最終話 『花とヌヌ』 その三 エピローグ
「――……ぅほぅやぁいぃただきますっ!?」
叫んで跳び起きて、あたしは寝ぼけ眼で辺りを見回す。ぱちくりと、瞼のない目玉を見開く緑のヌメヌメと目が合った。
「なんつー寝言だよ」
「んあ、ヌヌ……あれ?」
いまいち状況が飲み込めないでいるあたしに、ヌヌは「どこから話したものか」と一つ唸り、
「一日経ったぞ。あのあと気ぃ失ったんだぜ、ハナ」
そう言って横合いを指差す。窓から見えた空は日が高く、どうやら昼間のようだった。
「数日は目を覚まさないだろう、とかウィザーモンは言ってたんだけどな」
「わあ、丈夫。てゆーかワルもんざえモンは? あとあの、ブラストモン」
特に何の後遺症もなく次第にはっきりしてくる頭で、あたしは最後の記憶を掘り起こす。
ヌヌの渾身の一撃を受けたワルもんざえモンは倒れて動かなくなり、それから……のことは一つも思い出せない。その辺りでヌヌの言うとおり気を失ってしまったのだろう。いったい何食逃してしまったというのか。昨日の夕食はなんだ。
「うん、もう大丈夫そうだな。昼飯ならもうすぐだぜ」
「ぐう」
腹の音で返事をして、あたしは昼食までの間、ヌヌから“あの後”の話を聞くことにした。
◆
あの後――ヌヌがワルもんざえモンを倒した後、ウィザーモンとツワーモンがワルもんざえモンを拘束し、これからどうしたものかと満身創痍でしばらくへたり込んでいると、とあるデジモンがやって来たのだという。
あれだけ派手な戦い、近隣の村々は何事かと騒然となり、収束を待って村の自警団の一員であるそのデジモンが様子を見に来たのだそうだ。
彼の村は魔神捜索に駆り出すべく、ワルもんざえモンが支配下に置いていたらしく、事情を聞いた彼は村まであたしたちを連れてきてくれたのだ。
「ここがそうなんだ」
「ああ、ブラストモンのいたとっから小一時間くらいだな。オイラの村よりずっとでかいぜ」
「そっか。てゆーか、そのブラストモンは?」
「あー、それがな……」
男爵がトンネルを掘りまくった地面をツワーモンが沈下させ、ブラストモンは地下へと落ちていった。
ワルもんざえモンと合流させないための、あくまで時間稼ぎの策であったが、聞けば今もあのまま放置されているのだという。
「下手に触んねえほうがいい、ってことになってよ」
何百年前からあそこに眠っていたのか、伝説に語られる魔神の再封印は、さすがのウィザーモンやツワーモンにも手に負えないことだった。
完全復活には百年ちょいくらい、とは本人の弁だ。地中で暴れている様子もなかったらしく、ひとまずはしっかりと埋めておき、後のことは百年後の誰かに丸投げしようという魂胆であろう。がんばれ未来モン。
「いやまあ、一応ウィザーモンたちがいろいろ考えてはいるみたいなんだけどな」
この場にいない二人、ウィザーモンとツワーモンはそれぞれの師に連絡を取ってくれているらしい。
ウィザーモンの師は魔術に関してこの世界で右に出るものがいないと云われるほどの大魔術師なのだとか。封印魔術についても知っているかもしれない、とのこと。
ツワーモンの師・バンチョーレオモンはブラストモンを首だけにした張本人だ。封印に直接関わっていた可能性も高い。
確かに今あたしたちが下手なことをするより、彼らからの連絡を待ったほうが賢明だろう。
「男爵とハグルモンたちは?」
「ああ、ハグルモンなら村のちびたちと遊んでたけど……ニセドリモゲモンはまだぶっ倒れたまんまだな。あいつが一番重傷だ」
満身創痍の身体に黒い歯車で無理に鞭を打っていたのだ、当然だろう。
幸い村には医者もいたそうで、治療の甲斐あって今は落ち着いているそうだ。
つまりは……嗚呼、ボロボロはボロボロなのだけれど、あたしたちは全員無事に、あの嘘みたいな死地を切り抜けたというわけだ。
はあ、と、話を聞いてあたしはぱたりと寝転がり、大きく大きく溜息を吐く。
誰が死んだっておかしくなかった。勘違いと成り行きで始まった勇者の旅も、あれよあれよという間にどえらいことになってしまったものだ。
でも、あたしたちは勝ったのだ。
勝って、守って、生き延びたのだ。
「終わったんだ……」
「ああ、終わったぜ」
なんて言い合って、目配せをして、互いに笑い合う。柄にもなく抱き合いたい気持ちにも少しだけなったが、ヌメヌメなので止めておくことにした。
そうこうしていると扉がそっと開かれて、蝶のようなデジモンが部屋にやってくる。風貌は怪人・蝶女といったところだったが、口を開けば柔和で優しい雰囲気のご婦人だった。
「まあ、お目覚めになられましたか“選ばれし子供”よ」
「うん、おかげさまで。どうもありがとう」
頬の横で手を合わせてにこりと微笑む彼女に、あたしは会釈を返す。横からこそりとヌヌが「村長だぜ」と教えてくれる。上品に礼をする様はなるほど、確かに上に立つものの品位と貫禄を感じた。蝶女は失礼だ、お蝶婦人にしよう。
と、そこまで考えたところでふと、先程の言葉が頭の中で引っ掛かりを覚える。なんとなく流した言葉を反芻して、意味を考えて、おやと首を傾げる。
「お腹が空いておいででしょう? すぐにご用意いたしますわ」
「え、あ、はい」
そう言ってお蝶婦人は部屋から出ていく。残されたあたしはヌヌを見て、目をぱちくりとさせる。
「えと……“選ばれし子供”、って?」
間違いなく彼女はあたしをそう呼んでいたが、それはだいぶ序盤のほうで正されたただの勘違いではなかったか。
最初にあたしをそう呼んだ張本人、ヌヌはてへっと舌を出してみせる。
「なんかそういうことになっちまってよ」
そういうことになっちまってよときたもんだ。
