰みだ。

 緩やかな下り坂だったトンネルが次第に上り坂になっていく。地上までは後ほんの数秒あれば十分だろう。こくりと喉が鳴る。ふと、魔術師が静かに声を上げた。

「ニセドリモゲモン、少しだけ止まってくれ」
「む?」

 振り返れば上り坂の途中で立ち止まる魔術師は、目を閉じて杖を構えていた。怖じ気づいた、訳でないことくらいはわかった。
 襟元に隠れたその口から短い呪文が紡がれる。

「ないよりマシ程度だが」

 そう言って杖を振るえばトンネルに横穴が開く。進行方向右側の土壁に現れた虚の中心には土の塊が浮かび、周囲の土を引き寄せては圧縮する。

「囮か。たいした魔術師だヨ、ユーは」
「おお、さすがウィザーモン」

 なんて、のんびり褒めてあげてる暇は勿論なかった。一際大きな振動がトンネルを揺るがす。どうやら、ここらが本当に限界らしい。

「よし、10秒待つネ。ミーはこいつと先行する。すぐに煙幕を張るが、もし地下への攻撃が止んだらこのまま逃げるネ」
「わかった。武運を祈る!」
「オーケイ、生きてまた会おう」

 言うや否や掘削の魔術が地上を目指して進み出し、ツワーモンがすぐさま後を追う。崩落し始めたトンネルに粉塵が舞う。生首魔神の怒号が轟いたのは、そのすぐ後のことだった。





 けたたましい唸りを上げてドリルが岩盤を砕き、穿ち、やがて地上へと至る道を開く。勢いよく弾け飛ぶ土砂はまるで地雷でも爆ぜたよう。この上なく目立ちまくっているが致し方ない。
 ツワーモンが先行してからぴったり10秒、元より「だったらいいな」の楽観でしかなかったが、やはり地下への攻撃はそうそう止む気配もない。これ以上は危険と、あたしたちは地上へ出ることを余儀なくされる。
 半ば弾丸のように飛び出す男爵に続き、次々に地上へと踊り出る。息吐く暇はない。すぐに周囲へ視線と意識を巡らせる。魔術師のデコイやツワーモンの目眩ましがどれだけ機能したかなどわかるはずもないが、想定すべきは常に最悪。それが最善。
 だからこそ――

「上だ!」

 男爵の言葉にも即座に反応することができたのだ。
 後続の邪魔をしないようにか、あえて必要以上に勢いをつけて飛び出したことが幸いしたのだろう。頭上から自分たちを狙う敵の姿をいち早く捉え、叫びながら男爵は宙で身をよじる。鼻先のドリルはなおも激しく回転する。視線の先には上空から左腕を振るうワルもんざえモンの姿があった。黒い雨が放たれたのは、あたしたちがその姿を認める間際のこと。

「“バルルーナゲイル”!」

 目前まで迫っていたそれは飛来する虫の群れにも見えた。間一髪で魔術師の風の魔術が周囲を旋回する盾となってこれを阻む。
 思った以上にあっさりと見付かったものだが、一先ず初撃だけはどうにか凌げたか。
 黒い雨が止むを待って風の魔術も四散する。魔術師はちらりと横合いを一瞥し、何かに気付いたように小さく息を飲む。反射的に視線を追えば辺りには立ち上る蒸気が二つ三つ、不自然にえぐれた地面の穴も見て取れた。囮に放った土の魔術と黒い雨の攻撃跡だろう。辺りが薄く霞掛かって見えるのは散らされた煙幕の残滓か。ないよりマシ、と言えるかさえも微妙なところだった。

「オウ、生きてまた会えたネ」

 不意に蒸気の柱を切り裂いて、姿を現したのはツワーモン。視線は上空のワルもんざえモンたちを捉えたまま、あたしたちの元へと駆け寄る。はあ、と重々しく息を吐くその身体は、所々に火傷のような痕が見て取れた。

「思ったより随分早かったけどね」
「ソーリー、努力はしたのだがネ」

 肩をすくめてやれやれと首を振る。そんなツワーモンを責めようなどと思うものはいなかった。いるはずもない。元より無茶は百も承知だったのだから。

「だが困ったネ。遮蔽物に隠れた微弱なデジソウルでも探知できるのか、何らかの手段でこちらの位置を把握しているとしか思えんネ」
「あるいは私の魔術かもしれない。幻影も魔術そのものを看破されたように見えた」

 今までの戦いを思えば最初から、とは考えにくい。幻影の目眩ましは確かに機能していたはずだ。つまりは生首魔神と合体した影響という訳か。そんなベクトルのパラメータが上昇する合体には到底さっぱりちっとも見えないが、何にせよ、今はあれこれ推測している暇もないか。
 男爵がドリルを激しく回転させながら叫んだ。

「各々方、構えられよ! 来るぞ!」

 ずずん、と地を揺らし、ワルもんざえモンと生首ハンマーが続けざまに重々しく降り立つ。生首は降りるというより落ちるだが、そこはとても些細な問題なのでまあいい。ワルもんざえモンが皮肉げに小首を傾げ、あたしたちを指差して格好よく言い放つ。

「さあ、鬼ごっこは仕舞いだ! いい加減に――」
「んなぬぅ!? 鬼ごっこだとぅぅん!? ぬうん、じゃんけんもせずに逃げおってぇからにぃぃぃぃい!」
「え!? い、いやあの、たとえ――」
「最初はぐうぅぅぅぅぅっざます! りぴぃぃーっとぅ・あふた・みぃぃぃ! ぅおわかりぃぃ!?」

 勿論あんなの連れてちゃどうやっても格好などつかないが、そこは自業自得である。
 しかしあれまさかあたしたちが地下にいる間もやってたのかな。心中お察しするぞ、モトハルや。

「シット……! 腹を決めるしかなさそうネ」
「仕方がない、やはり我々で食い止めよう! ニセドリモゲモン、ハナ君たちを頼む!」
「ウィ、ウィザーモン……!」
「大丈夫だ、すぐに追い付く! 行ってくれ!」
「ぬう……承知した! ゆくぞ勇者殿!」

 ぎりと歯軋りをして、男爵はドリルを振りかぶる。戦力になれないことが何より歯痒いと、それでもできることをしようと、そんな葛藤と決意がその目に見て取れた。
 あたしもうだうだ言っている場合ではない。できることをするんだ。力強く頷いて、男爵の肩を叩く。

「誰が……行っていいと言ったあ!?」

 とにかく一度退いて態勢を立て直す。今は二人を信じて行くしかない、と。苦渋の決断にその場を離れようとするあたしたちを、しかし引き止めるのはワルもんざえモンだった。目敏くあたしたちの一挙一動を見咎め、雄叫びを上げて跳躍する。宙から狙いを定めてハンマーを振りかぶる。

「貴様らの相手はわた――」
「ぅおおぉぉぉれ様どぅわあぁぁぁおっ!!」

 懲りずに格好付けたワルもんざえモンだがそれを邪魔するのは誰あろう、そう、奴である。
 生首ハンマーはワルもんざえモンの都合などお構いなしに、翼どころか手足もないのに自ら宙を駆る。思いもよらぬタイミングで飛んでいくハンマーにそれをぶん回していたワルもんざえモンが逆にぶん回される。くるりくるりと二回転半するワルもんざえモンを尻目に、冗談みたいな見た目の割に冗談にもならない威力のハンマーが迫り来る。

 虚を衝かれたのはワルもんざえモンだけではない。それを迎え撃とうと待ち構えていたツワーモンと魔術師にとっても半ば不意打ちに近い形。背を向けて飛び出しかけていたあたしと男爵など振り向くだけで精一杯。
 避ける? いや、間に合わない!

「どぅおっせええぇぇぇい!!」

 その一瞬、時間が凍り付いたような静寂を引き裂いて、怒号と鈍い重低音が響き渡った。
 ぐ、と声を漏らしたのはワルもんざえモン。次いで生首魔神が頓狂な声を上げる。かと思えばあたしたちの目前まで迫っていたそのどでかい顔が不意に速度を失い、ふわりと後方へ跳ねる。

「っ!? え、あ……ヌヌ!?」

 その姿を認めて思わず声を裏返らせる。闖入者は他でもない、ヌヌその人だった。いや、その熊だった。空から勢いよく降下し、その速度のままにワルもんざえモンへと頭突きをかましてみせたのだ。
 体勢を崩したところへ横合いからの不意の一撃。咄嗟に左腕を突き出してみせたのはさすがだが、威力を相殺し切れずワルもんざえモンの身体はくの字に折れ曲がって吹き飛ぶ。ついでにその右腕に巻き付く鎖に繋がれた生首を引きずって。

「無事か、ハナ!」

 反動に後方へ宙返りし、振り向き様にそう問い掛ける熊に二度三度口をぱくぱくさせる。突然のことに頭が追い付かない。突然でないことなんて一つもなかったがそうそう慣れるものでもない。

「あ……ああ、うん。って、いやいや、ヌヌこそ大丈夫なの?」
「ああ、紙一重でどうにか急所を避けて事なきを得た!」
「そんな問題だった、あれ!?」

 真っ正面からずどんとクリティカルヒットに見えたけれども!
 そんな言い分に眉をひそめるのはあたしだけではない。眉毛はないがワルもんざえモンもまた顔をしかめ、舌打ちをする。何度倒れようが決して諦めない。といえばまさに主人公的だが、やられる側からしたら堪ったものではないな。
 地面に浅く溝を刻んで踏み止まり、ワルもんざえモンは不死鳥のように舞い戻った宿敵を睨み据える。あちらの心情的にはゾンビのほうが適切だろうか。

「やれやれ……しぶといことだ!」
「お前が言うな!」

 などと返せば生首ががおんと吠える。

「んなあぁぁらば俺様が言っちゃいまんねぇぇん! しぶとぉい!」
「うるせえ!」
「うぬぅ!? 怒られた……これが愛の鞭!? 貴様ぁぁ、俺様が好きなのかあぁぁ!?」
「ちょっとそいつ黙らせらんねえ!?」
「できたらとうにやっておるわ!」

 やるのか。気持ちは痛いほどにわかるけれども。
 吐き捨てるように言い合う熊と熊は一瞬の睨み合いの後、強くその牙を打つ。地を蹴り駆け出したのはまったくの同時。互いに真っ正面から突っ込み、繰り出すのも互いに右拳。激突、から刹那の間を置いて衝撃が爆散する。
 小細工なしの真っ向勝負に、弾かれ合う熊と熊。だが、力比べを制したのはワルもんざえモンのほうだった。

「ヌヌっ!?」

 ワルもんざえモンが二歩三歩と後退る。もんざえモンが後方へ大きく吹き飛ばされ、地面に背中を打ち付け宙に跳ね、一回転してからどうにかこうにか着地する。

「ぐ、ぬう……だ、大丈夫だ!」

 ぼでんぼでんと不格好に転げ回り、定まらない重心を戻すように首を振る。あちらのよくはわからないパワーアップ具合を見るに、その程度で済んだことは運がよかったとしか言いようがない。

「もう、馬鹿! 何やってんのよ!」
「すまん、ついかっとなって!」

 その気持ちは端から見ててもよくわかるのだけれども!

