第四話 『花と伝説の……』



 金色の輝きが天を衝く時、降り注ぐ流星とともに救世主は舞い降りるだろう。
 その者、緑の汚濁を従え、血に染まる鈍き剣を持ちたる勇猛なる戦乙女なり。
 子羊よ、救いを求めるならば百皿の晩餐を捧げ懇願せよ。
 さらば救世主は黄色き星の剣をもって、悪しき支配者を討ち滅ぼすであろう――


「……はあ」

 両腕を広げ、祈りを捧げるように突如そんな詩の朗読を始めたもじゃもじゃさんに、あたしはぽかんとしたままとりあえずこくりと頷いてみる。もじゃもじゃさんの目に涙が浮かび、その口がへの字に歪んでぷるぷると震えた。もじゃもじゃさんはもじゃもじゃの腕毛で涙を拭って首を振る。

「失礼しました、救世主様。実は今、我が村は危機に瀕しているのです」
「危機?」
「数日前に突如現れた盗賊たちに、村の若い衆が連れ去られてしまったのです!」

 だん、と床を叩き、歯ぎしりをする。よくよく見れば辺りの村人たちはあたしよりも背の低いものばかりだった。そんなちびたちを見ながらヌヌが訝しげな顔をする。

「見たとこ成長期ばっかだけど、さらわれたのって成熟期とかか?」
「はい、腕に覚えのあるものもおりましたが、子供たちを人質に取られてしまい……!」

 悔しげに牙を打つ。何やらどうにも、思った以上にえらい状況だったらしい。食糧泥棒から悪事のレベルが段違いに上がった気がするけれど。あれ? あたしまた早まった!?

「先程の詩は、我が村のシャーマンによる預言なのです」
「よ、預言?」
「一目見て確信致しました。血に染まる鈍き剣の戦乙女……まさしく貴女様に他なりません!」

 目を見開いて力強くそう語る。預言の救世主……あたしが? いや、言われて思い返せば確かに、先程の詩は気味が悪いほどにあたしと符合するように思えた。

「いやでも鈍き剣ってこれこん棒だけど……てゆーか緑の汚濁とか言ってた?」

 そんなヌヌのどうでもいい茶々はさておく。第一節はまさに先程の戦いで起こったことそのものを、まるで我が目で見たかのようになぞっている。そして第二節に語られる救世主の姿もまた、今のあたしと重なる。まさか、本当に……!?

「そんなの従えてないよな? なあ、オイラじゃないよな? だって降ったのウンチだもんな?」

 何を言ってるかはちょっとよく分からない。なので、ここは思い切って放置することにした。あたしはもじゃもじゃさんを真っ直ぐに見据え、息を呑む。胸が高鳴った。この鼓動が、あるいは答えだろうか。第三節を心の中で復唱する。百皿の晩餐と聞こえたのは決して幻聴などではなかったはずだ。知らず喉が鳴る。今って何時だっけ。

「なあ、ちょっと聞いてる? 聞こえてない感じ? 汚濁じゃないよな、オイラ?」

 そして第四節が告げる“黄色き星の剣”。まだ見ぬそれがあたしの救世主としての本当の力だというのだろうか。いずれ手にするその神々しき姿が淡く瞼の裏に浮かぶ。
 あたしはもう一度もじゃもじゃさんへ目をやって、小さく頷く。

「詳しい話を聞かせてくれる? それと、そのシャーマンにも会ってみたいんだけど」
「いや、あのね」
「ええ、勿論。是非お会いになってください。しかし、やはり貴女に間違いなかったのですね!」
「ちょっと一回オイラとも言葉のキャッチボールをしてみようか君たちぃ!?」

 というヌヌをほったらかして立ち上がる。後で遊んだげるから。

「あれぇ、スルー!? オイラのボールは何処へ!?」

 なんて声に優しい笑顔で二度三度頷いて、そしてその場を後にする。まだ後ろで何か聞こえてはいたけれど、いろいろ忙しいので悪いが後回しにさせてもらうとしよう。あたしはもじゃもじゃさんの後に続き、村の外れにある石造りの神殿に似た建物へと向かう。




 木造の簡素な家々ばかりの村に比べ、ギリシア神話にでも出て来そうなその神殿は明らかに異質だった。ほんの十数段の階段を上り、石柱に囲まれた建物内部へ入る。松明の並ぶ短い廊下を抜けると奥に祭壇だけが設置された広間に出る。部屋はここ一つなのだろう。今やって来た廊下の他に通路は見当たらない。祭壇の左右ではバカでかいゴブレットのような燭台に大きな炎が点り、その揺らめく明かりに照らされた祭壇の前では、誰かが小さな背を向けて立っていた。

「あれが、先程の預言を告げた我が村のシャーマンです」

 そんなもじゃもじゃさんの言葉に、祭壇の前に立つシャーマンがゆっくりと振り返る。浅黒い肌、対照的に明るい髪を逆立て、青い衣をまとう。どこか見覚えのある道具を片手に、大きな目であたしたちを見据える。こくりと息を呑む。少し遅れてやって来たヌヌを一瞥し、あたしは再びシャーマンに視線を戻す。片手を口元に当て、僅かに中腰になって声をひそめる。ねえ、とヌヌに呼び掛けて、

「あれ、ゴブリンだよね」

 ひっそひっそと問い掛ける。モヒカン頭にこん棒の小鬼。もう一度舐めるようにシャーマンを見るも、どこからどう見ようがカラーリングが違うだけのゴブリンでしかなかった。ええと、今度は何かしら。ニセ、モドキと来てお次はエセか何か?

「いや、あれはシャーマモンだ」
「なんとかゴブリモンじゃないんだ」
「預言ができる分、むしろゴブリモンの上位種みたいなもんだな。てゆーかそれより汚濁のことなんだけど……」

 うん、とだけ頷いて会話を終える。しかしいい加減この世界の神様はデザインを使いまわし過ぎではなかろうか。何だか盛り上がっていた気持ちに水を差された思いだが……いやいや、見た目に惑わされてはいけないぞベイベー。シャーマン以外に職業選択の自由が欠片もないような名前で生まれ落ちたのだ。もじゃもじゃさんたちも信頼しているみたいだし、ああ見えて優れた預言者に違いない。きっと。多分。
 シャーマモンは少しの間、あたしをただ無言で見詰める。そうして、己が預言を確信するかのようにゆっくりと頷いて、こう言うのだ。

「ゴブゴブリ」

 威厳に満ちたそんな声に、あたしもまた黙って頷く。ああ。うん。そうだね。
 いやいやいや、はっはっは。うん。何て言うか、あれだよね。よかったね、ヌヌ。汚濁である可能性が大分薄まったよ。
 人肌くらいまで熱の冷めた目で無機質に微笑む。うまく行き過ぎてた気はしてたよ。と、遠くを見る。そんなあたしの顔を見てもじゃもじゃさんが慌てた風に首を振った。

「きゅ、救世主様! 大丈夫でございます! 我が村にはシャーマモンの言葉を解読できるものがおります故!」

 ぐぐぐと拳を握って力強くそう語る。てゆーかやっぱり大多数は意思の疎通ができてないのか。

「ご覧ください!」

 片腕を広げる。差す手の先には続々とやって来る村人たち。その先頭の一人がずずいと前に出る。ブーメランを片手に不思議な仮面を被ったいかにもなその姿。

「彼こそ我が村の誇るもう一人のシャーマン、セピックモンでございます!」

 と誇らしげに言ったもじゃもじゃさんに、ブーメラン仮面もといセピックモンはぺこりと頭を下げる。そうしてシャーマモンの前まで歩み寄り、互いにしばし見詰め合う。やがて、再びシャーマモンが口を開く。

「ゴブブゴブ、ゴブリ。ゴブゴブ」

 相変わらず何を言っているのかはさっぱりだった。だったが、本当に理解できているのか、セピックモンだけはうんうんと頷く。セピックモンはくるりと振り返り、あたしたちに向かってもう一度深く頷いてみせる。ブーメランを握った右腕をおもむろに挙げると、左腕は前へと突き出す。少しの沈黙。その両腕が弧を描くようにゆっくりと動いて、すうと一呼吸。

「っ! ふっうー! っ!!」

 激しく息を吸っては吐いて、循環する酸素を手当たり次第に燃焼するように全身の筋肉をエネルギッシュに躍動させる。両の脚がリズミカルにステップを刻み、両の腕が夏のアスファルトでのたうちまわるミミズのようにうねる。

「ええと……」
「ご安心を!」

 突然踊り狂うブーメラン仮面にあたしはただただ戸惑って、説明を求めてもじゃもじゃさんに視線を送る。が、その視線が一瞬すかっと空振る。見ればもじゃもじゃさんは何やらうずくまり、どこに持っていたのか床に置いた紙に何かを書いていた。いや、もじゃもじゃさんだけではない。先程ブーメラン仮面と一緒にやって来た村人たちも同様に床に座り込んで何かを書いている。何が起こっているかは勿論さっぱりだ。

「セピックモンは魂の声を聞き取る力を持ったシャーマンなのです。ただいま預言を解読しております故、しばしお待ちを」
「いや、うん、それはいいんだけど……他の皆は何を書いてんの?」
「セピックモンの踊りを記録しております。彼は踊りによって我々にシャーマモンの預言を伝えてくれるのです」
「ああ…………うん?」
「我が村の預言はシャーマモンが神の声を聞き、セピックモンがシャーマモンの言葉を解明し、最後に我々解読班がセピックモンの踊りを解読することによって完成するのです!」