魔神まで倒してしまったのは事実であるが、そこに至るまでの経緯を考えればあまりに大それた呼び名ではなかろうか。こんな選ばれし子供はいなかったろう。これからもきっといない。
ちなみに具体的な経緯は「なんかなりゆきで」である。
「まあ、いいじゃねえか。減るもんでもなし」
「寿命は減りかけた」
「ははっ」
殴んぞこのヌメヌメ。
はあ、と肩を落として首を振る。まあ、確かにあれ以上の厄介事はそうそうないだろうし、これでご馳走のクオリティが上がるだけなら一向に構わない、か。今フラグ立ったろうか。立つな折れろぽきっ。はい折れたぁ。
あたしは自分のほっぺをぱしんと叩き、ネガティブを振り払って立ち上がる。どこからかとてもいい香りが漂ってきていた。もういい、お昼だ。ご飯にしよう。
ぺしんとヌメヌメにデコピンだけして、選ばれしうんぬんは忘れることにした。もにゅんとデコらしき辺りを震わせて、ヌヌはいつもどおりの変な顔で笑う。
「なにその顔」
「なんでも」
「あっそ」
あたしはくんかくんかと匂いを追って部屋を出る。
残されたヌヌの静かに呟いた言葉が、匂いに夢中なあたしの耳まで届くことはなかった。
ふふ、とヌヌはまた笑う。
この子はただの迷子ですと、一言言ってやる時間も元気もなかったわけではない。ただ、誰もそうは言わなかった。
だって、言う必要なんてなかったのだから。
「お前が世界を救ったんだぜ、ハナ」
◆
お昼は豪勢だった。
病み上がりの上に夜には宴を開くからと、婦人は気を遣って昼食を少なめにしましょうかとも言ってくれたのだが、当のあたしは「食べます」と即答した。
そのよだれと腹の虫に用意されたお昼ご飯は、あたしが大の字に寝転べるくらいの丸テーブルを埋め尽くさんばかり。
あたしはもたもたしているヌヌも待たずに椅子に掛け、早速目の前の大皿に手を伸ばす。
「おーっす。うまそーだな」
なんて暢気にヌヌがやって来たのは程なくして。
「なんか空んなってる皿の量がおかしい気もするけど、オイラどっかで時空飛び越えたっけ」
「もぁーぃみっみんおおー。まーああおーぃんほー」
「いや遅くねえよ。結構すぐ来たろ」
「んむっ、あぅおおぃう!? うあっ!」
「お、どれだ? って、ああ!? 極上肉じゃねえかそれ! オイラにもくれ!」
「あーぃおんあぃお!」
「あー、ずるいぞハナ」
ぬじゅると這い寄るヌメヌメから骨付き肉さんを死守し、あたしは美味しいご飯さんたちを胃袋へと迎え入れる。
そんなあたしたちの様子を見ながら、いつの間にかやって来ていた二人が呟いた。
「なぜ通じるのだろうか……」
「ハハ、以心伝心ネ」
心外である。
「もぁ。んむ……ごくん。んあ、ウィザーモン、ツワーモン。おはよ」
「ああ、おはよう。元気そうでなによりだ」
「勇者のタフネス恐るべしネ」
「いやー、それほどでも。って否定しといてよそれ」
と言えば二人は顔を見合わせて、くすりと笑う。
「ん?」
「おっと、失敬。なんでもないよ」
「それよりマスターと連絡がついたネ」
「ああ、私もだ」
「え、もう? ってどうやって?」
あたしが首を傾げると、ツワーモンの後ろからひょこっと見慣れないデジモンが顔を覗かせる。コスチュームだけなら忍者、だがその頭はなぜだかレトロなブラウン管テレビである。
「紹介するネ。ミーの頼もしい仲間、“モニタモンズ”ネ」
「よろしくどぞ」
ぺこりとお辞儀をし、モニタモンズとやらは頭のテレビに笑顔の顔文字を映す。というか、
「ズ、って?」
「ヤー、モニタモンたちの能力は遠隔地にいる仲間との通信。他のモニタモンにはホームで、彼には潜入前から付近の村で待機してもらっていたネ」
「お肉おいしかったです」
決戦の裏で休暇を満喫すんな。
あたしもおいしかったです。
じゅるりとテーブルのお料理を見ながらよだれを垂らせば、ツワーモンがわざとらしく咳ばらいをする。
「さて、ともあれ結論から言うなら……マスターは封印には関わっていなかったネ」
「え、そうなの? もぐもぐ?」
しれっと食事を続けるあたしのことはスルーして、そんな気はしていたが、と小さく零してツワーモンは続ける。おもむろに胸を張って腕を組み、ちょっと低い声で誰かの真似をするように。
「『心滾るよき闘いであった。いずれまた相見えようぞ』……って、再戦する気満々で別れたそうネ」
バトル脳が。
だが確かに、これまで聞いていた人物像とブラストモンのあの状態には違和感もあった。五体を砕いた上に地下に埋めて封印、だなんて、そこまでするような奴はそもそもあんな化け物とまともに殴り合ったりしないだろう。
となれば誰が、という話だが、
「残念ながらああなった経緯は知らないそうネ」
「ほっかー、んむんむ」
「要は収穫なしネ」
といってくるりと身を翻す。ひゅ、と風が吹き、瞬きの間にその身体が小さくなる。ツワーモン、いや、ダメモンは片足を上げてポーズを決め、ウインク一つぶちかまし、
「ソーリィ」
などとほざく。逃げられたつもりか、エセ忍者め。だがまあ、知らないものは知らないのだからそれ以上どうしようもないのだけれど。
「ま、ほーああいよ。ほんえ……」
と、あたしとダメモンは揃ってウィザーモンを見る。ヌヌはお肉しか見ていない。
ウィザーモンは不意にちらりと脇を見て、すぐにあたしたちへと向き直る。
「ああ、私のほうは……」
「それは僕から直接、話すとしようか」
遮るようなその声は、聞き覚えのない声はなぜだかウィザーモンから聞こえた。首を傾げるあたしたちに、ウィザーモンは手に持っていた一冊の本を差し出してみせる。
随分古びたその本は、次の瞬間にぱらぱらとひとりでに開かれて、めくれた頁のその上に、小さな人影が浮かび上がる。