「ヌヌ君、我々も援護する! 連携しよう!」
「あ、おう!」
「何を置いてもまずは奴らの分断ネ。戦うにしても逃げるにしても現状ではそれ以前の問題ネ」
「うん、確かに!」
「よし、ならオイラがワルもんざえモンを引き付ける。隙見て鎖ぶった切れ!」
「オーケイ、それでいこう」
「うむ、承知した」
「みんな、健闘を祈るよ!」
「うん、祈る!」

 で、あたしは何したらよかとね。とは聞かなかった。とりあえず会話には混じってみたができることはなさそうだ。なんか、じゃあ、祈ってる!
 そんな勇者を尻目に熊が先行して飛び出し、ツワーモンと男爵がそれに続く。魔術師はその場で後方支援に努めるようだ。せめてその援護射撃の援護くらいはすべきか、祈ってとかいないで。
 流れ弾に備えて骨こん棒を構え、深く息を吐いて皆の後ろ姿を見据える。そうしてふと、魔術師を見て思い出す。聞き返すタイミングもなく流れてしまっていたけれど。そういえば、と。

「ハナ君」

 ねえ、とあたしが声を掛けるとまったくの同時だった。振り返った魔術師があたしを呼んだのは。思いがけずかちあって互いに言葉に詰まり、しかしそんな場合でもないと魔術師があたしの言葉を促す。

「どうかしたかい?」
「あ、いや、なんか地下に逃げる前に言おうとしてなかった?」

 何か手はないのかと、そう問うたあたしに魔術師は、何かを思い付いたように言葉を口にしかけていた。今聞くべきことかもわからず、多少の申し訳なさを覚えながらもあたしが尋ねれば、しかし魔術師は真剣な面持ちで、

「私もちょうど、その話だ」

 そう返し、一度前線へと向き直る。
 ぶるぁぶるぁ煩いハンマーをかわして電撃を放つ熊と、飛び道具でワルもんざえモンを牽制するツワーモン、男爵もまた地下からの奇襲でヒットアンドアウェイを繰り返す。前衛三人の動きの隙間を埋めるように魔術で援護射撃をしつつ、魔術師は続ける。戦局全体を捉えるその目が一瞬、もんざえモンだけを真っ直ぐに見据えた。

「ヌヌ君の力は戦いの中で明らかに増減している。理由は間違いなく、君だ」
「あたし? や、それ、てゆーかデジソウルじゃないの?」

 あたしのデジソウルがデジヴァイスを介して流れ込んだのだと、自分で言ったのではないのかと眉をひそめて返せば、魔術はこくりと頷いて、けれどすぐに首を振る。

「そうだ。だが問題は、その振れ幅が一定でないということだ」

 ムラがある、という意味なら確かに安定はしていないけれど。いや、言われてみれば苦戦していたり押していたりと、熊単品だけ見てもころころ戦況が変わっていたな。

「君にはデジヴァイスのスペックを詳しく話してもいなかった。そもそも、試す方法もないからどこまでオリジナルを再現できていたかも定かでなかったのだが……ともかく、君は意図してデジソウルをアップリンクしていたわけではなかった」
「そりゃさっき初めて聞いたしね」
「つまりは無意識下に漏れ出たデジソウルがたまたまヌヌ君に流れ込んだに過ぎない、というわけだ」

 そこまで聞いてはたと、魔術師の言わんとしていることを理解する。

「なら、もしあたしが自分から……」
「ああ、意識的にデジソウルを送り込むことができれば、現状持ち得る最大出力を常に引き出すことが可能になる。はずだ」
「意識的に、デジソウルを……!」
「恐らく必殺技をぶつけ合ったあの時が君たちの最大値だろう。僅差だがワルもんざえモンに押し勝っていた。ブラストモンと分断さえできれば十二分に勝機はある」

 そう、語る魔術師はどこか、自分自身に言い聞かせるようでもあった。焼け石に水、かもしれない。ワルもんざえモンを僅かに上回ろうと、ブラストモンを遥かに下回ることに変わりはない。今の今まで分断しようにもできなかったのだから。

「ぶるるるぁあああぁぁぁぁ!!」

 あたしがデジヴァイスを握りしめ、魔術師が振り向いて頷いたと同時だった。遠雷にも似た怒号が轟き、空気の塊が爆弾のように弾け飛ぶ。
 風圧にたたらを踏む。慌てて視線を戻せば立ち上る土煙と、そこから飛び出す熊とツワーモン、男爵の姿が見えた。三人が見据える粉塵の中でゆらりと影が揺らめき、玉の双眸がぎらりと光る。
 どおん、と再び弾ける爆風は、魔神の雄叫びだった。

「ええい、やかまっしゃい小蝿どもめがあぁぁ!! 大人しくおしぃぃぃ! キー!!」

 キャラはあんなだが実力は伝説に違わぬ破壊神とやらのそれそのもの。自らの顎で地面を蹴って跳躍し、飛び退く三人へ追い縋る。額の鉱物が白刃にも似た輝きを帯びて巨大な矢の如く迫り来る。

「ヌヌっ!」
「ぐぅ……ぬぅえい!!」

 サボっていた細胞を叩き起こすように腹の底から叫びを上げて、熊は宙で身をよじる。飛来する生首ハンマーの先端に足を掛け、踏み抜くようにそれを蹴る。

「ぶるぁ!?」

 真っ直ぐに突っ込んでいたハンマー魔神は頭上からの圧力に軌道を無理矢理変えられ墜落する。反動に熊はくるくると宙を舞いながら、奥に控えるワルもんざえモンへと迫る――はずだったろう。
 ず、と大地に突き刺さったのは魔神の額に生えた角のような鉱物の一つ。そのまま抜けなくなってでもくれるなら大助かりだったが、生憎そうは問屋が卸してくれなかった。

 角が地に沈み、僅か一瞬を置いて爆発が起きる。いや、正確に言うなら火薬のそれと見紛うほどの衝撃に大地が陥没し、岩盤が弾け飛んだのだ。
 勢いを殺されてなお死なぬその威力。出鱈目な化け物だととうに理解しているはずなのに、それでもなおこちらの想定からにょきっと飛び出るその理不尽さ。
 不意を衝く背後からの爆風に熊が堪らず態勢を崩す。この上ない隙をワルもんざえモンの目の前で晒してしまうと、わかっていようがもはや手を打つ余裕もなかった。

「そら……もう仕舞いか!?」
「うおお!?」

 迎撃も防御もままならない隙だらけの黄色い熊を前に、ワルもんざえモンの左手には黒い泡がぼこぼこと湧く。幾度となくあたしたちに撃ってみせたあの黒い雨だ。
 為す術もなく自らの間合いへと飛び込んで来る熊目掛け、ワルもんざえモンが左腕を振るう。墨色の飛沫が散弾のように撃ち出され、駄目押しとばかりに返す獣爪が直接斬り掛かる。

「つかまるネ!」
「へ? おおお!?」

 だが間一髪、ツワーモンの投げた鎖鎌のような武器が片腕に巻き付き、爪の一撃からは辛くも逃れる。正確には引っ張ってもらって逃れさせていただく。ただ、黒い雨だけはさすがにそれも間に合わず、熊の全身には火傷のような跡とそこから立ち上る細い蒸気が見て取れた。
 ぼこりと、地面にぶっ刺さった魔神も自力で抜け出し、浅くはないクレーターの中でぷるぷると泥を払っていた。
 ごちゃごちゃと考えている場合ではないか。

「やってみる! どうしたらいいの!?」

 焼け石に霧吹き程度でもいい。この付け焼き刃がどれだけ役に立つかはわからないが、勝ち目がどうよりまずは生き延びることだ。思わず胸倉を掴んでがくがく揺さ振りながら詰め寄れば、魔術師は戸惑いながらもあたしの肩を叩く。

「デ、デジソウルは想いの力だ。愛や勇気、君の中にあるもっとも強い感情が力となる。それが何であるかは、君自身にしかわからないことだが……!」

 あたしの、一番強い想い――
 言われてあたしは、しばらくしてから眉をひそめ、知らず握った拳に視線を落とす。
 強い感情。なんてそんなもの、突然言われてもわかるわけがなかった。生憎こちとら思春期真っ盛り、人生迷走のぴったりピークだ。やってやるぜと即答したばかりだが肝心の方法がさっぱり見当も付かなかった。一体この出鼻を何度挫けば気が済むというのか。もう真っ平らだ。
 いや、だがそれでもあたしは今、やってのけるしかない。それ以外にできることなどないのだから。平たい鼻でも頑張るしかないのだ。
 困惑は当然と、魔術師が再度あたしの肩を叩く。

「ヌヌ君は元々デジソウルを操る力を持っていた。傍にいるうちにデジヴァイスを介して君の潜在的なデジソウルが共鳴し、次第に顕在化していったのだろう」
「ヌヌの?」
「思い出してみてくれ。これまで君が何を思い、何のために戦い続けてきたのかを。共鳴し得るような何かがあったはずだ」
「共鳴……」

 愛だの勇気だのがヌヌとシンクロした、的なことか要するに。だがした覚えはないぞこれ。
 ああ~、もうわかんない。わかんないけどわかんない場合じゃない。無茶苦茶だけど相手がもっと無茶なんだから仕様がない。とにかく、やってみるしかない!