 細いペンを握り潰さんばかりに握りしめて熱く語る。うん、いや、するのですって言われてもね。何か余計な手順が挟まっているような気がするのだけれどもね。

「ええと……それってどのくらいかかる?」
「半日ほどでございます。救世主様、申し訳ございませが今しばらくお待ちくださいませ!」
「……うん」

 頷いて、ふうと息を吐く。とりあえず晩餐がどうなるのかだけでも知りたいのだが、今これ聞いても大丈夫な空気だろうか。うん。駄目な気もするのでまあまあ空気の読めるハナさんは一応止めておくことにした。

「ハナ、半日待つのか」
「それはやだなあ……」

 手持ち無沙汰にキョロキョロする。もじゃもじゃさんたちはどうやら預言の解読という目の前の仕事しか見えなくなっているようだし。ほったらかさないでほしいな。さてどうしたものか。と、移ろう視線がふと神殿の入口に佇むちっちゃい生き物を捉える。植物の根や茎に似た体に、頭には大きな花の生えた人面植物。ファンタジー的に言うならマンドレークかアルラウネといったところか。
 あたしと視線が合うと人面植物はぺこりと頭を下げて、短い脚でてとてとやって来る。人面植物はもじゃもじゃさんたちを一瞥すると申し訳なさげにもう一度頭を下げる。

「あの、まだかかると思いますので、よろしければうちへいらしてください」
「え、ほんとに?」
「あーなると周りが見えなくなってしまって……どうぞ、夕食までおくつろぎください」

 人面植物の言葉にあたしは満面の笑みで「うん」と頷く。そうか、出るのか夕食は。真後ろの怪しい集団のことなど半ば忘れつつ、にやにやしながら人面植物に着いて行く。

「あ、おやつかなんかある?」
「ハナ、さすがに図々しい気がするぞ」
「え、えっと、簡単なものでよろしければお作りしますが」
「ほんと? やったー!」

 なんて会話を交わす頃にはあたしの頭は食欲だけでいっぱいいっぱい。後ろ髪の一本すらも引かれることなく、チーム預言者ズをほったらかして神殿を後にするのだった。




「うぉむ、うぉいあぃんぬう?」
「ん? いや、ちょっとな」

 早速遠慮もせずに我が家のようにくつろいで、ウネ子ちゃんの焼いてくれたパンケーキを口いっぱいに頬張りながら、ふとおかしな顔をしていたヌヌに気付く。問えばふうむと唸ってまた変な顔をする。ちなみにウネ子ちゃんとは人面植物ちゃんのことである。名前はアルラウモンというらしい。思った以上にまんまだった。そして手作りのお菓子は思った以上に女子力が高かった。敬意と親愛を込めてのウネ子ちゃんである。ヌヌには微妙な顔をされたけど。

「なんかあの預言さ、似たようなのどっかで聞いた気がして」
「うぇ? おんえ?」
「いやぁ、それがどこだったのか」
「わぅ、おーおーあんおぅむ」
「ああ、確かによくあるっちゃありそうな奴なんだけどさ」

 そんな会話を交わすあたしたちに、今度は大皿のクッキーを焼いてきてくれたウネ子ちゃんがぽかんとする。言いたいことは大体分かっていた。いや、どれだろう。全部かな。とりあえず互いに口塞がってる状態でも会話が成立しているこの以心伝心ぶりに関しては、若干のむず痒さとまあまあの気持ち悪さを感じていることだけ言っておこう。
 ヌヌは口の周りについたシロップをべろりと舐め取って、考え込むように腕を組む。あたしはその隙にクッキーをいただくことにした。

「なあ、ハナ。ちょっと思ったんだけどさ」
「うぇ? ふっひーほーへっう?」
「いや、クッキーは食べてくれていいんだけど。それよりさ、預言の黄色い星がどうとかって奴、あれオイラじゃないかと思って」

 少しだけ照れ笑うような気持ち悪い表情を浮かべ、少しだけ誇らしげな気持ち悪い態度で、ヌヌがそんな気持ち悪い寝言をほざく。あたしは真顔で黙って頷いて、またクッキーをいただく。

「いやいやいや、流さないでくれよ。違うんだって、ほら! だって金色の輝きってオイラのデジソウルだろ? 流星ってオイラの地獄絵図だろ? だったら黄色い星もオイラじゃね? って思ってさ」
「ふぇー、あっあーおーふぁ?」
「汚濁は……あれだ、ハナの心の闇か何かじゃないか?」
「ふぉい」

 ねえよ、そんなもん。いや、ありませんことよ。この純真無垢を絵に描いたようなあたくしに限って! おふざけやがらないでいただきたいものですわ! きー!
 クッキーとパンケーキをもごもごさせながら、澄み渡り過ぎた清流のような目を緑の汚濁様に向ける。うん、どう見ても汚濁である。むしろ汚濁の底の凝縮された沈澱物が何かの間違いで命を宿したかのような哀しい生き物である。うん。ちょっと言い過ぎたけど、お互い様だかんね! ごめんて!
 というようなあれこれをジト目と荒い鼻息で訴える。ヌヌの顔がちょっとだけ引きつった。

「ま、まあ、でもあれだよな。まだいろいろ何とも言えない感じっつーか、その……なあ、アルラウモン?」
「へ、あ、ええ!?」

 口だけむしゃむしゃ動かしながら視線は微動だにしないあたしに、ヌヌの目が泳ぎに泳いで、耐え切れなくなったかたまたま視界に入っただけであろうウネ子ちゃんへ話を無茶振る。振られたウネ子ちゃんはあたしとヌヌを交互に見て、ただただ戸惑うばかり。あたしのウネ子ちゃんを盾にする気かこの野郎。
 あたしはウネ子ちゃんの煎れてくれたハーブティーを一口。鼻孔から全身を駆け巡るような優しく爽やかな香りはまるで妖精の……じゃないや。口の中のものをごくんと飲み込んで、ううんと咳ばらいをする。

「ウネ子ちゃん困ってんでしょ。虐めないの。星になりたい?」
「いや、虐めたわけじゃ……てゆーか怖いな。その、あれだよほら」
「どれよ?」
「あー、えっと……あ、そうそう。預言だよ預言! あれってそもそも信憑性とかどんなもんなのかなーって」

 なあ、と視線をあたしからウネ子ちゃんへかくんと移してぎこちなく笑う。話を逸らすためにたった今思いついたであろうことをまるで隠せてもいなかったが、うん、確かに今までの預言がどんなものであったかは聞いておきたいところである。ちょっと癪だが乗ってやるとするか。
 あたしは話を促すようにウネ子ちゃんに向かって頷く。ウネ子ちゃんは少しだけ考えてから、ええと、と切り出す。

「そ、そうですね、身近なことはよく当たっています。鉱山の落盤も言い当てておられましたし。ただ……」

 ほう、いやそれは普通にすごいな。しかしウネ子ちゃんの口調はどうにも歯切れが悪い。あたしは首を傾げて問い返す。

「どうかしたの?」
「いえ、それが、スケールが大き過ぎるといいますか、このジャングルからでは確かめようもない預言も多くありまして」

 申し訳なさ気に俯いて、ぺちぺちと頭のお花を撫でる。あたしもやりたいなそれ。後で触らせてもらおう。なんて思っているとヌヌが腕を組みながらふうむと唸る。窓から空を見上げて目を細める。瞼の無い目をどうやって細めたかは気にしてはいけない。

「まあ、この小世界って結構辺境らしいからな。外で何かあっても中々情報入ってこないんだよ」
「当たってるか外れてるかもわかんないわけだ」
「はい。それに解読したところで、預言自体が何の話かよくわからないこともあったりしまして。以前も確か、虫の楽団と羊の王様がどうとか……」
「何それ?」
「さあ……村長たちはなぜか世界の危機だと騒いでいましたが、少なくともこの小世界では特に何も起きていません」

 世界の危機と来たか。預言自体は何だかとってもメルヘンな感じに聞こえたのに。まあいいや。ともかく、あの預言の信憑性に関して現時点では何とも言えないわけだ。あたしとヌヌ的には緑の汚濁部分の解釈次第なところも大いにあるのだけれども。てゆーかやっぱ普通にヌヌのことだと思うな、勇者的には。

「ハナ、きっとまた失礼なこと考えてるな、その顔は」
「うん」
「ベイベー、建前って知ってるかい?」

 うんうん。そうだね。ヌメヌメだね。適当に流してクッキーを一口。気付けば大皿は空だった。どうやら今のが最後の一枚だったらしい。あれあれ。あんなに山盛だったのにいつの間に消えたのだろう。ふしぎだね。
 ぽんとお腹を叩いて息を吐く。二分目くらいかな。夕食もあることだし、この辺りにしておくか。よし、と頷いて、おもむろに横になる。

「寝るか。晩ご飯できたら起こしてね」
「え、え? あ、えっと、はい!」

 厚かましいにも程があるのは自覚できていたが、別に無理矢理押し掛けたわけでもないのであるからして。むしろおくつろぎくださいとお呼ばれしたならおくつろぐのが礼儀というものではなかろうか。てゆーかこの家なんかいい匂いして眠たくなっちゃうんだもの。

「悪いな、自由なんだ」

 なんて言うヌヌにも戸惑うウネ子ちゃんにも構わず、あたしは一時の眠りにつく。




 目が覚めたのはちょうど夕餉の香りがほのかに漂い始めた頃だった。ぽんぽんのアラームは今日も正確無比である。ウネ子ちゃんに洗面所をお借りして、冷たい水で頬をひっぱたいてから外にでる。弱く吹いた夜風が心地よかった。正確には夜風に乗ったご飯の匂いの話である。