砂色のローブを目深に被り、背には翼。広げた手の上には水晶玉のような球体が浮かぶ。翼以外はこれまで会ったどのデジモンよりも人間らしいが、その大きさはりんご二つ分くらい。まるでお伽話の小人のようだった。
古書の小人はどこかわざとらしい礼をして、先の言葉を続ける。
「やあ、こんにちは。僕はワイズモン。ここにいるモルモットの、おっと、ウィザーモンの師だ」
「随分はっきり言い間違えたものですね!?」
そんなウィザーモンの非難は意にも介さず、書の小人・ワイズモンはあたしを見据えてこくりと頷く。
「君が“ハナ君”か。話は聞いているよ。随分と楽しそうな体験だったね」
「え? あー、ええ、それはもう」
答えてあたしは、ウィザーモンにぼそっと囁く。
「苦労してんのね」
「ああ、とてもね」
ろくな師匠がいないな。
なんて心中で呟けば、それを見透かしたようにワイズモンは肩をすくめる。
「おやおや、朗報を持ってきたつもりなのだがね」
「朗報? え、封印のこと知ってるの?」
問えばワイズモンはふむと唸り、
「封印も何も、ブラストモンはあそこで寝ていただけだと思うのだが」
「……うん?」
「ブラストモンがその気になればクロンデジゾイドの鎖くらいどうとでもなるさ。元々封印などと呼べる代物ではないよ」
なんて、言われてあたしたちは顔を見合わせる。
あの時、ワルもんざえモンがしたことといえば、岩を砕いて顔を揺すって声を掛ける……ぐらいだったなそういえば。実際あの後ブラストモンは辺り一帯を吹き飛ばしていたわけだし、何の足しにもなっていなかったのは馬鹿でもわかる。いや今わかった。
「遺跡があったのだろう。おおかた先住民が神像かなにかと思い、奉っていたか、あるいは……まあ、いずれにせよたいした経緯でもあるまい」
事もなげにそう言って、ワイズモンは首を振る。ウィザーモンがそっと視線を逸らし、ツワーモンはどこかわかっていたようにただ腕を組んで頷くだけだった。ヌメヌメは目を見開いて肉を食っている。
「えと、つまりは……」
「結局ほっとくしかねーのか」
体積の二倍くらいの肉を頬張りながらヌヌが言えば、ワイズモンは頷く。
「まあ、そういうことだ。幸い今は大人しくしているようだしね」
「そっかー。う~ん、せめて村の人たちに話して見張りでも立ててもらう? あ、なんかありますって宣伝してるようなもんかな」
「ああ、それも含めて村長たちと話をするつもりだよ」
「今、他の村にも声を掛けてるとこネ」
「事はもはやこの小世界全体、いや、場合によってはデジタルワールド全域に及ぶ話だからね」
あんなナリでも魔神は魔神。それは直接対峙したあたしたちが誰よりよくわかっている。
あれ単品で世界征服だのという話にはならないだろうけれど、ワルもんざえモンのようにその力を利用しようとするものはいずれ再び現れてしまうだろう。その辺りの対策も考えなければ本当の意味で解決とはいえない。
やれやれ、RPGのように魔王を倒してはいオシマイ、とはいかないなものだな。現実って厳しい。
はあ、と揃って溜息を吐く。折角の祝賀ムードだったが、空気はどうにも重苦しい。
そんな中、ヌヌだけがあっけらかんと、食べていたお肉を飲み込んで言う。いつの間にか流れてしまっていたその話を、ひょいっとつまみ上げてみせる。
「そんでよう、結局朗報ってそれか?」
なわけないよな、というニュアンスでヌヌが言葉を促せば、ワイズモンは微かにふふと笑う。
「おや、もう話を続けていいのかな」
なんて皮肉げに肩をすくめ、おもむろにあたしを見据える。
「君が元の世界に帰る方法についての、ね」
突然のその言葉を、あたしは理解するに少しの時間を要した。ヌヌたちもまた同様に、なぜだかウィザーモンさえも驚いている様子だった。
「かえる……え、帰る? どゆこと?」
「ああ、弟子が面白いものを見付けてね。詳しいことはその当人が睨んでいるので後にするが、とりあえずは我々に任せてくれ給え」
「あ、うん……うん?」
言われて見ればウィザーモンがどこか咎めるような表情をワイズモンに向けていた。
「ウィザーモン?」
「っ、いや、なんでも……後で話すよ」
そんな様子には皆一様に首を傾げるが、誰もそれ以上を問いただすことはしなかった。なんだかややこしい事情があるだろうことくらいは、さすがに察しがついた。
そんな妙な空気を振り払うように、ダメモンがふと声を上げる。
「あ、そいやこっちも一個だけグッドなニュースがあったネ」
「え、なになに?」
「ワルもんざえモンたち、うちが預かるネ」
なんていうダメモンの言葉に、あたしたちは思わず顔を見合わせる。
聞けばワルもんざえモンたちは今、自分たちのアジトにあった地下牢にぶちこまれているそうだ。警察みたいな組織があるわけでもなさそうだし、確かに村長たちとしても扱いには困っているだろうけれど。
「自分に用があるなら連れてこいってマスター言ってたから、丸投げしちゃえばいいネ」
「バンチョーが?」
「文句言ってみた甲斐があったヨ」
言ったのか。
「ま、みんながいいなら、だけどネ。なんなら今のうちにボコっちゃう?」
「別にいいよ、そんなの。いいよね?」
と、皆を見れば一様に頷いてみせる。
悪を憎んで熊を憎まずだ。てゆーかもう十分ボッコボコにした。
「オッケー。んじゃ後で村長たちにも聞いてみるネ」
あたしはちらりとヌヌたちに目をやり、うんと頷く。
まあ、万全の魔神を真っ向から叩きのめした化け物なら大丈夫だろう。ワルもんざえモンたちは大丈夫じゃないかもしれないが、そこはあたしたちの知ったこっちゃない。
「そんじゃまあ、そんな感じで。ウィザーモンたちの話はいつにする?」
「そうだね、夕食の後に時間を貰えるかい?」
「ん、わかった。じゃ、一旦解散。かな」
