第二話 『花とパチモン男爵』
世界は無情である。
そして、現実は残酷である。
いたいけな少女の思い描いた夢など所詮は絵空事。心のキャンバスを力ずくで引き千切るが如き悪魔の所業をもって、非情なる世界は冷酷なる現実を突き付ける。夢見たファンタジー世界で夢見た救世主と呼ばれようと、しかしてその実態は何も知らぬ純真無垢な小娘を血生臭い戦場に放り込んだだけ。愛と希望と勇気でできた夢の国などない。ここにあるのは憎悪と絶望と諦めと悲しみと怒りと不条理とかなんかそんなのでできたこの世の地獄。
例えばそう、あたしは今、密林を彷徨っている。案内看板などあるはずもなく、舗装路どころか獣道すらない深い深いジャングルを、ひたすらに彷徨っているのだ。
村を出たらNow Loadingといって次のエリアに進めるわけでもなく、画面の右上辺りに親切なマップが出ているわけでもない。
何もないジャングルを、手ぶらに近い状態でただただ当てもなく歩き続けているのだ。かれこれ半日ほど。
例えばそう、あたしは今、お腹が空いている。持たされた保存食などぽりぽり摘んでとうに腹の中。昨晩の満漢全席なんぞとうに消化した。
密林にひょっこりとコンビニエンスストアが顔を出すわけもなく、都合よく美味しそうな食べ物が実っているわけでもない。
そうして、あたしは現実を悟るのだ。
ふ、と零れたそれは微かな笑みか、小さな溜息か。あたしはゆっくりと膝から崩れ落ちる。
「もう……駄目だ……!」
「って、ぅおおぉぉーーい!? だから早いよ諦めんの! しっかりしろよ現代っ子ぉ!! ちょっと軽目に迷っただけだろ!?」
早くなどない。あろうはずがない。朝に村を出て今はもう夕方だ。景色は何も変わらない。あたしは十分過ぎるほどに頑張った。
あたしはここで死ぬ。構わず先に行け。あたしの屍を越えてどこまでも。
「いやいやいやいやいや! まだ盗賊のとの字も見えてねえけど!? 村出た先の道中で迷って死ぬ勇者とかいる!?」
いるんだよ。ここにいる。これが現実だ。さあ受け入れよう。受け止めよう。あたしに与えられたこの運命、この現実を。
うふふふふ。ほうら川の向こうでおじいちゃんが手を振ってる。待ってて、今行くからね……。
「あ、ああ!? 待て待てハナ! あそこ見ろあそこ!」
「うふふふふ」
「うふふじゃなくてあそこの木だよ、ほらあれ! 木の実があるぞ! 食べ物だ!」
「うふふ、たべも……食べ物? 食べ物だとおぉ!?」
飢えた獣のように四つん這いで顔だけを向ける。瞼をひん剥かんばかりに両の目を見開く。眼鏡がまるでスコープのように、生い茂る木々の間に覗く紫色の丸いものを刹那に捉える。今ならウォーリーもコンマ数秒で見つけ出せよう。
「ほんとだ! 木の実だ! がるるるる!」
「落ち着けハナ! 最後もう人間の言葉じゃないぞ! てゆーか全然元気だな!」
命を繋ぐ希望が見えた。見えたと思ったら意外と余力がいっぱいあったと気付いた。てゆーかおじいちゃんピンピンしてたわ。誰ださっきのじじい。
「ようし、ちょっと待ってろ!」
高く実る果実を見上げて木の皮をがりがりしていると、ヌヌが今まで見たことのないような頼もしい顔で大木に飛び付く。ぬめぬめで木の表面にぬるんと張り付き、見る見る間にぬるぬると上っていく。あたしが手ずから地道に切り倒す必要はどうやらなさそうだ。あんたを連れて来て初めてよかったと思えたぞ。
ようし、いっけーヌヌ!
程なくして高い高い木を上り切り、ヌヌのその手が命と希望の果実をもぎ取る。採取方法の衛生問題に関しては一先ず横に置いておくことにする。
「とったどぉー!」
果実を手にヌヌが雄叫びを上げる。もはやこれが旅のゴールと思えるほどの達成感に満たされる。あたし何もしてないけど。ぬりゅりゅりゅりゃと大木を滑り降りるヌヌに、スタッフロール的なものすら重なって見えた気がした。みんなありがとう! ハナ先生の次回作にご期待ください!
「やったー、取れたよハナ! ほら見て“ムラサキマダラ毒リンゴ”だよぉーい!」
「うわーい、ムラサキマダラどぉ……! マダ……マダラ、なんて?」
ヌヌが手にしていた果実はそれはそれは鮮やかな赤紫色。その表面に濃紺のヘドロを浴びせたような斑模様が浮かぶ。気のせいか斑の一部は人の顔のようにも見えた。怨霊的なあれにも見える。エキサイティングでエキセントリックな配色が見るものの警戒心と猜疑心を煽り、食への欲望をごりごりと削る。
「ええと、ムラサキマダラ、なんて?」
「ムラサキマダラ毒リンゴだ! 痺れる神経毒がたまんないぞ!」
ああ、はいはいはい。毒ね。毒リンゴね。神経毒ね。聞き間違えてはいなかったようね。よっこらしょいとこん棒を構える。あ、そおれ。
「ぽいずんっ!」
「うおおぉぉ!?」
汚れた俗世の不条理を打ち砕く正義の一撃を全身全霊全力のフルスイングで放つ。ヌヌはそれを間一髪でかわしてどういうわけか驚いた顔をする。避けんのだけは上手いなこいつ。
「ええ!? ちょ、ちょっと待ってなんでってぎゃあぁー!?」
分からないならその身に刻んで教えてやろうかこの外道。問答無用で繰り出す第二撃が汚物の体を掠って地面に突き刺さる。
あいにーど食物! でぃすいず毒物! どぅゆあんだすたあぁぁん!?
「ちょお!? ちょっと待ってほんとに分かんない! なんでなんで!?」
死にたいんだな。ようし分かったそこに直れ。達磨落とし的な感じでよければ介錯してやろう。
「ちょ、ちょっと待ってほら、よく見てこんなに美味しそうな毒リンゴだよ!?」
あーら、ほんと。見れば見るほど「毒です!」と言わんばかりなデザインですこと。ナニ雪姫だああぁぁ!?
「ぐるるるるぉぉ!」
「ほぎゃあぁぁ!?」
あたしは騙されない。騙されるものか。ハナ雪姫は小人の手も王子の手も借りない。己が運命は自らの手で切り開く。毒リンゴ持ってノコノコやって来た段階でケリをつけてくれるわ。
つまり、そう! 今まさにこの時だ!
「くたばれクソばばあぁぁー!!」
「ばばあって誰えぇ!?」
「世界で一番美しいのはあたしだあぁぁ!」
「ちょっとぉ! 待ってなんか幻覚見てない!?」
ぶおんぶおんとこん棒を振り回す。ずごんずごんと木やら地面を叩き回す。逃げるヌヌを追って前傾姿勢で疾走する。このか細い肢体に残された力のすべてを健気に振り絞る。
そうしてやがて――具体的には時間にして三分くらいだったろうか。リミットを告げるアラームが、無情にも鳴り響くのであった。
「ハ、ハナ? ハナあぁぁー!?」
追い縋る気配が消え、訝しげに振り返ったヌヌが叫ぶ。活動限界を超えたハナトラマンはけたたましいエマージェンシーの中で静かに倒れ伏す。腹の虫とも言う。
「ハナ……嘘だろ? 嘘だと言ってくれ……! ハぁぁぁナぁぁぁぁ!!」
ヌヌの悲壮な叫びが密林の梢を小さく揺らす。そしてここに、血と涙で彩られた一つの物語が、幕を閉じるのであった。
◆
ふぃーやれやれと息を吐く。少し落ち着いて木の根に腰を下ろす。別に幕は閉じてなかった。
「そうか、人間は毒を消化できないんだな」
衝撃の事実とばかりにヌヌが言う。できてたまるか。
「いやー、悪かったよ。知らなくて。そういや村でもオイラ以外できなかったな」
自覚しろ! マイノリティを! イレギュラーを! そんな面白珍生物がスタンダードなわけないだろうがあぁぁ! そして悪いと思うなら毒リンゴしゃりしゃり食うの今すぐ止めろおぉぉ!
木の根に座り込んで俯いたまま、目だけを見開き唇をぷるぷるさせて声もなく突っ込む。そろりとあたしの顔を覗き込んだヌヌがびくっと震える。
「と、とにかく、まだ元気なら先に進もうぜ。こんなとこで夜を明かしたくはないだろ?」
そんなヌヌの言葉にゆっくりと顔を上げる。いつの間にか辺りは随分と薄暗くなっていた。直に日が暮れてしまうだろう。確かに、こんなくだらないことに時間を取られている場合ではない。そもそもの原因が「道案内ならオイラに任せろ!」などというこのヌメヌメの根拠なんてなかった自信にあるとしてもだ。刑の執行は、ジャングルを出るまで保留としよう。
「分かった。この一件は一先ず置いておくわ」
冷静に、そう冷静になるのよハナ。今このふざけた生き物を血祭りに上げたところで何の解決にもならないわ。落ち着いて、そう落ち着くのよマイリトルレディ。
「分かってくれてなによりだ。なんかすげえ葛藤が顔に滲み出てる気がするけど、とにかく一緒にこの窮地を乗り切ろうぜ」
「ふ、うふふ、そうね」
とりあえずは一時休戦である。本命の敵にすら辿り着けていない状況で本命の敵とはまったく関係なしに陥ったこのピンチ。馬鹿馬鹿し過ぎる現状の打破こそが先決だ。でも改めて考えるとちょっと涙が出てくるからそこはまあ置いとこう。
ふうと息を吐いて気持ちを切り替える。
「さて、とはいえ、具体的にどうするの?」
どうしようもなかったから今まさに迷っているわけだけれども。そう、あたしが問えばヌヌは、どうしてかお気楽そうな顔をしてみせる。
「ああ、それなんだけどな」
軟体から突き出た手っぽい突起で横合いを指して、ヌヌの口から出たのはなんともとんちんかんな言葉。
「向こうに明かりが見えたぞ」
「……は?」
頓狂な声が漏れる。眉をひそめるあたしに、しかし構わずヌヌは続ける。
「いや、さっき木に登った時にな、なんか見えたっつーか。最初っからそうすりゃよかったよなー」
はははと笑うヌヌ。告げられた言葉にぽかんとするあたし。脳細胞を総動員して状況把握に当たる。つまり……ええと、ああ、そうか。よっこらせと再びこん棒を構える。どすこい。
「先に言えぇぇーーい!」
「言おうとはしましたぁー!」
四股を踏むように地を踏み締めて一撃を繰り出す。軽く地鳴りがした気もするけどきっと気のせいだ。ヌヌは相変わらずの気持ち悪い動きでこん棒をかわす。なんか行動を読まれ始めてる気もする。
「違う違う! 違うんだって! てゆーかハナさっき全然話通じる感じじゃなかったじゃん!?」
じゃんて言われても。いや、確かに問答無用で殴り掛かったような気はするけれども。
「ぬぅん……確かにそうだけど」
「だろ? なにもかもオイラのせいってわけでもないんだぜ」
やれやれ困ったお嬢さんだとばかりに首らしき辺りを振る。なんかちょっと調子こきだした。元を正せば大体こいつのせいって気もするけど……まあいいだろう。最後のだけは確かに正論だ。
「ちっ。そうね、ごめんなさい。いきなり殴り掛かったりして。で、出口どっち?」
「舌打ちしたよね!?」
「気のせいよ。いいからうだうだ言ってないでとっとと案内してくださるかしら、ミスター?」
「どんなアウトローなレディだよ……まあいいや。とにかく行こうか」
互いにくすぶるものを胸に残しつつ、あたしたちはてくてくと歩き出す。ジャングルを脱出できるならもう何でもいいや。似たような景色を越え、似たような景色を越え、更に似たような景色を越える。バグってエリアがループしてんじゃないかと思うほどに。
そうしてやがて、本当にようやくようやっと、待ちに待った似てない景色があたしの目に映ったのは、それからほんの数十分後のことであった。
◆
肩で息を吐く。生い茂る木々が途切れて視界が開け、広々とした平原が顔を出す。もう一度、体中の臓器ごと吐き出すようにぼひゅふぅーと息を吐く。
「出られた……!」
「ああ、出られたな!」
涙すら浮かべて喜びを噛み締める。やったのだ。やり遂げたのだ。別にまだ全然ゴールじゃないけど、方向分かれば全然近かったけど、とにもかくにもあたしたちはジャングルからの脱出を果たしてみせたのだ。
ジャングルを臨む平原には小さな集落が見えた。石をドーム状に積み上げたような家々の煙突からは細く煙が立つ。夕餉の支度だろうか。風に乗っていい匂いが鼻孔をくすぐる。ごぎゅるるるとお腹の中の小さいハナさんが吠えた。
「すげえ音だな。よだれも出てるぞ」
「えー、そんなの出てなじゅるる」
「だだ漏れだけど!?」
ははは何をおっしゃる。乙女からそんなの出るわけなかろうに。しかしいい匂いだな。じゅるり。
半ば無意識に、夢遊病のように集落を目指して歩き出す。あたしを突き動かすこの衝動の名は食欲である。であるが断じてよだれは垂れていない。じゅるじゅるり。
「まあいいか。オイラも腹減ったしな。もっとひもじそうな顔で押しかけてなんか食わしてもらおうぜ」
「まあ卑しい。乗った」
かくしてあたしたちは、かつてないほどに心と腹の音を合わせて、とりあえず一番立派そうな建物を目指して駆けてゆくのであった。
◆
「ほほう、バロモン殿の村から……それはそれは」
獣の目でがっつくあたしたちに一筋の汗を頬に浮かべつつ、村長さんはうんうんと頷く。
「むご? ふぃーあいあお?」
「落ち着けハナ。何言ってんのか分かんないもぐ」
頬袋の限界に挑むリスのように振る舞われたご馳走を詰めに詰め、隙間から漏れる空気で会話を試みようとしたあたしに、ヌヌが冷静なツッコミを入れる。無理があったのは認めるけれどもあんたこそ語尾おかしいぞ。同レベルまで詰め込んでいるように見えるが、軟体も意外に便利なものである。あたしも来世は軟体にしちゃおうかしら。そんなことを考えながら、頬に備蓄した食料を一先ずは胃袋に移す。
「んごごっきゅ。げふー。あ、失礼。それで、ええと、バロモンさんとは知り合いなの?」
「え? あ、ああ……まあ、すぐ隣の村ですからな」
なぜかあたしに不思議なものでも見るような目を向け、村長さんは土気色の頬をぽりぽりする。きっと人間が物珍しいのだろう。そうに違いない。それより頬っぺた大丈夫だろうか。確かツチダルモンと言っていたか。そのまま土だるまな体はちょっとやそっとでボロボロ崩れてしまいそうだ。
てゆーかあれ今なんて言った?