「よう、ハナ。起きたか。飯だってよ」
「うん、知ってる」
「さすがだな」

 くんかくんかと匂いを頼りに宴の場所へと向かうあたしに、ヌヌが口にしたそんな言葉はどういう意味だったろうか。お腹が空いてて割とどうでもよかったので、とりあえずなんか適当なリアクションをしてから再び匂いを辿る。ヌヌが後ろでなんか言っていたが、もはやあたしの脳みそは食べ物以外の情報をシャットアウトし始めていたのでよく分からない。

「おお、救世主様! どうもお待たせ致しました。さあ、ご遠慮なさらずどうぞ!」

 村の広場に辿り着くと、いつの間にできたのか簡単な立食パーティのような会場が姿を見せる。「どうもお待た」ぐらいで既に手に取っていた骨付き肉の重厚な香ばしさと弾けるようなジューシーさを堪能しながら、満面の笑みであたしを迎えてくれたもじゃもじゃさんに会釈をする。隣でヌヌがほうと声を漏らした。

「また豪勢だな、この村じゃ食糧は持ってかれなかったのか?」
「食糧? いえ、特には。しかしこうも村人が減ってはいずれ収穫にも影響が出てしまうでしょう。今年はもじゃもじゃハーヴェストもできそうにありません」
「へえ、この村でもハーヴェストをやるんだな」
「ええ、勿論でございます。機会があればお二人も是非」
「ああ、そうだな。しかし、やっぱニセドリモゲモンたちは別の盗賊団だったのかな。なあ、ハナ?」
「むえ?」

 七面鳥みたいなのにかぶりつきながら、名前を呼ばれた気がして振り返る。ヌヌは二、三秒ほど同じ顔のまま固まってから、ふと笑って首を振る。首ないけど。

「いや、何でもない。それ旨そうだな」
「ふおいお?」
「よし、オイラも食うか。腹が減ってはなんとやらっつーもんな」

 よくわかっているじゃあないか。食べたものを何に変えて戦いに使うつもりなのかはさておくとして。それがどれほどの戦力の足しになるかもさておくとして。その心意気やよしである。あたしも負けてはいられないな。

「ところで村長、預言はどうしたんだ?」

 ポタージュに似たスープを飲みながら猛禽のような目付きで次の料理を選んでいると、隣のヌヌがすっかり忘れていたそんなことを聞く。口からは骨やら串やらが飛び出していたが、相変わらず器用に喋るものである。って、あああ!? あれはまさか……!

「おっと、そうでした。いえ、実はまだ解読途中なのですが、解読できた部分だけでもお伝えしておこうと思いまして」
「そっか、何て言ってたんだ?」
「はい、それが……」

 という会話を聞き流し、あたしはその場を走り去る。恐らく二人もしばらくは気付かないであろうほど迅速に、音もなく。なぜというなら生ハムメロンらしきものを見付けたからである。止むに止まれぬ事情という奴である。話は食後に寝物語の代わりにでも聞くとしよう。ついでに気になって集中の妨げになりそうだからさっき聞こえたハーヴェストとやらの詳細も聞いておくとしようか。
 生ハムとメロンの奏でる絶妙なハーモニィに恍惚としつつ、あたしは待ち受ける過酷な戦いの運命にちょっとだけ想いを馳せる。このメロンおいし。変な鎖が邪魔だけど。あっちのお魚とそっちのキノコはどんなお味だろうか。あちらこちらをせわしなく走り回る。宴の夜は、夢から溢れたような幻想とともに賑やかに更けていった。




 翌朝はウネ子ちゃんちのベッドで目を覚ます。なんでここで寝てるかはよく覚えてない。全品制覇の途中だった気がするのだけれど、あたしともあろう者がまだ見ぬ味を残したまま食事を終えてしまったとでもいうのか。

「おはようございます。ご気分はいかがですか?」

 馬鹿なと眉間を押さえてうずくまっていると、頭のお花をふりふり揺らしてウネ子ちゃんがやって来る。あれ枕にしたら気持ちよさそうだな。こぽこぽとハーブティーを煎れながら小さく首を傾げたウネ子ちゃんに、あたしは後ろ頭を掻いて大きな欠伸を一つ。

「んあー、なんかふわふわしてる。あたし昨日どうしたんだっけ?」
「あ、えっと、マボロシキノコのソテーを召し上がられた後、お休みになられました」

 そう言って微笑むウネ子ちゃんから湯気の立つカップを受け取って、あたしはわなわなと震える。

「マボロシキノコ!? 幻の珍味ってこと!?」

 食べたっけそんなの!? どれだっけそれ!?
 そんな珍しそうなものを覚えていないだなんて、これは由々しき事態ですぞと詰め寄れば、しかしウネ子ちゃんはふるふると首を振る。にっこりと笑い、何気ないことのように、

「いえ、味はただのデジタケですが、楽しい幻が見えるキノコです」
「それ食べちゃ駄目な奴ぅうぅぅー!」

 おおぉぉーーい!? 何食わしてんだあのもじゃもじゃはぁ!? 多分あたしが勝手に食べたんだろうけれども! 出すなよそんなもん!

「大丈夫です。後遺症はありませんので」
「それは何か起きた後の奴じゃないの!?」

 今思い返せば確かに、なんだか不思議な生き物があちこちを飛び回っているのが視界の端にちらちらと見えていた。どこもかしこも元から不思議な生き物だらけでそんなものかと思っていたけれど。よくよく考えれば宴の前には見なかった奴ばかりだった。

「ぅええ〜? ちょ、あたしホントに大丈夫なの? ねえ!?」
「し、心配いりませんよ。半分眠って起きながら夢を見るだけですから。って村長が言ってました」
「ゆ、夢?」

 なんて、幻よりは大分マシな言葉で言い直されて、半ば納得しかける。情報源に若干の不安を覚えたけど。騙されているような気もすごくしたけど。
 ん? あ、いやでも、あれ? いやいや、待って待って待って。

「ね、ねえ、でもあたしなんか記憶がまるっとなくなってんだけど……」
「ああ、それはですね、一つ食べたら半分眠るだけなのですが、もう一つ食べたら完全に眠ってしまうんです」

 おおーい!? だからか!? 沢山のお料理を残したまま宴半ばで倒れたのは!? じゃなくてぇ! てゆーか誰か教えてよぉーお!? ぷりーず・てる・みぃぃー!!

「よく眠れるんですよ。ぐっすりでしたでしょう?」

 でしたけれどもっ! あたしの晩餐んんーー!!
 もはや何に対する憤りかも定かでない。いや、どちらかと言えばお料理を全部食べられなかったことのほうがやや重大である。ああ、そうだとも。毒キノ……夢見るキノコなんてたいした問題じゃないのだとも。ないのであるからして、よし、そうだ。うん、忘れよう。前を向けあたし。思い出でお腹は膨れない。

「ウネ子ちゃん」
「はい、何でしょう?」
「盗賊退治できたら嬉しいよね」
「え? ええ、勿論です! とても困っていますから」
「つまり……終わったらもっかいやるよね?」

 そのためだけでもあたしは盗賊とくらい戦える。欲望まみれ過ぎて逆に真っ直ぐ澄んだ目で問えば、ウネ子ちゃんは一瞬たじろいでからこくこくと頷く。

「あ……はい! 勿論、昨日よりもっと盛大に!」

 身振り手振りを交えて、なぜだか少し焦った風に来たる祝勝会の盛大さを語る。そんなウネ子ちゃんにあたしは小さくガッツポーズをして、その胸に義憤の炎を燃やす。いや、あんまり小さくはなかったかもしれない。むしろ全力のガッツポーズだった気もする。炎もリアルにちょっと出た気がする。なぜって村で一番腕のいい料理人も盗賊団に捕まっているという補足があったからである。
 ともあれ、待っていろ悪党ども。この勇者ハナが手ずから貴様らを血祭りに上げてくれるわ。台詞が大分悪役だったけど、ええい、何でもいい。行くぞ、今こそ勇者の務めを果たす時だ!




 勇気と正義を胸に、意気揚々とウネ子ちゃんちを後にする。正確には昨日入れなかったお風呂をお借りするというワンクッションを挟んだが、士気の維持には支障ないので瑣事である。
 さっぱりして目も覚めて、朝日を浴びながら伸びをする。五、六度こん棒を素振りしてから、よしと頷いて、もじゃもじゃさんちへ向かう。

「よう、ハナ。よく眠れたか?」
「おはようございます、救世主様」

 もじゃもじゃさんちに着くと、いつも通りのヌヌと若干覇気のないもじゃもじゃさんに迎えられる。もじゃもじゃに隠れて判り辛かったが、もじゃもじゃさんの目の下には隈らしきものが見て取れた。解読は夜を徹して行われたらしい。

「おはよう。預言は?」
「はい、明け方にどうにか終わりました。やはり“黄色き星”に関する預言のようでございます」
「昨日の続きだな」
「ええ、シャーマモンによりますと……」

 真剣な顔の二人にあたしもまたきりっと表情を引き締める。何の説明もないところを見るに、あたしが昨日の話をまったく聞いていなかったことには気付いていないのかもしれないが、言い辛かったので黙ってテンションを合わせることにした。
 ヌヌがこくりと喉を鳴らし、もじゃもじゃさんが小さく息を吐く。やがて語り出すその口調は朗々と、詩吟を紡ぐが如く。
 曰く……

 北天の七つ星が死せる夜、黄色き尾を引く獣が天を駆る。
 一夜の空を巡り、やがて獣は首刈りの峰へと没するだろう。
 地に沈みて眠れる獣に牙はなく、爪はなく、命さえもない。
 されど、緑の汚濁を従えし戦乙女の抱擁をもって、獣は流星が如き剣となりて再び蘇るだろう――


 と、まだ見ぬ未来を告げる四行詩を読み上げて、もじゃもじゃさんは肺を絞り上げるように大きく息を吐く。あたしは腕を組んでふうむと唸る。そんなあたしの前でもじゃもじゃさんはそっと目を閉じて、頷いてみせる。そうして、やがてその上半身がゆっくりと傾いてゆく。
 へ? などとあたしが頓狂な声を上げたとほぼ同時だった。もじゃもじゃさんのずんぐりとした身体が床に倒れ伏したのは。ごおん、という中々に派手な音はもじゃもじゃさんの大きな頭が床に打ち付けられた時のそれ。
 え……はあ!? えええ!? 何がどうなすってぇ!?