「ヌヌ……!」

 ワルもんざえモンと交戦するその背をしかと見据え、拳を握りしめる。長いようで短かったこれまでの旅が、その記憶が瞬間に浮かんで過ぎる。

 思えば出会いは最悪だったな。訳もわからない内に勇者に祭り上げられて、成り行きでこんな旅までする羽目になって、それでも力を合わせてどうにかこうにかここまでやってきた。
 沢山のおかしな奴らとも出会った。魔術師との出会いは行き倒れていたところを持ってた泥団子で助けてあげたんだっけ。美味しかったなあれ。
 男爵ともあの時が初めてだった。毒リンゴに助けられるだなんて夢にも思わなかったな。お陰で美味しいご飯にありつけた。

 走馬灯、なんて言うと縁起でもないが、思い出が頭の中を駆け巡る。

 キノコ三昧からのイチゴ狩りとかもしたっけな。どう間違ってもそんなレジャーがメインな状況じゃなかったけど、なんやかんやで謎の熊を手に入れて素晴らしいコックさんを、もとい村人たちを救い出した。
 ダメモンとはその後すぐだったな。これ終わったらもっかいデジカムル取りに行きたいな。

 ぐるぐると回る記憶の情景が束となり、重なり合って、そうして混濁する彩りの中にふと、一筋の光を見る。いや、光明であるかなど今はまだわかるはずもない。ないのに、あたしにはどうしてか迷いなどなかった。
 その想いこそがあたしたちの絆に違いないと、根拠もないのに僅かの疑いすらもなく。見えない何かに導かれるように。

「うおおおぉぉ!」

 その確信にあたしが独り頷くと同時だった。熊が咆哮を轟かせ、魔神の頭を踏み台に跳躍したのは。
 翼で姿勢を制御しながら空を駆ける。鎖を蹴り、もはや幾度目かワルもんざえモンへと迫る。裂帛の気合いが、デジソウルが炎となって背から立ち上る。

「はっ! いい加減に学しゅ――」
「ぶるるぁぁぁっしゃぁぁい!!」

 だが、弾丸のように飛翔するもんざえモンの前に、立ち塞がるのは足もないハンマー魔神。巻き舌で叫びながら身体がないことなどお構いなしに宙を自在に駆り、瞬く間にもんざえモンの眼前に回り込む。後ろで完全に主導権を奪われながらワルもんざえモンもまた迎撃の構えを取る。

「うおお!? とっとおぉ!?」
「さあ、くたば――」
「ダイヤモぉぉぉン! がちがち超ど級クラあぁぁぁぁッシュ!!」

 魔神の額の水晶がぎらりと輝く。相変わらずのふざけた技名で、けれども冗談にもならない威力が迫り来る。
 ヌヌ……っ!
 もはや猶予などない。今やってのける他ないのだと、あたしはぐっと瞼を固く閉じ、デジヴァイスを握りしめる。勿論方法なんてさっぱりわからない。わからないが、考えたところでわかるはずもなし、そんな余裕もない。あたしはただただ不格好に吠える。

「ぬあーん! 気合いだ気合いだ気合いだあぁぁ……出ろ出ろ出ろ出ろ出ぇろおおぉぉぉ!!」

 なんて雄叫びとともに拳を突き上げる。その、瞬間だった。どおん、と、大気が震えて光が閃いたのは。

「ぬあ!?」
「ぶるぁ?」

 訳もわからずもんざえモンが頓狂な声を上げる。目前にまで迫った魔神もその異変に気付く。互いに何もわからぬままただ何かが起きたのだと、互いの頭に疑問符が踊ったのは激突のその間際だった。大地すらも穿つ魔神のなんちゃらクラッシュが炸裂し、そうして――もんざえモンが両の手で、それをしかと受け止める。

「ぬうぅぅぅぅん!?」
「う、おおお……!?」

 衝撃が爆風となって周囲に広がる。信じられぬと、思わず動きを止めたのはワルもんざえモンと、受け止めた張本人。

「うぬぅぅん、小生意気ざあぁぁます! きー!」

 などと喚く平常運行の魔神が振り払うように頭を一振りするまで、熊たちは次の行動を起こせないでいた。為す術もなく弾き飛ばされたもんざえモンが弧を描いて落下し――そして、彼らはようやく、地上の異変を目にすることとなる。

 閃光が踊る。落雷にも似たそれはけれど、地から天へと立ち昇る光の激流。熊の体色に近い赤みがかった黄色い炎が渦を巻いて天地を貫く柱となる。瞬きのそのただ中で、いや、その源であるあたしは、両の目を見開いて再び叫びを上げる。

「うおぉぉ!? 出たあぁぁぁ!」
「そんな感じで出るものかい!?」

 納得いかぬとばかりの魔術師の言葉はもっともだったが、だからといってあたしに言われても困るのである。必要に迫られたとはいえ、捻り出す気は勿論満々だったとはいえ、いざ自分からそれが、デジソウルが湯水のように湧いては驚くのも無理からぬこと。一番びっくりしてんのあたしだかんねこれ!

「い、いや、だが凄まじい濃度だ! いいぞハナ君! 心なしどこか禍々しい気もするが素晴らしいデジソウルだ!」

 興奮した様子で早口にまくし立てる。何か余計な一言も挟まっていたがまあいいだろう。あたしもなんかちょっと色合いがあれな気はしていたよ。くそ、絶対あいつのせいだ!

「ハ、ハナぁ!?」

 逆さまになって墜落しながらもんざえモンが顔の布地をぴんと張って驚きの声を上げる。ワルもんざえモンすら追撃も忘れて目を見張る。
 機はここだ。今、この瞬間だ。あたしはそう頷いて、叫びながら走り出す。

「ヌヌぅーー! そんままおいで!」
「おうぃ!? え、あ、おう!」

 あたしの言葉に戸惑いながらもかくかくと首を縦に振る。同時に、はっとなったのはワルもんざえモンだった。何をぼさっとしているのだと、自らを叱咤するように舌打ちを一つ。何もない宙を蹴り、もんざえモンへと追い縋る。しかしその間際、

「おっと。野暮な真似はノン、ネ」

 横合いから鎖鎌のような武器がワルもんざえモンの片手を捕え、その動きを封じる。今のワルもんざえモンであれば振りほどくことはさして難しくもないだろうけれど、だが足止めには十分過ぎるほどだった。ツワーモンが不敵に笑みを浮かべる。

「ダメモンっ! 貴様、どこまでも……!」
「フフ、まあ待ち給えヨ。ここで見守るのが正しい悪役というものネ。ユーもそう――」
「ぶぅるるるるぁぁぁぁ! ぅおぉぉぉのれ俺様よりも輝いちゃあぁぁってくれちゃいやがりましてぇぇぇい! 激オコおぉぉぉ! ぷんぷん!」

 勿論、どこぞのフリーダム過ぎる魔神に限ってはそんなもので止まってくれるはずもないのだが。設計段階からブレーキ未搭載の暴走特急が構わず宙を駆る。

「思わんようネ。やれやれ……!」

 ツワーモンは溜息を一つ、勢いよく鎖鎌を引き寄せる。ぐ、とワルもんざえモンが声を漏らす。勝手に突っ走っていく魔神の鎖は既に射程ぎりぎり。ツワーモンの鎖鎌と両側から引っ張られる形に、ワルもんざえモンは歯列を軋ませ両腕に力を込める。そのまま縦に裂けて綿でもぶちまけてくれれば大いに助かるのだが、性根の腐りきったこの世界の神にそれは期待が過ぎるというものだった。
 張り詰めた鎖が甲高い軋みを上げる。魔神ががくりと動きを止め、ツワーモンが舌打ちをする。やはり伊達ではない、か。ではないが――

「ヌヌ、行くよ!!」
「おう! 何が!?」

 あたしたちを守ろうと飛び出しかけた男爵を視線で制し、あたしは不敵に笑ってみせてやる。
 時間稼ぎは、もう必要なかった。
 まるで何一つ状況がわからぬとばかり、実際に何一つ説明されないまま落ちてきた熊に、あたしのデジソウルがなお輝きと熱量を増す。何がと言われてもあたしだって何にも教えてもらってないからわかんないままやっているのだけれど、この空気とテンションの前では瑣末な問題であった。

「世界で一番美しいのはだぁぁぁぁっれ!? それは俺様! ファイナルアンサぁぁぁぁぁ!!」

 言いながらどんな仕組みか宙でびかびか光り出す、そんな魔神の独り劇場を尻目に、あたしは右拳を固く固く握りしめる。込めた握力に比例するように全身から立ち上るデジソウルが右手に集束し、圧縮され、なお濃度を増していく。もはや大きめの岩くらい粉砕できるんじゃないかというほどの力がはっきりと感じ取れた。ここまでの旅のすべてがそこに結集されているとさえ思えた。
 さあ――打ち噛ましてやろうじゃないか!