「ああ、手間を取らせたね。ゆっくり休養してくれ」
そう言って席を立つウィザーモンにひらひらと手を振り、あたしは再びお肉に手を伸ばすのであった。
◆
食事を終えた後は皆の様子を見に行くことにした。
最初に向かったのは村の診療所。暢気にお昼ご飯を食べておいてあれだが、男爵の容態はやはり気掛かりだった。
気絶するほど殴り合った後にドーピングで痛みをごまかして戦い続けたのだ。あたしたちの中で間違いなく一番の重傷だったはずだ。最悪も、有り得たろう。
全身に包帯を巻かれ、よくわからない光の球を身体に乗せられ、横たわる姿は痛々しいものだった。男爵と、声を掛けても反応はなく、倒れてからまだ一度も意識を取り戻してはいないらしい。お医者さんの話によれば容態も安定し、数日で目を覚ますだろうということだったが、具体的にいつになるのか、ワイズモンの見付けた方法であたしが帰るまでに間に合うかは、誰にもわからなかった。
「これでお別れなんてヤだからね、男爵」
物言わぬドリルをそっと撫で、あたしは診療所を後にした。
広場ではハグルモンたちが村の子供たちと遊んでいた。
同じに見えても性格は違うらしく、追いかけっこをする子や歌と踊りに混じる子、なんか浮かんで回ってる子、それを眺めている子と、様々だった。
あたしが声を掛けると八車八様の反応が返る。
今まで切羽詰まっててあれだったが、一回見捨てかけたりもしちゃったけれど、よくよく見ると中々可愛い子たちだった。
彼らが遊び回っている広場の中央では宴の準備が進められていた。これが自分たちのためのものだと思うと背中がむず痒くなる。祭壇のようなところには「こちらが神様になります」とばかりに黄色い熊が奉られていたが、流すことにした。
村を散策していると見知った顔とも再会した。
詳しいことは言わずに別れたが、盗賊に捕まっていた預言者の村のデジモンたち、アジトで料理を振る舞ってくれた燃えるコックの米良さんや、金塊をくれたケンタウルスの健太くん、クッキーを焼いてくれたアルラウネのウネ子ちゃんもあたしたちを心配して様子見に、と、お礼を言いにわざわざ来てくれたらしい。
なぜここが、というならお告げがあったからだそうだが、相変わらずしれっとすごいなあの預言。回りくどいけど。
ここには来ていない土田さんやなまはげさんのところにも、時間があれば後で挨拶に行ってみるとしよう。幸い足なら祭壇にある。
「さて、と」
一通り村を回り終え、手持ち無沙汰になって伸びをする。あたしのお散歩になんでかついてきていたハグルモン――ハグ太郎と名付けよう――を撫でながら空を見る。じきに夕方、ご飯ももうすぐだろう。
「はぐはぐ」
「ん、なぁに? 遊んでほしいの?」
「はぐはぐ!」
「あはは、しょーがないなー」
なんとなく解るようになってきた気がしないでもないハグ太郎の言葉に笑って返す。きゃりきゃりと歯車を鳴らすハグ太郎と、きゅるきゅるとお腹を鳴らしながら再び広場へ戻ることにした。
◆
「ぶるるぁぁー!」
魔神が雄叫びを上げる。逃げ惑う子供たちを執拗に追い回し、夕餉の香りが漂う平和な村を我が物顔で闊歩する。
悲鳴を上げる子供たちの一人が思わず袋小路に逃げ込み、はっと振り返る。にたりと、魔神は獲物を睨み据えて薄く笑う。その手が小さなデジモンへと伸び――瞬間、ごがんと、魔神の後頭部に金属塊がぶつかる。
衝撃に魔神は倒れ込み、子供はするりとその横をすり抜け、袋小路から脱する。
魔神はぷるぷると震える腕を上げ、
「るぁぁ~~……無念ぶるぁ」
しかして魔神は、魔神ハナさんは力尽きるのであった。
「全力で遊びすぎだろ」
病み上がりって知ってた? と呆れるヌヌに、起き上がっててへぺろする。
思いの外に勢いよくぶつかった金属塊、ハグ次郎が少し心配そうに寄ってくるが、勇者の頭は頑丈なのだからして、平気だよと笑ってやる。ホントに痛くないが知らないうちにデジソウルとか漏れてたかもしんない。あたしちゃんと普通の中学生に戻れるかな。
「まあいいや、飯だぜ」
「やったあ! お腹ぺこぺこ」
「そんだけはしゃいだらそうだろ」
「みんなー、いっくよー」
おー、と手を挙げる子供たちを引き連れ、広場へとそぞろ歩く。絵面は完全にガキ大将のそれであったという。
◆
あたしたちのために開かれた宴は、それはそれは豪勢なものだった。
近隣の村々からもデジモンたちが集まり、夜を通して飲めや歌えやの大騒ぎ。「なんで人間が?」などと問い掛けてくる、まったく事情も知らずに騒ぎにきただけの奴も混じっていたが、細かいことはまあよしである。
あたしはお皿を片手に村中を回り、ご馳走の数々をいただいていく。途中でヌヌから「それ取り皿じゃねえから」という謎の茶々が入ったが、構わずちょっとした盾みたいな取り皿にお料理を乗せていく。
熟成極上肉のステーキ。ブラックデジマスのポワレ。黄金デジタケのポタージュ。挑戦ニンジンとサクラ鳥大根のサラダ。クサリカケメロンのまるごとシャーベット。どれもこれもが目新しくて美味しくて、あたしもついつい食べ過ぎてしまう。
「胃袋バーストモードかよ」
「あぅむ?」
掛けられた声に振り返ればこれでもかと食べ物を詰め込んで肥大化したヌヌがいた。お前が言うなとツッコミ待ちだろうか。でも忙しいので肩だけすくめてお食事を再開する。
「はあ、元気でなによりだよ。それよりウィザーモンが呼んでたぜ。時間できたら来てくれってよ」
「あむ、ほむ、ごくん……ウィザーモンが?」
◆
ヌヌに案内されてやってきたのは村外れの遺跡のような場所だった。所々が崩れた石階段に腰掛け、手にした本の上の小人と何やら話していたウィザーモンにおまたーと声を掛ける。
「ハナ君、随分早かったね。食事は……」