「隣?」
「ああ、いえ、そうは言っても小一時間ほどは掛かりますが、この辺りは集落もそう多くありませんので」
「小一時間……」
要点だけをリピートする。成る程ね。小一時間ね。
「ヌヌちゃん、ちょっといらっしゃい」
優しく手招きをする。ヌヌはなぜか緑の体で青い顔をしてぶるぶると震える。うふふふふ。あらあら怯えちゃって。一体どうしたのかしら。大鎌を振り上げた死神でも見たような顔しちゃって。こんなか弱くって可愛い女の子つかまえてやーねもう。
「どうしたの、何もしなくもなくもないかもしれないけど、いらっしゃい?」
「するんじゃん! ぶん殴るだろ絶対!?」
殴られる覚えはあるらしいな。では受け入れるがいい。横に置いておいたこん棒をおもむろに手に取って振りかぶる。
「ちょおーっ!? ストップストップ! えっと、ほら! ひとんち! だから、一旦落ち着こう!」
「むうーん、それもそうか」
悔しいがまっこと正論ではある。ツチダルモンさんもびっくりしていることだし、しょうがないなとあたしはこん棒を床に置く。一宿一飯の恩義を仇で返すわけにもいくまい。一宿はまだ言ってないけど。
「あ、あの……」
「はい? ああ、ごめんなさいね。ちょっと躾をと思って」
「い、いえ。それより、その、お二方は一体どのようなご用件でこちらへ?」
そう問われて、ヌヌと顔を見合わせる。しまった。最初にどうも勇者ですと言っておけば今夜も満漢全席だったって違うわそこじゃない。そう言えばご飯くださいしか言ってなかったと今更気付く。この人の中じゃあたしたちってただの腹ぺこな迷子でしかなかったな。むしろ破格の待遇だったか。今夜は足を向けて寝られませんな。あ、枕は高めがいいです。
「ふっふっふ。よくぞ聞いてくれたな」
羽毛はあるかなとあたしがぼんやり考えていると、ヌヌが気色の悪い顔で不気味に笑う。ひかえおろーずがたかーいとばかりにあたしをびしっと指差す。どうでもいいけどあんたのポジションはそこでいいのか。
「このお方こそ遥かリアルワールドから世界を救うためにやって来た選ばれし子供、言わば救世主様だ!」
「きゅ、救世主様……ですか?」
「そう、既にオイラたちの村をあのグレ、グレリ……グレムリン幻影師団? の魔の手から救ってくださったのだ!」
どやぁ! と言わんばかりのムカつく顔で声を張りに張る。どうしよう、殴りたいけどひとんちだ。
「グ、グレムリン幻影師団!? それは一体どのような……?」
知らんのかい。いや、なんかあたしもなぜだか初耳な気がするのだけれど。
「いやほら、あれだよあれ。例の盗賊。ほら、回覧板きたろ? きてない?」
「あ、いや、きております。ああ、思い出しました。あの例の盗賊団ですか」
「その通りだ! 実に恐ろしい奴らだったぜ。な!」
なって言われても。こんなぐだぐたなひかえおろーある? てゆーか回覧板ってなんだ。あるのか。ご近所付き合いか。
「この村はまだ無事のようだが、いつ奴らの魔の手が迫るかわからんからな。だが安心しろ、救世主様が来たからにはもう心配ない」
どんと胸らしき辺りを叩く。別に怯えて暮らしていたようにも見えなかったけど。てゆーか今まさに自らの手で不安を煽ったようにも見えたけど。
ちらりとツチダルモンさんに目をやれば、その顔に浮かぶのは不安と少しの安堵。狙い通りか。ヌヌ、恐ろしい子。てゆーかそれ勇者の手口じゃないからね。
「お、おお、それはなんとも頼もしい」
「はっはっは。すべて救世主様に任せるがよい」
なんかどんどん調子に乗ってくな。そろそろ止めないとあたしの立場もどんどん悪くなってく気もするけど……駄目だ、この泥団子みたいな饅頭がうますぎて今は口を離せない。くそっ。一体このコクとまろやかさはなんだ!
「あ、そう言えば数日前、村に妙なデジモンが食糧を寄越せとやって来たのですが、もしや盗賊の一味だったのでしょうか」
なにげなく、ふと思い出したようにツチダルモンさんは言う。って、いやいやいや。それあたしら全然間に合ってなくもぐ?
「な、なんだと!? もう手遅れだったってのか!?」
「はい。昼は村の衆で力を合わせてどうにか追い払えたのですが、夜のうちに二、三日分ほどの食糧をごっそりと」
追い払えたんだ。間に合う必要はなかったらしい。どうせ夜じゃあたしも力になれないしね。夜更かしは美容の敵だもの。てゆーか被害も微妙にしょっぱいな。そしてこちらはほのかに柑橘系の上品な酸味を感じるな。
「くそっ、なんて奴らだ」
外側はクッキー生地のようにかりっとして、かと思えば内側はホットケーキのようにふわっとしている。更に中心はとろりとしたペースト状。フォンダンショコラにも似た口当たりだがまた違う。このぷちぷちとした食感はオレンジピールか。
「どうやら村の北にある廃坑を根城にしているようなのですが……盗んだ食糧が底をつけばまた村にやってくるかもしれません」
程よい甘さは幾ら食べても飽きが来ない。いや待て、この風味は……そうか、ハチミツか!
「はっ、上等だ! その前にこっちから乗り込んで叩き潰してやるぜ! なあ、ハナ!」
「もぐも……むしゃ?」
え? ごめん、聞いてなかった。なんて?
「そうと決まれば今日は早く寝て明日に備えようぜ!」
「え? ああ」
と頷いてはみるがよく分からない。ええと、どういう話の流れだっけ。寝るって言ったか。お布団の用意できてますよ的なことかな。泥団子もちょうど最後の一個だし、まあいいや。
「うん、じゃあそんな感じで」
言って泥団子をぱくり、そうして、ヌヌとツチダルモンさんの顔を見て気付く。あ、違うわこれ。勇者様のミッションのほうだこれ。あれ、あたしが泥団子食べてる間に一体何が? てゆーかもしかしなくてもあたしまたやっちゃった!? ちょっと待って今のもっかいやり直しでお願いします! 泥団子はもう二皿お願いします!
「おお、なんと勇敢な。どうぞよろしくお願い致します!」
「勿論だ。大船に乗った気でいろ!」
ってわけにはいかないんだねこれは!
なんか自分で蒔いた種がトトロの森のようにすくすくと育っている気がするぞう。待つんだトトロ、ここは落ち着いて地道に育てじゃなくて育てちゃ駄目だよ! 刈ろうかここは思い切って!
「では今晩はこちらにお泊りください。すぐに床の用意を致しますので」
「おう、悪いな!」
「いや、んご、ちょっ待っ……!」
あたしがようやく口の中の泥団子を飲み込んだ頃には、時既に凄く遅し。新たなるミッションは、早過ぎるクーリング・オフのリミットを迎える。
馬鹿な。美味しい泥団子に舌鼓を打っていただけなのに何故!?
代わる代わる迫り来る理不尽におのれ神めと憤りの火を燃やしつつ、そしてあたしは――恐ろしくふわふわしたお布団に包まれ、眠りにつくのであった。
◆
寝覚めはとても爽やかであった。ちゃっかりいただいたお風呂のお陰かこのふわっふわんなお布団のお陰か。昨日は無数の白い鳩にお空へさらわれる夢を見た程だ。悪夢かどうか微妙なラインだが。
「おはよう、ハナ! さあ、張り切って行こうぜ!」
顔を洗いに井戸へと行くと、そこに待ち構えていたのは毎度お馴染み緑のあいつことヌヌであった。どうやら今日も絶好調。朝の爽やかをぬめり飛ばすぬめぬめ具合であった。
「えっとー、何をだっけぇ?」
不快なぬめりにもにこりと笑って小首を傾げる。まあるい頬っぺをつんと突いて可愛く惚ける。いや、大体分かってるけど聞いてなかったのは事実だ。
「おいおい、まだ寝てんのかー? 盗賊退治に決まってんだろ!」
だと思ったけどね。ちょっと農作業手伝ってとかじゃないだろうことは知ってたけどね。もういいや、どうにでもなれ。
「ああ、そうそう。そうだった。オッケー。じゃ行こっか、当たって砕けに」
「いや砕けちゃ駄目だけど。なんか目が死んでないかハナ」
うふふふふ。気のせいよ。よく食べてよく寝たから生気にだけは満ち満ちているもの。砕けにはあれよ、言葉の綾。そうよ、あの恐ろしいゴブリンだって何とかなったんだもの。為せば為るよ。前向きに行こうぜハナちゃん。
「ヌヌ、ちょっとツチダルモンさんに言っといて」
「うん?」
開き直ればいい。あたしは既に二、三度お逝きあそばされかけている。死地などとうに越えた。もっかい越えるくらい大して変わらないじゃない。
「お弁当は泥団子でお願いねって。それと、泥船に乗った気でこの救世主様に任せなさいってね!」
「お、おお、やる気だなハナ! でも船は泥でいいのか」
「カッチカチのでかい泥よ!」
「おお、そうか。よくわからんが凄そうだな! よし、泥団子もでかめに頼んでくるぜ!」
いい心配りだ。褒めて遣わす。勇者のお供が板についてきたな!
ぬめんぬめんとぬめり去るヌヌの背中にうんうんと頷いて、今のうちに逃げちゃおうかしらというデビルハナさんの甘い囁きに何とか堪える。駄目よ、駄目駄目。今逃げたって何の解決にもならないもの。逃げたら泥団子は食べられないもの。エンジェルハナさんの甘い囁きに自らを奮い立たせる。どっちもどっちだなこれ。
「ふぅーう、よし!」
大きく息を吐いて、頬っぺをぱちんと叩く。そうとも、ここまで来たらやるしかない。やってやらあ! あんたは強い子、やればできる子だ、ハナ!
溢れんばかりの気合いを胸いっぱいに詰め込んで、そうして――ぎゅるるるる。とりあえずお腹はまだ空っぽなので朝ごはんを食べにツチダルモンさんの家へと舞い戻ることにした。
◆
朝食は泥水のスープであった。何をふざけてやがるという思いを僅かも抱かなかったと言えば嘘になるが、昨日の泥団子の件もあってあたしは割と躊躇なく口の中へと流し込む。唇を舐め、舌を撫で、喉をゆっくりと滑り降りていくそれに、あたしは奥歯を噛み締める。ふざけやがって!