「どおっせええぇぇぇぇぇっい!!」
「ぅおわふぉおおうっ!?」

 ずん、と、光り輝き燃え盛る拳が熊のどてっ腹に炸裂する。落下速を加えたカウンターの一撃に、熊の身体が宙へと舞い戻る。事ここに至ってやり方間違ってでもしたら取り返しが付かない訳なのだけれど、端から見たらただの奇行でしかなかったろうけれど、どうやら、その心配は無用のようだった。
 あたしの拳はおろか、その全身にもはや炎のような輝きはない。拳の一点に圧縮されたデジソウルのすべてがとうに放たれた後だった。あたしの手を離れたデジソウルが、ヌヌの中で膨れ上がっていく。

「おおおぉぉぉ! ビューティフルさんさんお日様ビいぃぃぃーム!!」

 鎖に繋がれたまま上空で魔神が咆哮を上げる。クリスタルがまばゆい光を帯びて魔神が勢いよくあぎとを開く。そうして――閃光が瞬く。

「ぶむんっ!?」

 天を駆け登る一筋の光明が魔神へと迫る。だが、目に捉えたそれは残滓に過ぎないのだとすぐに気が付いた。魔神の上げた頓狂な声に空を仰ぐとほぼ同時、おかしな形に開かれた魔神の口からなんちゃらビームであろう光線が放たれる。あたしたちには到底掠りもしない、明後日の方向へと。
 遥か頭上を通り過ぎた光線が彼方の山肌で弾けて爆ぜる。そんな光景を横目に、その姿を両の目に焼き付けるように見据える。

 突き上げた拳は魔神の下顎を真下から打ち抜いてみせたそれ。光り輝く金の翼で空を駆り、魔神の眼前に雄々しく浮揚する。
 ごう、ごう、と。絶え間無く注がれる燃料を燃やし続けるように、原形すらも留めぬ炎そのものとなって金翼が空を打つ。

 そこに在るはもはや単なる黄色い熊などではない。
 金色に煌めく灼熱の翼の黄色い熊が、そこにいた。
 熊は熊だがなんかえらいことになっていた。

「ね……ねえ?」

 呆気に取られながらも息を飲む。視線は空の熊へと向けたまま、搾り出すように傍らの魔術師へ声を掛ける。

「あれって、成こ――」

 ベースは間抜け極まりないままだが成功したのかと、問い掛けようとしたその時だった。雷鳴と聞き紛うほどの雄叫びが轟いたのは。

「ふ……うぅぅうぅぅあぁぁぁぁぁっひゃっひゃっひゃっひゃああああぁぁぁぁ! ひゃひゃひゃあぁぁ!!」

 天空に在ってなお高みを仰ぎ、地にあるすべてを嘲笑うように声を上げる。

「んみぃぃぃんなぐぃってキタぁぁぁぁぁぁぁ! オイラ! 史上! いちぃぃぃ! 漲ってキタああぁぁぁぁぁぁ!! あひゃひゃひゃひゃあぁぁぁぁ!」

 だそうである。
 成否はともかくとして絶好調であることは間違いないだろう。
 あのまま行かせて大丈夫かなあれ。

 あたしと魔術師が顔を見合わせ、互いの頬に伝う一筋の変な汗を認めた、ちょうどその間際。魔神が唇を尖んがらせながらがばりと態勢を、いや顔勢を戻す。彼方へ追いやられた視線が一拍を置いて輝く熊を捉えた。
 がおん、と爆風にも似た咆哮とともに、魔神がいつもの調子でなんぞ言う。

「ふぬぅあぁぁぁ!? 痛ぁーいざますぅ! 何すんねえぇん!?」
「ふはははは! 何をするだと? 痴れ者があぁぁ! 身の程を知るがいいわぁぁ! ふはひゃははひゃひゃひゃ!」

 そして熊が脈絡のない尊大な態度でそう返す。ある意味で、今日イチ噛み合っていた。

「デジソウルか……馬鹿が! 耐え切れず肉体が崩壊しているではないか! そんな――」
「ぶるぅああああぉぉぉお! ぶるぁぶるぁ!」
「ふひゃははははひゃっひゃっひゃああぁぁ!」

 何か真っ当なことを言いかけたワルもんざえモンを遮り、まともじゃない奴らが雄叫びを上げる。正論が通じるならこんな苦労はない。
 もんざえモンの拳が炎の如き輝きを帯びて、地鳴りにも似た轟音を響かせる。見るからにイカれたその両の目を見開いて、燃え盛る拳を振りかざす。対する魔神もまた刃の如き鉱物を戴く額を向け、どんな原理か空を駆る。

「うひゃひゃ、受けよ我が拳ぃぃ! 空の藻屑と消えるがいいいぃぃぃ!! うひぃぃぃーーはぁぁーーー!!」
「もずく酢だとおぉぉぉ!? 小腹が空いたところだ、いただきまんもぉぉぉぉっす!!」

 そうして、激突は直後。
 お前たちは一体何を言っているんだとは、もはや聞くほうが恥ずかしい。奴らはそんな次元で生きてなどいないのだ。事実、空に轟いた爆音と衝撃の規模はゲンコツと頭突きがぶつかり合ったそれでは断じてない。天上の神々が矛を交えるとさえ錯覚するほどの、さながらそれは天変地異。飛び散る火花はまるで雷のようで、押し寄せる圧力はまるで嵐のようで、天地が震えて世界が軋みを上げる。
 瞬間、爆心から二つの影が弾け飛んだ。
 荒れ狂う爆風に身を伏せながら、あたしたちはその光景をただ呆然と見詰めるばかりだった。片や空に舞い、片や地に落ちた影が熊と魔神であったことに気付いたのは、当の熊が隕石のように落下した後のこと。

「っ! ヌヌ……!?」

 もはや何によるものかもわからない地響きの中、慌てて影の軌跡を目で追って、背後を振り返ればもうもうと立ち込める土煙の中に人影が、いや、熊影がゆらりと揺らめいて見えた。

「アメイズィン……!」

 熊の元へ駆け寄ろうとどうにか立ち上がったあたしの後ろで、いつの間にやら凧で舞い降りてきたエセ忍者がそんな感想を述べれば、魔術師が息を飲む。信じられぬものでも見たように、事実信じがたいものを見ながらその手の杖を握りしめる。本当に、それはここに実在しているのかとばかり。

「ツワーモン、あれはまさかバース――」

 なんて言いかけた、ちょうどその時だった。

「ぶぅおるぁっしゃああぁぁぁぁいぃぃ!!」

 空でもう一つの影が怒号を上げる。生首魔神であることも無事だろうことも想定の範囲内をこれっぽっちも出ていないのでそんなに驚きはしなかったけれど、むしろ裏切ってもらっても構わない期待を全然裏切ってくれないその様に若干うんざりしながら、あたしは一瞥だけしてすぐにヌヌへと駆け寄る。

「ヌヌ! 大丈夫!?」

 土煙の中からいやにゆっくりと出て来る熊に問い掛ける。たっぷり時間をかけて姿を見せた熊は、首の角度をくいっと決め、肩をすくめて応えてみせた。

「ふ、案ずるな。少々じゃれ合ってやったまでのこと」
「そう、ならよかったけど……その変なキャラは何? また調子こいてんの?」
「ああ、突っ込むんだ。うん、まあそんなとこだけど」

 そんなとこなのか。
 今なお轟々と唸りを上げ続けている背中の燃える翼を一旦横に置いて問えば、意外と素直にうんと頷く。改めて見たらなんだこれ。

「なあ、ところでハナ、良いニュースと悪いニュースがあるんだが」
「え? えーと、じゃオチじゃないほうから聞いたげる」
「ありがとう。じゃ良いほうだけど、なんかオイラ超パワーアップした!」
「悪いのは?」
「まだ割と痛かった」
「……成る程」

 だから調子こき切れなかったのか。いや、けれど――

「あれを相手に“痛かった”で済むなら上出来ネ」

 と、あたしの言いかけた言葉を代弁したのは遅れて駆け寄ってきた忍者。

「ツワーモンの言う通りだ。ヌヌ君、どうやら今は君のその力だけが頼りのようだ」
「うむ、凄まじい力であったぞ、熊殿!」

 そんな忍者に魔術師と男爵が続く。

「ふはひゃひゃ。そう褒めるな。もっと言え」

 目をひん剥いて胸を張り、熊は鼻高々といった風にそんなことをほざいてみせる。若干暴走気味な気もしないではないが、ひとまず会話が成り立つ程度の理性はあるらしい。しかし……そんなことより何より気になるのは、と、あたしはもう一度熊の背を見て問い掛ける。

「ヌヌ、それ大丈夫なの?」
「ん? ああ、まあ、元々なかった部位だし」

 もはや原形も留めず燃え盛る翼をちらりと一瞥し、熊は事もなげに言う。そんなもんか。ワルもんざえモンの言っていた「肉体が崩壊している」だとか何だとか、今更ながら流してよかったやつなのか甚だ疑問ではあるのだが。
 てゆーか、そもそもの話として……

「ねえ、結局これって何なの?」
「むん? ああ、さっぱりだな」

 腕組みをしながらまるで他人事、いや、他熊事のように頷く。聞いてわかるとも思っていなかったが、案の定本人さえ現状を理解できていないらしい。よく暢気にしていられるものだな。身体の一部が理由もわからず燃えてんだぞお前。

「どうやら、桁外れに高密度のデジソウルによって潜在能力が限界を越えて引き出されたようネ。話に聞く“バーストモード”と呼ばれる現象にも酷似しているが……」
「“バーストモード”?」
「ヤー。我がデジソウル道場でも秘中の秘、デジソウルの真髄にしてまさに奥義ネ」

 桁外れ。限界を超えて。奥義。
 畳み掛けるようなツワーモンの言葉にぴくぴくぴくりと熊の耳が反応する。そこに聴覚はないはずだが今は置いておこう。

「ほう、奥義か……ほほう! 奥義かぁ!? おっほほほぉーう! 奥義まで極めちまったかオイラぁ!? ほひゃひゃひゃひゃ!」
「あ、いやミーも実物を見るのは初めて故、断言はできないのだが……」
「そうよ、まったく。馬鹿言って……つまりあたしの実力でしょ! このあたしの!?」

 どんと胸を叩けば忍者が深々と溜息を吐く。視線はとても冷たかった。ああ、調子乗んなって窘めるとこかあたしこれ。

「聞いてないネ、ユーたち……まあいいネ」

 てへぺろ。
 可愛く舌を出せばそっと流されるが、いつものことなので気にはしない。
 気を取り直して互いに頷き合い、先程からずっと「もずく酢を食べたい」という話で盛り上がっているお空の魔神と悪い熊を見上げ、あたしたちは再び拳を握りしめる。ワルもんざえモンよ、お互い苦労が絶えないな!
 勇者の発想では決してないが、なんかうまくやったらあの生首は丸め込めそうな気も割とする。よし、いざという時の選択肢くらいには入れておくとしようか。

「ともあれ……ヌヌ!」
「ああ、泣いても笑っても腹鳴っても、こいつで最後だ! いや、最後にしてやるぜ!」

 がつん、と両の拳を打ち鳴らす熊に、魔術師も苦虫を噛み潰したような顔で光る熊と悪い熊を交互に見ながら頷く。確実な勝算などない。いまだ絶望的な怪物を相手取っていることには変わりない。そんなことは、誰もがわかっていた。