「もじゃもじゃさん!?」
「お、おい、村長!?」

 まさか敵襲!? 預言の勇者を抹殺すべく!? ひっとめぇーん!?
 あわてふためきながら辺りを見回せど、よくよく見たら窓にはすだれのようなものがかかって外からは見えもしない。てゆーか、あれ? 密室? 部屋にいるのはあたしとヌヌともじゃもじゃさん、だけ。ん? あれあれ? この状況って客観的に見たらもしかして……ああ、うん。
 あたしが容疑者だあぁぁぁぁ!? なにゆえほわぁぁい!?

「ヌヌぅー! どうなったの? どうしたの!?」
「あれ? これって……」

 もじゃもじゃさんの容態を確かめながら、訝しげにヌヌが首を傾げる。これって、って何!? もう息はない!? 手遅れだぁ!? いやー! 聞きたくなぁーい!!
 そんな馬鹿な! 勇者の旅路に困難はあって当然だけれども、こんなサスペンス的な奴だっけぇ!? べ、弁護士! 弁護士をぉぉ!!

「あのぉ、今何かすごい音が……」

 頭を抱えて悶えに悶えていたそんな時、どこかのほほんとした声と顔で現場にやって来たのはウネ子ちゃんだった。ぎゃああぁぁぁ!? 見付かったあぁぁ!? 違うの違うのあたしじゃなくってよおぉぉ!?

「おう、アルラウモン。なんか今村長がな」
「ああ、またですか。お年なのに無理をなさるから」

 のおおぉぉぉぉ……おおん?

「なんだ、やっぱ寝てるだけか。びっくりさせないでくれよな」
「すみません。解読の後は決まってこうなんです」

 という二人の会話をおちょぼ口で咀嚼しながら、あたしはひょっとこみたいな顔を徐々に戻す。頭の中でヌヌの言葉を繰り返して、ぐにんと眉をひそめる。

「……寝てるの?」
「ああ、よく寝てる。ところでその恰好は何だ?」

 指摘されて掲げた両手を見る。預言の解読を喜ぶ万歳というのは苦しいだろうか。きっと苦しいだろうから止めることにした。ゆっくりと手を下ろし、うんと頷く。

「準備運動、とか」
「おお、やる気満々ってわけだな!」
「ま、まあね」

 こほんと咳ばらいを一つ。何事もなかったかのように表情を戻す。てゆーか何事もなかったし。

「ええと、そんなことよりさっきの預言だけど」
「ん? ああ、黄色い星の預言だったな」
「どっかの山に落ちたから拾いに行きなさい的な」
「かい摘まんだな。まあ、大体そんな感じだったけど」

 直後の一騒動で半分くらい飛んじゃったんだよ。まあ、なくてもちょっと一回じゃ覚えきれなかった気もするけど。
 えー、なんだっけ。黄色い星は黄色い獣で、どっかの山に落ちてて死んでて、あたしが抱き着いたら生き返る。だっけ。なんだそれ。
 頑張って思い出して、改めて考えて、そして頭を抱える。どうしよう、さっぱり分からない。とりあえず勇者の剣的な奴をどっかの山に取りに行かなきゃいけないんだろうか。どこの山かもよく分からないけど、あ、いやいや。違うな。あたしがこの世界の地理を知らないだけか。

「ねえ、預言で言ってた山って」
「首刈りの峰、だったか」
「そうそれ。ってどこにあんの?」

 期待を込めて問えば、ヌヌは首を傾げて即答してみせる。

「さあ、聞いたこともねえけど。アルラウモンは?」
「いえ、私も聞いたことが……」

 ああ……そうすか。地名知ってても駄目らしい。
 だああ、もう。なんだよ四行詩の預言って。判り易く言っちゃいけない決まりでもあるのか。言ったら死ぬのか。判り易過ぎたら安っぽくて雰囲気なくなるのは分かるのだけれども。生き死にに直結することくらいはその辺目をつむってくれてもいいのではなかろうか。
 ぐぬぬと唸る。唸りに唸っていると、ふと何かを思い出したようにウネ子ちゃんがぽんと手を打つ。その仕種可愛いな。飼いたいな。

「そう言えばいつだったか、流れ星を見たことはあります。黄色と言われれば黄色かった気も……」
「え、ホントに? どこに落ちたの!?」
「正確には分かりませんが、ここから北西の方角だったと思います。多分」

 北西。言われて視線を向ける。どこがそうかはわかんないので何となく寒そうな気がする方向を見た。なんてことをしていると不意にヌヌが何だか変な顔をしてみせる。雰囲気を大事にし給えと言ってやろうかとも思ったが、しかしどうやらあたしに対してではなかったらしい。明後日の方角を見ながら眉間にシワを寄せる。眉間ってどこだろう。

「んん? つーかそれ、オイラも見た気がするぞ」
「ええ? 夢でしょ?」
「うえぇ!? ちょっと待って、アルラウモンと反応違くね!? オイラのが付き合い長いよね!」
「ほんの三日ぐらいね。てゆーか冗談だって。で、いつ見たの?」
「それはよく覚えてないけど」
「ふうん、そう」
「おおっとぉ!? 信じてくれよハニー! ホントに見たんだって!」

 いや、信じるもなにも。だったらそれもうウネ子ちゃんから聞いたし。何一つとして真新しい部分のない情報を一体どんな顔して後出しするんだこいつは。そんな顔か。変な顔だ。ともあれ、どうでもよいというのが正直なところである。
 はいはいと流してウネ子ちゃんへ向き直る。

「ともかく、北西の山なんでしょ。ねえ、ウネ子ちゃん?」
「はい。ですが……」
「うん?」
「北西というと、その……」

 大変申し上げ難いのですが、といった風に言い淀む。窓の方を見ながら困った顔をしてみせる。

「盗賊団のアジトと、同じ方角なんです」
「……うん?」




 もじゃもじゃ村から北西へ徒歩数時間。ジャングルを抜け、荒野を進んだ先。やがて見えてくる採掘場に盗賊団の根城はある。らしい。
 荒野の先は一面山岳地帯だそうで、山なら辺りにいくらでも聳えているわけである。首刈りの峰とやらは誰に聞いても知らないと言われたが、恐らくはその辺りの山のどれかなのだろう。きっと。多分。

「とりあえずは盗賊んとこ目指しながら道中で剣探し、的な?」
「的な感じかな。見切り発車って言葉が脳裏を過ぎったけど」

 こん棒を片手に、リュックを背負って村の広場で大きく息を吐く。言われるまでもなく計画性の無さは自覚できていたが、今度こそお腹いっぱいご馳走を食べるためにはそれでも前へ進むしかないのである。まあ、昨日は結構余っちゃったみたいで、残り物を朝ごはんとお昼のお弁当にたっぷりいただいたところではあるのだけれども。ところでどうでもいいけどこんなジャングルに電車なんて走っているのだろうか。

「ま、何にせよ北西だな」
「そうね。そんじゃあ、とっとと行ってさっさと片付けるとしますか!」

 ご飯のために。という最後の言葉はどうにか飲み込んで、腕が鳴るぜとばかりに肩をぐるぐる回す。端からは正義のために戦おうとしているように見えるだろう。ヌヌと村人たちの視線に若干の罪悪感を覚えた。うん、ごめん。正義のためにも戦うから。

「どうかお気をつけて」

 そう言って少し心配そうに見送ってくれたウネ子ちゃんに笑顔で手を振って、あたしたちは村を後に、密林を北西へと進んでいく。




 村を発って程なく、何事もなくジャングルを抜けて荒野を行く。やがて辺りに岩場が増え、大岩だかちっちゃい岩山だかも見えはじめてくる。おーいと呼び掛けながら高い岩と岩の隙間を縫うように進む。
 腹時計がお昼をお報せした頃に手頃な岩に腰を下ろしてお弁当をいただく。軽目に重箱五つを平らげて、ごっつぁんですと手を合わせる。短い休憩を置き、再び岩場を歩き出す。
 そうして、あたしたちは遂に辿り着くのである。