「ど、どうかされましたか救世主様?」
どうしただと? どうもこうもあるものか。なんだ、なんなんだこれは!
「これは、何て料理なの?」
「ど、泥ろ芋の冷製スープですが、お口に合いませんでしたか?」
合いませんでしたか? そんなことを言っているんじゃない。あたしは顔を伏せ、小さく肩を震わせる。
「くっ……う、うう……!」
「きゅ、救世主様!?」
「お、おい、どうしたハナ! 大丈夫か!?」
どうして……どうしてだ!?
「うう……う、旨いぃぃー!!」
「泣くほどに!?」
どうして昨日はこれが出なかったんだ! どうして昨日のうちに出会えなかったんだ! 一度でも、一滴でも多く飲みたかった!
ごきゅきゅきゅきゅんと一気に飲み干す。あ、しまった。もっと味わえばよかった。ちくしょおおぉぉぉ! 嵌めやがったなああぁぁ!
「あ、あの、お気に召していただけたのでしたら、水筒にでも容れておきましょうか?」
「え、えええ!? いいの!? やあったぁぁー! ありがとう!」
満面の笑みと全力の万歳で歓喜する。なんかヌヌもツチダルモンさんも戸惑いと憐れみが混じったような目であたしを見ていたが、あたしはちっとも気になどしない。食べることは生きることなのだから。あたし今いいこと言ったよ。
「なあ、ハナ。これから何しに行くかとかは覚えてるよな。念のために聞くけど」
「うん。ぼんやりと」
「ぼんやりと!?」
なんて、あはは冗談よ。イッツァジョークよ。なんかどっかにいる盗賊かなんか倒しに行くんでしょ? 腹が減っては道草も食えないのよ。ん? 逆に食えるか。あれ、何の話だっけ?
「だ、大丈夫なのですか?」
「う、うーん。多分」
そんなヌヌとツチダルモンさんの会話をハナさんの地獄耳はしっかりばっちり拾い上げるも、とりあえずはスルーしてみる。どうでもいいけどいい加減ツチダルモンさんって言いにくいな。土田さんでいいかな。
縁をぺろりと舐めて、スープのお椀をテーブルに置く。一滴残らず舐め取りたい衝動にも駆られたが、年頃の乙女なのでさすがに止めておいた。お弁当もあることだしね。じゅるり。
「それじゃ一旦ごちそうさま」
「一旦ってなんだ」
これが最後の晩餐などではないのだという希望の言葉に決まっているではないか。晩じゃないけど。
あたしは腕を掲げて伸びをする。さあて、残念ながらお腹もいっぱいになってしまったことだし、
「はあ、行きますか」
「おう、そうだな。なんで溜息かはしらないけど」
こん棒を肩に担ぎ、用意してもらったお弁当を片手に立ち上がる。覚えはあんまりないとは言え、自分で蒔いてしまった種なのだ。こうなったらやってやる。髪の一本ほども残さずきっちり刈り取ってくれるわ。神よ、禿げ散らかすがいい!
「救世主様、どうぞお気をつけて」
「うん、待ってて土田さん。必ずいい報せを持って帰ってくるからね」
「は、はい……!」
見送る土田さんに手を振って、あたしたちは戦場へと発つ。肩で風を切って進むその足取りに、もはや迷いはそんなにない。ただ少しの後、土田さんが小首を傾げたことだけは、知る由もなかったのだけれど。
「……土田さん?」
◆
緩やかな傾斜を描く山道を行く。見上げた尾根は目眩がするほど高いが、ここをえっちらおっちら登るわけでもない。ついさっきヌヌから聞いたのだが、敵はこの山の廃坑を根城にしているらしい。廃坑の入口は山のふもと付近、村からほんの小一時間の距離だそうだ。意外とちゃんと話聞いてんのね。偉いぞヌヌ。
迷いようもない一本道をてくてく歩く。昨日は瞼に焼き付くほどジャングルばかりを見たせいか、山道の景色はとても新鮮だった。青々と繁る木々、色とりどりの花々、なんかよく分かんない植物、なんか行き倒れてる生物。山間から吹く風が心地いい。乱れた髪を手櫛で軽く整え、ふうと息を吐く。一歩二歩三歩と進み、そうして、ふと足を止める。
「ねえ」
「ああ」
なんかいた。
三歩二歩一歩と後ろ歩きで戻る。のどかな山道の景色に紛れ込んでいたのどかじゃないものが再び視界に入る。藍色のとんがり帽子とマント、力無く投げ出されたぬいぐるみのような手足。横に転がる杖のようなもの。そろりと帽子の下を覗き込めば真っ青な顔で白目を剥いていた。あとなんか上唇と下唇が縫い付けてあった。どんなプレイだろうか。
「ええと、これは……」
「ウィザーモンだな。ツチダルモンが言ってた盗賊ではないみたいだけど」
いや、そうじゃなくてね。
「あれかな。えーと、お休み中かしら」
「オイラには行き倒れ中に見えるけど」
はっきりきっぱり言い切ったヌヌの顔を見る。ウィザーモンとやらに一度視線を戻して、またヌヌを見る。そうして、
「ぎゃああぁぁぁ! 人殺しぃぃ!?」
グレムリン山荘バラバラ密室アリバイトリック毒殺事件ーー!?
「何これ何これ!? どうなってんの!?」
「お、おい、落ち着けハナ! まだ息はある!」
イキワアル? 何を訳のわからないことを言っている!?
「と、とにかく救急車! 霊柩車? どっち!?」
「いや、どっちも知らねえけど。と、とりあえず落ち着こうぜ」
落ち着けだと? 人が集まると厄介だからとかそういうあれか! 騒ぎになる前にずらかるとかそういうあれか!? 犯人はお前かあぁぁ!?
「う……」
あたしの名推理が今まさに真犯人を追い詰めんとしたその時、しかし事件はまさかの急展開を迎える。小さく呻き声を上げたのは、他ならぬ故・ウィザーモンだった。
ぎゃあああぁぁぁ!? ジャンルが違あぁう!? ノットサスペン! イッツァホラー!?
っていうか、あれ!? これってまさか!?
「生きてる!? ヌヌ、生きてるよ!」
「いや、だからそう言ったけど。オイラの話は聞いてなかった感じ?」
「ちょっと、大丈夫!?」
なぜだかしょぼんとしているヌヌを一先ずほったらかして、あたしはしゃがみ込んでウィザーモンに呼び掛ける。ううん、と呻き声をもう一つ。ウィザーモンはゆっくりと瞼を開く。
「大丈夫? 分かる? どんなサスペンスに巻き込まれたの?」
「サスペ……? い、いや、それより、すまないが旅の方……」
残された力を振り絞るように一字一句を紡ぐ。口縫われてよく喋れるな。だが分かった。あい分かった。分かっているとも! 必ず! 奥さんには必ず! 愛してると伝えておくからねえぇ!!
なんて、あたしの盛り上がりが最高潮に達したそんな時、しかして水をしこたまぶっ差すように鳴り響いたその音は、当のウィザーモンのお腹から。
ぐうぅ〜〜ぅるるる。文字に起こすとそんな感じだった。
「何か、食べ物……を……」
タベモノ? タベモノってあの食べ物? 食べる物? は! この音は……そうか!
「ヌヌ……なんかお腹空いてるみたい!」
迷探偵ハナさんの閃きが真実を射抜く。誰が迷だ。
「うん、まあ、だろうな」
あっけらかんとヌヌが言う。まさかそこに気付いていたとはな。ふふふやるじゃあないかヌメソン君っていやいや言ってる場合じゃないや。そんなことより何か食べさせてあげないとそれこそ事件だ。
しかし、とは言えこんなところで……!
「食べ物! 食べ物?」
キョロキョロと辺りを窺う。窺って、そうしてはたと気付く。目に留まったのは、雨宮ナニガシさんが左手に持っていた風呂敷包みだった。
なん……だと!?
「なあ、ハナ」
「……五秒だけ頂戴」
みなまで言うな。分かってる。今度こそしっかりちゃんと分かってる。あたしはごくりと喉を鳴らしながら、五秒きっちりを掛けて風呂敷包みを開く。
「ひゃい、どうじょ……」
声は震えて裏返っていたという。
◆
「おお、なんと美味な……!」
当人が気にしていないらしきところを見るに口の縫合はどうやらそういうデザインなのだろう。隙間からむっしゃむっしゃと泥団子を頬張るウィザーモンに、あたしは穏やかに笑う。喜んでもらえてなによりよ。
「ハナ君、だったかな。ありがとう、お陰で助かっ……なぜ微笑みながら泣いているんだい!?」
「うふふ、あなたの無事が嬉しくて、つい」
「な、なんと! 見ず知らずの行き倒れに過ぎない私に、そこまで……!」
うふふふふ。お気になさらないで。そう、そうよ。これは嬉し涙。それ以外の何物でもあるはずがないわ。だって命には代えられないもの。人命第一。それが勇者の務めよ。人じゃないけど。
顔の水分が目に集中していたお陰か、どうにかよだれだけは食い止めつつ、あたしは自らに言い聞かせるように繰り返す。けれど、
「いやー、しかしハナにも自制心ってあったんだな」
気高き心根を土足で踏みにじるが如きそんな暴言は、理性の欠片すら持ってはいなさそうな軟体生物の口から。
うふふ。今いったいなんておっしゃりやがったのでございましょうかしら。なんなら自制心とやらを捨て去ったビーストハナさんを貴様にだけは特別にご覧いただきやがってございましょうかあぁぁ!?
美女か野獣な顔で振り返る。何やらさっきから脇道でがさごそやっていたようだが、目をやればそこには草むらから目玉だけを覗かせるヌヌがいた。鎌か何かないかしら。
「あら、ヌヌちゃん。何してるのかしら?」
「その口調は大分怒ってる時のあれか。いやいや、朗報だぞ。そこに木の実がいっぱいあった」
「木の実?」
木の実……木の実だとぉ!?
あたしのお弁当以外にも食べ物があったとかそんなことを言っているというのか!? ウィザーモンもうご馳走様でしたって段階に来て!?
動揺して思わずこん棒に手を延ばしたあたしにウィザーモンがびくっとする。あら失礼。あなたじゃないのよ。草むらからぬりゅっと這い出たヌヌはその腕っぽい突起で抱えられるだけの紫色の果実をほうらと誇らしげに掲げて見せる。
「見ろ! こんなに沢山のムラサキマダラ毒リンごぶりゅ!」
ごぶりゅ? まあ、変わった名前ですこと。どうやら食べ物ではなかったようだけれど。いつの間にかあたしの手から消え去っていたこん棒をどういうわけかその口いっぱいに頬張って、なんでかすっ転んでいるヌヌがむごもごと呻く。
「ウィザーモン、もう大丈夫そう?」
「え? あ、はい!」
なぜだか怯えていたという。
◆
「やれやれ、びっくりしたなぁもう」
にゅるぽんとこん棒を抜いてヌヌが溜息を吐きながら首を振る。多分首だと思う。
しかし思ったよりまあまあ深々と突き刺さった気もしたが、びっくりした程度なのか。ゴブの時も全然平気そうだったが、こいつ防御面だけなら意外とハイスペックだな。
「やめてくれよハナ。確かに毒リンゴのことすっかり忘れてたオイラも多少は悪かったけれども」
多少か。まあ、あたしも多少勢いがよすぎた気もすることだし。
「ええ、ごめんなさい。つい」
「ついでこん棒投げちゃうのか」
なおも納得のいっていなさそうなヌヌに、あたしはぺろっと舌を出しつつてへっと頭を小突く。なんか微妙な顔をされたが、ここは一つこの可愛さに免じて許しておくれ。
「あの、ところで、ヌヌ君と言ったかい」
「おう、なんだ?」
「その……なんと言うか君は、大丈夫なのかい?」
「ん? ああ、ヌメモン族はまあまあ丈夫だからな」
なんて言いつつ毒リンゴをしゃりしゃり喰らう。危険物の処理も勇者の務めとさっきあらかたこん棒で押し込んでやったが、まだ持ってやがったか。
「てゆーかそれ、ジャングルで見たのになんでこんなとこにもあんの?」
「ああ、大体どこにでも生えてるぞ」
ゴキブリか。益々もって厄介な毒物だな。まあ、ちゃんと内々で処分するならいいんだけれども。
痺れる神経毒に軟体を震わせる変態に、あたしの眼差しはみるみる凍り付く。しかし、ウィザーモンは苦笑いを浮かべながらも小さく首を振る。
「いや、そうじゃなくてその、ムラサキ……」
「うん? おう、ムラサキマダラ毒リンゴだ。なんだ、お前もいける口か?」
ヌヌの目がキラキラと輝く。ようやく理解者に巡り逢えたとばかり。けれどもウィザーモンは眉をひそめて、
「見たところそれは、木の実のバグデータだと思うのだが、そんなものを食べて平気なのかい?」
問うたウィザーモンに、ヌヌはぽかんとする。
バグ……ああ、うん、バグね。成る程ね。ヌヌとは対照的に得心がいきましたという顔をしてみる。
「バグ……え? こんなに美味しい果物が!?」
「君の味覚はどうなっているんだい!?」
どうにかなってるのよ。味覚というかまあ五臓六腑が余すところなく。臓腑があるかは知らないけれども。
「気にしないであげて。そういう宿命を負った哀しい生き物なの」
「別に哀しくはないけど!?」
「そうか、そうだったのか。世界とは広いものだね」
「納得したの!?」
なんかにゅるにゅる喚くヌヌに複雑な眼差しを向けながらウィザーモンはうんうんと頷く。分かってもらえてなによりよ。
「ところで、今更なのだが君は人間かい?」
「うん、まあね」
「ほう、これは珍しい。一体こんなところで何を?」
ふっふっふよくぞ聞いてくれたなとかまた言い出しそうだったヌヌの頬っぺをこん棒でにゅむんと軽く突いて、あたしは溜息を一つ吐く。
「ちょっと盗賊退治にね」
「と、盗賊退治? 君たちだけでかい?」
ええ残念ながら。あたしは無言で頷いてみせる。
そう言えばウィザーモンって見たまま魔法使いか。できればこのまま着いて来てほしい、というか何だったら今すぐ勇者の椅子くらい空けてもいいんだけれど。さすがに今の今まで行き倒れていた相手に道連れになってくださいとは言えないな。あたしは外道ヌメとは違うのだ。ハナちゃんは偉い子!