「そう、確かに今が好機か……放っておけばいずれブラストモンは今以上に力を取り戻すだろう」

 その上で、叩くのならば今しかないこともまた理解していた。あたしたちが勇者として戦うべきは、今この時をおいて他にないのだ。

「うむ、魔術師殿の言う通りだ。奴らはここで止めねばならん!」
「はぐはぐ」
「やれやれ、こんなはずではなかったのだがネ……」

 肩をすくめるツワーモンも、しかしてその目は戦意に満ちていた。
 見遣れば自嘲気味に笑みを零し、刃を構えて再び天にてまだもめてる敵を睨み据える。あたしたちは互いの顔を一瞥し、頷き合う。

「さて、そうと決まれば……やはりまずは奴らの分断ネ」
「だな。こんままじゃ話になんねえ。つーかあの鎖めちゃめちゃかてーんだけど」
「ブラストモンを封じる鎖だ。元々ただの金属ではなかったのだろう。それに加え……」
「ヤー、恐らくデジクロスに巻き込まれて半ば融合しているネ」
「なら、強度はブラストモン並みってこと?」
「そうなるネ。切断は容易ではないが……手はあるネ」

 そう言って空を見上げる。その視線が意味するところをすぐに察することができたのは、どうやら熊だけだったようだ。感心半分、呆れ半分といった風にほうと溜息を吐く。

「そういうことか……そういや忘れてたな」
「フッフフ、こういうのが本分なものでネ」
「へ? え、なに? なにが?」
「はぐ?」

 ぽかんとするあたしたちを余所に、ツワーモンは得意げに笑みを浮かべる。そんな二人の視線を追い、しばし。少し遅れてようやくあたしたちもその意図を理解する。
 魔術師がふむと唸り、

「成る程、だがあの――」

 そう言葉を続けようとした間際、空から雷鳴のような怒号が響いた。

「だぁー、もう! もずく酢なら後で山ほどご用意いたします故っ!」
「ぬぅわぁぁにぃぃぃ!? そいつぁ一体全体標高何メートぅわぁぁほどでござりやがりむあぁぁぁぁすかっ!?」
「オリンポスほどでございますっ!!」
「いやぁぁぁん!? おったまげえぇぇぇぇ!!」

 とりあえず耳を貸したらやる気がみるみる削がれるので奴らの会話は聴覚から遮断したいところだったが、しかしながらどうやらそうもいかないらしい。
 この馬鹿らしいインターバルもここまでか。残念ながら向こうは話がまとまってしまったようだ。互いに頷き合い、短く言葉を交わしてあたしたちは再び空を見上げる。奴らもまた、あたしたちを睨み据えていた。

「ウップス。致し方ない、後は考えながらネ」
「思い付くまで生きてりゃいいけど、な!」

 とだけ吐き捨て、熊は岩肌を蹴って空へと舞い上がる。金色の光の筋は瞬く間に天へと駆け上がり、瞬間、再び地へと落ち来る魔神と激突する。衝撃と轟音が爆発的に波及する。
 また真正面からの馬鹿正直な力比べ。決して賢くはないそれ。だが、熊にはそうする他に手などなかった。

「っ……! やはり出鱈目ネ。割って入る隙があるかどうか」
「だがハナ君からのデジソウルも限りがある、早く手を打たないと!」
「ぬう、我輩にも翼があれば……!」

 仰ぐ空で熊が拳を繰り出し、魔神が角をふるう。互いに弾かれ合い、現状力量はほぼ互角。けれど、

「そこだ!」

 間髪を容れずにワルもんざえモンが打ち出す闇色の光球が熊へと迫り、咄嗟にかわすもその脇腹を掠める。
 力量差を考えれば実質2対1。おまけにこちらは確実に時間制限がある。ぶっちゃけごりごりデジソウルが減っているのを肌で感じている。そう、デジソウルを、肌で――

「やれやれ、迷っている間もないネ……」
「ああ、弾避け程度でもとにかく加勢を……!」

 そんな魔術師たちの言葉をどこか遠くに聞きながら、あたしは自らの内に流れるデジソウルを感じ、それを纏う熊を見上げ、はっと息を飲む。
 空の戦いへ助勢すべく飛び出しかけていた二人へ、引き止めるように声を掛けた。

「ウィザーモン! ツワーモン!」

 その声に立ち止まり、振り返った二人が問う間もなくあたしは矢継ぎ早に言う。

「今から言うこと、できるかどうかだけ教えて」





「あひゃひゃひゃひゃぁぁぁおぅ!」
「ぶるるるぁっしゃぁぁぁぁぁい!」

 奇声を上げて再び熊の鉄拳と魔神の石頭がぶつかり合う。銅鑼を打つような重低音が幾度となく響き渡る。その間隙に、ワルもんざえモンからの追撃もまた止むことなく降り注ぐ。
 黒い光球が熊の頬を掠め、肩を掠め、膝を掠め、頭突きを、拳打を、蹴撃を阻む。
 端的に言って、劣勢だった。
 暴走しまくったお陰かなんとなく力のコントロールはできるようになってきたが、それでようやくサシでどっこいどっこいといったところ。下の連中はまだこの戦いにはついてこれまいし、一人で両方を相手取るにはさすがに無理があった。ふむ、まさかヌメモンとして生きてこんなことを言う日がくるとはな。

 しかし、こちとら体感では限界突破1,000%ぐらいだってのに、向こうは寝起きで顔だけなのに互角とか、割と泣きたくなる。中々調子にも乗らせてもらえないものだ。まあ、ヌメモンが伝説の魔神と張り合ってるだけでも奇跡なのだが。

 とにもかくにも気張っていくしかあるまいと、再び指のない拳を握りしめて構えを取り、敵の姿を睨み据えた――そんな時だった。

「おん?」





 あたしの問い掛けに、魔術師は答えなかった。わからない、のではなかったろう。あまりの馬鹿げた物言いに返す言葉も見付からない、といった様子だった。
 代わって答えたのはツワーモンだった。無表情に、無感情に、ただ事実だけを告げる。

「可能性はゼロではない、とだけ言っておくネ」
「っ! ツ、ツワーモン!」

 咎めるような魔術師の声もどこ吹く風と、ツワーモンは続ける。

「成功すればまさに千載一遇のチャンスを得られる……かもしれないネ」
「千どころか億に一つだ! そんな……!」
「なら他にいい案でも?」
「そ、それは……!」
「じゃ、決まりね。フォローよろしく!」

 と言ってばしんと肩を叩けば、魔術師の眉間が面白いくらいに歪む。苦悩と葛藤が詰まったようなそのシワを、けれど魔術師はすぐさま振り払うように頭を振って、弱々しく頷いてみせた。仕方がない、と。
 まさに苦渋の決断といったところ。だから、予想だにしていなかったことだろう。すかさず男爵が言い放ったその一言は。

「ふむ、ならば魔術師殿、吾輩も一つ頼みがある」

 続けられたその言葉に、魔術師はただ絶句するしかないようだった。ツワーモンが代わって肩をすくめてみせた。

「やれやれ、命知らずしかいないネ?」
「あら、無茶もせずに世界救おうだなんて、虫のいい話じゃない」
「おっと……フフッ、さすが勇者様は言うことが違うネ」

 ツワーモンはやれやれと首を振り、おもむろに空の敵を見据える。魔術師もまた同じように顔を上げ、互いに「覚悟は決まった」とばかり。
 あたしも二人に倣うように上空の戦いへと視線を向けて、ふと、激戦の最中にある熊と目が合うような錯覚を覚える。いや、おそらくそれは、

「オーケイ、なら上は任せたネ。下はミーが引き受けよう」
「よし、なら後はどうにかヌヌ君に……」
「あ」
「え?」
「なんか伝わってるみたい」
「伝わってる?」

 あたしの言葉に魔術師ははたと熊を見上げる。

「そうか、デジソウルがリンクして……」
「ほう、まさに以心伝心ネ」

 成る程、やはりそうか、この感覚は。本音を言えば若干気持ち悪いが状況が状況だ、今は便利に使うとしよう。

「ようし、そんじゃいくよ! オペレーション:ワン・フォー・オール・フォー・ワン!」

 拳を突き上げれば鬨の声が上がる。初めて聞いた知らない作戦名にも戸惑うことなく、救世の勇者たちは最後の戦場へとその身を躍らせるのであった。





 地上の様子を横目に、熊は深く大きく息を吐いた。溜息ではない。これが正真正銘最後の大勝負、大博打だと、自らを鼓舞するように。
 うちの勇者様の作戦は委細承知した。なぜなら以心伝心なのだからして。なぜだか一回ディスられたが問題はない。誰一人としてトチらず強運に恵まれまくれば必ずやうまくいくこともなきにしもあらずだ。
 そうら、フラグ立ったぞおぉぉ!