「うん」

 と頷いて、ヌヌと顔を見合わせる。互いにとても晴れやかな顔だった。

「ヌヌ」
「ああ」

 もう一度頷き合う。岩壁の上から目的のそれを見下ろして、現状を確認する。そして、あたしは頭を抱えるのだ。

「着いちゃった……」

 眼下に見えるのは採掘場。そこら中でモヒカンが闊歩するモヒカンパラダイス。世紀末か。どうやら間違いなく盗賊団の根城らしい。唇を噛んで、膝から崩れ落ちてみる。

「ヌヌ……剣は?」
「なかったな」

 問えど返ってくるのはそんな即答。馬鹿な。何一つとしてイベント起きないまま着いたぞ。どうなってやがる。

「え、なんで?」
「なんでって言われても。そうだな。預言がガセだったか、あるいは……」
「あるいは?」
「“黄色ー!”とか“星ー!”とか叫びながら歩くっていうあの探し方に問題があったか、だな」

 な、なんですって!? 勇者なんだしイベントなんて向こうから来るもんじゃないの!? 今までずっと強制イベントだったじゃない!
 心の中で雄叫ぶ。脳内に反響する自分の声を反芻し、そしてまた叫ぶ。
 ゲーム脳かあぁっ!? 馬鹿か! 見付かるかそんなもん!!
 自分でボケて自分で突っ込む。何をやっているんだあたしは。何に対して何やってんだと言ったかは定かでないが、とにかく待て待て落ち着き給え。
 どうする? 引き返してちゃんと剣を探すか? このくっそ広い山岳地帯であるかどうかも分からないものを当て処なく? だるい!
 三秒ぐらいで出た結論によしと頷いて拳を握る。

「ヌヌ」
「ん、なんだ?」
「皆には、勇敢だったと伝えておくからね」
「あれえ!? オイラが行く感じになっちゃった!? 何故に!?」

 何故にって、早く戻ってご飯を食べたいから? っていう本音は説得にもならないと分かり切っていたので、喉元までで留める。やれやれ、本音を押し殺してばかりだな。せちがらい世の中だぜ。せちがらいって何だったかな。まあいいや。

「何を言ってんのよ“黄色い星”。今こそ輝く時が来たのよ!」
「え? オ、オイラを黄色い星だと認めてくれるのか、ハナ!」
「勿論よ。だから、さあ! 当たって砕けてらっしゃい!」
「おお、ハナ! なんかさっきから失敗が前提みたいな言い方にも聞こえるんだけど、気のせいだよな!?」
「うん、多分」
「多分!?」

 まだ見ぬ美味しいご飯に思いを馳せながら、油断すると溢れそうになるよだれを堪え、早くし給えとこん棒の先でぐいぐいとヌヌの背中を押す。

「もう、いいからうだうだ言ってないで行ってこいっての。がんばれ星!」
「雑っ! 説得にしても騙すにしても雑過ぎないかなあ!? そしてそのよだれは何かなあ!?」

 あれ、出てた? やあ、失敬失敬。溢れ出る期待とよだれを今度こそ頑張って抑え、きりっと真面目な顔をする。

「とにかく、いつまでもこんなとこでぐだぐたしてたってしょうがないでしょ」
「いや、そりゃそうだけど。そうは言ってもあれはちょっと……」

 そう言って崖下に目をやる。どこもかしこもゴブリンだらけ。一匹くらいシャーマン紛れてやしないかとも思ったが、よくよく考えたらどうでもよかったので探すのは止めた。
 そんなことより問題は、その親玉と思しきデカゴブリンだ。さっきから視界には入りつつも全力で見えないふりをしていたが、そろそろ現実を受け止めねばなるまい。椅子のように積まれた岩の上に踏ん反り返るその巨体。頭や肩から生えたでっかい角。裂けた口から覗くでっかい牙。自分で言っておいてなんだが、デカゴブリンなんてかわいらしいものでは絶対になかった。

「オーガモンだ。見るからにボスだな」
「ねえ、ヌヌ。気のせいだとは思うんだけど、なんか三重に見える」

 ファンタジーに出て来るオーガそのものな怪物。の、両隣にはどういうわけか色違いの同じ怪物様ズがいらっしゃるように見えた。疲れているのかな。マボロシキノコでも食べたかな。穏やかに微笑んでみるが、ヌヌは首を振る。

「残念だけど現実だ。フーガモンにヒョーガモン……オーガモンの亜種だな」

 またパチモンか。好きだなあいつら。虎パンツの赤いオーガと、氷柱の生えた青いオーガ。そしてベーシックな緑のオーガを順に見て、あたしは肩をすくめる。ふぃーやれやれと息を吐き、ねえ、とヌヌに呼び掛ける。うん。

「がんばれ」
「あれ見てまだ言えるの!?」
「愛と正義とご飯のためよ」
「一個おかしくないかな!?」

 おかしくなどない。美味しいは正義であり愛なのだから。ごちゃごちゃうるさい奴である。確かに勝機は欠片もないように見えるし、一矢報いることもなく返り討ちに合うのは火を見るより明らかだ。挑む意味は皆無と言っていいだろう。成る程、改めて考えるとあたしの言っていることは一個どころじゃなく全部おかしいようだ。認めよう。でもあたしは美味しいご飯を食べたいのである。あいにーどでりしゃすご飯!

「なあ、一応言っとくけど、オイラが玉砕したってこれ多分ちっとも解決はしないぞ」
「それはわかってんだけど、なんか自爆的な奴とかできたりはしない?」
「しないよ!? よしんばできたとしてハナはそれで満足しちゃう子だった!?」

 むう、そう言われてしまうと良心がちくっと痛いな。いろんな意味で寝覚めも悪そうだし、仕方ないから諦めてやるか。やれやれ困った坊ちゃんだぜと肩をすくめる。という冗談はまあ、この辺にしておくとして。さて、実際問題どうしたものかな。
 敵戦力はボスとおぼしきオーガ三兄弟を筆頭に、見えてるだけでゴブリンが四、五十……六十? ええと、いっぱい。後なんか初めて見る奴もそこかしこに。
 というかあいつらそもそもこんなとこで何をやっているんだろうか。大勢でひたすら岩を運び続けているようだけど……そういえばここって採掘場だとか言ってたか。ニセモグラも鉱山にいたけど、なにゆえそんな美味しいご飯もないようなところにたむろしたがるのか。まったく理解に苦しむな。石しかないじゃないか。石が食べられるのか愚か者め。食べられるのかな。ちょっとかじってみようかな。

「ハナ、ハナ! 聞いてる? ちょっと聞いてくれてる?」
「へぇ? あ、え、何?」

 そういえば泥も食べられたなと思考が明後日の方向に彷徨い始めた時、あたしを引き戻したのは煮ても焼いても無駄そうな緑の汚濁ことヌヌだった。

「そのよだれの理由は一先ず横に置いとくとして、ともかくオイラちょっと思い付いたことがあるんだけどさ」
「え? 自爆する方法とか?」
「まだ言うの!? その案は一回白紙に戻そうか!」
「冗談よ。で、どんなの?」
「冗談の目だったかな今の……まあいいや。えっとな、預言のことなんだけどさ」

 崖下の盗賊たちをちらりと見て、辺りを見渡し、そして最後に空を仰ぐ。釣られて見上げた空はまだ日も高い昼の青空だった。

「って、黄色い星? 探しに戻るの?」

 とても面倒臭いのですがとはっきり顔に書いて嫌そうに首を傾げる。けれどヌヌは即座に首を振り、再び辺りを見る。

「いやさ、流星って要は上から降ってくる石の塊なわけだろ?」
「まあ、乱暴に言えばそうだろうけど、それが何?」
「ああ、オイラここ来てふと思ったんだけど、それってさ……」




 キョロキョロと辺りを見回しながら崖の上を歩き続ける。十数分はそうしていただろうか。やがてあたしたちは“それ”を前に足を止める。探し求めたものが今、あたしたちの目の前にはあった。

「ハナ……これだ!」
「ええ、確かにこの形状、本当に間違いないかもって気がしてきた。ねえヌヌ、あれほら、預言! どんなだっけ?」
「ああ! 確か、黄色い星の剣が……剣に? 戦乙女が……何かして、敵をやっつける? みたいな、なんかそんなだったな! よく覚えてないけど!」
「うん! 確かにそんなだった! よく覚えてないけど!」

 預言が語った星の剣。残念ながら若干記憶は曖昧だが、まあ要点は合っているだろう。あんなの覚えられるわけないしね。とにもかくにも、今こそ遂に救世の預言は成就せりと、思わず少しテンションが上がる。
 拳でこつんと叩いて、その硬い感触を確かめる。盗賊たちのちょうど真上辺り。崖っぷちに鎮座するそれは、丸く、大きな、とてもとても立派な岩であった。

「まさか星の剣が、落石だったなんてね!」
「ああ、オイラもびっくりだぜ!」
「お手柄よ、褒めてあげる!」

 何とも落とし易そうな球状のそのフォルム。落ちれば盗賊共の脳天に直撃するであろう絶妙なそのポジショニング。ヌヌから聞いた直後は半信半疑で何言ってんのアホなのこいつと思ったものだが、こうして目の当たりにするとまさにこれこそが星の剣であると、確信にも似た思いが沸いて来る。これを流れ星の如く落として愚かな悪党共に正義の鉄槌をくれてやれという、そんな預言だったわけだ! 他にも何か言っていたような気もするが、まあたいした問題ではないだろう!