気付いたウィザーモンは立ち上がり、山盛りのお料理が乗った大皿を抱えるあたしと、山盛りのお料理を口に詰め込んだヌヌを見て、言いかけた言葉を途切れさせる。
「わりぃな、途中なんだ」
「そのようだね。まあいいさ」
なんて事もなげに言うのは師匠のほう。絶句する弟子には構わず、あたしたちを見ながらふむと唸り、
「コードクラウンの話は、彼から聞いているね?」
「ん?」
「コードクラウン?」
思ってもなかった問いに記憶を掘り返す。聞いた覚えはぼんやりあった。確か、
「男爵のトンネルでたまたま見付けたやつ?」
「ああ、奴らの目的(キリッ)ってあれな」
「そこについては忘れてもらっていいのだが……まあ、それだよ」
ヌヌの余計な一言にウィザーモンは顔を逸らしながら言う。やめてさしあげろ。
「結論から言うなら、コードクラウンを使ってゲートを開こうと思っている」
「え? そんなことできるの?」
「ああ、コードクラウンには外界との出入り、ゲートの開閉を制御する力がある。リアルワールドへのゲートを開くことも、恐らく可能だろう」
「恐らくかよ」
「生憎本物にお目にかかれたことがなかったものでね。詳しくはこれから調べてみるが、それなりには期待してもらっていいと思うよ」
なるほど。まだなんとも言えない状態ではあるようだが、糸口すら欠片も見えなかったこれまでより格段に状況は好転したようだ。ワイズモン……賢者の名は伊達ではないということか。いや、弟子をディスったわけではないけれども。
「私たちはこれからすぐにでも向かおうと思う。可能であったとしても実際にゲートを開くまで数日はかかるだろう。君たちはゆっくり療養していてくれ」
「そういうウィザーモンはもう大丈夫なの?」
と問い返せばすかさず師匠が言う。
「君たちに比べれば何もしていないに等しいからね。問題ないよ」
「命懸けで戦ったつもりですが!?」
なんて抗議は至極真っ当だった。
「あはは」
「あははて。笑ってやるなよ」
「ごめんごめん。でもわかってるよ」
あたしはぽんと、ウィザーモンの肩を叩く。
「それじゃ、ちょっと任せるね」
「ハナ君……ああ、任せてくれ!」
力強く頷くと、ウィザーモンは呪文を唱えてマントを翻し、その身を夜の空へと躍らせる。
「いい友達ができたようじゃないか」
「ええ、おかげさまで」
飛び立つ間際、そんな師弟のやり取りが聞こえた。
勇者の戦いを支えてくれた頼もしい仲間、ウィザーモンに後を託し、あたしは……なにはともあれ一旦ひとまずとりあえずは、ご飯の続きを食べることにした。
◆
翌日は昼を少し過ぎた頃に目を覚ました。食べて飲んで歌って踊って、途中から記憶はないが気付けば朝だった。
宴会の残り物を朝ごはんにいただき、文字通り泥のように眠るヌヌを叩き起こし、あたしたちはこれからのことを話し合った。
ワルもんざえモンたちを倒した勇者の噂は、近隣の村々へどんどん広まっているそうだ。おかげで勇者、つまりはこのあたしを一目見ようとデジモンたちが続々と村へやってきているらしく、宴はまだまだ続くという。であれば主役がいなくなるわけにはいかないだろうから、あたしが村に留まることも致し方なしであり、折角持ってきてくれたご馳走をいただかないのも失礼というものだから、今夜も食べまくったってオーケーどころか人としてそうすべきなのである。
「じゃあしばらく村にいる方向で」
「異議なし」
という感じで秒で方針を決定し、あたしたちはじゅるりとよだれを飲む。
そんなこんなで、宴はそれから更に三日続くこととなる。
そうして、四日目。
さすがにもういいかと思い始めた頃、見計らったようなタイミングで吉報は飛び込んでくる。それも、二つ。
一つはウィザーモンからの連絡だった。
デジヴァイスを介した交信魔術により、明日にもゲートを開けそうだと報せが入った。
村人や集まってくれたデジモンたちに挨拶をし、名残惜しいが村を発つ準備を進めている最中、吉報はもう一つ届いた。
報せを受けてあたしは、お土産の宴飯弁当を詰め込んだリュックも置いてすぐに診療所へ向かった。
「男爵っ!?」
診療所へ飛び込むなり思わず大きな声を上げてしまう。あ、と口を押さえてお医者さんに頭を下げる。
そんなあたしに、目を覚ました男爵はぐっと親指を立ててみせた。
「大丈夫、なの?」
「なあに、これしき……」
答えた声は弱々しい。けれど、意識ははっきりとしているようだった。
お医者さんからも「もう大丈夫でしょう」と言われ、あたしは胸を撫で下ろす。
「すまぬが、何か飲み物を、一杯……いや、二杯いただけるか……」
男爵は震える手で指を一本、二本と立てて言う。すぐに用意してもらったのはクサリカケメロンの生搾りジュース。病人に飲ませるようなものなのかという気もしたが、お医者さん的にもオーケーだというので男爵の枕元に片方のグラスを置いて、
「はい、でも少しずつね? 一気に二杯も……」
「いや、一杯は勇者殿に……」
「え?」
そう言って男爵は片方のグラスを指で押し、あたしが手に持ったままのグラスへ寄せて、
「かん、ぱい……」
と、精一杯の笑顔で言う。
「発たれると、聞いて……宴の、約束を……」
「……うん、乾杯」
ちん、とグラスの縁と縁とを合わせて小さく鳴らし、あたしたちは戦場で交わした約束を果たすのだった。
◆
グラスの飲み物をちびりと飲んで、たったそれだけでも疲れた様子の男爵を半ば無理矢理寝かせ、あたしは診療所を後にした。放っておいたら這ってでも見送りまできそうだったが、「今度会ったらいっぱい話そ」と去り際に言ったあたしの言葉に、男爵は少し驚いたように、けれど笑って頷いてくれた。
診療所を出ると外にはダメモンとチューチューモン、そしてハグルモンたちが待っていた。