 心の中で雄叫びを上げ、深く深く息を吐き、そうして、覚悟を決めたようなやけくそになったような目でブラストモンとワルもんざえモンを睨み据える。
 がつん、と布製の拳を打ち鳴らし、今度は声に出して怒号する。

「やあったらぁぁぁ!! くぉるぁぁぁぁぁ!!」

 と同時、常人の目であればその身が掻き消えたと錯覚するほどの速度で、金の熊は黒い熊へと迫る。太陽を背負うが如き灼熱を身にまとって。これまで以上の気迫、これまで以上の捨て身、その威圧にワルもんざえモンはわずかに息を飲むも、すぐさま迎撃の態勢を取る。
 片手から放たれた黒い光球が熊の進路を阻み、耐えるも避けるもさせぬ間に魔神が襲い来る。
 気合い一つで容易く戦況がひっくり返るはずもなく、熊の拳はワルもんざえモンにまるで届くこともなく、先程までと同様に魔神と激突する。

「ぶるるるぅあぁぁぁぁぁ!!」

 奇跡のような進化、その全力の一撃さえ魔神に少しの傷も負わせることなく、無情にも熊の身体は衝撃に吹き飛ばされる――彼らが、思い描いたその通りに。

 地上へ落ちゆく熊、身を包む灼熱が先の攻防にわずか消し飛び、その背に隠されていた地上の様子があらわになる。閃光は目眩まし、特攻は陽動、本命は、荒野に展開された巨大魔法陣。
 ワルもんざえモンにも少しばかり魔術の知識はあった。しかしこの遠目、この一瞬でウィッチェルニーの魔術数式を読み解くまでのことはできない。ただ、それが光る熊を囮にしてでもこの戦局に必要なものだと奴らは判断した。その程度のことは、馬鹿でもわかる。わかれば、それで十分だった。
 あれだけの規模なら記述にも起動にもそれなりの時間を要する。
 動く前に叩き潰す。それだけだ。

 ワルもんざえモンは鎖を手繰り、魔神をふるう。もずく酢で餌付けされた魔神は素直にふるわれて真っ直ぐに地上へと飛来する。
 落下速を遥かに越えるその勢い。体勢を崩した熊には受け止めることさえ難しい。魔法陣もろとも蹴散らしてくれようと、ワルもんざえモンは勝利を確信してにたりと笑う。





「来たネ」

 空を見上げ、迫り来る破壊の権化を睨み据え、ツワーモンは静かに呟いた。

「さて、のるかそるか……乾坤一擲の大博打ネ」
「のるって決めたんでしょ。今更弱音は言いっこなしだかんね」
「ふっふふ、わかっているサ」

 ツワーモンが笑い、男爵がうむと唸り、魔術師が頷き、ハグルモンたちがはぐはぐと皆を鼓舞する。互いに顔を見合わせ、あたしたちは最後の賭けへと打って出る。

「では皆、武運を祈る!」
「グッドラック、ネ!」

 そう言って男爵は地中に潜り、ツワーモンは跳躍して魔法陣から離れる。
 逃げた、とワルもんざえモンたちの目には映ったろうか。いや、策であろうことくらいはバレているだろう。だがもはやそんなことは問題ではない。賽は、投げられたのだから。

 あたしは目を閉じ、息を吐く。一瞬の間を置いて両の目を開き、天を仰いで叫ぶ。

「ヌぅーーヌぅぅぅーー!!」

 地上から矢のように飛ぶその声に、熊の目が見開かれる。拳を握り、落ちる身体を無理矢理捻り、燃え盛る翼で空を撃つ。
 地上の魔法陣を狙う魔神は既に眼前まで迫り、迎撃するには初動が遅すぎる。
 だが、熊は僅かの逡巡もなく空を駆る。
 まともにぶつかり合えば勝算はない。

 そう――まともに、ぶつかり合うのであれば。

 翔ける熊は僅かに身体を傾け、飛行速度を落とさぬままに軌道をずらす。迫り来る魔神を迎え撃つと、ワルもんざえモンがそう思った刹那、魔神の横をするりとすり抜け真っ直ぐにワルもんざえモンへと向かう。

「愚かな! 仲間を見捨てたか!?」

 意表を突かれたワルもんざえモンははっと息を飲むも、しかしそれだけ。焦りもなければ動揺もない。あるはずもない。
 投げ掛けた言葉は熊の反応からその企みを探ろうという腹積もりだろう。だが構わない。疑いたければ疑え。罠も仕掛けもたっぷりと用意してやっているぞ。どのみちはなからワルもんざえモンにこちらの策がある程度バレてしまうことは想定内。
 もとよりギャンブル。どれだけ策を弄しても、どれだけそれを暴こうと、関係のない不確定要素が“そこ”にいるのだから。
 あたしはすうっと息を吸い、おもむろにびしりと明後日の方向を指差してやる。
 さあ、お互い神にでも祈るとしようか。ただし、神は神でも――

「あああぁぁ!? 空飛ぶもずく酢だあああぁぁぁ!!」
「んぬぅわぁぁぁにいぃぃぃぃぃ!?」

 気まぐれ極まりない魔神様なのだけれど。

「なっ……!?」

 ここにきて僅かにワルもんざえモンが動揺する。
 首だけ魔神の行動が読めないのはお互い様。どちらにとっても厄介この上ない爆弾だ。導火線に勝手に火が付くこの爆弾を、どう処理できるかが勝負の分かれ目。
 あたしの戯言をまんまと間に受けて、魔神は視線も意識も明後日の方向に逸らす。それで止まるかと言うなら勿論止まるわけもないのだが、今はそれで十分だ。

 ヌヌはああ見えて、これまで攻めあぐねていた。
 その理由は当然、地上のあたしたちにある。下手に受けても避けてもあたしたちを巻き込みかねない。巻き込まれれば、あたしたちには為す術もない。
 それがヌヌの拳を鈍らせた。判断を遅らせた。だから、その憂いを取り払ってさえやれば、何の気兼ねもなく全力をぶつけることができるというわけだ。
 言うは易く、為すは困難極まりない。極まりない、けれど、無理を通して道理も引きずり出さねば果たせぬことがある。
 そう、たとえば世界を救うなどという、この難業……!

 胸の中に煮えたぎる思いを今一度掬い上げるように咆哮する。
 再びデジソウルがあたしの五体を包み込む。篝火にも似た思いの力の奔流の中、あたしはその意識を右手の一点へと集中する。骨こん棒を握りしめ、そっぽを向きながらも勢いそのままに落ちてくる首だけ魔神を見据える。
 ヌヌはあたしのデジソウルによって魔神と渡り合うほどの力を得た。ならばその力の源たるあたしに、同じことができない道理などない。

 あたしが止める。ただの人間でしかないこのあたしが、伝説に語られる魔神を止めてみせると、それがあたしの、勇者の選んだ道である。

 どれだけ馬鹿な発想かぐらいは理解できる。できるが、今はしない。
 してしまえば挫けるとわかっているから。してしまえる常識人にはできぬことへと、挑んでいるのだから。

「うおあああぁぁぁぁぁっ!!」

 全身を血潮のように廻るデジソウルが腕を伝い、構えた骨こん棒へと流れ込む。あたしが今もてる力と想いのすべてがここに結集する。
 骨こん棒がヌヌの翼と同色の炎に包まれて、獣の唸りにも似た重低音を響かせる。
 これがあたしの全身全霊全力全開。
 これで無理なら、などとは憂う余裕ももはやない。

 迫る魔神はとうに眼前。
 振りかぶった骨こん棒をあたしは、技術もなにもなくただただ振り抜いた。

「――っでえぇぇっい!!」
「もず……ぶべるぁぁぁぁあ!?」

 それは巨大な鐘の音のようで、鈍器で生き物の顔面をぶん殴った音には到底聞こえやしない。あたし自身、何がどうなったのかなど確かめることもできなかった。
 聞こえたのは重い衝突音、甲高い金属音、そして魔神の変な声。手に伝わるのは全身の筋肉を麻痺させ、脳を揺らすほどの衝撃。意識が霞む、音と景色が遠ざかる。
 まだ自分が両の足で立てているかもわからない。けれど、まだ意識を手放すわけにはいかないと、ただただ気合い一つで己に鞭を打つ。
 霞む視界、定まらぬ視線がどうにか捉えたのはツワーモンの姿だった。こちらを真っ直ぐに見据え、こくりと頷いてみせるその様子に、どうやら一つ仕事をこなせたらしいことを理解し、あたしは「へっ」と弱々しく笑う。





「な……なんだとぉ!?」

 信じがたい光景に、思わず迎撃の手まで止め、ワルもんざえモンが声を上げる。

「エクセレンっ……!」

 砕け散った骨こん棒。四散するデジソウル。その中で、頬を歪めて吹き飛ぶブラストモン。
 有言実行。勇者の責務を見事果たしてみせた少女に思わずツワーモンが呟けば、

「ああ……君こそ勇者だ!」

 ふらつく彼女の隣で魔法陣を構築し続けるウィザーモンが力強く言う。

「さて」

 ツワーモンは迫り来る魔神を、狙いどおりにその場所へと飛ばされてくる魔神を一瞥し、辺り一帯の地面を見渡す。
 よくよく見るならそこかしこにバトンほどの大きさの筒が突き立てられ、その先端から伸びる細い糸がツワーモンの手へと集まっている。それが何かというなら、爆弾と導火線以外の何物でもないだろう。

「仕込みは上々、後は仕上げを……ごろうじるがいいネ!」

 そう言って不敵に笑い、ツワーモンが指を鳴らせば導火線へ一斉に火が走る。
 油でも仕込まれていたのだろう。火は瞬く間に爆弾へと迫り、ツワーモンは揺れる大地から跳躍する。
 空にいた魔神たちは気付いてもいないようだった。地中から響く振動、その正体にも彼らの企みにも。

「ぬふぅぅぁぁん!? ぶったああぁぁぁ!? マミィィィにもぶたれたことないのにぃぃぃん!」

 なんて様子の魔神は地上にいようが気にも留めなかっただろうけれど。
 軽やかに跳んだツワーモンはそんな魔神の上にとんと乗り、再び跳躍の姿勢を取りながら嘲るように言う。

「そいつはソーリィネ。ああ、ついでにもずく酢も嘘ネ」

 とだけ言い捨てて、すぐさま魔神の上から跳び退く。
 気を逸らす、必要はもはやない気もしたが、念には念をであった。

「ぶるるぁぁ!? きっさむぅああぁぁぁぁ! うぅぅぅそついたらエぇンマもっ……ぶっむぅぅぅんっ!?」

 跳ぶと同時にツワーモンが投じていたのは粘着性を持った蜘蛛の巣状のワイヤートラップ。一度容易く破られてしまったことを忘れたわけではない。だが、数秒の足止め程度にはなっていたことも、しっかりと覚えている。
 残る手持ちのトラップをありったけ投入したそれは、魔神の顔もわからなくなるほどに絡まり、絡まり、絡まりつくす。

 でかい繭のようになった魔神がそのまま為す術もなく地面へ落ち――かけたその間際、炸裂した爆弾が大地に亀裂を走らせる。
 先の地中の振動の主、ここら一帯の地下をでたらめに掘り進めていたニセドリモゲモンも、既に己の仕事を終えてその場を離れ、穴だらけの地盤は爆発によって激しく土砂を巻き上げながら沈下する。
 降りるべき地面を失い、魔神は地下へと落ちてゆく。舞い上がった土砂が封をするようにその上から降り注ぐ。
 あとは――