「よしハナ、やってやろうぜ! 世界を救う時が来たんだ!」
「よおし、行くよヌヌ! 踏ん張んなさい!」

 岩と地面の隙間にこん棒を突っ込み、梃子のように片足でこん棒の先を力いっぱい踏む。そのまま上半身は高さ三メートルはあろう大岩に抱き着いて、崖下に向かって持てる筋肉の限りを込めて押しに押す。あ、一個思い出した。“戦乙女の抱擁”だ。そうか……タックルか!
 やはりこれが正解なのだと確信を持って、歯をかみ砕かんばかりに食いしばる。隣ではヌヌが一生懸命に軟体を伸ばして岩を押していたが、あまり足しにはならなそうなので自分で頑張ることにした。

「ぐぅうんぬんぬんぬぅ〜……ふー!」

 という乙女にあるまじき野太い声と鼻息が出たが、そんなことを言っている場合ではない。ではないので、もっと力を込める。多分般若みたいな顔してると思うけど、幸いにもほとんど岩に顔を埋めている恰好なので乙女の尊厳は無事である。梃子のこん棒を踏み込む左足と、地面を踏み締める右足の筋肉が唸りを上げる。気のせいか身体から蒸気のようなものが湧いて見えた。ごりごりと、岩と地面の摩擦音が聞こえた。よし、いける!
 確かに大岩の動いたその感覚。全身に伝わるその振動。やり始めて五秒くらいの時点ではあれこれ無理じゃねとか思ったが、為せば為るものである。重い音を静かに上げて、僅かずつ前へと進む大岩。これが最後の一押しと、雄叫びを上げて全身の細胞を燃え上がらせる。

「ぬぅんどおぉりゃああぁぁぁ!!」

 足が地面に手が岩に、深々と突き刺さる錯覚。重い感触は、けれど一瞬。一際大きく岩が動いて、かと思えば込めた力が空を切る。思わずつんのめる。崖下に沈みゆく大岩が酷くゆっくりに見えた。弾かれたこん棒がくるくると宙を舞う。そうしてふと、あたしは気付くのである。なぜと聞かれても理由は分からない。ただ、何となく今この瞬間に頭を過ぎったのである。
 とん、と一歩を踏み出して、振り返る。ヌヌの緑の顔を見て、青い顔をする。崖下に見えた知らない奴ら。よくよく考えたらそういえば――

「人質……忘れてた」
「あ」

 てへぺろでは済まないクリティカルなミスであった。途端に体感時間が元に戻る。どのみち無駄であろうが手を伸ばす暇もなく岩はあたしたちの視界から消える。

「ふぎゃあああぁぁぁお!?」
「何やってんだハナあぁぁ!?」
「あたしだけのせいだっけぇ!?」

 ごめーん! 罪もなき人々よぉぉ! ってごめんで済むか馬鹿あぁぁぁ!!
 慌てて崖っぷちから身を乗り出す。ごおんごおんと岩肌を叩く轟音と、その隙間を縫うような悲鳴。取り返しのつかない惨状を想像しながら崖下を見る。
 ちょうど、その時だった。ふと、何かが視界を下から上へと過ぎったのは。
 ひゅ、という風を切る鋭い音。と同時にどういうわけか影が差して、かと思えばそれも束の間。そして直後に、背後で起こる地鳴り。地面が揺れて、心地の悪い浮遊感に襲われる。ゆっくりと振り返れば、見覚えのある大きな岩がそこにはあった。

「ええと……」

 岩を見て、ヌヌを見て、首を傾げて崖の下を見る。こちらを見上げてざわめくゴブリンたち。落石の跡は見て取れない。一体何が起きたのだと視線を泳がせる。不意に、ゴブリンたちの見詰める先があたしたちだけではないことに気付く。目線を追って、真下を見る。垂直に近い絶壁を四つん這いで駆け登る、緑のオーガが見えた。

「っ! ぎゃああぁぁぁ!?」
「ハハハハナぁぁ!? にげっ! 逃げるぞぉ!?」

 言われるまでもなかった。わったわったと何足歩行かもよくわからない恰好で迫り来るオーガから逃げようと地面を蹴る。けれど、

「ぅおらぁぁぁぁ!!」

 轟く咆哮は瞬く間に絶壁を登り切り、一瞬あたしたちを通り過ぎる。響く怒声が落雷のように頭上から降る。あまりにも僅かな刹那の静寂を置いて、それはあたしたちの目前へと現れる。
 状況を把握するには時間を要した。絶壁を登るばかりか中途で跳躍し、あたしたちの頭上を山なりに飛び越えてその逃げ道を塞ぐ。そんな出鱈目な芸当を一目で理解しろというほうが無理な話だ。
 それでも退路を断たれたことくらいはわかった。わかったので、全速力で一目散にとんずらここうとした両足に慌ててブレーキをかける。こつんと、先程大岩から弾かれたこん棒が爪先に当たり、地面を転がった。着地と同時に俯き気味な態勢をしていたオーガがゆらりと顔を上げる。怒りに満ちた両の目が赤く炎のように輝いて見えた。
 ひぃ、と喉の奥で小さな悲鳴が漏れる。

「ぅおおぉーい!! どこの命知らずかと思えば人間だぁ……? 選ばれし子供って奴か? ああ!?」
「え……あの、ええと……!」

 何が、何が正解だ? 何て言えばこの場を乗り切れる? 何を言っても駄目な気しかしないんだけど!?

「村の奴らに頼まれたか? それにしちゃあとんでもねえ手で来たもんだが……!」

 それについてはマジすんませんしたとしか言えないのだけれども。どっかの汚濁の口車に乗せられただけなんです。あたしの提案ではないんです!

「なあ、おい。ああ? 俺ぁさっきから質問をしてるわけだが……返答が一つもねえってなぁどういう了見だろうなあ? ああん!?」

 ただでさえ鬼の形相を激情に染めて、オーガが吠える。先程の大岩に手を置いて、握力だけでどでかい亀裂を入れてみせる。ビビり過ぎてうまく声を出せないだけなのだが、どうやって説明すればわかってもらえるだろうか。どのみち説明はできたところで釈明はできそうにないけれど。
 ずしん、とオーガが一歩を踏み出す。当然後退ろうとするも、背後で何やら大きな音が聞こえて思わず踏み止まる。振り返りたくもなかったが、どうやら赤と青もおいでなすったらしい。
 二歩、三歩とオーガが迫る。四歩、五歩と踏み出して、不意にその爪先が転がるこん棒に触れる。オーガは訝しげな顔でそれを拾い上げ、はっとする。

「おいおい、こりゃゴブリモンのじゃねえか。鉱山の向こうにやった奴らか?」
「こ、鉱山?」

 声出ろ声出ろと念じ続けたお陰かどうかはわからないが、見事に裏返りながらもどうにか言葉を搾り出す。しかし、鉱山というとやはりあの、

「モグラ……の?」

 混乱の中、あまり深くは考えずにそんな言葉を返す。失言だったことに気付いたのはオーガの顔色が変わった後だった。

「おぉい……おおぉーい!! そいつぁどういう意味だぁ!? ああぁん!?」
「へえ!? ど、どど! どういう意味と、おおおっしゃいますと!?」
「惚けんじゃねえぇ! てめえらニセドリモゲモンをどうしたぁ!? 答えやがれぇ!!」

 にゃああぁぁ! そういう話の流れになっちゃう!? なっちゃうか! どうしよう!? どうしようもない!? ふぎゃああぁぁぁ!

「ごごごごめんにゃしゃーい! つい! つい出来心でえぇぇ!!」
「うおお!? ハナさぁん!? そこは惚けたほうがよかったんじゃないかなあ!?」
「ええ!? あ……ああっ!?」

 気付いた時には、もう取り返しなどつきそうもなかった。オーガの目が一際強くぎらりと光る。背後からも刺すようなそれをはっきりと感じ、改めて逃げ場がどこにもないことを悟る。

「このクソガキどもがぁぁ! 兄者ぁ! ニセドリモゲモンの仇だ! 俺にもやらせてくれぇい!」
「おうともよ! 我ら四天王の一角を落としてくれたその罪! 万死に値するっ!」

 後ろで赤と青が吠える。四天王……そうか、やはり仲間だったのか。それも幹部クラス。とんでもないのに手を出してしまったらしい。緑の鬼人・オーガモン、赤の鬼人・フーガモン、青の鬼人・ヒョーガモン、そしてニセドリモゲモンで四天王……! っていうか、

「なんで一匹モグラ入れちゃったの!?」

 思わず突っ込む。そんなゆとりはないと理解しつつもほぼ無意識であった。いや、ここは突っ込まねばという思いがまるでなかったと言えば嘘になるけれども。谷間にこだまする自分の声を聞きながら、あたしは己の呪わしい性にそっと涙する。ふ、うふふふふ。

「ハ、ハナ……?」

 あたしを見るヌヌの顔がいやに青かった。叫んだ声は何度も何度も反響を続け、失言はいつまでもいつまでも消えてなどくれない。オーガの顔が、なぜだがとても穏やかだった。ふふ、やっちまったぜ。突っ込んだ時の顔のままで声も上げずに泣く。

「そぉかぁ、はっはっは……そいつを言っちまうんだなああぁぁ!?」
「てめえ! 言っていいことと悪ぃことがあんだろうがぁぁ!?」
「命が惜しくねえらしいなぁ、クソガキがあぁぁ!!」

 ほぎゃああぁぁぁん!? 思った以上にデリケートな部分だったぁ!?

