第五話 『花と縫包の乱 前編』
人はなぜ山に登るのだろう。ある人は言った。そこに山があるからだと。山は眺めるものだろうか、登るものだろうか。答えは人それぞれであろう。
ここに登山者がいる。求めるものがあって山へと登るのだ。ただ、それが何かは分からない。本当にあるのかさえも分からない。類推の山は答えをくれない。自らの足で登り、自らの目で確かめねばならないのだ。
「これが、首刈りの峰か」
平原をてくてくぬるぬると歩き始めてからおよそ一日。野を越え野を越え野を越えて、何もない原っぱで夜を明かした翌日の昼前。ようやく辿り着いた山の麓から平らな山頂を見上げる。何もない、ただただ何もない山だった。登山道すらなかった。何より食べ物がなかった。
「ねえ、ヌヌ」
「我慢してくれ」
「まだ何も言ってないけど」
「もう何回も聞いたけど。見ての通り他に食べ物なんてないんだって」
そんなことは知っている。知っているが納得などできるはずもない。最後のご飯は昨日のお昼のお弁当だ。つまりまともな食事をもう丸一日もしていないことになる。平原にアホほど生えてたデジタケとかいうキノコでここまでどうにか食いつないで来たものの、いい加減に成長期のお腹は未調理のキノコ以外のものをご所望である。てゆーかそろそろ頭から傘くらい生えそうだ。
「ヌぅ〜ヌぅ〜」
「駄々こねたって無い物は無いんだよ。霞でも食んでみるか?」
仙人か。ふざけやがってと毒吐いて、ぷくっと頬っぺを膨らませる。そんなものでこの胃が満たされてたまるものか。やるだけはやってみるけれども。
「つーかそろそろ預言にも興味もってくれよ。昨日から飯の話しかしてないぞ」
「だってキノコ飽きたんだもん」
深ぁく息を吸っては吐いて、山の空気を調味料にキノコをかじる。うむ。意外に悪くはなかったが、しかしやはりこれで満足してしまうわけにはいかない。キノコはキノコである。肩を落として道なき道を行きながら、少しくらいは気が紛れないかとデジヴァイスをコチコチといじる。液晶に浮かんだ文字は相変わらずちっとも読めやしない。というか、ヌヌにすら読めない文字らしい。そして連絡は、いまだ取れない。
暇潰しに何度もいじっている内、薄ぼんやりと思い出したのは「交信魔術の受信機」という魔術師の言葉。「受信機」とわざわざ言ったからには、素直に考えるならそもそも「送信はできない」ものなのだろう。頼りたくても頼る手段がないわけである。また向こうから連絡してくれるのを待つしかあるまい。また行き倒れてなきゃいいけど。
「しっかし、ほんと何もねえ山だな」
「黄色い星すらなかったらあたし暴れるけど」
「暴れる元気はあるんだな」
「死力を尽くすわ」
「そこまでして!?」
そこまでするとも。何を驚くのかこのヌメヌメは。せめて一矢報いねば死んでも死に切れないではないか。誰に何を報いたことになるかはさておくとしても。
「え、キノコ? キノコがそんなに不満なの? あんなにお腹いっぱい食べたのに?」
「ヌヌ、満腹と満足は違うのよ」
惚けたことを抜かしやがる。お腹と心が満たされてこその「ご馳走様」である。
「そ、そうか。いや、確かにそうかもしれないな。ところでそういうことなら、オイラ今そこにヘビーいちごを見付けたんだけど」
「ヘビ……なんて?」
「ヘビーいちごだ。ほら、そこ」
少しの間を置いて、弾かれるように振り向く。ヘビー……いちごぉぉぉ!?
数メートルの距離を一足に跳び、山道に自生するでっかい真っ赤ないちごに、いや、いちご様に傅くようにヘッドスライディングする。
「い、いちご!? いちごだよヌヌぅ!!」
「お、おう。そんなにか」
そんなにだよ!?
「た、食べられるんだよね勿論!?」
「ああ、大丈夫だ。食べるとすっげー体重増えるけどな!」
「たい……え?」
なん……だと!?
体重が増えると、そう言ったのか。それもすっげー増えるだと? あたしとて乙女の端くれだ。気になるお年頃だ。でもまあいいか。
ぱくっとお口に放り込む。
「おいひぃ〜!」
「割と躊躇なかったな」
どうせ山登りでカロリー消費するからいいの。と、口いっぱいに広がる甘味と酸味に酔いしれながら、まだまだ続く山道を眺める。
「まだあるかな」
「そりゃ一個だけってこたないだろ」
「そっか。ヌヌ、あたし頑張れそう」
「なによりだ」
俄然やる気が溢れてきた。二、三往復はいけそうだ。スキップしちゃおうかしら。
軽やかな足取りで山道を進む。その割にスピード自体は緩やかだった。必要以上に辺りをキョロキョロしていたからである。苦行でしかなかった山登りが宝探しに思えてきた。あたし大好き、“いちご狩りの峰”!
◆
緩やかな上り坂が続く山道をえっちらおっちらと進む。昼を過ぎて数時間。あたしのお腹がおやつの時間を告げた頃、ちょうど十個目のいちごを摘み取った時だった。不意に視界が開け、風が吹き抜ける。いちごを頬張りながら辺りを見渡す。上り坂が途切れ、そこには木々が疎らに生えるだけの平らな地面が広がっていた。
「どうやら、ここがてっぺんみたいだな」
見上げれどもう道はない。ヌヌの言う通りここが山頂。刈られた首の切断面というわけだ。もうちょっと言い方あったな。
ごっくんといちごを飲み下す。結構なお点前でございました。うん。いい山だ!
ふいーと息を吐いて、首をぷらぷらさせる。また周囲を見渡して、うんと頷く。
「それで……ええと、何探すんだっけ?」
「いちごで頭いっぱいか。星だよ、星。“黄色い星”!」
「ああー、そうそう。星ね、星」
「しっかりしてくれよ。そのために来たんだぜ」
あたし的には他に当てもないから仕方なくだけど。という本音は、さすがに胸の内に仕舞っておくことにした。
ここまで来たら何もせずに帰るのも悔しいし、帰ったところでまた途方に暮れるだけだ。騙されたつもりで探してみるとしようか。まあ、とはいえ星と言われても具体的に何かもよくわからないのだけれど。
大きく息を吐き、伸びをして、また溜息を吐く。正直怠かった。
「さあ、張り切って探そうぜ。世界を救う“希望の星”をよ!」
などといい顔で言われては断り辛い。モチベーションを保つためには星が三割でいちご七割くらいのやる気で探すしかあるまい。致し方なしである。
そんな決意を胸に、平らな山頂をうろうろしながら辺りを見回す。まあ、痩せた木々以外に遮蔽物もない、見通しの良すぎるこんな場所だ。そう時間を要することもないだろう。
「あ」
なんて思いながら探索を始め、時間にしてほんの一分にも満たないくらいのことだった。あたしのやる気とはまるで関係なしに、あまりにもあっさりとそれが姿を見せたのは。
あたしとヌヌはぽかんと口を開けたままただただ立ち尽くし、互いに顔を見合わせた。
◆
黄色というなら、黄色だった。薄汚れて少し赤みの差したそれは想像した黄色とはかなり違っていたが、黄色かと言われれば黄色には間違いないだろう。
そして星というなら、百歩譲ればまあ星であろう。浅いクレーターのど真ん中に埋まるその様は、確かに空から降ってきたように見える。
けれど剣というなら、そこだけは首を横に振らせてもらいたい。こん棒を剣と呼んだからには単純に武器という程度の意味かもしれないが、あたしの目には少なくとも武器にさえも見えなかった。
「ねえ、ヌヌ」
「……何だ?」
「ひっぱたいていい?」
「もうちょっと待ってもらえる?」
それが何かというなら、何かはわからない。薄汚い黄色の、もこもこした何か。無理矢理何かにたとえるなら、彩色を間違えてトゲを付け忘れたサボテンだろうか。まだまだ全然遠いが、頑張ってもこれ以上の言葉は浮かびそうになかった。語彙のなさが悔やまれる。
「と、とにかく抜いてみようぜ。な?」
「抜いてからひっぱたけばいいの?」
「まだ何かもわかんないだろ。抜いたらすげえの出て来るかもしれないぞ」
このもこもこが光輝く剣の柄か何かだとでもおっしゃるのか。無理がある。とても無理がある。どんなバランスだ。たとえ刀身が出て来ても使い辛くてしょうがないし、そもそも使おうとも思わないぞそんなもん。
「ほら、ハナ! とにかく抜くだけ抜いてみようぜ?」
「まあ、こんなとこまで来ちゃったしやるだけはやるけど……覚悟はしておくのね」
「こういう場面で必要な覚悟ってそういう奴だっけ……」
ごちゃごちゃ煩いヌメヌメである。華麗に流して、あたしはもこもこをわしづかむ。両腕を大きく広げ、抱き着くような恰好で謎の物体を引き抜かんと踏ん張ってみる。一動作遅れてヌヌもまた引っ張りはじめる。ぬりゅぬりゅぬりゅぬりゅと相変わらず力仕事は足しになりそうもなかったが、だからと言って「指をくわえて見ていろ軟弱者が」などとは決して言わない。あたし独りが頑張るのは納得いかないからである。寿命を削るぐらいに頑張れ軟弱者が。
「ふぅ〜うぅ〜ん!!」
「ふぐぬぅおぉぉ!!」
野太いデュエットが山の空に響いて溶ける。もこもこがぐにょーんと伸びるが埋まった部分はちっとも顔を見せない。深々と突き刺さりすぎだ。こういうのって普通はすんなり抜けるものではなかろうか。抜けないのはあたしたちが選ばれた勇者ではないか、あるいはこれが選ばれた勇者とか全然関係ないただの謎の物体かのどちらかだ。
あたしは両の足でしかと地面を踏み締め踏ん張って、歯列を火打ち石のように打ち鳴らして益々力を込める。あたしは一体何をしているのだろう。そんな思いも過ぎったが、言い出したら負けな気がしたので考えないことにした。この場合の選ばれた勇者とは“岩に刺さった伝説の剣的なものを引き抜きに来たのに山に刺さった謎のもこもこを引っこ抜く羽目になった”という逆境にもくじけない者のことかもしれない。
「ヌヌぅ〜! もっと気張って!」
「やってるよ! ハナこそもっと頑張るんだ!」
「あたしのが頑張ってるしぃ!」
なんて叫び合う、とても無駄なエネルギーを浪費しつつも、血管がはち切れるぐらいにもこもこをひたすら引っ張り続ける。そのままびくともしないなら諦めようかという気にもなれたが、残念ながらちょっとずつ抜け始めていたのでこのまま頑張るしかなかった。嗚呼、神よ。あなたはなぜこんな感じの試練ばかりをあたしに与えるのですか。もう少しスタイリッシュでドラマチックな奴がいいです!