「元気だったネ?」
「うん、今眠ったとこ」
「そっか。よかったネ」
「うん」
よかった、と、あたしはまた胸を撫で下ろす。
「ミーたちももう少ししたら村を発つネ」
「道場に帰るんだね」
「その前にハグルモンたちを送ってくネ」
「あ、そっか。がらくたの町、だっけ?」
元々その町から連れ去られたハグルモンを助ける依頼を受けたのだと、そう言っていたな。一回聞いたきりだったがよく覚えてたなあたし。偉いぞ。
「ワルもんざえモンたちは仲間が引き取りにきてくれることになってるネ。とりあえずはそれ待ちネ」
「へえ、ちょっと会ってみたかったな」
「ハハ、ミーと違って愛想のない奴ネ。まあ、チューチューモンよりはマシだけ……あいたっ!」
なんてじゃれてる二人を見ながら、あたしはハグルモンたちと笑い合う。ほんとに仲いいなお前ら。
「じゃ、これで最後だね」
「ハハ、別に死ぬわけでもないネ」
「そっか。うん、そうだよね」
「そうネ」
ダメモンの言葉に頷いて、あたしは二人に向き直る。
「ダメモン、チューチューモン、元気でね」
「イエア、ハナちゃんも元気でネ。ほら、チューチューモンも挨拶するネ」
言われたチューチューモンはそっぽを向いて「けっ」と吐き捨てて、けれどもぴっ、と、顔の横で気怠そうに指を立ててみせた。そんなチューチューモンに、あたしもまた指を立てて笑う。そうして、
「ハグ太郎、ハグ次郎、ハグ吉、ハグ子、ハグ美、ハグルド、ハギー、ハグ之丞」
ハグルモンたちを順に見ながら名前を呼んで、あたしの気持ちを察したようにわらわらと集まるみんなに、ばっと腕を広げて、まとめて抱きしめてやる。
「元気でね、みんな」
「はぐはぐ……!」
◆
「じゃ、行くか」
「うん、行こう」
屈んだ熊の背に乗って、あたしは村のみんなやダメモン、チューチューモン、ハグルモンたちに手を振る。
「もじゃさんとか土田さんたちにも挨拶しときたいんだよね」
「おう、んじゃついでに寄ってくか」
お蝶婦人たちに別れを告げ、あたしたちは村を発った。
ひとまず最初に目指したのはもじゃもじゃ村長たち、例の預言者の村だった。
小一時間ほど滞在し、村を出た後のこと、預言の結末を伝え、そしてお別れの挨拶をした。
それから、今度は土田さんたち、平原の村へとやってきた。
同じく小一時間ほど話をして、挨拶をして、そうしてウィザーモンの待つ鉱山へと向かうことにした。
◆
あたしたちが鉱山へ着いたのは、日が少し傾きかけた頃だった。
「ウィザーモン、来たよー」
坑道を進みながら、そう言えば具体的にどこにいるかは聞いていなかったのでとりあえずあてずっぽうに声を掛けてみる。
しばらくそんなことをしているとどこからか遠いウィザーモンの声がして、すぐにデジヴァイスからはっきりとした声が響く。
『ハナ君? 早かったね、私たちなら一番下だよ』
という声の後、立体映像のジオラマ地図がデジヴァイスから投影される。
地図の示す通り、ウィザーモンが土の魔術で掘ったのであろう小さなトンネルを進み、鉱山の奥へ奥へ、下へ下へと潜っていく。
やがてやってきたのは開けた地下空間。大理石のような石材でできた床と壁。ほんの十メートル四方ほどの部屋の中央には祭壇らしきもの。坑道とは明らかに違う、見た目はまるで神殿。土の魔術のトンネル以外に出入口は見当たらず、鉱夫が作ったものとは到底思えない不自然な場所だった。
「ハナ君、ヌヌ君」
祭壇の上から掛かった声に目を向ける。地下室は松明もないのに妙に明るく、石材自体が光を発しているようだった。
薄明かりの中にウィザーモンの姿を認め、祭壇を上り、あたしたちは数日ぶりの再会を果たす。
「どうだ、開けそうなのか?」
「ああ、問題ないよ。既に九割方は掌握できている」
ヌヌの問い掛けにワイズモンが答える。確か世界征服とかにも利用できるものだと聞いていたが、そんな簡単に乗っとれていいものだろうか。ウィザーモンは悪用なんてしそうもないが、師匠のほうはガンガンしそうな気がすごくする。
「おや、心配そうだね勇者君」
「だ、大丈夫だよ。ゲートを開く以外に使うつもりはないから」
「ああ、だが安全にゲートを開くためには何ができて何ができないか、しっかりと把握しておく必要はあるがね。ふふ」
「おい、こいつ悪用する気満々だぞ」
「師匠っ!?」
と思わず声を上げるウィザーモンに、しかしワイズモンは肩をすくめてみせる。
「まあ、確かに僕は私利私欲で使う気でいるが」
「認めやがった」
「だが安心したまえ。僕の欲なんてささやかな知的好奇心ただ一つさ。支配や破壊に興味はないよ」
代わりに秩序や平和にも興味はなさそうだが。という言葉はひとまず飲み込むことにした。だって勇者もお家には帰りたいのだもの。
「ま、まあ、ともあれ明日には開けると思うよ。それで、二人は今夜は……」
「ん、ああ、一回帰ろうと思ってよ」
「ヌヌの故郷がすぐそこだからね。バロモンさんにも挨拶したいし」
「そうか。ならまた明日だね」
「うん、じゃあもうちょっとお願いね」
「ああ、任せてくれ」
そうして、ウィザーモンとワイズモンに一度別れを告げ、あたしたちは鉱山を後にする。
茜色の空を二人、再び翔ける。
行きは果てしなく思えたその道程を、行きとは見違えたヌヌの翼で逆順に辿り、あたしたちは始まりの、あの村へと戻ってくる――
◆
「うぃっすー、長様ー」
突然空から襲来した謎の熊に、そのあまりにフレンドリーな挨拶に、バロモンさんは随分と驚いた様子だった。だがその姿をまじまじと見て、背中から降りたあたしを見て、やがてその正体を察し、また驚く。
「なんと……ヌメモンか! 進化したのだな」
「おいおいー、ヌヌって呼んでくれよな」