「なあ、おい! こいつか? ああ!? こいつでニセドリモゲモンをやりやがったのか!? あああっ!?」

 先程拾い上げたこん棒を振りかざし、怒りに鬼面を歪めてオーガが叫ぶ。それは横の汚濁を吹っ飛ばすのに使いましたと言って果たして信じてはもらえるものだろうか。

「だったらこいつでてめえの脳天もかち割ってやろうじゃねえかぁ!!」

 そしてさっきからなんかモグラが死んだ感じになってるけど、毒リンゴ食わしただけですって釈明はどのくらいあの怒りを鎮める助けになるだろうか。きっとならないのだろうね。

「往生するんだなぁぁ……!」

 至近にまで迫ったオーガが凄まじい形相でにたりと笑う。その恐ろしさたるや、元が元だけにモグラとは比ぶべくも無いほど。モグラがかわいらしくさえ思えた。全身の血液が凝固するような感覚に襲われる。ふと目だけを隣へやると、ヌヌの軟体がかつてないほどに妙な形で固まっていた。オーガは大きな舌をべろりとこん棒に這わせ、あたしの脳天をかち割るにちょうどいい間合いへと最後の一歩を踏み出す。
 そうして、ずしんと重々しい音を響かせ――口から泡を吹いて仰向けに倒れる。

「……ぁえ?」

 変な声が出た。目の前で白目を剥いて痙攣するオーガをしばし呆然と見る。いや、時間にすれば一秒にも満たなかったろう。そんな一瞬が酷く冗長に感じた。薄く引き延ばされた時間の中で、あたしの脳みそが目まぐるしく回る。その考えに思い至れたのは、だからこそであろう。幸運と呼ぶのも馬鹿馬鹿しい、ふざけきった偶然の産物だった。
 毒リンゴを潰して果汁の染み付いたこん棒をこのタイミングでオーガが舐めてくれるなど、果たして誰が予想できただろうか。

「「あ、兄者ああぁぁぁ!?」」

 後ろから聞こえたニセオーガ兄弟の叫びと同時。弾かれるように声を上げる。

「ヌヌぅ!!」
「ハナぁ!!」

 互いに互いの名前を呼んで、確かめる間もなく走り出す。小刻みに震えるオーガの横を苦もなく通り過ぎ、ただ少しでも早く少しでも遠くと全力で疾走する。

「て、てめえ! 威嚇する時必ず武器を舐める兄者の癖を見抜いてこんな罠を仕掛けやがったのか!?」
「なんて野郎だぁ!?」
「知るかああぁぁああぁぁぁぁ!!」

 後ろから聞こえる無茶な言い掛かりに今度こそ何の遠慮もなく叫ぶ。下手に出る意味はもはやない。生きるか死ぬか、やるかやられるかの瀬戸際に爪先で辛うじて立っているのだから。どっちかって言うと駄目なほうに転びそうだけど。

「ヌヌー! 解禁! 禁じ手解禁! 使って地獄絵図!!」

 脇目もふらずに駆けながら、ヌヌの姿を確かめる余裕もないままに声を張る。こうなってはなりふり構ってなどいられない。自身の巻き添えすらもやむなしという悲壮な決意を胸に、禁断の最終兵器にゴーサインを出す。

「ええっ!? そんな急に言われてもデジソウル溜まってないけど!?」

 ただ、当の最終兵器からの返答だけは予想外だったけれど。

「うおおぉぉーい!? 溜めててよお!?」
「じゃあ次からは早めに言ってくれるぅ!? それともう一個言いたいんだけどさぁ!」
「何ぃ!?」

 詰まらない喧嘩なんてしている場合ではない。事ここに至って何を言おうというのか。振り向いて問い返せば、ヌヌは穏やかな顔で下を見る。

「こっちも崖みたいだぜ、ハニー」

 言葉の意味を理解するには一瞬の間を要した。振り返り、見上げれば、あたしたちを追ってきたニセオーガ兄弟の姿が見る見る遠ざかる。そんな光景にようやくあたしは気付くのだ。嗚呼、落ちていると。駆ける足が空を切る。いくらなんでもそれはない。そんな馬鹿な話があるものか。そう言いたいのは山々だったが、やはりどう考えても落ちているのだからしょうがない。

「もう三メートル手前で言ってくれる!?」
「ごめん。落ち始めてから気付いたもんで。でも気付くまでちょっと空中走れてなかった?」
「いつの時代の漫画よおぉぉ!?」

 入り組んだ地形に絶叫が尾を引いて踊る。あんたはギャグキャラだからそういう演出だけで済みそうだけれども、至ってシリアスなハナさんはそうもいかないのだ。今から面白いこと言っても間に合うかな。谷間を跳ね回る叫びがやがて空へと翔けてゆく。遠く遠く、たとえるならそれは天国的なところへまで届くほどに。嗚呼、どうか来世は報われますように……!




 目が覚めた時、あたしは緑の地面に横たわっていた。草原と呼ぶにはあまりに鮮やかなライトグリーンの大地。現実味のない場所だった。
 そうか。ここがあの世とやらか。思った以上に呆気ないものだ。そして、儚いものだ。
 空を見上げる。高い木々に阻まれた狭い空だった。地面以外は普通の森の中にも見えた。天国にしては色気も味気もない風景である。パチモンばっか作ってる神様のお膝元ならこんなものかもしれないが。

「……なあ」

 ふかふかのお布団と美味しいご飯はあるのかな。なんてぼんやり考えていると、耳元で聞き覚えのある声がした。清廉潔白にして品行方正なハナさんが逝くのは天国でも最高級スウィートであろうからして、幻聴であることは間違いないのだけれど。しかし幻聴にしてはとてもクリアな音質だった。あたしはふと、気まぐれを起こして幻聴に答えてみることにした。

「なあに?」
「いや、気がついたんならそろそろ退いてくれないものだろうかと思って」
「退く?」

 寝転がったまま首を傾けて、幻聴の音源と思しき緑の地面に目を向ける。舌が見えた。歯も見えた。なんだろう、このけったいな地面は。

「あれ? やっぱり怪我したのか? 立てそうにないか?」

 謎の口がうねうね動いてあたしによく分からないことを問う。まあ、っていうそろそろ頭も冴えて状況を把握でき始めてきてはいたのだが。あたしの真下にだけ広がるぬるっとした謎の緑の地面をじっと見詰め、なおも聞こえる謎の声を頭の中で咀嚼する。そうして、あたしは叫ぶのである。

「っ! ほぎゃあああぁぁぁ!?」

 両腕を頭の上にぴんと伸ばした恰好で陸に打ち上げられた鮮魚のように跳ねて緑の地面から離脱する。てゆーかヌヌの上から飛び退く。

「うぉほっ!? なな、何だ!? どうした!?」

 うにょーんと元の形に戻りながらわたわたするヌヌに、あたしはぴっちぴっちと必要以上に距離を取ってから立ち上がり、今度は全速力で後退る。肩で息をしながら、状況を把握して身悶えする。そりゃさっきは地獄絵図の巻き添えも覚悟しましたけれども。一回止めてからの不意打ちは酷いんじゃないかしら!?
 という言葉を飲み込んで、あたしは胸を押さえて呼吸を整える。

「だ、大丈夫かハナ? 元気そうだけど、痛いとこあるか?」

 なんて心底心配してくれている風な相手に、言っていいことと悪いことの区別くらいはさすがのあたしにもつくのである。

「ふ、ふへへ、平気よ」
「そうか……それほんとに大丈夫な奴?」

 どうにか笑ってみせる。大丈夫じゃなさそうな笑い方なのは自覚できていたが、今はこれが限界である。
 ふう、と大きく息を吐き、周囲を見渡す。
 辺りには鬱蒼と繁る木々。振り返れば高く高く聳える岩壁が見えた。あの世じゃなかった。ぴんぴんしてた。どうやらどうにか、あたしたちはオーガたちから逃げおおせたらしい。あの断崖絶壁から奇跡的に生き延びて。というか、状況から察するに、

「ええと、ヌヌが庇ってくれたの?」

 でもなければ今頃あたしはZ指定なモザイク必須のハナさんになっていたことであろう。若干の後ろめたさを覚えながら恐る恐る聞いてみると、ヌヌはへへっと照れ臭そうに笑う。今だけはほんのちょっぴり恰好よく見えた。

「止せよ、当然のことをしたまでさ」
「ヌヌ……!」
「まあ、ほんとは偶然下敷きになったんだけどな!」

 おい。
 おおーい! 今あたし普通に心を打たれていたのに! 見直したのに!
 感動を返せと言いたかったが、しかし助かったのは事実だったのでイマイチ言い辛くてもごもごする。その情報はいっそいらなかったんじゃないかなあ!?