「てゆーか、そいやそういうウィザーモンは何してたの?」
「うん、師匠に頼まれて少々調べ物をね。なんでもこの小世界でゲートらしき歪みを感知したと……」
「ゲート?」
「ん? それって……」
なんか最近どっかで聞いた単語な気がするな。何だっけ。ああそうだ、確かバロモンさんが……。
「あ」
と、あたしとヌヌとウィザーモンの声が揃う。あたしが目をぱちくりして、ヌヌとウィザーモンがあたしを見る。
「あたし?」
自分で自分を指差して、首を傾げてみせればウィザーモンは目を丸くしながらゆっくりと頷く。
「成る程そういうことか、君だったとはね」
「ちょ、ちょっと待って。え? 調べにって……」
いやいやいや、待て待て待て。落ち着け、落ち着こうかムッシュ。いや、あたしだ。落ち着くんだハナ。ええと、何だ。何を言ってる。
師匠とやらが誰かは知らないけれど、行き倒れるほどの遠路を遥々やって来させて、そうまでして調べようというからにはもしかしたらもしかするのか。
あたしはこくりと喉を鳴らす。いや、淡い期待ではあるのだけれど。
「帰る方法とか、分かったりするの?」
分かるというならあたしの旅はここがゴールだ。みんな、今までありがとう! さようなら! 後はなんか頑張って!
とは、幾らなんでも無責任すぎるし都合が良すぎるだろう気はいっぱいしつつ、問えばウィザーモンは案の定眉をひそめる。
「帰る方法? いや、それはまだなんとも言えないが」
「……ああ」
なーんて、あはは冗談よ冗談。ほんのジョークに決まっているとも。イッツァジョーク! HAHAHA! 救世主が中途で使命を投げ出して帰るわけがないじゃない。んもう、ハナちゃんのお茶目さん。そうとも、ジョークだ。ジョークなのであるからして、あたしは別にがっかりなどしてはいない。断じて。決して。
「しかし、やはり君もそうなのだね」
唇を噛み締めて震えるあたしにも構わず、ウィザーモンはふうむと唸って思案するように顎に手をやる。
うん、あれ? も?
「君も、って何?」
「え? ハナの他にも救世主が来てるのか?」
「いや、救世主かどうかは知らないが」
ヌヌの妄言をさらりと流して、ウィザーモンはついと空を見る。仰いだ晴天に浮かぶのは灰銀の星・リアルワールド球。釣られてあたしも視線をやる。今更だけどあれが出入り口ならあたしってあんなとこから落ちてきたのだろうか。人間てそんな丈夫だっけ。
「人間が迷い込んでくることは稀にあるようだよ。私の師匠もつい最近そんな話をしていた」
「救世主が続々集結ってわけか。どうやら本格的に世界の危機が来たらしいな」
「いや、だから救世主かどうかは……」
なおもしつこいヌヌにウィザーモンがぽりぽりと頬を掻く。あたしはウィザーモンの肩をぽんと叩いて、親指でヌヌを指しながら小さく首を振る。
「気にしないであげて。ほら、毒リンゴなんて食べてるから」
「食べてるから何!?」
「ああ、そうか。そうだね」
「だから納得すんなよぉおおーい!?」
うんうんと頷き合う。ぬちょぬちょ煩いヌヌを一瞥し、ウィザーモンは再び視線をあたしへ戻す。
「まあそれはともかくとして」
「トモカクトシテ!?」
「何にしても助かったよ。命を救ってもらった恩だ。何か分かったら必ず報せよう」
まだ少しふらつきながらも、杖で地面をとんと突いて立ち上がる。
「もう大丈夫なの?」
「ああ、おかげさまでね」
「あんまり無理しないでよ。道なりに小一時間も行けば村があるから、ちょっと休ませてもらったら?」
「オイラたちの名前を出せば快く迎えてくれるはずだ」
そう言って胸を張るヌヌに冷たい視線をやる。まだ何も成し遂げてなどいない現状ではもはや限りなく詐欺師の手口だと気付いてはいないのか。片棒は担ぐ気ないからな。やるなら自分で両棒担げ。
はあ、と溜息を吐く。そのうち肺が空になるんじゃなかろうか。
「まあ、そんな訳だから……ともかく元気でね」
「いや、元気なら君にこそ必要そうだが。大丈夫かい?」
ふふ、うふふ。そうね、その通り。元気出してこーぜハナちゃん。
「な、なんだかみるみる元気がなくなっていくようだが……すまない、何か余計なことを言ったかい?」
「うふふふふ。何でもないの。大丈夫よ、この通り」
「どの通り!?」
絶望を体現するが如きあたしの顔に、期せずしてヌヌとウィザーモンの声が揃う。自分で言ってりゃ世話ないけれど、この状況で楽しそうにできたらアホの子どころの騒ぎではないだろう。あたしは薄幸の美少女のように微笑んでウィザーモンに手を振る。あ、美は突っ込まなくていいです。
何やら戸惑うヌヌを横目に、なぜだか心配そうなウィザーモンを尻目に、あたしは「至地獄」という立て看板の幻覚を見つつ山道をゆっくりと歩いていく。
さあ行こうか。登っているのに降っていく、とっても不思議なこの道を。ふ、うふふふふ……!
気のせいか、ヌヌの緑の体がとっても青く見えた。
◆
じゃりじゃりと小石を踏む。ウィザーモンと別れてから少し。辿り着いたのはうら寂しい廃坑の入口。つるはしや荷車のようなもの、半壊したよく分からない道具が無造作に転がり、焚火らしき跡が所々に残る、キャンプ場にも似た広場だった。
廃坑は山肌に開いた横穴。入口には「立入禁止」とでも書いてあるのだろう立て札と、元はバリケードか何かと思しき廃材。そしてそこかしこに大小の足跡が見て取れた。閉鎖された廃坑に何者かが押し入っているのは間違いなさそうだ。
「ここね……」
「みたいだな」
足跡からして中々の大所帯。沢山ある小さな足跡はゴブリモンとは違うようだが、中に一つだけやたらでかいのが混じっている。見た感じ熊ぐらいはありそうなサイズだ。うん、てゆーかあれ? いやこれ無理じゃね?
「ようし、早速乗り込んでやろうぜ!」
「え、ぅええぇ!? ちょ、ちょっと待った!」
死に急ぐヌヌを慌てて引き留める。返す不思議そうな顔に若干の苛立ちを覚えながらも、ぐっと堪えてぐっとこん棒を握る。
「どうした、ハナ?」
「いや、どうもこうも……ええと、何? 真っ向勝負する気なの? あんたとあたしで?」
問えばヌヌは一度だけ眉をひそめてふうむと唸る。顎に手をやり思案するようなポーズは欠片も様にはなっていなかったけれど。やがてヌヌはぽんと手を打つ。
「言われてみればちょびっと無謀が過ぎる気もするな」
「馬鹿なの?」
「ストレートだな。いや、すまん。ハナならイケるかなって」
イケて堪るか。死ぬなら独りで死んでこい。しつこいようだがここにいるのは虫も殺せぬただのか弱い女子中学生だ。まあゴブリモンは殴り倒せたのだけれども!
「とにかく、やるならちゃんと何か手を考えないと。自分が食糧になるくらいの気概で言ってんなら引き留めないけど」
「それは嫌だな。オイラは命が惜しいぞ」
「ならその無い知恵振り絞んなさい」
まあ、喰われるなら喰われるで毒殺という手もある気はするが、勇者の手口ではまったくない上にそもそもこんなもん喰う馬鹿もいないだろう。一瞬頭を過ぎったナイスアイディアを残念ながら却下して、あたしは周囲を見渡す。
確か、食糧を奪いに来たのは夜だと言っていたな。現時刻は多分お昼前くらい。とあたしのお腹は言っている。まあまあ騒がしい割に気付かれていないところを見るに、昼間はお休み中だろうか。見張りもいないなんて随分と無用心だが。このまま寝込みを襲うのも一つの手ではあるか。
「ん? なんだ?」
ちらりとヌヌを見て、はあやれやれと溜息を吐いて肩をすくめる。いやいや。中にも見張りがいないとは限らないし、構造も分からない敵の根城にやあやあ我こそはと乗り込むのはあんまりにもあんまりだろう。何より戦力的に不安がたっぷりいっぱいあり過ぎる。
「あ、分かった。さては失礼なことを考えてるな。オイラが頼りないとか思ってんだろ?」
「うん」
「うんて」
「ねえ、それより、爆弾かなんか持ってない?」
「唐突だなおい。いや持ってないし、発想がこえーよ!?」
駄目か。毒殺、闇討ち、生き埋め、どれも実行にはカードが足りない。辛うじて勇者っぽい作戦がヌヌの特攻だけというのも色々あれだが、なりふり構ってもいられない。
もう一度辺りを見回す。転がる廃材、焚火の跡、壊れたバリケードを順に見て――そうして、ふと思う。
「ねえ、ヌヌ」
「うん?」
「あのバリケード、その辺の廃材とかで直せないかな」
廃坑の入口に散らばる木の板やらを視線で指して、問えばヌヌには眉をひそめられる。
「閉じ込める気か? 壊して入ってったんだろ?」
「うん、そうなんだけど」
廃坑に目をやり、再びあたしを見て、そしてヌヌはぎょっとする。
魔王か何かに見えたと、後にヌヌは語る。
◆
えっさほいさと廃材を運ぶ。散らばるがらくたの中から木材だけを選んで、廃坑の入口から少し進んだ辺りに積み上げていく。ついでにそこらの木の枝や葉っぱもトッピング。
「一体何する気だ、ハナ?」
「ふっふっふ。できてのお楽しみよ。それよりヌヌ、ちょっと火とか吐けたりはしない?」
「吐けねーよ!? 何だその発想!」
「いや、バロモンさんのメテオみたいな必殺技あったりしないのかなって」
まあ期待してはいなかったけれども。役に立たないヌメヌメである。はんと鼻で笑ってやればしかし、ヌヌは意味深長な笑みを浮かべて首を振ってみせる。その笑い方は今までで一番気色悪いな。
「はっはっは、シニョリーナ。馬鹿を言っちゃあいけないぜ?」
「まあ、シニョーレ。どういうことかしら?」
腹立つ顔にも至極冷静に問い返す。あたしも大人になったものである。ちなみに一番むかついたのはシニョリーナの発音である。
「我らヌメモン族にも必殺技の一つや二つはあるってことさ」
「え? それは妄想か何かではなくて?」
「ではなくてよ。酷いな。いいか、よく聞け。オイラの必殺技はその名を“ウンチ投げ”と言ってだな」
「やっぱりいいわ」
「どんな技かというとまず……」
構わず続けるヌヌにぷちんと、何か脳みその中で糸のようなものが切れた気がした。おほほほほ、聞かなかったことにしてさしあげますから今すぐそのドブ臭い口をお閉じになってくださるかしら。
というようなことを鈍器で語る。ってあらあら、ハリセンと間違えちゃったわ。繰り出すこん棒は音すら置き去りにしたと錯覚するほどの速度で戯言をほざくその口目掛けて振り下ろされて――けれど、一瞬の後にそれが叩いたのはどういうわけかただの地面だった。なん……だと!?