「はは、そうであったな」
バロモンさんは熊の肩を叩き、あたしに向き直って微笑んでくれる。
「ハナさん、ご無事でなによりです。ご活躍は風の噂に聞いておりました。本当に、ありがとうございました」
「いやぁ、あはは」
「おおーい、オイラもがんばったんだぜー?」
「ああ、お前も本当にご苦労だったな、ヌヌ。この村の長として、とても誇らしく思う」
「お? おう、へへ、そっかな~」
なんて、褒められて照れ臭そうに身体をよじらせる。
この村で育ったヌヌにとっては親代わりのような人。もしかしたら、一番褒めてほしかった相手なのかもしれない。
それだけでも、ここへ帰ってきた甲斐があったというものだ。
「それで、ハナさん。村にはいつまで滞在される予定で?」
「うん、明日まで。仲間が帰る方法見付けてくれてね」
「なんと……そうですか。では一晩ですが、どうぞごゆるりと。たいしたもてなしもできませんが」
「ありがとう。あ、あたしまた味噌スープ飲みたいな」
「ははは、わかりました。腕によりをかけましょう」
バロモンさんは腕まくりをしながらそう言って笑う。
そんなこんなで、あたしはこの世界での最後の一夜を、この始まりの村、リリリン村で過ごすことになったのである。
◆
「今日はオイラんち来いよ」
というヌヌのお誘いで、あたしはヌヌの家に厄介になることにした。
「家あったんだ」
「いや、あるだろ。なんだと思ってんだよ」
「あはは、そりゃそっか」
なんて他愛のない会話を交わし、夕食までの時間を潰す。バロモンさんたちが用意してくれたご飯を村の広場で皆と一緒に食べて、熊を脱いだヌヌを見て皆が驚いたりとかもありつつ、ヌヌんちのは個性的が過ぎたのでバロモンさんちでお風呂をいただいて、あたしは夕涼みのお散歩をすることにした。
村の広場にある祭壇の縁に腰を下ろし、静かな夜の村を見渡す。祭壇は村のお祭りで使うものだそうだ。次のお祭りはまだしばらく先だそうで、残念ながら参加はできそうもない。
「いいとこだろ」
そんな声に、あたしは振り返らずに小さく笑みを零す。ぬめぬめとやって来て、ヌヌはあたしの隣に座って空を見る。
「何してんのさ」
「星見てんだよ」
「ロマンチストか」
「ほっとけ」
あたしたちはお互いを見なかった。ただ夜空を見上げて語り合う。
「“星”もそうやって見付けたんだっけ」
「あー、占いのやつな。そうだったな」
「結局あの熊ってどっから降ってきたんだろうね」
「さっぱりだな。はは、謎が残っちまったな」
そんな心底どうでもいい話。世界を救う勇者なんかじゃない、ただの女の子と、ただのヌメモンのお話。
「そいや、お蝶婦人から聞いたんだけど」
「オチョー? ああ、バタフラモンか」
「ご飯も食べないで看ててくれたんだってね」
誰より頑張って戦って、誰より疲れていたはずなのに、あたしが目を覚ますまでずっと、夜の間もずっと、傍を離れなかったと、そう聞かされた。
ヌヌは肩らしき辺りをすくめてやれやれと溜息を吐く。
「余計なこと言うなぁ、あいつ」
そんなヌヌを一瞥し、あたしは夜空を仰いで笑う。
「あたしのこと大好きかよ」
「へへ、バレちまったか」
事もなげにそう返したヌヌに、あたしはいたずらっぽく笑ってやる。
「ふうん、そっか」
「……そうだろ?」
問い返すその意味に、また笑う。
「ふふ、そうかもね」
「そっか」
「そだよ」
なんでもないそんな話をしながら、あたしがこの世界で過ごす最後の夜は、そうして更けていく――
◆
目を覚ますとヌヌの姿はなかった。
バロモンさんたちがヌヌの家に用意してくれた寝床の上で、昨日は遅くまでどうでもいい話ばかりをした。途中で寝落ちしたようだが、ヌヌは早々と起きたらしい。
「ヌヌー?」
起き上がって顔を洗い、歯を磨き、バロモンさんが朝食の用意ができたと呼びに来ても、ヌヌは戻ってこなかった。
バロモンさんちへ向かうがてら、欠伸をしながら朝霧の中へ呼び掛ける。と、それはどこからともなく颯爽と姿を現すのだった。
「とう!」
という掛け声とともに影が舞う。くるくると回転しながら跳躍し、あたしの目の前に降り立って、そして熊は片手を軽く上げてポーズを決める。
「呼んだか、セニョリータ?」
「呼んだけど……なにそのノリ?」
「ははー、別に? いつもどおりだぜ?」
「ふぅん……まあ、いいや。ご飯だって」
「オーケイ、んじゃ行くとするか!」
なんていう、テンション高めな熊と一緒にバロモンさんちで朝ご飯をいただく。
あたしお気に入りのリリリン風味噌スープ。何かは知らないがナンに似たパンと、マッシュポテトみたいなサラダ。スープ以外は日本食にかすってもないが、どこか懐かしさを感じる素朴なご飯でお腹を満たす。
「ごちそうさまー。おいしかったー」
「お粗末さまです。はは、それはよかった」
「いようし、腹も膨れたな! では参ろうぞ!」
「いや、何キャラよ」
いやに急かすような熊に促され、余韻もそこそこにあたしは村を発つことにした。バロモンさんや村のちびちゃんたちにお別れの挨拶をして、無駄に華麗なポーズで羽を生やした熊に乗り、あたしはリリリン村を後にする。
空であたしは、はあ、と溜息を吐いた。
◆
空の道中、ヌヌは喋りっぱなしだった。
預言者の村では実現した預言そのものだと持て囃され、まるで神様扱いだったそうだ。
別れる前にツワーモンからは道場へ誘われたらしく、面倒だが少し興味はあるという。
村に帰ったばかりだが、折角手に入れた翼で世界を旅してみるのもいい、だとか。これからのことを、ヌヌは楽しそうに語る。
そう、これからの、明日からの話を。
そんな話をしながら、程なくして鉱山へと到着する。
何も言わずとも現れた立体地図に従い、再びあの地下室を訪れる。