とか言ってももはや後の祭りではあるのだけれど。めりめりと広がる地面の亀裂が一際大きな音を立て、瞬間、腕に込めた力が空を切る。すぽん、などという間抜け極まりない効果音ととも、遂にもこもこが地面から引っこ抜かれる。勢い余って宙を舞い、もこもこを掴んだままのあたしとヌヌを諸共に振り回す。くるくるくるくると独楽のように回る。誰がというならあたしがである。ついでにもこもことヌヌもである。絡み合う謎の未確認回転物体はそのまま四回転半ほど円運動を続け、やがて力尽きて無様に崩れ落ちる。端から見ていたら間違いなく指を差して笑っていたところだが、生憎当事者なのでちっとも笑えなかった。
「くっ……!」
すっ転んで砂利まみれになりながら、唇を噛んで起き上がる。そろそろ泣きたい。ここまでやってもこもこがただのもこもこなら、あたしは勇者として邪悪なる緑の汚濁を正義の名の元に討たねばならなくなってしまうだろう。土を払い、ゆっくりと振り返る。隣に転がるもこもこを見て、菩薩のような顔で微笑む。
何というなら、熊だった。
妙にやらしい目をした、不細工な黄色い熊のぬいぐるみ。いや、二メートルはあろうそのサイズと背中に見えるファスナーからして着ぐるみか。頭の部分が丸々地面に埋まっていたようだ。触った感じ中身は空っぽだろう。入っていたらあたしはもう金輪際着ぐるみを直視できなくなる。
念のためにもう一度感触を確かめてみる。うん、間違いなく中身はない。安堵の溜息を吐いて、あたしはおもむろに熊を掴む。
「ヌヌ……!」
「ああ、遂に見付けたな!」
呼び掛ければいい顔で頷いてみせた。あたしはよっこらしょいと熊を担ぎ上げる。すうと息を吸い、
「な・に・を・だああぁぁぁぁ!?」
そして熊をぶん回す。正確には熊の足を掴んで自分ごと回る。こうか? こうやって使うのか!? ええ!? 答えてみろ汚濁ぅぅぅ!!
「にゅあぁぁぁ!? 何をするんだハナ!?」
我が必殺のジャイアントベアスイングをにゅるりとかわし、ヌヌが驚いた顔で叫ぶ。相変わらず器用に避けるものだ。一先ず熊を下ろし、肩で息をしながら第二撃に向けて力を溜める。
「ふー! 抜いてから殴るって言わなかったかしらぁ?」
「言ってたけど! 待って待ってちょっと待って!? 長様が言ってたんだって!」
「へえ? 熊で撲殺されるって?」
「違う違う! 確か、あれだ! そう……“小さき勇者は黄色き星をまといて真の勇者にむにゃむにゃ”とか」
「寝言おおぉぉぉ!!」
簡潔に突っ込んで第二撃を繰り出す。さあ、落とし前をつけてもらおうか。熊すら逃げ出すような顔で三撃、四撃と熊を振り回す。逃げるヌヌ。追うあたし。平らな山の頂に、悲鳴と怒号がこだまする。
◆
空が青かった。澄み渡る晴天を大の字に寝転がって見上げる。汗だくの泥まみれになりながらぜひゅーぜひゅーと荒い息を吐く。身体の内外を激しく行き交う空気に起伏の少ない胸が上下する。今何て言ったぁ!? これからだもん!
心の中で叫んで、頭を抱える。あたしは何を言っているんだ。酸欠で脳みそがポンコツになっているらしい。落ち着け落ち着け。酸素酸素あいにーど酸素。大きく息を吸って、よし! 落ち着いた!
さて、と上半身を起こして、爽やかに笑う。
「じゃあ、帰ろっかヌヌ! 今日のご飯は何かな?」
「いやいやいや、待ってくれ。落ち着いてくれ。まだ何も成し遂げてないから!」
「え? まだやるの? 熊振り回すのもう疲れたんだけど」
「振り回さなくていいから! 振り回すものじゃないから!」
なんて必死な顔でぎゃーぎゃー喚く。半分くらいはほんのジョークだってのに、ユーモアのないヌメヌメである。そんなんじゃ女の子にモテないぞ。ユーモアの問題じゃない気はするけど。溜息を吐いてやれやれと肩をすくめる。
「じゃあ何に使うのよ、こんなもん」
「いや、だから言ってんじゃん! 身にまとうんだって! ほら、明らかに着る奴だろ!?」
着る奴だけれども。着る状況では絶対にないからね。ぽりぽりと頬をかく。転がる小汚い熊を見て、また溜息を漏らす。
「ええと……誰が?」
一応聞いてみる。小さな勇者が着るとか言ってたか。勇者と言えばこの辺の村でアンケートを取れば圧倒的支持率であたしであるわけだが。一応、一応である。ヌヌは一瞬ぽかんとしてから眉間らしき辺りの粘膜にしわを作り、
「いや、だから勇者が……てゆーかハナが」
と返して不思議そうな顔をする。ああ、はいはい。成る程ね。あたしね。そうね、勇者だものね。
「ヌヌ」
「うん?」
「のーせんきゅー! 帰るよ」
親指をぐっと立てていい顔をする。さあ帰ろう、今すぐに。荷が重い。いろんな意味で。あたしよくやったと思うの。間抜け面を浮かべるヌヌをほったらかしてすたすたと歩き出す。ヌヌが声を上げたのは三拍ほど遅れてのことだった。
「ちょ、ちょっと待って! 待って! 一回待って!?」
「待たない。着ない。帰る」
最低限の言葉でお断る。間違ったことは一つも言っていない。まあ、最後の奴に関してはそれが勇者のやることかと言われたら返す言葉もないのだけれど。
「わ、分かった分かった、ちょっと待って! じゃあオイラ! オイラが着るから!」
「はい?」
「要らないならいいだろ? オイラが貰っても」
「そりゃいいけど……え? そんなに欲しいの、それ?」
「いやいや、だって“黄色き星の剣”だぜ? やっと見付けたんじゃないか!」
まだ信じてるのかそれ。もはや狂信的できもい。おかしな宗教にハマってたっかい壷とか買っちゃうタイプだな。あんのか知らないけど。ともあれ、何にせよあたしにはただの燃えるゴミでしかない。粗大かな。まあいいや。
「はあ、好きにしたら」
「ホントか! ありがとう、ハナ!」
「どういたしまして」
手をひらひらさせてさっさと入り給えと目で語る。目算できるおおよその体積からして入ったところで動くこともままならなそうな気もするが、そうなったら中身ごと置いて帰るまでのことだ。せめて帰る前に「小さな勇者ヌヌ、ここに眠る」とだけ彫っておいてやろう。
なんてあたしの内心にはまるで気付きもしない顔で、ヌヌは目をきらきらと輝かせ、張り切っていますと言わんばかりに肩をぐるぐると回す。みたいな仕種をする。横たわる物言わぬ熊の傍らに立ち、その口をぐにーんと開いて軟体を押し込んでいく。ゲロの逆再生みたいでとても不愉快だった。チャックって知ってるかな。ぬりゅぬりゅと緑の汚濁が次第に熊の口の中へとぬめり込む。にゅぽん、という意図的な嫌がらせを疑うような音を立て、ヌヌの姿が完全に熊の中へと消えた。
「……ヌヌ?」
少しの沈黙。分別は粗大と生でいいかしら。とか考えていると、不意に熊の手足がぴくりと震える。両手を地面に突き立て、膝を擦りながらゆっくりと起き上がる。二歩三歩とたたらを踏んで、ふらふらしつつもどうにか両の脚で立つ。体積の配分は謎だが、どうやら墓標にせずには済んだらしい。
「どう?」
と、問えど、答えは帰って来なかった。眉をひそめる。ヌヌin熊はゆらりと手足を揺らし、感覚を確かめるように間接をこきこきと鳴らす。どっちのどこが鳴っているかは知らないが。
「ちょっと? ヌヌ?」
「…………ふぉ」
あたしを無視するなんていい度胸じゃないかと、頭を小突いてやれば小さな声が漏れる。漏れるが……ふぉ? 眉間のしわを益々深く、首を傾げれば、ふと熊が空を仰ぐ。すう、と息を吸い、そうして――布地を引き千切るようにその口を大きく開く。
「ふぉっ……ふぉっふぉふぅうぅぅぅぅ!!」
雄叫びが、山の空を突き抜けた。突然の奇声にさすがのハナさんもびくりと震える。
「たたたたたたぁぁぁぎぃぃぃぃうるあぁぁぁぁぁ!?」
先程までとは打って変わって激しく全身を震わせる。まるで自分の中の異物を搾り出そうとするかのように雑巾の如く身をよじらせる。絡み合ってのたうちまわる無数の芋虫でも見ているようだった。ただただぽかんとする。
「ぬぅあんだあぁぁぁ!? なんだこのちからわあぁぁぁ!?」
ぐりんと首を回してあたしを見る。もはやホラー以外の何物でもなかった。熊はなぜか高速スピンをしながら跳び上がり、あたしの目の前に着地する。喰われるかと思うほどの剣幕で大口を開いてなおも叫ぶ。