「ふはははは、甘い! その手は見切ったぜ!」
あたしのこん棒をぬるりと回避して得意げに笑う。その動きは実に見事な反応速度と気持ち悪さであった。なんかほんのり成長してやがるぞこいつ。
「ちっ、やるじゃない。その調子で盗賊も頑張ってみる?」
「それは遠慮しておこう。恐い」
まあ、どうやらランクアップしたのは戦闘系スキルではなく漫才系のスキルだったようだが。パラメータの割り振り確実に間違ってるぞ。
「そんなんだから毒リンゴ食べてウンチ投げる羽目になんのよ」
「落ちぶれてそうなったみたいに言うなよ。ヌメモン全否定か」
とても肯定できる生態ではないけれど。あたしはやれやれだぜと肩をすくめて溜息を吐く。
「ねえところで、そんなことより火吐けないなら村に戻って火借りて来てくんない? もしくはその辺の木とかで火起こしてよ」
「気軽にさらっと重労働だな。どっちもオイラか」
「だってしんどいもん」
戦士には休息が必要なのだ。そしてあたしはまあまあ働いて超めんどいのだ。準備もまだできてはいないことだし。わざとらしく溜息を吐いてみせる。そうして、ちょうどそんな時。
「火なら――」
すっと差し出された杖の先端に、小さく火が点る。
ほえ?
「これでいいかな、ハナ君?」
そう言って、藍色のとんがり帽子の縁をくいと持ち上げ、魔術師は首を傾げてみせる。あたしは思わず声のトーンを上げて、
「ウィザーモン! え、何で?」
「何だ、着いて来たのか?」
「うん、やはり少し心配になってね。それに……」
どこか申し訳なさげに笑い、頬を掻く。
「何か分かれば報せると言ったが、よくよく考えたら連絡手段がないと気付いてね」
そんな言葉にヌヌと顔を見合わせる。連絡手段がない? うん、ほんとだ! 誰か気付けよ! あたしもだけれども!
「そんなわけでこれを渡しておこうと思ってね」
そう言ってウィザーモンが差し出したのは、掌サイズの機械だった。青いスマホにも似た楕円形の端末。連絡手段というからには無線機か何かだろうか。四角い小さな液晶と数個のボタンしかないそのデザインは、はっきり言ってしまえば安っぽい玩具のようだったが。
「なにこれ?」
「デジヴァイスというものだ」
「デジヴァイス?」
どっかで聞いたな。なんだっけ。ふとヌヌへ視線を移せば、どういうわけか間抜け面でぼかんとしていた。まあ元々ぼけっとした顔ではあるのだけれど。ドヤ顔よりはまあまあマシだな。
「これ……え、本物なのか?」
軟体をにょーんと縦に伸ばしてウィザーモンの持つデジヴァイスとやらを覗き込む。モグラ叩きを見ているような気分にもなって無性にぶっ叩きたくなったが、残念ながら殴る理由がないので我慢した。
「知ってるの? なんなのこれ?」
「なんなのって……いやいやいや」
半ば呆れたように首を振る。なんかちょっといらっとしたけど、しかし、いやいや待て待て。確かに聞いたぞ。バロモンさんが言っていた。そう、救世主の――
「救世主の……証?」
海馬の奥の奥の裏側の隅っこまでまさぐって、どうにか引っ張り出した朧げな記憶。そうだ、これを持つことが救世主の証明と、バロモンさんやヌヌが言っていた……うん?
「え? 待って待って、あれ? こんな感じで手に入っちゃうもんなの?」
「いやいやいや、そんなわけないだろ。何なんだこれ?」
「うん、正確に言うならレプリカのようなものなのだがね」
入手イベントの普通さに思わず戸惑えば、ウィザーモンは苦笑しながら首を振る。
「レプリカ?」
「三大天使の造ったデジヴァイスを元に師匠が暇潰しで造ってみたものを私が興味本意で真似て造ったんだ」
「どんな伝言ゲーム?」
二重の模造品か。確かに本物と言い張るのは多分に無理があるようだが。
「残念ながら機能の一部は再現できなかったが、代わりにウィッチェルニーの魔術数式を組み込んでみたんだ。交信魔術の受信機としてなら使えるはずだ」
はいと手渡されるデジヴァイスを受け取り、その液晶をしげしげと覗き込む。うん、これは本物とは言えない。言えないが……。
「ハナ、なんでちょっとにやけてんだ?」
「へえ?」
頓狂な声を返す。図星をつかれたからとかではない。そもそもにやけてなどいないのだから。魔術数式とか交信魔術とか、当たり前のように放り込まれた中二ワードにどきどきなどしてはいないのだから。治ったのだから。断じて。
だがまあ折角の好意なのであるからして、ここは有り難く頂戴するとしようじゃないか。
ぐっと、なんちゃってデジヴァイスを握りしめる。早く連絡来ないかな。まだ目の前にいるのだけれども。
「さて、ところで今仕方言っていた火というのは……」
「ベタ!?」
ウィザーモンが杖で地面をとんと突いて、再びその先端にぱちぱちと火花が散った、そんな時。突然変な声を上げたのはあたしでもヌヌでもウィザーモンでもなかった。ベタ?
声に振り向いた先は廃坑の奥。薄暗い岩肌の通路にぽつりと佇みぽかんと口を開けるのは、モヒカン頭のなんか両生類みたいな生き物だった。
予期せぬ突然の出会いにお互い固まる。
ええと……何だろう。盗賊の根城であるはずの廃坑から出て来て、なぜかあたしたちを見て驚いて、そのちっちゃな足はちょうど入口で見た足跡と同じくらいで――嗚呼、と。あたしは理解する。そうして、超叫ぶ。
ふぉっ、ほぎゃあああぁぁぁ!?
びっくりし過ぎて思わず声に出し忘れる。だが、どうやらそれが幸いしたようであった。
「ベっ……ベどぅふっ!?」
事は一瞬。
廃坑の奥に向かって何やら叫びかけたモヒカンが、くぐもった変な声を上げる。上げて、そのまま倒れて動かなくなる。
「と、盗賊の見張りか……危なかったね」
「お、おぉう。さすがハナだな」
少しの沈黙の後、口々にそう言う役立たずどもを横目に、あたしは一人ぜはーぜはーと肩で息を吐く。あたしの中でついに戦士の才覚が目覚めたのか、誰より早く無言でぶん投げたこん棒がモヒカンの額を直撃し、騒ぎになる前に事態を鎮静化してみせたのである。
「ヌ……ヌヌ」
「え、あ、はひ!」
ゆっくりと振り返る。名を呼べばなぜだかヌヌの声が裏返る。その理由だけはさっぱりだが、今はいい。ふーふーと荒い鼻息を整えつつ、モヒカンを指差す。
「廃材の中にロープとかあったでしょ。縛ってその辺に転がしといて」
「イ、イエッサー!」
誰がサーだ。乙女に向かって。
「ウィザーモン、後でさっきの火もっかいお願い」
「わ、分かった」
なにゆえそんなに怯えているかね君たちは。まあいい。あたしはこん棒を拾い上げ、そろりと奥を覗き込む。耳を澄ましてみても暗闇は変わらず静かなまま。どうやらまだ気付かれてはいないようだ。暢気な盗賊である。ほっと息を吐き、一先ず外へ出る。
◆
「ハナ、す巻きにして草むらに捨ててきたぞ!」
「ご苦労様」
廃坑から外へ出るとすぐにヌヌが息を切らせて駆けて来る。はあはあ言っててとてもきもかった。てゆーか仕事がやたらに早いな。何に追い立てられているんだ。
「よし。二人とも、入口塞ぐから手伝って」
「お、おう」
「心得た」
やけに素直な二人と一緒に壊れたバリケードを修繕する。そこらに転がる木の板を起こして辛うじて残る枠組みに立て掛けたりと、直すというよりはがらくたを積んで隙間を埋めているだけではあるが。確かにこんなもので閉じ込めるなんてヌガーのように甘い考えだ。そう、できっこない。できっこないけれど、盗賊を閉じ込める必要なんてないのだ。木材は中へ放り込み、錆びた金属やらはバリケードの隙間に押し込んで補強に使う。
ふう、と息を吐いて、額の汗を拭う。やがて廃坑の入口にはがらくたで不格好に補強されたバリケード、少し中へ進んだ辺りには壊れた荷車やら木片やら枝葉が積み上がった山ができあがる。ついでにヌヌの反対を押し切って毒リンゴも混ぜてやる。
まあこんなものか。あたしは少しだけ残しておいたバリケードの隙間を指差して、ヌヌとウィザーモンへ視線をやる。
「ウィザーモン、火お願い。ヌヌ、あれ燃やしてきて」
と言えばさすがに二人もあたしのやろうとしていることを理解する。どういうわけか感服と畏怖が混じったような複雑な表情ではあったが。
「な、成る程。よし、分かった」
「君は中々に冷徹な戦士だね」
ウィザーモンが火を点した木片を受け取り、ヌヌがバリケードの隙間から中へと潜り込む。いいのかこれでと言いたげな顔をしつつ、一度だけこちらをちらりと見てから、ややを置いてヌヌは木材の山に火を放り込む。
パチパチと音を立て、次第に火種が大きな炎となっていく。ヌヌが脱出してから出入口用の穴を塞ぐ。やがてもくもくと、煙が立ち込める。
そう、バリケードで閉じ込めるのはこの煙。これぞ名付けて“おぺれえしょん・ばるさん”!
隙間から漏れる白い煙に、ヌヌとウィザーモンの頬を一筋の汗が伝うが、いいんだよ。勝てば官軍なのだから。勝ち方を選ぶなど戦いを愉しむバーサーカーのすることだ。英雄であらば世のため人のため正義のため、何より勝つことこそを最優先して然るべきなのだから。あたしまたいいこと言ったんじゃない?