「ボンジュール!」
「やあ、ハナ君、ヌヌ君。おはよう」
「おはよう、ウィザーモン。それにワイズモンも」
「ああ、準備はできているよ」
昨日より一層明るくなった地下室、その中央を視線で指して、ワイズモンは言う。
光源は一目でわかった。祭壇の上、何もない、昨日までなかった空間に、光が瞬いていた。
ばちばちと放電するように明滅する光の亀裂を一瞥し、ウィザーモンは語る。
「これからゲートを開く。だが長時間安定させることは難しそうだ。開いていられるのはほんの数秒だろう」
「まあ、入ってしまえば一瞬だ。問題はなかろう」
そう補足するワイズモンに頷き、ウィザーモンはあたしと、ヌヌを見る。そして静かに問い掛けるのだ。
「お別れは、済んでいるかい?」
ああ、本当にこれで最後なのだなと、いやでも再認識させられる、そんな言葉。けれども熊は至っていつもどおりに、いや、先程までどおりにおどけて言い放つ。
「はっはー、ノープロブレムだ! ピロートークなら昨日済ませてきたとこだぜ」
「え? あ……そ、そうかい?」
思ってもなかったであろう反応にウィザーモンは少し戸惑い、ぽそりと耳打ちするようにあたしに問う。
「ヌヌ君、どうしたんだい?」
誰が見たっておかしな言動、は、いつもどおりと言えばいつもどおりか。
どうもこうも今朝からずっとこの調子だったが、まあ、どうしたかくらいはわかっていた。
だから……だからあたしは、そんなあんたとそのままバイバイする気は更々ない。
「どうしても寂しいんならハグでもしてくかい、セニョリータ? はははー」
「ヌヌ、あーん」
「あーん?」
間抜け面で訳もわからず口を空ける。思わず空けてしまっただけだろうが、あたしは構わずその口に、勢いよくずぼりと手を突っ込んでやる。
「おぅんむっ!?」
なんて声を上げるが、あんたのお口はそこじゃあないでしょうに。
ごそごそぬるぬると、中を探ってぐわしとそれをわしづかむ。そのまま引っ張り出して、
「寂しいのは、あんたでしょうが」
がらんどうの熊の頭の上にでんと乗っけてやる。
引きずり出されたヌヌは、おかしな顔であたしを見ていた。
「恥ずかしがってんじゃないっての」
「っ……ハナ……」
寂しさをごまかすように無理して明るく振る舞って、顔を合わせないよう熊の中に隠れて、まったくこいつは、いつまで経ってもへたれのまんま。
「泣いちゃいそうならハグでもしたげよっか?」
「……泣いてねえし」
「はいはい、そうね。泣いてない、泣いてない」
やれやれと、肩をすくめてやれば、むすっとした顔で言い返してくる。
「ハナだって強がってんじゃねえかよ」
「ははー、べっつにー?」
「へ、嘘だねー。オイラとお別れすんのほんとは寂しいんだろ」
「あらあら、言うじゃない。引きこもってベソかいてた癖にー」
「かいてませんー。ちょっと力に酔いしれたかっただけですー」
なんて言い合うあたしたちにウィザーモンがおろおろと戸惑う。
けれど、当のあたしたちは次第に可笑しくなって、とうとうお互いを見ながら噴き出してしまう。
「酔いしれても、もう自力で戻んなさいよ」
「そうだな、気をつけるよ」
それは本当に、本当の、最後のお別れ。
何を言うつもりだったろう。沢山時間はあったのに、気の利いた言葉は何一つ用意できなかった。
けど、そんなものは端から必要なかったと、互いに向き合って気付かされる。
じゃあね。
じゃあな。
言いかけた言葉を、けれども鼻で笑ってぺいっと捨てて、あたしたちは目一杯の笑顔を浮かべる。
シリアスな英雄譚には程遠い、こんなずっこけ珍道中にしみったれたお別れは似合わない。
「またね!」
「またな!」
ぱあん、と手と手を打ち合い、あたしたちは吐き捨てるように言い合う。
放課後の教室でクラスメートと交わすように、今生の別れだなんて欠片も思っちゃいない、そんな言葉を。
嗚呼、わかってる。どうせまたどっかで会うことになる。忘れた頃にでもひょっこり出てくる。そうに決まってるんだ。
だから、だから……!
「……ウィザーモン、頼むわ」
ぽつりとヌヌが言う。ウィザーモンは何も言わずワイズモンと頷き合って、おもむろに祭壇の亀裂の前に立つ。
杖を構え、呪文を唱えれば、亀裂が火花を散らしながら広がっていく。
穴が空いていた。
ライトグリーンの光のラインに縁取られた、空間を穿つトンネル。奥には電子基盤に似た幾何学模様の広がる不思議な空間が見えた。
その先があたしの世界、リアルワールドなのだろう。
あたしは小さく息を吐いて、トンネルに向かって数歩を踏み出す。
その場に立ったまま、しかし身体が吸い込まれていく奇妙な感覚。あたしは振り返り、見送る三人に微笑みかける。
「ウィザーモン、ワイズモン、ありがとう」
「ああ、私のほうこそ。元気でね」
「君のお陰で楽しい実験ができたよ」
「ブレないね」
ウィザーモンには本当にお世話になった。彼がいなければそこそこ序盤のほうで詰んでいたことだろう。
ワイズモンは完全な変人だが、こうしてあたしが帰れるのは彼のお陰だ。
ここにいない仲間たちにも、語り尽くせないほど感謝している。彼らの誰が欠けてもあたしは今ここにいなかった。
そして最後に、もう一度だけヌヌを見る。
掛けるべき言葉はもうなかった。
掛けてほしい言葉もなかった。
にかっと、ヌヌが満面の笑みを浮かべる。
オイラのことなら心配すんな、とでも言うように。
だからあたしも、ただ精一杯の笑顔で応えた。
そうして視界は、眩い光に包まれる。
それが、世界の片隅で巻き起こった珍事を巡る、勇者たちの物語のラストシーン。
あたしと、雨宮花とヌヌの物語は、こうして幕を閉じるのであった――
【花と緑の】
-おしまい-