「たぁぎぃるぅぅうるるぁぁ!? たぎるぞぉ!?」
「そ、そう。よかったね」
としか言えない。ええと、何が起きているんだっけ。とりあえず近いから離れようか。軽く頭突きをするほどに迫る熊をぐいぐいと両手で押し返し、リアクションがよくわからないので一先ず苦笑いをする。
「いいい今なら! 今ならぁ! 世界さえもこの手にぃぃいぃぃぃ!!」
「せ、世界? え?」
「いぃぃくぞおおぉぉぉぉ! ハナあぁぁ!!」
「は? え? 何が!?」
問い返した時にはもう走り出していた。あたしをひょいと肩に担ぎ、山道なんぞ知るものかとばかりに岩壁と木々の上を跳び繋いで山を駆け降りていく。道なき道を爆走するその速度はぬめぬめ這っていた頃とは比べ物にもならない。何がどうしてそうなったかはさっぱりだが、どうやらどうにも劇的なレベルアップを果たしてしまったらしい。
「やぁああぁぁぁ!?」
足で風を切る。なぜ足かというなら向かい合う形で抱えられたせいで前後が逆だったからである。見る見る山頂が遠ざかる。浮遊感が心地悪い。前が見えないから余計に怖かった。ヌヌは引き続き奇声を上げていた。
「ちょちょちょっとぉ!? ストップストップ!!」
「あひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「あひゃひゃじゃなくて!?」
いよいよ言葉も通じない。上体を無理矢理反らしてどうにか目だけを前に向ける。僅かに見えた熊の横顔、その目は、完全にいっちゃった人のそれであった。ばしんばしんと後頭部を叩いてみるも、まるで構わず我が道を突き進む。嗚呼、成る程ね。駄目な奴だこれ。頭を抱えて、ぐぬぬと唸る。そんな時だった。熊の進行方向から誰かの声が聞こえたのは。
はっと、もう一度目を向ける。瞬間に見えたのはぎらりと光る熊の目と掬い上げるような右拳。そして視界を一瞬に過ぎる影。
「もんパーンチゃ! あひゃひゃ!?」
同時に聞こえるトーンを上げた熊の狂喜の声と、鈍い音。
慌てて影を目で追えば、人間大の何かが宙を舞っていた。掲げた熊の右腕と宙の影を交互に見て、ぽかんとする。熊の右アッパーが何かをぶっ飛ばしたことだけは一拍遅れて理解できたのだけれど、何がどうしてそうなったかは勿論さっぱりである。
「え? ちょ、えええ!? 今の誰!?」
「知るかあぁぁーー!! あっひゃっひゃっひゃっ!」
敵でも現れたのかと問えば、熊はとても愉しそうに即答する。高く高く弧を描き、遥か後方に落ちた誰かを目を丸くして見る。僅かにモヒカンが見えた。ような気がしないでもなくもなかった。うん。モヒカンだ。きっとモヒカンだ。そうに違いない。あたしたちを追って来た盗賊を返り討ちにしたのだ。決して通りすがりのパンピなどではない。そう自分に言い聞かせる。はい、解決。
「あぁぁーーひゃっひゃっひゃっ!!」
そんなあたしの葛藤など知ったことかとばかり、舌とよだれを垂らしながら熊は右腕をぐるんぐるんと回す。あたしを抱えた左腕をそうしないだけの理性はまだあるようだが、それも時間の問題という気がすごくした。てゆーかあたし今かつてないくらいにピンチじゃないのこれ!?
「ヌヌ! ヌヌ! ストップ! おすわり! あたしの言うこと分かってるよね!? 分かってんでしょ!?」
「あひゃひゃひゃひゃ!?」
「ちょっとぉ! さっき会話できたでしょ!?」
「ひゃあぁーひゃっひゃっ!!」
「この……!」
べろんべろんと舌を揺らし、明後日の方向を見据えて突っ走る熊に、さすがのあたしもそろそろ我慢の限界だ。こめかみ辺りに太く血管が浮かび上がったことさえ自覚できた。なんでこいつは力に溺れてなんかいるんだ。鏡を見ろ。そのビジュアルとキャラで起きるイベントかなぁこれ!?
ふー、と大きく息を吐く。一度だけ、後一度だけ勘忍袋の緒を締め直すことにした。頭を振って、血管を引っ込める。ぽんぽんと、優しく頭を叩いて優しく呼び掛ける。
「ヌヌちゃん。最後よ。止まりなさい?」
「あっひゃあぁぁーーひゃっふぅ!!」
ふふ、と微笑む。あらそう、そうなのね。そうきちゃうのね。よっこらしょい。あたしは身体をぐりんと半回転させ、左腕と左足を真っ直ぐに伸ばす。冷たく笑って、肘と膝に力を込める。
「歯を食いしばれ」
「ふぉ?」
あ、そうれ。
瞬間、渾身の肘打ちと膝蹴りが、熊の顔を前後から挟み打つ形で炸裂する。ともすれば貫通するほどに深々と突き刺さり、熊の顔がぐにゅりと変形する。鈍すぎる音が鼓膜を突いて、熊からくぐもった変な声が漏れる。
「ぽっ……ふぉおぉぉ!?」
熊がふらつく。腕の力が次第に抜けていく。ここが好機と、あたしは熊の腕から這うようにして抜け出す。膝を熊の肩まで上げ、頭をわしづかんで肩の上で半立ちになる。そうして、駄目押しのもう一発をくれてやる。
「せいやぁっ!!」
「ぽふぉ!?」
いつ投げ出されてもおかしくない不安定な足場から、熊の側頭部にドロップキックをぶちかまして反動で自ら跳躍する。ずどむ、と足が頭に減り込む嫌な感触と嫌な音がした。宙を舞う自分自身と倒れゆく熊がスローモーションに見えた。一瞬を置き、勢いよく転倒した熊が頭で斜面を滑る。ずりりりり、なんて音を立てながら。大根おろしみたいだな、と体中捻れに捻れてぴくぴくと痙攣する熊を冷めた目で見る。勿論自分もすっ転んだのでどっちもどっちな恰好ではあったが。
あたしはゆっくりと立ち上がり、泥を払うこともしないままに熊へと歩み寄る。熊を静かに見下ろして、その肩にそっと手をかける。
「ヌヌ」
「……ぽ?」
名を呼べば、まだちょっと正気には戻り切れていない感じの声が返ってくる。ふふ、大丈夫よ。これが最後だから。
後ろから優しく熊の胴に手を回す。抱きしめるようにぎゅっと力を込めて――そして、雄叫びを上げる。
「いっぺぇえぇぇん……!」
地鳴りがするほどに強く強く地面を踏み締めて、力の限りを込めに込めて熊を抱え上げる。血潮が熱くほとばしり、筋肉が唸りを上げる。そのまま上体を真後ろに逸らして、熊の脳天を岩盤に叩きつける。
「死んでこおぉぉーーーいぃぃ!!」
「ぎゃひぃん!?」
高く高く、遠く遠く。悲鳴と轟音が響き渡る。
それはそれは見事な、ジャーマンスープレックスであったという。
◆
「ヌヌちゃん、落ち着いたかしら?」
「あ、はい。すんませんした……」
正座してうなだれる熊の頭をぺちぺちと叩く。熊はとても素直に反省の言葉を口にした。あたしの愛と勇気が起こした奇跡によってどうやら正気を取り戻してくれたらしい。小刻みに震えているように見えるのは恐らく気のせいだ。もっぺん首刈りの峰に頭から没したがちゃんともっぺん引っこ抜いてあげたもの。あたしは肩をすくめてやれやれと溜息を吐く。
「それで、ええと、結局何がどうしたわけ? 何なのそれ?」
「いや、あの、なんかよくわかんないんだけど、思いの外ジャストフィットして……生まれ変わったみたいっていうか、なんか妙にたぎってきて」
「それはもう聞いたけど」
「あ、はい。え、えっと、そんでその、何て言うか、なんだか今なら何でもできそうな気がしてきたっていうか」
「勘違いね」
「はい、そうです……」
だって女子中学生に肉弾戦で負けて正座させられているのだもの。世界なんて夢のまた夢である。だが、とはいえ何の足しにもならないレベルアップではない。いまだ疑心だらけではあるもの、あるいは本当に預言の“黄色い星”ではないかという思いもミリ単位で辛うじて抱きはじめたところである。
「とにかく、なんかわかんないけどパワーアップしたのね」
「はい。ちょびっとだけさせていただきました」
俯きながら熊は言う。なぜそこまで謙虚でそこまで元気がないかはさておき、思い描いていたブツと若干違っていたこともさておき、何はともあれあたしたちは“星の剣”らしき何かを手に入れたわけだ。手に入れたのかなあ。まあいいや。
「で、戦えるの?」
「ハナ以外となら」