「ま、まあ合理的ではあるね」
「あらあらウィザーモン。どうしてお顔が引きつってるの?」
「い、いやいや、そんなことはない。そ、そうだ。私ももう少しお手伝いしようか」
そう言って慌てて目を逸らしつつ、ウィザーモンは杖を水平に構えてぶつぶつと小さく何かを呟く。言っておくけどあたしだって何一つ思うところがないわけじゃないんだからね。ちょびっとくらいはどうかと思ってるよ。
「“バルルーナゲイル”!」
なんてあたしが心の中で言い訳をしていると、杖をかざしてウィザーモンが呪文のような言葉を紡いでみせる。杖の先端にエメラルドグリーンの光の筋が幾何学模様を描いて渦巻いて、紋様の中心を起点に風が巻き起こる。おおお、魔法っぽい! 胸に巣食う後ろめたさも忘れて思わずはしゃぐ。タクトのように杖を振るえば、細い気流の筋がバリケードの隙間から漏れ出る煙を押し込めていく。
「か、風も使えるの?」
火と風と交信魔術、他に一体どんな魔法が使えるのだねというようなニュアンスで、抑えたつもりが抑え切れてはいなかった笑顔でわくわくしながら聞いてみる。しょうがないじゃないか。リアル魔法だもの。
「ああ、一通りのアトリビュートは体得しているよ。広く浅くなってしまった感は否めないけれどね」
ほ、ほほう。よく分からないがとにかくいろいろ使えるんだな。勇者様権限でちょっと見せてくれ給えとか言えたりしないだろうか。てゆーかどうにか丸め込んでこのまま連れてけないだうか。
「ところで、そのうち飛び出してくるものもいると思うのだが、そうなったら戦うのかい?」
「え? あ、えーと……うん、まあ、そんな感じで」
左上を見て、右上を見て、ウィザーモンには視線を戻さずにうんうんと頷く。そこまでは考えてなかったとはとても言えなかった。
「よし、では罠も仕掛けておこう。と言っても今からではたいしたこともできないが」
「罠?」
問い返せばしかし、ウィザーモンは既に再び杖を構えてそっと目を閉じる。その杖の先端が再び光を帯びる。あたしはすかさず神経と精神力を耳へとかき集める。何でって言ったら先程は惜しくも聞き逃した詠唱を今度こそ聞きたかったからである。
「ど、どうかしたかい?」
「あ、ううん。なんでも」
ただまあ、少々接近し過ぎて興奮し過ぎてしまったけれど。間近で真顔で耳を澄ますあたしに、ウィザーモンがなんだかとっても戸惑う。ちなみに詠唱はよく分からない言葉だったがそれはそれでよかったです。
ウィザーモンはあたしに向かってなんだか微妙な顔をしつつも、黄色い幾何学模様の光の筋をまとう杖を廃坑の入口辺りの地面へと突き付ける。途端に地面がぼこぼこと隆起し、かと思えば瞬く間に陥没する。できあがったのは軽自動車くらいがすっぽり入るほどの大きな穴だった。
「即席の落とし穴だ。煙に巻かれて慌てて飛び出せばまず間違いなく足を取られるだろう」
ふう、と息を吐く。火と交信、風に次いで土の魔法か。何でもできるな。何でもありか。ナニえもんだ。ヌメヌメとトレードできないかな。できないだろうな。釣り合わないものね。
へっと鼻で笑う。そんなあたしを見てヌヌが落ち着かないそぶりで目を泳がせる。大粒の汗が浮かんで落ちた。ヌヌはぎこちない笑顔でウィザーモンの造った穴を指差して、
「えーっと、穴に落ちたらウンチでいっぱい、とか……」
「却下」
寝言は即座に切り捨てる。お黙んなさい。本当にやったら最初に落ちるのは貴様だからな。ダメージはなさそうだけれども。
分かりやすくしょぼんとするヌヌに、あたしはやれやれと首を振る。けれど、ウィザーモンだけは思案するようにふうむと唸り、
「成る程。いや、二重に罠を仕込むのは悪くないかもしれないね」
「え?」
まさかのウンチ採用かとあたしが驚きヌヌがその目に光を取り戻す。だが、勿論そんな馬鹿な話があるわけもなく。ウィザーモンは再び呪文を唱えて杖を振る。穴の底が再び隆起して、現れたのは土石の剣山だった。
ぽかんとして、少し。やがてヌヌが膝から崩れ落ちる。膝とかないけどそんな雰囲気だけはしっかり伝わった。
「もう……止めたげて……」
よよよと涙を流しながらヌヌが言う。消え入りそうな声にはさすがのあたしも少し可哀相になってしまったけれど。
「え? す、すまない。出過ぎた真似をしたかい?」
「いいのよ、ウィザーモンは気にしなくて。ほら、ヌメモンだから」
「ヌメモンだからって何!?」
「ああ……」
「納得したらウンチぶつけるからな!?」
ここ一番の剣幕で声を荒げるヌヌにはウィザーモンも苦笑いをするしかなかった。しかし一瞬で元気が出たな。立ち直りの早い奴だ。
「そんなぶりぶり怒んないでよ、ヌヌ」
「いや、ぶりぶりって何の擬音だおい」
「頑張って生きていれば来世はいいことあるって!」
「それフォローできてるつもりか!?」
ほんのジョークだっての。アハーハーと肩をすくめて笑ってやればヌヌは唇をめくりあがらせてぐぬぬと唸る。
そうして、半ば今の状況を忘れかけながら暢気に笑っていると、ふと、足元に違和感を覚える。
「ん?」
「ねえ、なんか……」
不意に感じたのは小さな震動だった。否、加速度的に大きくなるそれはほんの数秒を置いてもはや完全な地響きとなる。
「え? え? なになに!?」
まるで地中を岩盤すら削りながら掘り進めるように。いや、僅かの後、あたしはすぐに知ることとなる。まるで、などではなかったと。
地面に走る亀裂。その中心から巨大なドリルがタケノコのようににょきっと顔を出す。自分で言っておいてなんだがそんな可愛い感じではまったくなかったのだけれど。
「ぎゃああぁぁ!? 出た出た何か出たあぁぁ!?」
「あ、あいつは……!?」
土石を巻き上げ、土煙を噴き上げ、粉塵の中からゆらりと巨大な足が現れる。鼻先にはドリルを抱き、体格は熊ほどもあるが、その姿を一言で形容するならそう――
「モ、モグラぁ!?」
「ドリモゲモンだ! あいつがここのボスか!?」
ずしんずしんと丸太のような四肢で地面を踏み叩く。高速回転するドリルの風圧で粉塵を蹴散らし、雄叫びを上げる。口元に立派な男爵ヒゲを蓄えるその雄々しき姿はまさにモグラの中のモグラ。てゆーか地下から来るとか聞いてない。勝てる気は現時点でちっともしなかった。
だが、そんな男爵モグラにウィザーモンは訝しげに眉をひそめて、少し。何かに気付いたようにはっとする。
「違う……違うぞヌヌ君! よく見るんだあれは……!」
そんな言葉にヌヌもまた己が間違いを悟るように瞼もないのに両目を見開く。あたしはすっかりおいてきぼりである。
「本当だ、あいつは……あいつはニセドリモゲモンだ!」
「ニ、ニセ?」
「そうだ! ドリモゲモンに似ているからニセドリモゲモンだ!」
「……いや、まだそのドリモゲモンってのに会ったことないんだけど」
パチモン先に出されても。何が何だかわかんないぞ。
「貴様らぁぁ……!」
まあ、そんな暢気なことを言ってる場合ではまったくないのだけれど。ニセモグラはこめかみにぶっとい血管を浮き上がらせて、モグラとは思えぬ獰猛な顔であたしたちを睨み据える。
ただ、声だけはいやに静かで落ち着いて、だからこそあたしたちは心底から震えに震え上がったのだけれども。
「二つだけ、聞いておこうか……」
「は、はひ!?」
「この火は、一体誰の仕業かな? んんん? くれぐれも、正直に答え給えよ……!」
「え!? いや、ええと……」
助けを求めるようにヌヌとウィザーモンを見る。見るが、寄越しやがったのは助け舟どころか意味ありげな視線だった。ちょおっとおぉぉ!?
「ほう……成る程、貴様か……!」
ニセモグラの鋭過ぎる眼光があたしをしっかりばっちり捉える。ほぎゃああぁぁ!?
「では、もう一つだけ聞いておくぞ」
怒りにぷるぷる震えながら、ニセモグラは前足の爪を器用に一本立ててみせる。あるいは、火よりもこちらの方が重罪であると言わんばかりに。
「先程我輩を……そう、何と言ったかな。確か……“ニセ”などと呼んだように聞こえたのだが」
そこか。放火よりそこか。
「さて、我輩をそう呼んだのは――」
「あ、それはこいつです」
隣のヌメヌメを指差して食い気味に即答する。
「ハナさあぁぁん!?」
なんか変な汁を盛大に噴きながらヌヌがあたしを見る。見るが、あたしはそっと目を逸らす。ここまで来たら地獄まで付き合い給えよヌヌ君。
「ほほおぉぉう、貴様かあぁぁ……! 生まれ持ったこの身の不幸を、“ニセ”の名を負った我が悲劇を……欠片も慮ることなく無神経にそう呼んだのはああぁぁ!?」
怒髪天を衝かんばかりに体毛を逆立てて、ニセモグラが怒号を上げる。ぶわっと、なんかねちっこい汗が顔中から噴き出した。
「真似したわけでもないのに“ニセ”! 貴様に分かるかこの呪われた宿命、この悲運が! いいや分からん、ヌメモンなどには分からん! 分かるものかあぁぁ!」
星をも射抜かんばかりの怒号が轟く。知るかと言いたくもなったがとても言える状況ではなかった。ニセモグラは己が運命の不条理に神へと弓を引くが如く、鼻先のドリルを天へと突き付ける。
「おおおぉぉ! 喰らえ必殺! ニセドリルスピいぃぃぃン!!」
ともすれば今にも空間すら貫くと錯覚するほど。けたたましい金属音と火花を上げながらドリルが唸る。今ニセって自分で言ったよね。という喉まで出掛かったツッコミはどうにか飲み下す。わざわざ油を注ぐまでもなく火はとうに燃え盛っていた。
あかんあかんあかん! あきまへんでこれはぁぁ! さすがの救世主様も思わず使ったこともない方言が出るほどやばい状況だ。あ、ハルちゃん元気かなー。なぜだか唐突に大阪の親戚の顔が浮かんだが、もしかしたら走馬灯の一種かもしれない。
「ハ、ハナ君!? どうやら戦うべき時が来たようだが!?」
「うえぇぇえ!? 無理無理無ぅ理いぃぃー!!」
ウィザーモンの言葉に慌てて首を振る。振りながらウィザーモンの陰に隠れる。いやいやいや、だっていきなり難易度跳ね上がり過ぎじゃないこれ!? なんかイベント二つ三つ飛ばしちゃってたりしない!?
「まぁー待って待って待ってください!」
だが、そんな時に一歩を踏み出し声を上げたのは、意外や意外。なんとヌヌであった。
「いやいや、違うんすよ、へへ」
まあ、あからさまに媚びへつらう態度は勇敢さから来るそれでは全然なかったが。ヌヌは揉み手をしながらへこへこする。あたしの中の勇者とパンピが軽蔑したい気持ちと何でもいいから助かりたい気持ちの間でぶるんぶるんと超揺れる。
「実はオイラ……オイラ、ゲレモンなんでげすぅ!!」
「……何だと?」
ヌヌの叫びに、ニセモグラがぴくりと反応する。おおお!? よくわかんないけど効いてる!?
「貴様……!」
「へ、へい! なんでありましょうか!?」
「もう少しよく顔を見せてみろ」
「へ、へへへ、こんな顔でよければいくらでも」
軟体を精一杯低くしてヌヌはそろりそろりとニセモグラに近う寄る。どうしよう、どっちかっていうと軽蔑したい。
ともあれ、戦う勇気もないのでとりあえずは成り行きを見守ることしかできないのだけれど。
ヌヌとニセモグラ、彼我の距離はほんの一メートルほど。ニセモグラはヌヌをしげしげと凝視し、そして、ふっと笑う。
あれ、これはもしかして……?
と、思ったのもしかし、束の間であった。
「色が違あぁぁうぅ!!」
「ほぎゃあぁぁぁん!?」
しばし回転が緩やかになっていたドリルを再び激しく回しに回してニセモグラが雄叫びを上げる。
「我輩を謀ろうなどいい度胸だな……真贋を見極める我が眼力を侮るな! せめてカラツキならば半殺しで済ませてやったところだが、もはや問答は無用! まとめてドリルの錆にしてくれるわ!!」
ずだん、と前足で地面を叩く。体格に見合わぬ軽やかさで跳躍し、瞬く間にあたしたちの至近まで迫る。
「「「ぎゃああぁぁぁ!?」」」
綺麗に揃った悲鳴の三重奏であった。どさくさに紛れてあたしの件はうやむやにならないかしらとも思ったが、勿論ならないらしい。
「ハナぁぁ! カラ、カラ! その辺に落ちてないかぁ!?」
「よくわかんないけど今からでも間に合う奴なのそれぇ!?」
ドリルの唸りが鼓膜を衝く。幼いあの日の歯医者さんを彷彿とさせたが、当然そんなかわいらしいものでは絶対にない。
「に、逃げるぞ! 私につかまるんだ!」
短く早口に呪文を唱え、ウィザーモンがマントを翻す。マントの内側に施された不思議な文字の列が輝きを帯びて、ウィザーモンの身体がふわりと浮き上がる。あああぁぁぁお!?
半泣きになりながらウィザーモンの差し出す手を掴む。瞬間、あたしとヌヌを抱えたままその小柄な身体が地を離れ、飛翔する。ウィザえモンと呼んで差し上げたく思った。
「逃すかあぁぁぁ!!」
即座にニセモグラが駆ける。獲物を追う肉食獣が如きその俊敏さには、モグラは土をもっさもっさと掘るだけの和みの小動物だなんて認識は改めざるをえなかった。てゆーか……。
後ろを見て、下を見て、そしてウィザえモンを見て、あたしはいと叫ぶ。
「ひひひ低いよおおぉぉ!?」
高度約数十センチくらい。速度は普通に走るくらいだった。
「す、すまない! 完全に定員オーバーだ! やはり走ろう!」
「あぎゃひゃああぁぁ!?」
離陸から僅か数秒で緊急着陸する。そんなとこまでえもんじゃなくてよくってよおぉぉ!?