「まあ、ともかく助かってよかったな。さすがにあいつらも死んだと思ったろ」
「ああ……そうね」

 岩壁を見上げて、アホの子みたいに口を開ける。改めて見ると結構な高さだな。確かにこれなら追っ手の心配もあまりなさそうだ。とは言え、いつまでもこんなとこでボケっとしているわけにもいくまい。グライダー飛行旅団というぐらいだし、空を飛んで追ってくる可能性も無きにしも非ずだ。羽も無いのにどうやって飛ぶかは知らないが。

「はあ、とりあえず一回戻るか。ねえ、道分かる?」
「おう、そうだな。木に登って辺り見てみるよ。しかしハナ、オイラが下敷きになったことを差し引いてもなんかやたら無事だな」
「え?」

 周囲を見渡しながら頭をぽりぽり掻いて、ふうと息を吐く。ヌヌの言葉に俯きかけた顔を上げ、眉をひそめる。あたしも薄々なんか変だなとは思っていたけれど、改めて指摘されると……やはり変だろうか。あまりは深く考えたくないというか、そこはいっそなあなあでいいんじゃないかなあ。とハナちゃんは思うのでした。まる。
 自己完結してうんと頷く。はい終わり。この話終わり。あたしの表情から心情を察したか、ヌヌもまた妙な顔で頷き返してくる。

「……まあいいや。とにかく見てくるよ」
「ええ。お願いね、ヌヌちゃん」

 と言って送り出してやると更に変な顔をされる。が、あたしは気にせずストレッチをする。なぜ今ストレッチかと言えばそれはあたしにも分からなかった。
 おかしな顔のままでぬるぬると木に登るヌヌを見つつ、あたしは大きな溜息を吐く。いつ見ても気持ち悪い木登りだとかそんな理由ではない。なんかもう慣れた。ただ、途方に暮れただけである。
 ピンチはあった。今までいっぱいあった。それをどうにかこうにか乗り越えてここまでやって来た。来たけれど、なんだかどうにも、いい加減にノリと勢いと強運だけで進める限界に達したような気がしてきた。単純に敵戦力を見るなら、これまでギリッギリの綱渡りで辛うじて勝利してきたような相手がまとめて出て来た形になるわけだし。当社比三倍増くらいで。改めて考えるととても無理があるな。
 正気に戻るならここらが潮時だろうか。正気に戻るとか言っちゃった。あたしは正気だ。ちょっとテンション上がってただけである。ともかく、少し冷静になるべき時が来たのだ。いや、来てたのだ。割と前から。大体ヌメヌメとこん棒だけで何をどうしろって話だ。何とかどうにかなったこともあったけれども。しかしそのこん棒も手元にはもうないし、リュックなんかの荷物も落ちた時に失くしてしまった。まあ、入ってたのは空のお弁当箱だけだが。

「あ」

 他には何か、と考え始めて今更気付く。ポッケに仕舞っていた楕円形の端末を手に取って、あああと声を上げる。そうだ、デジヴァイスだ。これがあった。これっていうか頼もしい大魔術師様がいらっしゃった。よし頼ろう。すぐ頼ろう。後これあったらヌヌを木に登らせる必要はなかったな、そう言えば。まあいいか。小さな液晶の下に並ぶ小さなボタンをカチカチと押す。液晶によく分からない文字が流れ、空中に立体地図が現れる。またボタンを押せば地図は消え、液晶に先程とは違う文字が表示される。
 あたしは、うんと頷く。そうだね。使い方聞いてなかったね。液晶に出てる文字自体はヌヌに聞けば分かるだろうけど。そもそも何も説明されなかったな。あ、いや待て。渡された時に何か言ってはいたな。何だったかな。ええと……。
 腕を組んで考え込む。ちょうどその時だった。何だか頭上から変な声が降ってきたのは。

「……〜〜〜ぁぁぁあああああっ! ハ、ハナああぁぁ!!」

 徐々に近付いてきたそんな声にはっと上を見る。勿論ヌヌだった。だったので、あたしはさっと避ける。瞬間、何とも言えない嫌な音がした。今の今まであたしのいた場所に地獄の底無し沼みたいなのができていた。

「……受け止めてはくれないんだな」
「つい。で、なんで降って来たの?」

 そのままの恰好で悲しげに言ったヌヌに、あたしもまた避けたその恰好のままで返す。びっくりしたなあもう。

「おお、そうだ! 言ってる場合じゃないんだ! すぐに来てくれ!」

 問えばヌヌはぷるんとあっさり元の形に戻って飛び上がる。多少の申し訳なさは感じていたが、どのみち受け止める必要なんてなかったのではなかろうか。というか、そんなことより何やら随分と慌てているようだけれど。あれ? もしかして?

「え? ちょ、まさか追っ手!? 見付かったの?」
「いや、そうじゃないんだけど! とにかくこっちだ! 来てくれ!」

 なんて、暢気に話している間も勿体無いとばかり、あたしの答えも待たずに森を駆け出す。訳も分からぬままにあたしはヌヌの後を追う。少し興奮気味にも見えたが、あっちに毒リンゴいっぱい生えてるとかだったら引っ叩こう。
 落ちた葉を踏み枝を踏み、ひらすらに森を走る。どれくらいそうしたろうか。やがて森が途切れて平原が顔を出す。膝に手をついて肩で息をする。森を抜けたその先でヌヌが佇んでいた。遠くを見ながら、ぽけっと口を開く。

「ちょ、ちょっと……はあ、何なのよぉ……」
「あの山だ……!」
「えぇ?」

 はあ、と大きく息を吐き、その場に座り込む。ヌヌの言葉に、二つの目玉が見詰める先へ目をやる。平原の先に見えたのは聳える山。三角形を上からべちゃっと潰したような、台形の小さな山だった。

「あの山が何?」
「首刈りの峰だ」
「……首刈り?」

 言われて、何だか聞き覚えのある単語に記憶を探る。何だったかなそれ。割と最近聞いた気がするんだけど。それもRPGだったら文字色変えて表示されるような奴だった気がするんだけど。そう確か、もじゃもじゃさんが言っていた――

「……って、預言の山!?」
「そうだ。見ろよあの形!」

 ヌヌを見て、また山を見る。首刈りの峰……首の無い山? 言われてみれば確かに、台形のその山は山頂部分をちょん切ったような形ではあった。

「ハナ、オイラ思い出したんだ。ほら、流れ星を見たって言ったろ?」
「あ、うん、確かに言ってたけど」
「ああ、この方向だ。間違い無い」

 森を振り返って確信するように力強く頷いてみせる。あたしはまだイマイチ状況に着いていけてないんだけど。しかしヌヌは構わず語る。

「あの日確かに黄色い流れ星を見た。夜空を見ながら物思いにふけていたんだ」
「なんで?」
「いや、そこはいいじゃないか。ヌメモンだってふけりたくなる夜ぐらいあるんだよ。とにかく、星の少ない暗い夜だった」

 あたしの茶々にもめげずにヌヌは続ける。何かそういう雰囲気に入ったみたいなのでこれ以上茶化すのは止めてあげることにした。

「流れ星が落ちたのは確かに村からこの方角だった。さっき上から確かめたし、間違い無いはずだ。ハナ、もう一個オイラが言ってたことは覚えてるか?」
「え? そう言われても……どれだっけ?」
「ほら、預言だよ。聞いたことある気がするって」
「ああ、何か言ってたね、そんなこと」

 ウネ子ちゃんちにお邪魔していた時だったな。確かにそんな話をした。パンケーキとクッキーの味のついでに覚えていた。あの時は「よくありそうな奴だから」で済ませたと思うけれど。

「長様だ」
「長様? え、バロモンさん?」
「そうだ。長様も未来を見通す力を持ったシャーマンなんだ」

 森はシャーマンだらけだな。という茶々は呑み込む。

「流れ星を見たあの夜、長様の家から声が聞こえたんだ。いびきに混じって聞こえてきた言葉が、あの預言にそっくりだった!」

 拳を握って熱く語る。それは寝言じゃなかろうかと、そのくらいはそろそろ突っ込んでもいいだろうか。

「二人のシャーマンが告げた預言! 世界を救う為の“黄色い星”はあの山にあるんだ! ハナ、希望が見えてきたな!」
「え? あ、ああ、そうね!」

 考えていたら突っ込むタイミングを逃す。逃した所為で、続く言葉には深く考えもせずに答えてしまう。そうねって言っちゃった。あたしの言葉にヌヌがにかっと笑ってふんっと鼻息を噴く。あ、あれだな。これ行く感じになったな。胡散臭い預言の為にだだっ広い平原をてくてく歩いてまあまあ遠くに見える山まで行くのは凄く面倒だったが、だからと言って代替案はまるでないので嫌とも言い辛かった。

「ようし! そうと決まれば、行こうぜハナ!」
「あ、ええと……うん」

 言い訳も思いつかなかったので、仕方なく頷く。張り切ってぬりゅぬりゅ進むヌヌの後を追い、あたしはとっても広い平原をとぼとぼと歩き出す。丸腰で、食料も無く、追っ手はいつ来るとも知れず、頼れるものは己とヌメヌメのみであった。改めて考えると泣きたくなるような状況だった。

 そんなこんなでこうして――相変わらずあたしの意思とは無関係に否応なく、一寸先の闇の中を手探りで進むが如きふざけきった新たなクエストが、始まってしまうのであった。






>>第五話 『花と縫包の乱 前編』へ続く







<登場キャラクター紹介>


■雨宮 花
 本作の主人公である14歳の女子中学生。崖から落ちたくらいじゃビクともしないか弱い鉄の乙女。愛と正義と美味しいご飯のために戦う救世主。

@ハナ


■ヌヌ
 なんか緑の。ヌメヌメしてる。

Aヌヌ


■もじゃもじゃさん
 もじゃもじゃ村の村長。怪しい予言を妄信する危ないおじいちゃん。モジャモンじゃなくてジャングルモジャモンである。毛の色の分だけモジャより若そうだけど。


■ウネ子ちゃん
 お菓子作りが得意な人面植物。ハナさん曰く女子力が高い。また亜種だがオリジナルが出てないのでハナさんには気付かれてない。


■エセゴブリン
 ゴブゴブリ。


■ブーメラン仮面
 っふぅーー!


■バロモンさん
 久しぶりに名前の出た生なまはげ。預言者であることが唐突に明らかになったが、未来を見通す力が公式設定であることだけは言い訳しておきたい今日この頃である。


■オーガ&フーガ&ヒョーガ
 なんとか言う盗賊団のボス。ニセモグラを加えて四天王だがなぜ加えてしまったのかは謎である。デリケートな部分なので触れてはいけないらしい。