きりっと即答する熊の言葉には多少引っ掛かる部分もあった。あったが、どっちの意味でかとかは聞かないでおくことにした。あたしはふうと大きく息を吐き、盗賊団のアジトがある方角を見ながら頷く。熊がゆっくりと立ち上がる。
「そんじゃまあ、ええと……行ってみる?」
「ああ、今の脚力なら駄目でも逃げ切れるしな!」
「そうね。物は試しってことで」
伝説の武器を手にした勇者一行の会話とは思えなかったが、伝説の武器とは思えないビジュアルなのだからしょうがない。会話内容とは裏腹に精悍な顔で不敵に笑い、がしっと拳とか合わせてみたりする。相手が熊でなければ格好良いシーンだったろう。無い物ねだりしても仕方がないので雰囲気で押し切ろう。
ざりゅ、と歩調を揃えて互いに大地を踏み締める。威風堂々と肩で風を切る。いい感じのBGMが聞こえた気がした。そうしてあたしたちは――再び決戦の地へと向かう。
◆
勇者を待つ魔王とは、どんな気分だろうか。
仲間を増やし、伝説の武器を揃え、魔王の配下を弱い順に倒してじわじわとレベルアップを繰り返す。そんな勇者を、玉座でただ待つ魔王とはどんな気分だろうか。もう互角以上に戦えるのにまだ来ない、まだまだ力を蓄えようとする勇者を、魔王はどんな顔で待つのだろう。
弱者が努力と友情で勝利してこその正義なのだと、あたしは思うのだ。
最初に気付いたのは、高台の見張り役だった。遠く立つ土煙に目を細め、何かはわからないが異常であることだけは理解して、声を荒げて仲間を呼ぶ。だが、そんな必要は既になかった。
岩肌の大地を叩く重厚な足音。地を揺らし、粉塵を巻き上げるそれを皆が視認するのに、そう時間は必要としなかった。
ゴブリモンたちがこん棒を手に、迫り来る何かを迎え撃とうと臨戦態勢に入る。牙を打ち、眼光を鋭く磨いで、雄叫びを上げる。そうして――ゴミ屑のように散る。
「ああああぁぁぁーーっひゃっひゃっひゃっ!!」
鬼すら戦く形相で奇声を上げ、行く手に立ち塞がるすべてを蹴散らしながら爆走するのはそう、熊である。顔が恐ろしいのは頭につかまるあたしが目の窪みと口を取っ手代わりにしているためだが、後は大体自前である。
「ヌヌ! いた! もうちょい左!」
熊の左目に引っ掛けた左手をぐいと引っ張り無理矢理首を回す。熊自身は見るからに暴走しているがそれは半分。手綱はしっかりと握れている。ここまでの道程でこのロデオの操舵はおおよそマスターした。ぐにんと歪んで左を向く顔に釣られ、熊の進路がやや左に修正される。
「て、てめえは……!?」
熊の頭の後ろから顔を覗かせるあたしに、熊の行く手に立つ青の鬼人が声を上げる。氷柱のようなものを片手に構え、牙を剥く。オーガ三兄弟の三男坊・ヒョーガモンである。三男なのは最初に見付けたからである。そんなことはどうでもいいとして、ともあれ、遂に再びの邂逅を果たしたのだ。今こそ雪辱の時は来たりというわけだ。互いの眼が強く戦意の火を点す。瞬き程の間に交わす眼光が火花を散らし、そうして、
「あん!」
熊の右拳が三男の顔面を真芯で打ち据える。悲鳴すら上げる間もなく吹っ飛ぶ三男に、しかし熊は目もくれずになおひた走る。熊のその目が次に捉えたのは赤の次男坊だった。
「どぅ!」
熊のえぐるような左拳が次男の腹へと減り込む。何か言いながら何かしようとしていた気もしたが、一瞬だったのでよくわからない。
「とろわぁっ!!」
そして最後に控えるのは勿論緑の長男・オーガモンである。多分。あたしがそれを認識できたのはバレリーナのように跳んだ熊の右脚が、オーガらしき何かを高く高く蹴り上げたその後のこと。今更だが毒はもう大丈夫だったろうか。今となっては瑣事であるが。すたんと降り立ち、勝鬨であろう咆哮を上げる熊の頭の上で、あたしは数十匹のゴブリンもろともに宙を舞うオーガ三兄弟をただ呆然と見る。状況を一言で語るなら、十把一絡げである。
やったー、って喜んでみて大丈夫かな。勇者として。一応差し控えておくことにした。
「ふぅうぅーーひゃっふぉーおおう! あひゃーい!!」
そんなあたしの気持ちなんぞ知る由もないであろう熊は、どんこどんこと胸を叩きながら絶叫する。布と綿とヌメヌメでなぜそんな音がするかは謎である。てゆーか熊ってドラミングとかしたっけ。
「ひゃーひゃーひゃーっふぉぉぉーーうぅ!!」
ふうむと顎に手を当て考えて、二秒でどうでもよいことに気付いて考えるのを止める。とりあえず今はこっちである。あたしはよいしょと熊の肩に足を掛けよじ登る。熊の頭の上に立ち、そっと片足を上げる。そうして、せいやと雄叫ぶ。
「はぷぉん!?」
眉間目掛けて振り下ろされた踵の一撃に、熊が面白い悲鳴を上げる。ドロップキックの時とはまた違うな。こめかみ辺りに回し蹴りとかならどんな声がするのかな。
ぐらんぐらんと揺れる熊の頭から飛び降りて、十点満点の着地を決めながらそんなことを思う。顔を押さえながら呻いて悶える熊を冷めた目で見る。どうでもいいがどっちのどこに痛覚なんてあるのだろうか。
「おおぅ……! ハ、ハナ! してない! まだ暴走してないから! ちょっとテンション上がっただけだから!」
「あらそう」
「あらそう!?」
「ごめんごめん。それより、ホントに倒しちゃったのね」
オーガが眠るであろうモヒカン塚を眺め、頬を掻く。あまりにも虚しく呆気ない幕切れだったが、何にせよこれでグラ……グリ? グレイシア非行浪漫? とやらも終わりか。うん。今更だけどそんな名前だったかな。大分初期の段階から間違えていた気もするが、まあいいか。どうせ今潰れたし。
「へへ、まあな! 最後はハナの出番なかったな」
「あらまあ、何を言ってるのかしら。あたしがコントロールしてたんだからこれもう限りなくあたしの手柄でしょ」
「えええ? マジでか!」
がーんという効果音が聞こえそうな顔であたしを見る熊に、思わず噴き出す。
「あはは、冗談よ。ヌヌ、とにかくぐっじょぶよ。誉めたげる」
「お、おお、ハナ! なんか素直にそう言われると逆に戸惑うけど、とにかくやっとオイラを認めてくれたんだな!」
いや、あんな一騎当千の大活躍をされてはさすがのあたしも素直に認めざるを得ない。というか一体あたしを何だと思っているんだこの熊は。鬼とか悪魔か。心当たるな、まあまあ。
「もー、素直に喜びなさいよ。風穴空けちゃうゾ?」
「お、おぅ。わ、悪かったよ。てゆーか怖いんだけど」
小悪魔のような顔で悪戯っぽく笑えば、熊はなぜだかとても怯えた風に表情を引きつらせる。表情筋があるとは思えないがそんな風に見えた。実に失礼である。空けようかな、風穴。
「まあでも、ここまで来れたのは間違いなくハナの力があってこそだけどな」
そんなフォローはあたしの内心を目ざとく察してのことだったろうか。いや、あたしも邪推は止めるとしよう。何にせよ、過程はともかくとして遂に救世の勇者となれたのだから。そんなことは瑣事でしかない。そして今更だが盗賊団を一つ潰したくらいで世界を救ったことになるのかどうかも些細な問題である。
「それじゃここは一つ、二人の勝利ってことでオッケー?」
「おう、そうだな!」
酌み交わす祝杯のように、高く掲げた拳と拳を合わせて笑う。遠い空に浮かぶ銀の太陽がそんな二人を優しく照らす。こうして、あたしとヌヌの長いようで短い冒険は、文句なしのハッピーエンドをもって幕を閉じるのであった。
花と緑の、改め、花と黄色の――完!
◆
「どうもありがとうございました、救世主様!」
「いやいや、なんのなんの」
深々と頭を下げる村人たちに照れ笑いをしながらひらひらと手を振る。盗賊団が壊滅したことで解放された、付近の村々からさらわれてきた村人たちである。彼らと一緒にオーガたちをふん縛った後、改めてお礼を言われる。完とか言ったけどまだイベントあった。
首領であるオーガ三兄弟が倒れ、残るゴブリンたちは正に蜘蛛の子を散らすように逃げていった。方々にとんずらこいた雑魚どもを一々追うのはさすがにめんどくさ……じゃなくて、あたしたちだけでは手が足りないので断念した。とはいえ、もう何もできはしないだろう。そこそこのトラウマも植え付けておいたことだし。悪さしたらまた熊が来ちゃうゾ!