完全に体勢を崩しながら着地して、即座に迫るドリルからがっさごっそと虫けらのように這って転がってどうにか逃げる。とても酷い格好だが今はそんなことを気にしている場合ではない。
「やあぁぁぁ!? 待って待ってちょっと待ってお願い!!」
「十分待ったわ! いい加減に観念しろ!」
「ち、違っ、違うの! いや、違わないけど! そうじゃなくて、ほら! あたしニセじゃないほうって見たことないし! ね!? あたしにとってはむしろ貴方のが本物っていうか何ていうか!?」
「詰まらん慰めなどいらん! だいたい貴様は火をつけたのであろう!?」
おっしゃる通りですけれども!
「い、いや、何ていうかそれはあの! 悪気はなかっていうか、ほら!?」
「あれだけ入念に準備する過程のどこに悪気のない部分がある!?」
ごもっとも!
思わず納得する。確かに言っててすごく無理がある気もするけれど。言い訳のしようもないのだけれど。
「ままま待って待って!? ほ、ほら! ニセとか本物とか関係ないんだって! 頑張って生きていればきっといいことあるんだよ!?」
「な……何をぉぉ……!」
どうにか放火の件から話を逸らそうとしてみる。あ、ちょっと揺らいだ!?
「だから、ね? こんなことはやめて真っ当に生きてみようよ? 必ず、必ず報われるんだから!!」
「う……くぅ……!」
ニセモグラのドリルが次第に回転速度を落としていく。効いてる、効いてるこれ!?
「や、やったハナ! もう一息だぞ!?」
「すごいぞハナ君!」
ひっそひっそと声を殺してヌヌとウィザーモンが口々に言う。ふ、うふふふふ。おっけぇぇい。この救世主様に任せておけえぇ!
「胸を張って生きれば誰もあなたをニセモノだなんて蔑まないよ! だから、元気出しなよ! ね? ニセドリモグモン!」
「あ」
「ん?」
ぴくりと、ニセモグラのこめかみがひくつく。
「ハナ! 違う! モグじゃない! モゲだ!」
「モゲ?」
聞き返して、首を傾げる。モゲって……あ。
「貴ぃ様ぁぁ……今ぁ、我輩をなんと呼んだぁぁ……?」
そしてあたしは理解するのだ。自分がたった今、最後の詰めを致命的に誤ったことを。
「あ、えっと……」
ヌヌとウィザーモンを見る。あちゃーとでも言わんばかりの顔であった。そんな暢気なリアクションのできる状況ではないのだけれど。あたしは、こつんと頭を小突いてみる。
「てへぺろ」
それが、雨宮花さんの最期の言葉であった。
「ハナああぁぁぁぁ!?」
何だかやけに遠くでヌヌの情けない叫び声が聞こえた。
「ぅおぉぉい、しっかりしろぉぉ!? 愉快なポーズで立ったまま気絶してる場合じゃねえぞぉぉ!?」
そんな言葉にはっとなる。焦点の定まらない目がゆらりと揺れて、捉えたのは目と鼻の先にまで迫るドリルであった。明後日の世界に旅立ちかけた意識を後ろ髪をわしづかんで引き戻す。とてもお早いお帰りだ。でも今度はもっと遠くへ旅立ちそうとか言ってる場合じゃないんぎゃああぁぁおぉぉ!?
「“バルルーナゲイル”!」
背後の声から一瞬、横合いから吹きすさぶ風があたしの体をさらう。風圧に揉みくちゃにされつつあたしは真横へ転がり、襲い来るドリルから間一髪で逃れる。一息さえも置かずにドリルが残像を串刺す。声にもならない悲鳴が喉の奥に反響した。
「たたた助けてウィザえモぉーン!?」
即座に振り返る。たった今あたしの命を救ってくれた頼もし過ぎる大魔法使い様に、そのままニセモグラもお願いしやすともはや勇者の誇りをかなぐり捨てて懇願する。
「ウィザえモンが誰は知らないが、心得た! こうなればやるだけやってみよう!」
なんて言葉にはヌヌ共々に涙と鼻水が溢れて漏れる。言うまでもないが年頃の女子なのであるからして鼻水は勿論たとえである。ずびー。
「ぬう、邪魔だてする気か貴様ぁ!」
「彼女には命を救われた恩があるのでね。それに、火を貸したのは外ならぬ私だ」
「なんだとおぉぉ!?」
益々もって怒り狂うニセモグラにも、ウィザえモンは不敵に笑って杖を構える。矛先を自分に向けようとしてくれている!? 気付いて、なんだか自分がすごく恥ずかしい子に思えて目が泳ぐ。
「悪いが私から相手をしてもらおうか、ニセドリモグモン君?」
ぷっちん、なんて音が聞こえた気がした。こめかみの血管は冗談抜きに血の数リットルは噴きそうだ。ニセモグラはもはやモグラにすら見えない形相で死霊の怨嗟にすら似た絶叫を上げる。
けれど、ウィザえモンは僅かも動じることなく早口に呪文を唱え、赤と緑の光をまとう杖を振りかざす。イケメン過ぎてキュンとした。
「“サンダー”……!」
複雑に絡み合う赤と緑の光線は、電子基盤を思わせる幾何学模様を描いてほとばしり、やがて虚空へ溶け消える。刹那、代わるように沸き立つのは黒い塵だった。
電光が瞬く。集い、渦巻き、逆巻いて、また集う黒が暗雲を形成し、飛び交う極小粒子の軌跡を逆順になぞる閃きが、束となって矢の如く翔ける。
「“クラウド”!!」
杖の先端に鎮座する雷雲より、目を焼くほどの激しい稲光が放たれる。まばゆい輝きは瞬きの間に大気の組成物を貫き駆け抜けて、避ける隙すら与えずニセモグラのドリルへと突き刺さる。
「ぐぅ……!」
一瞬、ニセモグラが呻き声を漏らす。そうして――
「あいてっ!」
びくんと震えて身もだえする。
ぱちち、と雷の残滓が弾けて霧散する。
「…………ええと」
杖を構えたままの格好で固まるウィザえモン。目をぱちくりさせるニセモグラ。動けないあたしとヌヌ。最初に膠着を破ったのは、ニセモグラであった。
「がおおぉぉぉん!!」
「ほぎゃあぁぁぁ!?」
前足を振り上げて吠える。見るからにとてもお元気そうであった。
「うぃうぃうぃウィザえモぉぉン!?」
「すすっ、すまない! 力を使い過ぎた! もう高位の術式を構築する余力がない!」
しかしMPが足りなかったああぁぁぁ!?
二度三度杖を振るも、出るのは搾りカスのようなちっちゃい火花だけ。ウィザえモンは青い顔でぷるぷると震える。さあてどうしましょうかと言わんばかり。聞きたいのはこっちのほうだ。てゆーかそういえばさっきまで行き倒れてたの忘れていましたすっかりと。
あたしは三本の足で地を蹴って、傍から見ればとっても酷い格好で超逃げる。具体的にどんな体勢かは言及しないでほしい。
「ハナあぁぁ!? 凄い格好だけど超速いな!?」
「おおおお互い様でしょーがぁぁ!?」
足もない軟体で這っているとは思えぬ速度でヌヌもまたぬめり駆ける。何がどうなっているかは互いにさっぱり分からない。
「そ、そんなことを言っている場合ではないぞ、二人とも!?」
そして到底肉体労働になど向いていないであろう体格と服装のウィザえモンですらもスプリンターのように疾走しながら声を張る。顔色だけは最初見た時の感じに戻っていたが。
ピンチに眠れる力が目覚めるご都合展開もあながちフィクションだけの話ではないのかもしれないな。まあ、目覚める力の方向性は大分あれなんだけれども。誰か一人くらい戦う方向に覚醒しろよ。
「待あぁぁぁてえぇぇぇーーいぃぃ!!」
地獄の釜の蓋から漏れるような声がそんなあたしたちを追う。ちらりと一瞥だけをやる。だがそこにニセモグラの姿はなかった。そこにいるのは何をどう間違っても絶対にモグラなんかじゃない。クトゥルフかなんかに出て来る奴だこれ。
荒ぶる邪神と化したニセモグラが地を踏み砕いて跳躍する。涙で滲む視界にその姿を捉えながらあたしたちは絶叫し、蜘蛛の子を散らすように邪神の着地点から這い逃げる。どずずん、と山道が震えると同時、死の螺旋を描く円錐が大地を抉る。逃げて、追われて、避けて、辺りの岩やら木やらがとばっちりに見るも無残な姿へ変えられる。自然は大切にしようね!
這って逃げて転がって、そのまま草むらへと飛び込む。飛び込むっていうか気付いたら草むらだっただけなんだけど。土に塗れて葉っぱに塗れて、ゴロンゴロンとアルマジロのように転がる。世界が回っていた。どっちが空でどっちが地面だったかももう分からない。
「ほぎゃん!?」
だが、その回転が脳髄を直撃する衝撃とともに突然止まる。どうやら太い木に頭からぶつかったらしい。三半規管がぐっちゃぐっちゃでお空は未だにメリーゴーランドであったが。ふらふらしながらも、しかしゆっくりしている場合ではないとこん棒を支えにどうにか立ち上がろうとしてみる。こんな状況でもしっかりこん棒を手放さなかったことだけは評価してほしい。けれど、
「あぎゃ!?」
頭にもっかい痛みが走る。バランスを崩して尻餅をつく。やめてバカになっちゃう。
「だ、だは、だいじょうっぷ、か……ハナ!」
「し、静かに……!」
同じくらいヘロヘロになりながらヌヌとウィザえモンが言う。すぐ近くでは未だにドリルの唸りと怨嗟の声が聞こえていたが、姿は見えなかった。どうやら生い茂る草と木々にあたしたちを見失ったらしい。いや、あのドリルで除草と伐採を続ければその内この辺りも禿げ上がって隠れる場所すらなくなってしまうだろうけれど。静かにしたところで一時しのぎ。問題の先送りに過ぎない。
「ど、どうするのこれ……!?」
「どうもこうも……どうしよう?」
役立たず! 叫びたかったが叫べなかった。あたしは揺れる脳にも負けずに思考を巡らせる。彼我の戦力、地形、状況、情報を集積して分析する。命の危機にかつてないほど脳が活性化する。テストの時にできたらいいのに。多少の雑念が混じりつつも考えに考える。
「あ」
「ん?」
「村の皆は一回追い返したって言ってなかった?」
そうだ、間違いない。確かにそう言っていた。村人に頼ろうなんて勇者の考えじゃまったくないけれど、四の五の言ってる場合ではない。プライドなんてさっきその辺に落っことして来ましたが何か? さあ今すぐ村に逃げ帰るぞ! 閃いたナイスアイデアに、けれどもなぜだかヌヌの顔は晴れなかった。
「いや、ツチダルモンの話聞いた限りじゃ村に来たのは手下だけだと思うけど……聞いてなかったのか?」
マジすか。ごめん。普通に聞いてなかった。泥団子が余りに美味しくて。
「そ、それに、確か村までは小一時間と言っていた気がするが……」
そしてウィザえモンも言う。嗚呼。うん。本当だね。全然ナイスじゃなかったね。ごめん。
ええぇ〜……ええと? もう一度考える。しっかりしろ。頑張れ。目覚めたはずだ。多分。ぐぬぬぬぬと眉間のしわを深く深く刻む。そうして、
「あたっ!?」
また走る痛みに思わず声を漏らす。おいこら、あたしの頭に何の恨みがあるんだ。頭を撫でながら辺りを見る。樹上からあたしの頭目掛けて降って来たらしいそれが目に留まる。あたしはその紫色の物体をそっと拾い上げる。ヌヌがはっとなる。
「そ、それはムラサキマダらんむぐんっ!? あ、おいし」
「もういいわ!!」
気色悪い毒リンゴを思いきり投げ捨てる。ヌヌの口にすぽっと入ってごくっと呑み込まれる。まだあたしを苦しめるのかこの毒物は。あたしが勇者としてまずすべきはこいつの駆除ではなかろうか。まだまだそこらに転がる毒リンゴを見て、毒の余韻に浸る変態を見て、そしてふと、糸屑のような思考の欠片が頭を過ぎる。
「ふ、二人とも……?」
何を思ったかは自分でも分からず、眉をひそめる。だが、そんなあたしをウィザえモンはどうしてか青い顔で見ながら、か細く震えた声を出す。なんだか泣きそうにも見えた。うん?