「っ!? くそっ……!」

 当然、その一部始終を空から見ていたワルもんざえモンが、黙っているわけもない。鎖の射程よりも深くへ落ちたか、地上から引きずられ肩ががくりと下がるも、飛翔へ力を裂いて空中で踏み止まる。すぐさまぴんと張り詰めた鎖を手繰り、魔神を手元へ戻そうとする。だからこそ、

「よそ見、してんなあっ!!」

 魔神を地上の仲間たちに託し、ただ真っ直ぐに彼は、ヌヌはワルもんざえモンの元へと向かったのだ。
 すべてはこの一対一のお膳立て。
 ヌヌは燃え盛る翼で風を切り、煮えたぎる拳を振りかぶる。彼我の距離はとうに拳打の射程内。
 地上に気を取られたワルもんざえモンは一瞬反応が遅れる。空いた左の腕で防御体勢を取ろうとするも、それは悪手。この助走距離、この準備時間からの一撃は、片腕ではとても防ぎ切れない。
 戦局を左右するほどの致命打は、必至。

 誰もがそう思った、次の瞬間。
 ふっ、と。その炎は、陽炎のように消え失せる。

 があん、と、重たい鉄塊がぶつかり合うような低い音。しかし、誰もが思い描いていたものに比べるなら、あまりにささやかなそれ。
 ヌヌの拳は、炎を纏わぬもんざえモンの拳は、水晶に覆われたワルもんざえモンの左腕を叩き、僅かばかりの衝撃を与え、その反動に弾かれる。ワルもんざえモンは、微動だにしていなかった。

「……運も尽きたか」

 それだけ言って、僅かに憐れむような表情で、ワルもんざえモンは左手を構える。
 魔神と融合したその硬度に負け、弾き返されたヌヌの背には翼がない。全身を覆っていた炎のようなデジソウルは凪ぎ、そこにいたのは何の変哲もない完全体デジモン。
 上空の戦いへ目をやっていたツワーモンとウィザーモンははたと視線を落とす。
 あの爆発的な強化を可能にした超高密度デジソウルの主。残る力のすべてを費やして魔神を食い止めてみせた少女、雨宮花は、とうに限界を迎えていたか弱い人間の少女は、精も魂も尽き果てゆっくりと倒れ伏す。
 当然といえば、当然のことだった。
 今の今まで立っていただけでも信じられない精神力だった。

「ハナく……ヌヌ君っ!?」

 力の源泉を失ったヌヌに、魔神と同等の力を得ているワルもんざえモンへ対抗する術はない。
 ワルもんざえモンの手から黒色の光球が放たれる。閃く光はもんざえモンの身体を無情にも貫いて――その口から、緑の鮮血が吹き出す。

「っ……!?」

 地上で思わずウィザーモンが息を飲む。ツワーモンが舌を打つ。
 策はいまだ中途。ここで止まればすべてが破綻する。そうなれば巻き返しは不可能。今更撤退もできはしない。勝利以外に、もはや道はない。
 二人がそう、脳裏を過ぎる敗北の二文字に表情を曇らせた時、しかし空のワルもんざえモンは顔をしかめていた。

 それはほんの一瞬の出来事だった。
 一度は勝利を確信した。奴らは万策尽き、打てる手など一つもない。
 だが、眼前に飛び散るそれに、腹を貫かれたもんざえモンの口から飛び出た“それ”の、あまりの不自然さに、ただただ疑問符が頭の中を踊る。
 そう、それは一瞬。
 まるで想定もしていなかったそれの正体を見極め、手を打つにはいかに魔神の力を得たとはいえ短すぎた。

 緑の、吐血……緑、の? いや、吐瀉物? 違う、これは……!

「うぅおぉらあぁぁぁぁ!?」

 べちこーん、と、緑の吐瀉物が半ば悲鳴のような雄叫びを上げながらワルもんざえモンの顔面へと張り付く。
 否、吐血でも吐瀉物でもない。誰あろう、奴である。黄色い熊の鎧を脱ぎ捨てて、口から単身飛び出した緑のそれは、他でもない、ヌヌであった。

「なん……これ、は……!?」

 ねばねばぬっちょぬっちょとへばり付くそれがなんであるか、へばり付かれた張本人にはまるで理解できなかっただろう。手で振り払おうとするもうにょうにょと絶えず形を変えるそれは掴むことさえできない。
 驚愕、焦躁、混乱。鎖を手繰ることも忘れ、ワルもんざえモンの動きが完全に封じられる。

「今ネ!」

 ツワーモンが叫ぶ。と同時、ウィザーモンが杖を握る右手はそのままに、左手の指をぱちんと打つ。
 ワルもんざえモンが緑の物体の違和に顔をしかめてから、しかし一瞬の後。地上の二人もまた気付いていたのだ。腹を貫かれ、落ちゆくもんざえモンの背に翼がないことに。本当はこの場の誰より非力で臆病な彼が、微塵も諦めてなどいないことに。
 ウィザーモンの指先から火花が走り、宙で小さな稲妻が二度爆ぜる。ただそれだけ。視界も塞がれたワルもんざえモンは気付けるはずもない。それが、地中で助走をしながら待つ彼への、合図であることなど。上下に並ぶ二つの火花の延長線上に、何があるかなど。

「――ぅぉおおおぉぉぉぉ!!」

 ニセ――と叫びかけて、否、と彼は笑う。
 地中を駆ける彼、ニセドリモゲモンはただ一直線に、信じる仲間の指し示してくれたとおりの道を疾駆する。
 地上へ踊り出るその身が魔法陣の中心を貫いて、構築された魔術の力のすべてが彼の全身を包み込む。
 射出、回転、加速。たった三つの初歩的な魔術に、残る魔力のありったけを込めて、構築されたその巨大魔法陣。“我輩を矢にして撃て”と、それがニセドリモゲモンの提案だった。

 勿論、この一撃でワルもんざえモンを仕留められるかというなら、否である。
 けたたましいドリルの音が迫れば、見えぬ今の状態でもさすがに回避なりされてしまうだろう。よしんば運よく命中したとして、魔神の硬度を持つ今の奴へどれほどのダメージが通るか、あまり期待はできない。
 ゆえに、狙うはそこではない。
 魔神を地下へと落としたのは、狙いを安定させるため。双方動きを封じ、“それ”を、止まった的にするため。

 ニセドリモゲモンは瞬間に思考する。
 思い返すのは、いつか彼女が言ってくれた言葉。

『胸を張って生きれば誰もあなたをニセモノだなんて蔑まないよ!』

 追い詰められ、苦し紛れに出た言葉だったろう。
 けれど、そんな言葉が胸に突き刺さった。耳に張り付いて離れなかった。
 ここで彼女と再会し、きちんと彼女の人柄を知り、あの言葉は、それはそれで本心だったのだろうと、そう思った。

 だから、勇者一行の末席を汚すこの身は、粉骨砕身、勇者の勝利がために尽くすべくここにある。そう、あらねばならぬのだ。

「うおおおおぉぉぉ――ぁぁアルティメットぉぉ! ドリルスピンっ!!」

 天をも穿たんばかりに螺旋の剣を掲げ、ニセドリモゲモンは飛翔する。我が身を弩の矢と変えて、ワルもんざえモンと魔神を繋ぐ、その鎖を断ち切らんと。
 狙いは鎖の中程、ワルもんざえモンと魔神のちょうど中間付近。電撃の炸裂音によるウィザーモンの誘導は完璧だった。射出されたニセドリモゲモンのドリルは、強固な鎖の、ただ一点しかないウィークポイントを正確に捉えていた。

 一瞬、時が止まったような錯覚。
 これが通らねばもはや手はない。全滅は必至。
 だが、ニセドリモゲモンの頭には不安も恐怖もなかった。
 ここに集った仲間のすべてが力を合わせた会心の妙手、その成功を、微塵も疑ってなどいなかった。

 ふっと、鎖から小さな影が跳ぶ。
 その存在を知らされていなければ気付きもしなかったろうそれ。
 事実、ワルもんざえモンさえこれまでも、この瞬間も気にも留めなかったのだ。いや、今の彼にはそんな余裕もないのだけれど。

「ぐ……このっ! 離れろぉぉ……!」

 目下、ヌメヌメと格闘中のワルもんざえモンは、ニセドリモゲモンの接近もすぐには察知できなかった。
 はたと、数秒遅れて張り付くヌメヌメの隙間からその姿を捉え、反射的にぴくりと鎖を握る右手が動く。しかし、行動はヌメヌメのほうが速かった。

「へ、だったらお望みどおり……離れてやらぁ!」

 軟体を掴むワルもんざえモンの手をぬるりと抜けて、ヌヌはひょいとその顔から飛び退く。
 へばり付いてほんの数秒、強化されたワルもんざえモンの膂力は今にもヌメヌメを引きはがしてしまいそうだったが、正直言うとそろそろ限界だったが、離れた理由はそうではない。

「っ……!?」
「スライド――」

 なぜ離れた、と一瞬の逡巡。
 翼もないヌメヌメが目の前を落ちてゆく、その間際、答えるようににやりと笑ってその全身から輝きを放った。

「エボリューションっ!」

 それは進化による激しいデータの書き換えに伴う閃光。と、彼自身が持つ輝きだった。

「ぐ、ぬっ……!?」

 ゴールドヌメモン――ゴルディーヌ鉱山の金塊を取り込んだことで可能となったヌメモンの新たな進化の姿。そして、熊の背に生えていた翼の正体だった。
 ワルもんざえモンにとっては今の今まで戦っていたおかしなデジモンの謎の一端が解けた瞬間であったが、当然そんなことはどうでもよかった。間近で炸裂した閃光はワルもんざえモンの目を焼き、思考と反応を鈍らせる。
 無駄に豪奢な金の体躯が光を乱反射させ、その光量は至近であれば視神経を焼き切らんばかり。魔神と融合したことで神経や自己回復力が飛躍的に向上したワルもんざえモンであっても、平然といられるようなものではなかった。
 それでも足を止められるのはほんのわずかでしかないだろうけれど、彼らにとっては、十分すぎる時間稼ぎだった。