なんてことを考えていると、当の熊はす巻きにされたゴブリンをひょいと投げ捨て、ぱんぱんと手を払う。積み上げられたゴブリンの山から呻き声が聞こえた。モヒカンがゴミのようだ。熊か悪魔かわかんないな。
「さあて、後片付けもこんなとこか。そんじゃあとっとと帰って祝勝会といこうぜ!」
さすがのあたしも今のゴブリンたちには同情せざるを得なかった。得なかったが。
「さんせー! ねえねえ、こん中にすんごい料理上手い人いるんでしょ?」
祝勝会と言われては意識がそっちに全部行かざるを得なかった。やむを得まい。きらきらと星が浮かぶような純粋過ぎる目で、ウネ子ちゃんが言っていた村一番の料理人とやらを探す。村人たちはとても戸惑っていたが構うものか。美味しいは正義である。
「え、えっと、それでしたらあちらの……おや?」
この子かな、それともこっちかな。なんて楽しそうにキョロキョロしていると、見兼ねた村人その一があたしの後ろを指差し何かを言いかけて――ふと、その動作を中途で止める。空を見上げて訝しげな顔をする。釣られて視線を向ける。上へ上へと顔ごと上げて、その影を見る。ばさばさと、風にはためく外套。片手はとんがり帽子を押さえながら、もう片方の手には杖。逆光を背に舞い降りるそのシルエットには、見覚えがあった。
「ハ、ハナ君! よかった、ようやく追い付いた!」
三人は定員オーバーな例の空を飛ぶ魔術だろう。風をまとって静かに降り立ち、藍色の魔術師・ウィザーモンはあたしを見付けて安堵の表情を浮かべる。欲を言えば昨日いてほしかったな。
「おお、なんだウィザーモン。重役出勤だな。もう片付いちまったぞ」
おっす、とでも言わんばかりにフランクに片手を挙げる見知らぬ熊に、魔術師は少しだけ眉をひそめてから、はっとする。相変わらず理解の早い子だ。手間が省けて助かるな。
「その声は……ヌヌ君? し、進化したのかい!?」
「進化? あ、おー、そうか。そうだな、進化だな!」
熊は一度だけ首を傾げ、ぽんと手を打つ。そんな熊と、経緯を知るがゆえに微妙な顔しかできないあたしを交互に見て、魔術師はまた眉をひそめる。進化って何だっけ。
「そ、そうか。いや、なぜか交信魔術が届かなかったのだが、進化の影響だったのかもしれないね」
「お?」
「え? 連絡なかったのこれのせいなの?」
「ああ、デジソウルの濃度が桁違いだ。体外に漏れたデジソウルが無意識のうちにファイヤーウォールとなって私の魔術を阻んでいたのだろう」
成る程。ぼんやりとだがとりあえず熊が悪いことだけは分かった。
「それより、ハナ君。急いで報せたいことがあってね」
「うん? あ、もしかして帰る方法分かったの?」
期待を込めて問えば、しかし魔術師は申し訳なさげに首を振る。これで帰れたら綺麗なエンディングだったのに。まあいいや。もう少しこの世界の美食を堪能するのも悪くない。なんて考えながら今にも溢れそうなよだれをどうにか堪える。
「すまない、ハナ君。ゲートの調査は中断せざるを得なくなった。今は一刻を争う」
心は一足フライングしてもうパーティ気分。だから、そんな魔術師の言葉には反応が一拍も二拍も遅れる。眉間に深く深くしわを刻んだ険しい顔で、魔術師は歯列を鳴らす。
「彼らの狙いが分かったんだ。放っておけばとんでもないことになる。事態は、極めて深刻だ」
だって、思いもしないもの。盗賊の首領を倒し、今度こそすべてが終わったはずだったのに。まさか――
「え? いやいやちょっと待って、狙いもなにも、ねえ?」
首を傾げて振り返るのはモヒカンの山。その中から除くオーガ三兄弟を見て、熊に視線をやる。
「おう、ボスならそこでノビてるぞ?」
「そうそ。ほらあれ、緑の奴と、赤いのと青いの」
「中々酷い呼び名だな」
「だって一回聞いたきりだし、あんまりドラマもなかったもん」
なんて交互に言ったあたしたちに、魔術師は三兄弟を一瞥してから、また首を振る。そうではないのだと、思い違えているのだと、その顔が語る。
夢にも思わなかった。夢を見る暇はなかったがそれはともかく夢にも思わなかった。まさか、これがエンディングではないだなんて。まさか、そこに転がるオーガたちが――
「残念だが彼らは兵隊に過ぎない。黒幕は、他にいるんだ……!」
魔術師の言葉にあたしたちは、ただただ目を丸くする。阿呆の子のように口をぽかんと開けたまま、問い返すこともできない。兵隊。黒幕。頭の中で言葉を反芻し、熊ともどもに頓狂な声を上げる。
そう、この戦いは、この冒険は――まだ終わってなどいなかったのだ。
◆
太陽に似た意匠を頂に抱く杖をかざす。魔術師は短く呪文を唱え、一度だけ振り返る。小さく頷いて、再び視線を戻す。見据えるのは緑の鬼人・オーガモン。輝きを帯びた杖を気を失った鬼人に向ける。
「おい、ウィザーモン。一体何が……」
恐らくは内部でうごめくゲル状物質によって形状を変えているのだろう。着ぐるみの顔で訝しげな表情を浮かべる熊に、あたしもまた別の理由で顔を歪める。そんなあたしたちに魔術師は振り返り、再び頷くと杖の先端で鬼人の肩甲骨辺りを軽く叩いてみせた。
「見てくれ」
そう言われ覗き込めば、鬼人の背に黒い石のようなものが浮かび上がる。いや、次第に大きくなるそれはどうやら身体の中から出てきたもの。鬼人の身体には傷一つ残さずやがて姿を見せたのは、黒い、歯車だった。
歯車は鬼人の身体を離れ、糸の切れた凧のように宙へと舞い上がる。その瞬間に再び魔術師が杖を構え、太陽の意匠から放たれた光の泡で歯車を包み込む。何処かへ飛び立とうとしたように見えた歯車は、風船のようにふわふわと浮かび、あたしたちの頭上をゆっくりと漂う。
「“黒い歯車”だ」
泡の中の歯車を見上げ、魔術師がぽつりと言った。
「黒い……歯車?」
問い返すあたしに魔術師は頷いてみせる。見た瞬間にあたし自身がそう呼んだその名前。見た目をど直球に形容しただけの何の捻りもないそれがまさか正式名称なのかと、そんな意味で思わず聞き返したのだが、ここは空気を読んで言わないことにした。あたしは熊と顔を見合わせて、互いに深く頷く。何の意味で頷き合ったのかはよくわからないが、この空気の中では瑣末な問題である。とりあえず魔術師を見て、わかるような言葉を待つことにした。
「ああ、間違いない。これはその昔、ある闇の眷属によって作り出された“黒い歯車”と呼ばれるウイルスプログラムだ。デジコアに寄生し、負の感情を操るものだと文献には記されていた」
「負の感情……悪い心ってこと?」
「端的に言えばそういうことだ。憤りや憎しみ、怨み、あるいは小さな不平不満や猜疑心。ほんの些細な負の感情を火種に、その心を闇に染め、悪へとおとしめる」
もう一度、宙に浮かぶ歯車を見上げ、忌ま忌ましげに眉根を歪める。そんな魔術師に熊はふうむと唸り、首を傾げる。首というか縫い目だが。
「文献、てのは何だ?」
「ああ、大昔の戦いの記録さ。リアルワールドよりやって来た救世主と、闇の眷属とのね」
「おお、選ばれし子供って奴か」
そう、嬉しそうに声を上げながら熊があたしを見る。選ばれし子供。最初にあたしをそう呼んだ張本人にとって、現状はまさに願ったり叶ったりと言ったところか。あたしにとっても運命を別ったその呼び名。まんまと口車に乗せられてここまでやって来たわけなのだが。
溜息を一つだけ零して、魔術師へと視線を戻す。魔術師は小さく頷き、言葉を続けた。
「そうだ。選ばれし子供の活躍によって、この忌まわしき呪物はその創造主ごと、その野望ごと打ち砕かれたはずだった。今更こんなものを持ち出して来たのがどこの誰かはまだわからないが……闇の眷属に連なるものであることは間違いないだろう」
勘違いから始まった勇者の旅。ようやくエンディングが見えた、そのはずだったのだけれども。ふ、うふふふふ。いいわ。いいわ。よくってよ。やるとも。やりますとも。ここまで来たらやってやりますとも。乗り掛かった船である。てゆーかがっつり乗船中である。
ふう、ともう一度息を吐く。
「つまり、それが“黒幕”ってわけね」
そこに言及してしまえばもう後には退けない。退けないが、あたしは運命を受け入れることにした。どちらにせよ道は、前にしかないのだから。あたし今カッコイイな。後ろ向いたら後光とか差してないかな。
「その通りだ。そして、君が本当にこの時代の選ばれし子供であるなら、それこそが君の倒すべき真の敵だろう」
「真の、敵……!」
復唱した言葉を頭の中でまた繰り返す。やれやれ何て奴だ。すっごくいい感じに盛り上げやがる。ようし、そうまで言うなら乗ってやろうじゃないか。あれがラストバトルというのもどうかと思っていたところさ!
不敵に笑う。士気は十分。まだ大分話の途中な気はするけれど、ここらで一つ拳でも合わせておくかと熊を見る。そうして――そんなあたしのテンションに水を差したのは、他でもない熊だった。腕を組み、眉をひそめて首を傾げる。今言うことではないが中々に可動域の広い着ぐるみである。
「あれ? おいおい、ってことは何か? オイラたちが今までぶっ飛ばしてきたのは、そいつに操られてただけの何の罪もないパンピか?」
という熊の言葉にはさすがにカッコイイ表情も歪む。ええと、え? あれ? そうなる? そうなっちゃうか。なっちゃうね。
勇者を自称しながら無辜の民をぶちのめしまくっていただなんて、ふへへ、とんでもない大悪党じゃないか。ちょっともうお日様の下を歩けないぞ。
なんて、思わず両手で顔を覆いながら考えていると、魔術師は顎に手を当てふうむと唸り、首を横に振る。いや、お振りくださる。
「いや、思考や行動のすべてを完全にコントロールされていたわけではないようだ。何せ遺物と言っても過言ではない前時代の産物だからね。不完全な複製品だったようだ。多くは元より盗賊だったのだろう」
そう言われてほっと胸を撫で下ろす。そうか、ちゃんと悪党か。まあ、「多くは」の部分に関しては詳しく聞かないでおくけれど。
「ニセドリモゲモンにも埋め込まれていたよ。取り除いてやれば憑き物が落ちたように穏やかだった。君たちにも非礼を詫びたいと言っていたよ」
「ニセドリモゲモンが?」
魔術師の言葉に熊と顔を見合わせて、思わず目を丸くする。あの時の様子からは考えられないな。てゆーかそれ早速「多くは」の例が……げふんげふん。まあよし。しかしあのモグラ、喋れるまで回復したのか。それは憑き物というより毒素ではなかろうか、とは突っ込んでおいたほうがいいだろうか。
「さて、そして問題はその“黒幕”が誰かということだが」
あたしがとても下らないことに頭を捻っていると、知る由もない魔術師が構わず話を進める。杖の先端で歯車を指し、
「それは、これが教えてくれるだろう」
と、空を仰ぐ。
「歯車が?」
「ああ、どうやら体外に排出された際、創造主の元へ戻るようプログラムされていたようだ。今は私の魔術で拘束しているが、これを解けば“黒幕”の元まで懇切丁寧に案内してくれるはずだ」
「ニセドリモゲモンのはどうしたんだ?」
「う……すまない。何分突然のことで、不甲斐なくも見失ってしまった。君たちが彼らを倒してくれていて助かったよ」
俯きながら帽子の縁を少し引っ張って、魔術師は顔を隠して申し訳なさげに言う。見たまま想定外のことには弱いらしい。てゆーか割とちょいちょいドジ踏んでるな。このドジっ子め。魔術師はこほんと咳ばらいを一つ、表情を引き締め直してから顔を上げる。まだちょっとだけ頬が赤かった。
「ハナ君、ヌヌ君。帰還プログラムは邪魔者をおびき出して排除するための罠という可能性もある。よく考えて決めてくれ」
「罠? って、じゃあ、お前はどうすんだ?」
「うん、見過ごすわけにはいかないからね。独りででも行くつもりだよ」
ぐっと拳を握り、語尾を強く言い放つ。わあ、断りづらーい。まあ、今さっき決意したばかりだし、ここまで来たら退くつもりももうそんなにはないのだけれど。
「ならオイラたちも行くぜ。なあ、ハナ?」
どうやら相棒もその気のようだし、これだけたらふく毒を舐めたら皿までかじるしかあるまいて。あたしは肩をすくめてしょうがないなと笑ってやる。多少なり空気に酔っていることは、否定しない。
「よし、それでこそ救世主だぜ!」
「ふ、まあね。てゆーか、確かにこのままあの歯車ほっといたら大変なことになりそうだし」
ぷかぷか浮かぶ歯車を見上げ、溜息を吐く。根は穏やからしいニセモグラをああも凶暴にしたのだ。あんなものがばらまかれるのをぼけっと見ているわけにもいかないだろう。あたし今初めて純粋な正義感で物言ってる気がするな。
などと、またこのいい感じの空気に酔いしれていると、ふと魔術師が小さく首を振り、声をひそめる。
「いや、そのことだが……実は君たちにもう一つ、話しておきたいことがあるんだ。できれば――」
眉をひそめるあたしたちに、魔術師は捕まっていた村人たちを一瞥し、
「あまり多くには聞かれたくない」
とだけ言い、それ以上は口をつぐむ。何だか何やら、聞くまでもなく既にとても厄介そうだった。まだややこしくなるのかこれ。
「よく分からんが、なら道中で聞こうか」
「すまないね」
小さく頭を下げた魔術師に、熊はひらひらと手を振る。その裁縫技術にはさすがの救世主も感服するばかりである。
何はともあれ、新たな戦いの始まりというわけだ。だがまあ、それはそれとしてまずは何を置いてもとりあえず――
「ねえ」
あたしの言葉に、二人はほんのちょっぴりだけ目を丸くする。それが、まるで孫でも見るような優しい目に変わるのに、さほど時間は必要としなかった。君らしいね、とでも言いたげな顔には僅かばかりの苛立ちと、安堵にも似た心地よさを覚えた。
あたしは、とりあえず微笑みを返しておくことにした。
◆
「お待たせいたしました、救世主様」
「わーい。ありがとー!」
場所を移して盗賊団のアジト。の中。並べられた沢山のテーブルや隣接するキッチンからして食堂のような場所だろう。気絶したす巻きの盗賊たちは一先ず置いて、魔術師の大事な話とか来たる最終決戦とかも一先ず置いて、あたしはテーブルの前に置かれた長椅子のような丸太に腰掛け、とりあえず全力の万歳をする。テーブルには湯気の立つお料理の数々が所狭しと並ぶ。盗賊団に捕まっていた村の料理人が、食糧庫から拝借した食材で作ってくれたものである。てゆーか作ってとお願いしてみたものである。腹が減ってはなんとやらである。
「あ〜ん、美味しそ〜ぅ!」
顔の横でお祈りのように両手を合わせ、恋する乙女のような顔で歓喜にくねくねする。きゃあ、とか言ってみる。向かいに座る熊と魔術師は文句の一つも言わず、とても穏やかな顔をしていた。あたしはこの異世界で良き理解者に巡り会えたようだ。
ぱあんと両手を打ち鳴らし、いただきまーすと声を張る。燃えるような料理人の顔も若干引きつっていた。ようなっていうかまんま火だるまみたいな人だったが、確かメラ……米良さんとおっしゃっていたか。その繊細な盛り付けと鼻孔をくすぐる深い香りは、一口目を食すまでもなく彼の技量の高さを窺わせる。
期待に胸を踊らせながらスプーンを手に取り、そっと掬い上げた真っ赤なスープをおもむろに口へと運ぶ。見た目を裏切らない激しい辛さが脳髄まで突き抜ける。舌を焼き、喉を焦がすような錯覚。だが旨ぁい! 星三つ!
あまりの感動に溢れそうな涙を堪え、次々にそのご馳走の数々をいただく。ほぼ丸一日ぶりのお食事には胃が歓喜に打ち震える。
「相変わらずいい食いっぷりだな。腹ん中ダークエリアかどっかに通じてんじゃないか?」
「わーうぇーわ? あうおー?」
「いや、すまん。何でもない。気にせず続けてくれ」
「うぉー」
もごもごしながら隙間から漏れる空気で返事をする。いまいち何の話かよく分からなかったが、お料理が美味し過ぎてどうでもよかった。みんな! みんな! 世界のみんな!! 超美味しいよ!? 電波ジャックしてでもこの気持ちを伝えたいぐらいである。あたし今、幸せです!
「こんな顔で食ってもらえたら本望だろ、メラモン?」
「は、はい。料理人冥利に尽きます」
「ここでも作らされてたのか?」
「いえ、ここでは単に労働力として……力仕事ばかりでした」
「へえ、そりゃもったいねえな」
そう言いながらひょいひょいとお料理をつまむ熊に、まったくだと深く深く頷いて、あたしは真っ赤な麻婆を一口。んまい!
「そういや結局何やらされてたんだ? ここって鉱山か何かか?」
「ええ、そのようです。希少な鉱物も幾つか見付かりました。しかし……」
首を傾げ、ムッシュ米良は難しい顔をする。どうでもいいが火だるまな頭の上でずっと原形を留めているあのコック帽は何でできているのだろう。
「しかし、何だ?」
「いえ、それがどうにも、鉱石にはさして興味もないようでした。一体何を探していたのやら、我々にもさっぱりでして」
なんて、肩をすくめて両手を広げる米良さんに、思い出すのは先程の魔術師の言葉。奴らの本当の目的。聞かれたくない話。そう言っていたか。熊もまた魔術師を見るが、当人は腕を組んで何かを考え込んだまま、口を開こうともしなかった。善良な村人にすら話せないほどの秘密が、あの盗賊団には隠されていたわけだ。事態は深刻、とも言っていたか。
あたしはうんと頷いて、ナプキンでそっとお口を拭く。両手を合わせてぺこりと頭を下げる。
「ご馳走様、米良さん。死ぬほど、いえ、死んで生き返るほど美味しかったわ、ありがとう」
「え? あ、ええ、お粗末様でした。……米良さん?」
不思議そうな顔をする米良さんにぐっじょぶですと親指を立てる。
「お? 何だハナ、もういいのか?」
「ええ、十分よ。お腹いっぱい」
「へえ、珍しいこともあるもんだ……って、あれえぇ!? 空っぽだ! いつの間に!?」
空のお皿だけが並ぶ卓上に身を乗り出して何やら大声を上げる熊をほったらかし、あたしは席を立つ。熊と魔術師を順に見て、
「さて、それじゃ行きましょうか。後は任せて大丈夫よね?」
最後に米良さんに振り返り、問えば小さく頷いてみせる。捕まっていた沢山の村人もふん縛ったモヒカンもそのままだが、もうここはこれ以上の厄介事もないだろう。
「ええ、盗賊たちの処遇は皆と話し合って決めたいと思います」
外を見ながらそう言った米良さんの頭からちょっとだけ火花が散る。血管から血が噴き出たように見えたのは気の所為だろう。利用されていたとはいえモヒカンたちも災難だな。なんて思いながら、念のためお伺いを立てるように魔術師を見る。が、どうやらさして心配する様子もなかった。
「ああ、こちらは彼らだけで問題ないだろう。ニセドリモゲモンの歯車が飛んでいったのも村とは逆方向だったからね。増援が来るとしても先ず我々が鉢合わせになるはずだ」
「一番危ねーのはオイラたちってわけだ。へっ、望むところだぜ!」
どんと胸を叩き、鼻を擦るような仕草をしてみせる。胸も鼻もなかったのになぜそんな動作を自然にできるかは謎である。
「おお、頼もしいね。やはりこの戦い、鍵を握るのは進化したヌヌ君の力だろう」
「おいおい、そんなに持ち上げてくれるなっての。照れんじゃねーかよ!」
「また暴走しなきゃいいけどね」
「ぼ……え? 暴走?」
「い、いやいや、しねーって、もう! だから蹴るのは勘弁な?」
事情を知らずに眉をひそめる魔術師を他所に、熊はやたらとびくびくしながらあたしから距離を取る。丸腰のか弱い乙女をつかまえてやーねもう。なんて小悪魔のように微笑みながら熊のお尻をぱしんと叩く。そうして、ふと思い出す。丸腰……そうだ、丸腰だった。自分の手を見ながら今更気付く。
「あ、そういや失くしたんだっけ、こん棒」
「お? ああ、そうだったな。つーか外に幾らでもあるぞ。持ってくか?」
「えー、できたらもちょっと強力なのがいいけど……てゆーかそもそも必要?」
今さっき魔術師にも熊が鍵を握ると言われたばかりだし、今更こんなか弱い少女が棒切れ一本持ったところで足しになるかは甚だ疑問ではあるのだが。しかし当の魔術師はあたしの言葉に首を振る。
「いや、敵の戦力によってはヌヌ君の手に負えないこともあるだろう。護身用に武器の一つくらいは持っていたほうがいいかもしれないね」
「護身用っつーか、取り巻きの雑魚くらいなら全然余裕でぶっ飛ばせるだろうしな」
なんて口々に好き放題言ってくれる二人に、あたしはとりあえず嫌そうな顔だけしておくことにした。こいつらあたしを何だと思っているんだろう。ドロップキックの一つもぶちかましてやりたかったが、やったらやったで「そらみたことか」な空気になるので我慢する。
「お、そうだ。強力なのっつったら一個あったぞ」
ぐにににに、と歯を食いしばっていると、熊がぽんと手を打つ。頭の上に電球が見えた気がしたが気の所為だろう。熊はとてとてと外へと駆けて、あたしを手招きする。仕草だけ見たらちょっと可愛いのがすごく嫌だった。
魔術師と一度顔を見合わせ、あたしは熊の後を追う。部屋を二つ抜け、廊下を進み、アジトの外へと出る。辺りを見回せばモヒカン山の麓で何やらごそごそしている熊がいた。
「何よー、やっぱこん棒じゃない」
熊が漁っていたのはそこらにゴロゴロと転がるモヒカンたちのこん棒。毒リンゴとヌメヌメが染み込んだあの悪夢のようなこん棒以上に強力なものがあるとは思えないが。てゆーかみんな同じに見えるんだけど。てゆーかあたしはいい加減にこん棒から卒業したいのだけれども。
「お、あったあった。これだよこれ!」
「ん? どれ?」
熊の肩越しに覗き込む。転がるこん棒の中で座り込む熊が手にしていたのは、ああー、はいはいはい、成る程ね。確かにゴブリンどものこん棒よりは遥かに強力であろう。強力であろうけれどもね。熊がドヤ顔で掲げていたのは白く、長大な鈍器だった。主成分はアパタイトか。先端にはトゲトゲまで付いている。木製のこん棒に比べ明らかに桁の違う攻撃力を有するであろうそれ。使いこなせれば護身用の域を越えた強力な武器となるだろう。なるだろうけれどもね。けれどもね!