 刹那、ニセドリモゲモンのドリルが鎖へと達する。
 けたたましい金属の摩擦音、完全体を越えた熊の膂力をもってしても砕くことの叶わなかったそれはしかし、あまりにもあっけなく砕けて千切れ、破片が宙を舞う。
 途端に軽くなる鎖に、まだ目の眩むワルもんざえモンも驚愕の声を上げる。

 ニセドリモゲモンが拳を握りしめる。その頭の上にそっと、小さな影が降り立つ。
 ツワーモンに言われるまで誰もがその存在を失念していた彼、いつの間にかツワーモンの背から飛び移り、人知れず鎖をかじり続けていたこの作戦の立役者――チューチューモンは、ぐっと親指を立ててみせる。

「後は、頼んだ……ぞ……!」

 それだけ言ってニセドリモゲモンは、ふっと瞼を閉じる。搾り出すような声は頭の上のチューチューモンの耳に辛うじて届く程度。他の誰にも聞こえるはずもない。なのに、仲間たちは誰もがはっきりとその言葉を聞いたように、「任せろ」と、そう返すのだ。
 ヌヌが雄叫びを上げながら翼で風を打つ。身を翻し、落ちゆく熊に向かって空を翔ける。
 ワルもんざえモンもまた一瞬遅れて降下する。断たれた鎖を掴もうと手を伸ばしながら。しかしその手に纏う水晶は徐々に粒子化が始まっている。魔神と分断されたことで融合が解けかかっているのだろう。飛翔の力もやはり魔神から得たものだったか、先程より速度は落ちている。

「ヌメモン、進化――!」

 金の塊が熊の口へと飛び込む。

「――もんざえモン!!」

 途端に空虚な熊の目がぎらりと輝き、背からはまばゆい金の翼が生える。
 仰向けに落ちていた熊はすぐさま反転し、ワルもんざえモンの姿を捉える。一瞬とはいえ静止したことで、ワルもんざえモンには既に追い越されてしまっている。熊は力の限りをもって翼を操り、その背を追う。

 融合はいつまで持つ?
 今の奴と自分ではどちらが強い?
 鎖を掴むだけで融合は維持できるのか?

 浮かんだ疑問はおおよそ互いに同じ。どれもこれもがまるで未知の現象なのだ。彼らでなくとも答えられるものはいなかったろう。
 だからただ全力を、死力を尽くす以外に道はなかった。誰も、彼もが。

 ツワーモンがワルもんざえモンより先に鎖を手繰り寄せようと手を伸ばす。
 ニセドリモゲモンの投射にすべての魔力を費やしたウィザーモンが、それでも追撃をくわえようと杖を構える。
 限界をとうに越えていたニセドリモゲモンは既に意識が朦朧としている。その頭の上にいるチューチューモンは鎖から遠すぎた。
 ワルもんざえモンはただ全力で鎖を追い、ヌヌはそのワルもんざえモンをただ必死に追う。
 まずい、と、そう思ったのはワルもんざえモン、以外だった。この位置、この距離、このタイミング、誰より早く目的を達するのは、僅差でワルもんざえモンだ。

 ここまで来て、と、熊がぎりりと歯噛みした、その瞬間――

「っ!? な……!?」

 不意にワルもんざえモンの動きがぴたりと止まる。
 瞬間にその理由を理解できたものはいなかった。止まったワルもんざえモンにすら、自分がなぜそうなったのかわからない様子だった。
 ただその手足を見れば理由など、一目瞭然だった。
 鎖ただ一つを見ていたワルもんざえモンは、今までにないほど視界が狭まっていたのだろう。普段の彼であれば横合いからとはいえ食らうわけもない単調な攻撃。この状況であったからこそ、戦いの土俵の外にいるとばかり思われていた彼らだからこそ、その一撃は今この場面で刺さったのだ。

 ワルもんざえモンの四肢に食い込んでいたのは、小さな小さな、黒い歯車だった。

「ハグル、モン……!?」
「はぐはぐ」

 想定外、は、お互い様だった。
 魔神とワルもんざえモンを分断するこの作戦に、ハグルモンたちは組み込まれていなかった。彼らがここで、こう動くなど、誰も想定してはいなかったのだ。
 だが彼らは動いた。善悪の判断能力を持たず、ただワルもんざえモンたちの言いなりだったはずの彼らがなぜそうしたのか。いや、理由など、あるいは考える必要もないことだったろうか。

 完全体と成長期。圧倒的なスペック差は一対八でも埋まるものではなかったが、ほんの一瞬、僅かだけ、動きを止めるくらいはできる。
 そしてその一瞬が、僅差を埋めた。

「うおおおぉぉぉぉぉ!!」
「っ……!」

 咄嗟に構えたワルもんざえモンの左腕に、熊の鉄拳が炸裂する。いまだ腕を覆う水晶はしかし、その一撃で軋みを上げて小さな破片が散る。砕くには至らない。だが強度は確実に落ちていた。
 再び熊が拳を振りかぶる。ワルもんざえモンも全身に力を込め、突き刺さった歯車を振り払って迎撃の構えを取る。切れた鎖は今の攻防の間にツワーモンが引き寄せ、「取れるものなら取ってみろ」と言わんばかり。目の前の敵を無視して奪いに行くのはまず不可能。
 つまりは、これで正真正銘のタイマン勝負。
 ワルもんざえモンが魔神の力を完全に失うのが早いか、その力にヌヌが倒れるのが早いか――と、相対する二人はそう考えているだろう。

 だから、そう、今なのだ。
 ああ、もう、お膳立てはばっちりじゃあないか、と、小さく笑う。
 ひゅ、と隙間風のような呼吸。それでも目一杯に吸い込んで、そうして、あたしは搾り出すように力の限り雄叫びを上げる。

「ぅ、ぁ、ぁぁあ、あああぁぁーーー!!」

 だん、と地面を踏み締めて、燃料はとっくにエンプティだとアラートの鳴る身体を無理矢理に奮い立たせる。
 ああ、そう、そうだ。あたしはあれだ、勇者なのだからして。ここでやらなきゃ、勇者が廃るってもんだ……!

「ヌぅーヌぅぅぅーーーっ!!」

 軋みさえ聞こえる気のする身体で腕を振り上げる。天に真っ直ぐと突き出したその拳から、まばゆい金色のデジソウルが迸る。

「っ!? なん……」

 光の柱となって立ち上るそれは手前にいたワルもんざえモンの身体を包み、しかし僅かな衝撃だけを与えて通り過ぎる。そう、この世で唯一、勇者の相棒へ、もう一人の勇者へくれてやるためだけのその輝きは、何者にだって奪えも阻めもできやしない。
 そら、受け取れ。そして……あんたが世界を救うんだ!

 光の中でヌヌの翼に再び炎が点る。
 それはどこまでも自由に飛べて、どんな悪者だって叩き伏せる。正真正銘の、勇者の証。

「ぃぃいっけええぇぇぇぇ!!」

 叫ぶと同時だった。
 ヌヌの拳がワルもんざえモンの腹へとめり込んだのは。
 衝撃音は遅れて聞こえた気がした。もはや今のワルもんざえモンには、残像すらも見えてはいなかった。

「――――っ! ぐっ、うっ……!?」
「こいつは、オイラの分だ」

 静かに、だが奥底に猛々しい熱を湛え、ヌヌは言い放つ。
 その拳に怒りと正義を込めて、これまでの旅路を支えてくれたすべての仲間たちへと想いを馳せる。

「そしてこれはぁ……!」

 村を守るためにゴブリモンたちへ敢然と立ち向かった長様。とそれを救うオイラ。
 山道で出会い、黒い歯車に操られていたニセドリモゲモンにともに相対したウィザーモン。その逆転の切り札となるオイラ。
 山を越えた先の村で出会った預言者たち。彼らは見事にオイラの資質を見抜いてみせた。
 預言の山で伝説の剣を手に入れ、盗賊たちのアジトに囚われていた村人を解放した。倒したのはオイラだ。

 風を切り裂く弾丸のような拳が走る。
 そう、その一撃は、

「オイラの分だっ!」

 ワルもんざえモンのアジトで出会ったハグルモンたち。
 敵か味方か、訳のわからなかったダメモン、いや、ツワーモン。
 改心して駆け付けてくれたニセドリモゲモン。
 そしてそんなあれこれの裏で孤高に戦うオイラ。

 右の拳を引き、同時に左の拳を繰り出す。かと思えば目にも留まらぬ速度で再び右拳がワルもんざえモンを捉える。

「これもオイラの分! これもオイラの分! そして以降すべてぇぇ……オイラの分だあぁぁぁぁぁ!!」

 憤激の拳が怒涛の如く押し寄せる。自らの怒りと、自らの悲しみと、自らの不満とか鬱憤とか空腹とか便意とかもついでに込めて。一回ぐらい人の為に戦えとは思うが、ほとんどゼロからこなくそうと気合いだけで搾り出したデジソウルなので贅沢は言えない。
 だが、本能に近いほどの根源的な感情から生じたがゆえ、その力は、強大だった。
 既に焦点も定まらぬ様子のワルもんざえモンへ向け、ヌヌは拳を握りしめる。ここへ至るまでに重ねた思いを積み上げるように、幾重にもデジソウルを纏うその拳が輝き燃ゆる。

「どぅおおおぉぉぉりゃああぁぁぁーーー!!」

 咆哮。次の瞬間、あまりにも速く、あまりにも静かな一撃がワルもんざえモンの腹へと突き刺さる。
 衝撃と轟音は、遅れて爆ぜる。

「がっ……ぁ……――!」

 呻いたワルもんざえモンの全身から、纏っていた水晶が砕けて散る。身体の奥に滾っていたデジソウルが見る見る間に霧散して、ワルもんざえモンは衝撃に四肢をぴくりとも動かせぬまま地上へと吹き飛ばされていく。
 そうして地に墜ち、臥したワルもんざえモンはゆっくりと震える手を空の敵へ伸ばすも、一度だけ小さく唸り声を上げると力無くその腕を投げ出して、そのまま動かなくなる。

 それが……世界征服を目論むワルもんざえモンたちと勇者たちとの、長いようで短い戦いの、決着の瞬間だった――






>>その三 エピローグへ続く