熊の握るその柄から次第に視線を上げていく。指の無い手でどうやって握っているかはこの際どうでもいい。あたしの視線は熊の頭を越え、まだまだ上へ上へ。ずずんとそびえるようなそれには見覚えがあった。
「ええと、これは……」
「オーガモンの骨こん棒だ! どうだ! ハナにぴったりだろ?」
ああ、うん、そうだね。いや、あたしにぴったりかはともかく、うん。確かにこれはオーガの持っていたでかい骨のこん棒である。ゆうにあたしの倍はあろう体長を誇るオーガの得物。長さにして一メートルちょいといったところか。うん、あのね、確かに強力なんだろうけれどもね。
「ほら、どうしたんだよハナ。待望の強力な武器だぜ? こいつで黒幕をぶっ飛ばしにいこうぜ!」
あっはっはっはっは。成る程ね。あなたにはあたしがこれで無双する姿が容易に想像できると、そうおっしゃるのね。
「ヌヌ、お立ち」
「ん? おたち? あ、おお、立つのか。で?」
骨こん棒を持ったまま、言われた通りすっくと立ち上がる熊の肩に、そっと手を置く。不思議そうな顔をする熊にも構わず優しく微笑みかける。
「ヌヌちゃん、よおくご覧? あたしにその大〜きなこん棒が振り回せそうに見えて?」
「ん? ああ、確かにちょっとサイズはでかめだけど、ハナの怪力ならきっと大丈夫だって!」
心配すんなよ! とばかりにいい顔をしてみせる。あらあらうふふ。成る程ね。言い残すことはそれだけでいいのね。
あたしは熊の首元をぐわしとわしづかむ。惚けた顔の熊に状況を把握させる間も与えず自らの身体を半回転させる。
「怪力というのはぁ……」
「お? お、おおお!?」
熊の首元を掴んだまま熊には背を向ける形で、両足で地を踏み締めて腰を落とす。平たく言うなら、背負い投げである。あ、そおれ、どっこいしょー。
「これのことかああぁぁぁぁ!?」
「それのことですけどおぉぉ!?」
絶壁に囲まれた狭い空を、黄色い熊が舞った。叫び声があちらこちらに反響した。
「へぷん!?」
という愉快な声は岩壁に叩き付けられた熊の口から零れたものだった。
「ちょ、ちょっと待ってハナ! おかしい! おかしいから!」
逆さまになって頭から落ちた熊に向かい、あたしがゆらりと一歩を踏み出せば、熊はそのままの恰好で慌てて首を振る。首をっていうか逆さまなので振れてるのは身体のほうだったが、まあ、どうでもよし。
「いたいけな乙女のガラスハートは傷付いたわ。当然の報いと知りなさい」
「いやいやいや! 違う違う! 言ってることとやってることおかしいから!」
「何がおかしいのよ」
「何がって、いやほら! これ!」
逆さまの状態からぼてんと横に倒れ、のそのそと起き上がった熊はずびしっと腕を突き出す。その手の先にはさっきの骨こん棒が握られていた。本当にどういう仕組みだろうか、あれ。ぽけーっと骨こん棒を見詰めていると、じれったいなとばかりに熊は腕を広げてみせる。
「今オイラごと投げたじゃん!?」
「ん?」
「んじゃなくて! 骨こん棒ごとオイラ投げたじゃん! 持てないわけなくね!?」
そう言われて、顎に手をやりふうむと唸る。骨こん棒&熊を投げ飛ばせるなら骨こん棒単品を持てないはずがない、だって? はっはっは。いやいやいや。何をおっしゃる熊さんや。
熊の差し出す骨こん棒にそっと手を伸ばす。ごつごつとした柄をぎゅっと握る。手触りは思いの外すべすべとしていた。あるいは手から滲み出た粘液によって吸引しているのかとも思ったが、どうやら違うらしい。それはともかく受け取った骨こん棒を掲げ、うんと頷く。ちなみに右手一本である。
熊と顔を見合わせる。もはや言うまでもないとは思うが、あえて結論を言うなら「持てました」とだけ。
あたしは空いた左手でこつんと自分の頭を小突き、ぺろりと舌を出す。熊は、複雑な感情が渦を巻くような顔で、ただあたしをじっと見ていた。
◆
ぶおんぶおんと素振りをする。馬鹿でかい割りに全然持てた骨こん棒は、見た目に反して意外と軽かった。いや、あたしが怪力だとかそういう話ではなくてね。ホントにね、軽いのよ。
表面はかっちかちの硬質。質感は金属そのもの。試しに岩をぶっ叩いてみたりもしたが掠り傷の一つも付かない程。にも拘らずその重量はゴブリンのこん棒とさして変わらない程度。いやいや、中ボスとはいえボスはボスか。さすがにいいものを持っているな。「また鈍器かよ」という落胆からともすれば立ち直れてしまえそうなスペックである。乙女としてはそのまま膝を折っておくべきところかもしれないが、殺らねば殺られるのだから仕方が無い。嗚呼、世界観が憎い。ヒロインをやらせろ。
「救世主様、ご出立でございますか?」
性根の腐りきった神に怒りを募らせていると、不意に村人その一から声をかけられる。酷い呼称だが名前を聞いていないのだからしょうがない。見た目は半人半馬なケンタウロスに似ているからとりあえずは健太君と呼んでおこう。慌てて駆けてきた風な健太君に、あたしは首を傾げて問い返す。
「そのつもりだけど、何かあった?」
「あ、いえ、実は先程皆と救世主様にお礼をしたいと話しておりまして……お忙しいようでしたら日を改めさせていただきますが」
「ほほう、ちなみにどんな?」
ぐぐいと身を乗り出して、目を輝かせる。折角のご厚意である。無下にするわけにはいくまい。決してあたしが物欲の権化とかそういうことではない。
何か言いたげな熊にも構わず、健太君に案内されて他の村人たちが待つ場所へと向かう。時間にして5分足らず。坑道に入ってすぐ、製錬所のような部屋で村人たちに迎えられる。
「お礼と言いましても今はこんな状態でして、このようなものしかご用意できないのですが……」
伏し目がちに健太君が言うと、回りの村人たちが石造りの机にごとんごとんとそれを積んでいく。ひーふーみーの……全部で十本か。ピラミッドの如くそびえ、燭台の灯に照らされてぎんぎらぎんに輝くそれは――金の延べ棒であった。
「せめてもの感謝の気持ちでございます」
「わあ露骨。いただきます」
あたしは即答する。熊が目を丸くした。
「いただくの!?」
「やーね、さすがに食べないわよ。食べ物に変えるの」
「結果一緒! 後で食い物貰えばよくね!?」
「はあ、分かってないわね」
やれやれだぜ。アメリカンスタイルに肩をすくめて溜息を吐く。まったくこの熊は。それじゃあ救世主の威光が通じるこの近辺でしかお食事ができないではないか。お金があれば「救世主です!」「は?」なんて不毛な会話をする必要もなく各地の美食を好きに堪能できる。お金があれば何でもできるのだ。
てゆーか帰る当てもないから救世主の仕事終わったらあたしただの穀潰しだし。
「とにかくありがたく頂戴するのよ。さあ」
「え? あれ? オイラが持つ感じ?」
「何言ってんのよ。空いてんでしょ、中?」
「ええ!? ちょ、ちょっと待って? オイラ金塊積めて最終決戦に臨むの!?」
と言われてはさすがにどうかとも思った。思ったが、いいから積め給え。金は腐食しないから大丈夫だ!
「うだうだ言ってないで、ほら、あーん」
「ちょおぉ!? よりによって口かまぐぇっ!?」
煩い熊のお口に一本二本と延べ棒を詰め込んでいく。貯金箱みたいだな。実際お部屋に置いたら家族会議が開かれそうだが。
そんなどうでもいいことを考えながら三本四本と押し込む。魔術師がとても何か言いたそうな顔をしていた。先程健太君に言われた通り日を改めて受け取ればいいだけなことには五本目で気付いた。そして余計な重しのせいで負けたら本末転倒なことには今気付いた。
ふふ、成る程。認めよう。あたしは物欲に負けておりました。ごめんよ。
さてどうしたものかと、迷いながら五本目を出し入れする。にゅぽんにゅぽんという嫌な音がちょっと癖になってきた。そんな時だった。
「ヌ、ヌヌ君!?」
魔術師が驚いた風に声を上げる。一度眉をひそめ、熊を見る。あたしの目の前では、一目で判る異変が起きていた。
端的に言うなら、ビームが出ていた。どこからというなら熊の目からである。そして熊の全身が小刻みに震えていた。何が起きているかは勿論わからない。しかし原因が何かというならあたし以外には思い当たらない。
「え、ええと……ヌヌ?」
「おぉ……おおぉ……おおおぉぉぉおお!?」
天に向けて目からビームを照射しながら咆哮する。関節もくそもない身を捩らせてぶるぶると震える。ぎゃああぁぁ!? なんかごめん!
「な、なになに!? ねえ!? なんなの!?」
「い、いや、私にも……だがこれは、まさか進――!?」
魔術師が何かを言いかけたその瞬間、熊の目から放たれる閃光が強く太く輝きを増す。そうして、一呼吸の間を置いて、
「あふんっ!」
変な声を上げて熊が前屈みになる。その背中が、ぼこりと隆起する。
「にぃゆぅぅ〜〜……っ!」
膝を折って手をついて、俯いたまま大きい方を気張るような声を出す。あらやだはしたない。時折びくんびくんと痙攣する様は、よく分からないがとりあえず不愉快だった。
「ふっ!」
と、肺の空気を一息に吐き出すような気色悪い声とともに、熊の身体がぶるるるるっと一際大きく震える。途端、ぶりゅりゅんっ、と、黄金に輝くそれがお生まれになる。
言い方があれだったので一応言っておくと、うんちではない。翼である。何を言っているか分からないとは思うが、翼である。熊の背中の二つのコブが弾け、布を突き破って現れたのは、黄金に輝く美しすぎる翼であった。
地に手をついたまま、はあはあと荒く息を吐く。そんな熊の背中で、生まれたばかりの金翼が燭台の灯を照り返しきらきらと煌めく。ぷるんぷるんのてっかてかである。プリンみたいでちょっと美味しそうだったが、さすがにあれにかぶりつくほど堕ちたくはない。
「……ええと」
誰もが言葉を失う中、沈黙に耐え兼ねて最初に声を上げたのは他でもない、あたしである。熊の顔を覗き込み、翼を見て、もう一度覗き込む。
「なにそれ」
問えば熊はゆっくりと顔を上げる。おもむろに首を回し、自らの背に生えた翼を見る。そうして、あたしを見る。
「わかんない」
もはや誰にも何も、解らなかった。
◆
「ひぃぃ〜〜……ぃやっふぅぅ〜! ふぉぉうぅ!」
金翼が風を切る。あるはずのない翼で生まれて初めて空を飛び、浮かれに浮かれてシャウトする。翼の生えた熊の着ぐるみが甲高い声を上げながら飛翔するその様は、やはりこの世界においても異常な光景なのだろう。飛行魔術で後を追う魔術師の顔は、口が開きっぱなしであった。
「ゴルぅ……え? なんだっけ?」
熊の背中から後方の魔術師へ顔だけを向け、風の音に紛れぬよう声を張る。あたしの言葉に魔術師は一瞬だけびくりと震え、表情を引き締める。
「あ、ああ……ゴルディーヌ鉱山だ。その金――」
「ふぅわぁっふぅうぅぅ〜!」
「……き、金鉱に含まれる成分が、一部のデジモンの進化因子に――」
「ふぉおぉぉう! おぅいえすっ!」
魔術師の真面目な話を遮るそんな頭の悪い声は、勿論熊である。あなたのその羽の話をしているのだけれどもね。あたしは骨こん棒の柄をぎゅっと握りしめ、とりあえず熊の後頭部をぶん殴る。
「うるさい」
「あぎゃん!?」
突如頭に走る衝撃に、驚いた熊が空中でバランスを崩す。制御が利かなくなったか、一瞬だが自由落下に近い形でがくりと高度を落とす。はしゃぎまくるせいでただでさえ安定しないその背中、おまけにあたしは骨こん棒をかますために片手を離した状態だ。絶叫マシンなんて生易しいものではない。ではないが、もはや今更そんなことに動じるあたしではなかった。
「うおぉ、びっくりした。危ないじゃないか、ハナ」
「だったら静かにゆっくり飛んでよね」
再びぱたぱたと羽ばたき高度を上げる熊に、あたしは何事もなかったかのように言葉を返す。逆境は人を強くするのである。ここまでは強くなりたくなかったけど。
「いやいや、ゆっくり飛んでたら見失っちゃうじゃないか」
そう言って熊が指差す先には、魔術による拘束を解かれ、創造主の元へと帰っていく“黒い歯車”。ああ、いや、一つ訂正しよう。指はなかったな。腕差す先である。
「あんだけ騒いでたら見付かっちゃうでしょうが。奇襲に来ましたよってわざわざ教えてどうすんの」
「お? おお、そうか。そうだな。尤もだ!」
うんうんと頷く惚けた熊に、肩をすくめて肺の奥から絞り出すように溜息を吐く。まったくこの熊は。小さく首を振り、あたしは背中に提げた革の鞘に骨こん棒をすちゃりと納める。アジトを発つ前に村人たちが作ってくれたものである。短い時間だったが実によくできている。ただまあ、ビジュアルが益々もって無骨になったことに関してはどうか触れないであげていただきたい。
「ええと、それで? 金鉱の成分が……ああ、まあいいや」
再び振り返り、魔術師に話の続きを促し――かけて、やはり止める。よくよく考えたら熊に羽が生えた理由なんて割とどうでもいいことに気付いたからである。肩透かしを食らった魔術師がかくりと肩を落とすが、ごめんねと片手を上げておく。あたしは前方を飛ぶ“黒い歯車”を一瞥し、再び魔術師を見る。
「ねえ、それより、アジトで言ってたのって何なの? ほら、聞かれたくないって奴」
「おお、そういや言ってたな。さすがにここなら誰も聞いてねえだろ」
盗賊団の裏に潜む“黒幕”の、本当の目的。盗賊たちを歯車で操ってまで成し遂げようとしていたこと。事態は極めて深刻だと、そう言っていたか。今更だが暢気にお食事とかしてマジごめん。
あたしたちが交互に言えば、魔術師は咳ばらいを一つ。深く頷いてみせた。
「ああ、そうだね。今のうちに話しておかねばならないだろう。場合によっては他の小世界まで巻き込むほどの――戦争になるかもしれない」
今の今まで馬鹿話をしていた中、心の準備もまるでできていないまま、不意打ちのようなに放たれたそんな言葉。あたしたちは、ただただぽかんとする。返す言葉に詰まり、思わず大きく息を飲む。はあ、と飲んだ空気を一息に吐き出して、
「せ、戦争?」
言われた言葉をただオウム返しにしかできない。間抜けに口を開けたまま、似たような顔で振り向いた熊と思わずしばらく見詰め合う。中身の目玉がちょっとはみ出ていた。気持ち悪かった。
動揺していたのだろう。気が散りに散るそんなあたしにも構わず、魔術師はぎりぎりと歯列を鳴らし、拳を握りしめて話を続けた。
「予兆はそこかしこに現れていた。君たちと初めて会ったあの山で毒リンゴを見た時、異変に気付くべきだったんだ……!」
「は、毒リンゴ? ムラサキマダラ毒リンゴか? あれが何だって……」
「あれは土壌や植物のエラーコードが結晶化したものだ。毒リンゴの大量発生は大地のデジコードに異常が起きた影響だったんだ」
どうしてもっと早く気付けなかったのだと、悔しげに顔をしかめる。話の全容はいまだ見えてこないが、思っていた以上の規模で思っていた以上の事態になっているらしいことは理解できた。果たしてこれは、盗賊退治の村勇者の手になど負えるものなのだろうか。こくりと息を飲む。一拍を置いて、魔術師は語る。この戦いの裏に隠された、真実を。
「奴らの狙いは小世界の心臓部――“コードクラウン”だ!」
<登場キャラクター紹介>
■ヌヌ
救世主のお供。預言の“黄色き星”を手にし、黄色で獣で縫包でヌメモンという、ヒントの出揃い過ぎた状況で恥ずかしげも無く遂に完全体への進化を果たした。果たしたが戦うたびに暴走する。限りなく暗黒進化である。進化してもパートナーとの力関係が欠片も変化していない。お礼に貰った金の延べ棒を食って羽まで生やしたがやっぱりどつかれる。でもキャラ紹介の順番だけは遂に一番になった。
□もんざえモン
いちご狩りの峰に不法投棄されていた謎の着ぐるみを纏ったことで、ヌメモンが進化を果たした完全体のパペット型デジモン。ふざけきった見た目とは裏腹に、核弾頭級の攻撃力を有するかのメタルグレイモンとさえ渡り合える謎の猛者。
□ゴールドもんざえモン
ゴルディーヌ鉱山の金塊を取り込んだことでもんざえモン(の中身)が進化を果たした姿。飛べる以外にもんざえモンとの差異はなく、レベルも普通に完全体のままである。羽はプリンのようでちょっと美味しそう(ハナ談)。
■ハナ
救世主。暴れ馬より荒ぶるジョッキー。完全体の暴走をジャーマンスープレックスで食い止めるか弱い乙女。遂にオーガモンの骨こん棒を振り回し始めた。スカルグレイモンの体重からして骨一本なら多分幼年期より軽いはずだが、絵的にはもはやアマゾネスである。もう軽目の命の危機ぐらいでは動じなくなった。金の延べ棒が半分食われてもはや取り出せないことにはまだ気付いていない。
■オーガ三兄弟
青いのと赤いのと緑の。熊に成敗された。緑のはこん棒も没収された。
■米良さん
盗賊に捕まっていた村の三ツ星料理人。捕まってもコック帽だけは手放さない。熊に一回呼ばれたきりだがメラモンである。もののけ姫の主題歌は歌わない。
■健太くん
盗賊に捕まっていた村人。一度も呼ばれなかったがケンタルモンである。フロンティアでは本人が盗賊だったが気にしてはいけない。
■ウィザーモン
頼りになるようなならないような魔術師。シリアス要員のはずだったがよく考えたら初登場時から既にそうでもなかった。ウィザえモンやらウィっさんやらと呼ばれていたが遂にドジっ子と呼ばれてしまう。余談であるが話が長すぎて一部台詞がカットされた。
■神
本編には出ていないのにキャラクター紹介では常連。性根が腐りきっているらしい。それは皆が知っている。