「そおぉぉぉこおぉぉぉかあぁぁぁぁーー……!?」
少しの静寂を置いて、草むらががさりと揺れる。ゆっくりと振り返る。そこにご降臨あそばされたのは邪神様でございましたとさ。
「ほにゃあああああぁぁぁぁぁーーー!?」
「なぜ叫んだんだぁぁーーい!?」
「ごめえぇぇーーん!?」
つい、ついなのよ。ほんの出来心っていうか何ていうか。テンション上がりまくってちょっと頭がバグってたっていうか。さっき一瞬頭が冴えた気もしたけど気の所為だったみたい。マジごめん。心の中で土下座をしながらまた逃げる。邪神は草むらを蹴散らしながらあたしたちに追い縋る。パンクロッカーのようにベッドバンギングしながら邪魔な木を薙ぎ倒して迫るその姿にはもはや理性すらないように見えた。
そうして気付けば、視界がやたらに広くなっていく。木も草も、あたしたちを隠してくれるものがどんどん失くなっていく。
「さあ……」
倒れた木を砕かんばかりの勢いで踏み締めて、邪神がにたりと笑う。
「生まれたことを、後悔するがいい……!!」
あああああぁぁぁおおぉぉぉん!?
もう十分後悔してますけれども!?
背筋が凍り付いて叫べもしない。もはや逃げ場はなくなったと理解して、あたしたちはムンクみたいな顔になる。
どうする? どうする!? どうするのおぉぉぉ!?
思考はぐっちゃぐちゃ。目はぐるんぐるんと回る。体中の水分を汗にして噴きながら、あたしは後退る。こつんと、かかとが何かを蹴飛ばした。そうして、はっとなる。
「ねえ……火、一発くらいならいける?」
「え? あ、ああ。だが成熟期を倒せるような……」
「いいから! “あれ”燃やして!」
指を差して叫ぶ。あたしの言わんとしていることを理解したか、ウィザえモンは即座に杖をかざし、残る力の全てを炎に変えて放つ。と言っても精々ライターより少し大きいくらいの火力。とても邪神になど太刀打ちできるものではなかったが、それでいい。
「ぬぅ!?」
炎が狙うのは邪神に切り倒された山の木々。青々と茂る葉に点る火は周囲の草葉に連鎖して、あたしの腰ほどの高さに燃え上がる。
「こんなものおぉぉぉ!!」
勿論それだけで倒せるはずなんてない。ないけれど、少しの足止めにはなる。
「ちょっとこれ持ってて」
「え? これは……」
さっき拾った“それ”をウィザえモンに投げて渡す。長々と説明している暇はない。あたしは振り返り、ヌヌへと真摯な眼差しを向ける。
「ヌヌ」
「ぅえ!? オイラ!?」
「ええ。今こそ、あたしたちの力を合わせる時がやって来たのよ」
「ハ、ハナ……?」
ヌヌが呆けたように口を開く。でろんと、よだれと涙が溢れる。感動から来るそれだとは分かったので嫌な顔をするのは我慢した。
「ハナあぁぁ! ついに、ついにその時が来たんだな! やって来たんだな!?」
「ええ、そうよ。さあ、行きましょうヌヌ!」
「おおお! ようし来た! さあ、何でも言ってみろ!」
「じゃあ、ここに乗って!」
「ここ?」
こん棒を差し出す。ヌヌは不思議そうな顔をしながらもにゅるりと乗る。
「こ、こうか?」
「ええ、いいじゃない! さすがヌヌ!」
「お、おお、そうか?」
「ふ、二人とも! もうもたないぞ!?」
ウィザえモンの言葉に再び邪神を見る。燃える木々すらもドリルで蹴散らして、道を抉じ開ける。僅か数秒だが、足止めももう限界だ。
大丈夫。いける。信じろ! 他ならぬあたしを! やればできる子だ!!
「いくよヌヌ!」
「おう! え? どこへ?」
どこへってあはは。勿論それは……地獄のちょっと手前までだあぁぁーーー!!
渾身の力を込めてこん棒を振り抜く。場外ホームラン確実な素晴らしいスイングであった。
「いってらっしゃああぁぁぁいぃ!」
「いってきましゅうぇええぇぇ!?」
そうして、ヌヌが宙を舞う。美しすぎる弧を描いて、汚すぎる汁を撒き散らしながら。
「ぬ、むうん!?」
あたしたちに向かって駆け出しかけた邪神が、響く絶叫に足を止めて空を仰ぐ。
「馬鹿があぁぁ! そんなに死にたいなら望み通りにしてくれよう!!」
「望んではいませんけれどもおぉぉぉ!?」
ドリルの切っ先が飛び来るヌヌへと向けられる。迫真の演技で見事に邪神の気を引いているな。いいぞヌヌ! ん? あ、よく考えたら作戦は伝え忘れてたな。でも、まあいいか。
あたしはスイングの勢いそのままに体を半回転させ、同時に両手で持っていたこん棒から右手だけを離す。空いた右腕を真横へ伸ばして、
「ウィザえモン!」
名を呼べば、そういえばこっちにも言ってなかったと気付くが、しかしウィザえモンはすぐさまさっき預けておいた“それ”を投げ寄越す。理解が早いな、いい子だ! 後でなでなでしてあげる!
ざりゅ、と地面を踏み締める。右腕を振りかぶって、狙いを定める。チャンスは一度。失敗は許されない。つまり、今こそ勇者の資質が問われているというわけだ! さあ、目覚めの時は来た!
ぎりりと奥歯を軋ませ、右腕を振り抜く。馬鹿がとそう言ったか。だがそれは……お前だあぁぁぁーーー!!
一投入魂。魂の全てを込めて放つそれが、狙いを外すことなどあるはずがない。その行く末を暢気に見守る必要など無い。あたしは再び体を回転させる。回ることにはお陰様でもう慣れた。今度は左手に握ったままのこん棒を、遠心力に任せて投擲する。くるくると回りながら飛んでいくこん棒はしかし、邪神へは向かっていかない。向かっていかないけれど、狙い通りだ!
「はぐん!?」
本命は一投目。そして放たれたそれは、見事に自らの役割を果たし切ってみせたのだ。邪神が木を切り倒したことでそこら中に転がっていたそれ――ムラサキマダラ毒リンゴは、ヌヌを迎え撃とうと空を仰いだ邪神の、その間抜けに開かれた口に目掛けて寸分違わずどストライクを決める。
「ぎゃああぁぁぁーーーぅぬぷん!?」
そして時間差で投じられたこん棒もまた、完璧すぎるほどに的を捉える。こん棒が突き刺さり、ヌヌから変な声が漏れた。別についでに始末しようとかそんな鬼畜なことではない。神経毒にもがきながらも邪神のドリルは空へと向いて回転を続けたまま。あたしがこん棒で吹っ飛ばしてやらなきゃヌヌは今頃想像もしたくない有様だったろう。まあ、そんなピンチに陥らせたのもあたしなんだけど。
「あががががが! ぎ、ぎゃひぃぃ……!」
耳を塞ぎたくなるような悲鳴を上げながら、邪神ことニセモグラは泡を噴いて倒れ伏す。白目を向いて痙攣するその様にはさすがに良心が痛かった。そうか、普通は食べたらああなるんだな。ごめん。まさかそんなにとは思わなくて。ちょっとくらいなら味見してみようかという気持ちも実はあったがたった今完全に消え失せた。
はあ、と息を吐いてへたり込む。何はともあれ、どうやらどうにもどうにかなったらしい。今更だけど考えてみると無茶な作戦だったな。あ、ヌヌどうなったかな。
「ハ、ハナ君……!」
「うん? あ、大丈夫だった?」
「ああ、大丈夫だ。それより、まさか本当に倒してしまうなんて! 凄いじゃないか!? 君は本当に救世主だったのかい!?」
びくんびくんと震えるニセモグラを一瞥し、再びあたしに視線を戻して興奮気味にウィザえモンが詰め寄る。救世主、か。なんか段々自分でもそんなような気がしてきたのだけれど、落ち着き給えよ気の所為だからって気もまあまあしてはいる。腕を組んで、ううんと唸る。ウィザえモンがこくりと喉を鳴らす。あたしは、うんと頷いてみせる。
「まあ、似たようなものね!」
「おお、おおお! ハナ君!」
つい口が滑る。戦闘による高揚感の余韻から来るとても間違った判断だとあたしの中の冷静めなハナさんが慌てて引き止めたが、既に遅い。まあ、今になって始まったことでもないし、もういいや。とにもかくにも、こうしてあたしはついに盗賊団を壊滅させてみせたのだから! そう、あたしこそが真の勇者・ハナさんだぁぁーー――!
◆
「おーい!」
「ヌヌくーん!」
盗賊も片付いたことだしさあて帰るかと山道を降り始めて二分くらい。あたしとウィザえモンは忘れ物があったことに気付いて引き返す。死にはしないとウィザえモンが言うので口一杯に毒リンゴを詰め込んでおいたニセモグラを横目に、ヌヌが吹っ飛んでいった方向へ向かって呼び掛ける。
「ハ、ハナ! よかった! 忘れられたかと思った!」
まだニセモグラに伐採されていなかった雑木林へと入り、声を頼りに見つけ出したのは何かアバンギャルドなアートだった。それがこん棒ごと木のうろにジャストフィットしたヌヌであることを理解するには多少の時間を要した。しかし思ったより遠くまで勢いよく飛んだものだ。力の加減をする余裕がなかったとはいえ、さすがに悪いことをしたな。まあ、それを言うならそもそも本人の了承も説明もなしにやってしまった辺りからあれだけれども。
うんせほいせとウィザえモンと一緒にこん棒を引き抜く。にゅるっぽん! というとても嫌な音を立ててヌヌが生還する。
「ふぃー、やれやれ。その様子じゃどうやらニセドリモグモンも倒せたみたいだな」
「ええ、ヌヌのお陰でね」
「はっはっは。串刺しになった甲斐があるってもんだぜ!」
ヌヌは腕を組んでうんうんと満足げに頷く。まあ、そこそこ酷い目にも合わせたし、水は差さないでおいてやろうか。ところでどうでもいいけどモグだっけ。何かゲシュタルトが崩壊してよく分からなくなってきた。
「ようし、そんじゃとりあえず村に戻るとするか! ツチダルモンに報告してやろうぜ!」
「そうね、暴れたらお腹も空いたし」
「ハナはそればっかだな」
「うるさいなー、もう」
こん棒でほっぺをむにゅんと突いてやる。目的を遂げたからかヌヌはとてもご機嫌だ。軟体を歪ませながら嬉しそうに笑う。じゃれ合ってるみたいでなんか不愉快だった。
「はあ、しっかしこれからどうしよっかなー」
「ん? どうって?」
「いや、だって盗賊も倒したことだし」
勇者の目的は遂げられた。後はあたしが元の世界に帰ることだが、とりあえずはウィザえモンの調査結果待ちだろう。それまでどうしたものかな。
「え?」
折角だしこの世界を少し回ってみるのも悪くない。他にも美味しいものがあるといいな。なんて、完全にエンディングの気分でいたあたしに、しかしヌヌは不思議そうに眉をひそめる。
「えって、何?」
「いや、ハナこそ何を言ってんだ?」
「うん?」
「盗賊退治なら、まだまだこれからだろ?」
「…………はい?」
目を丸くして、首を傾げる。ええと、え、何? 何を言ってらっしゃるの? あたしはついさっきあの恐ろしい盗賊を見事に成敗してみせたはずだけれど。嫌な汗が額に滲む。
「おいおい、何言ってんだよ。盗賊が暴れてる村はまだまだ先だぞ」
冗談きついぜお嬢さん。とでも言わんばかりのむかつく顔でヌヌが腕をひらひらさせる。ええと、何だ。何だろう。何が起こってるんだっけ。脳細胞よ再び覚醒せよと険しい顔をしてみる。
確か、他の村でも盗賊が暴れているらしいと、ヌヌはそう言っていた。そうして、あたしたちはこの村にやって来た。やって来て、そして土田さんから話を…………あ。あ、あああああ!?
土田さんたちは食料泥棒が例の盗賊だなんて自覚はなかった。なかったのに、盗賊が暴れてるらしいなんて噂が立つのは、考えてみれば確かにおかしい。ヌヌが言っていたのは、ヌヌの村まで届いた噂は、あの村じゃなかった……!?
「おい、ハナ?」
「ハ、ハナ君?」
隣にいるはずの二人の声が次第に遠ざかる。否、遠ざかっているのはそう、あたしの魂的な奴である。あらあらうふふ。これなら空でもどこでもひとっ飛びじゃない。ようしハナちゃんこのままフライアウェーイ!
「ど、どうした!? ハナ! ハナあぁぁぁ!?」
今にも終わりそうではあるけれど、あたしの旅はどうやら、まだまだ始まったばかりであったらしい。うふふふふ。
<登場キャラクター紹介>
@ハナ
本作のヒロイン。ついに成熟期を打ち倒したか弱い乙女。毒リンゴは消化できない。と本人は言い張っている。
Aヌヌ
救世主のお供。ぬめぬめしてる。毒物を食わせたがる。
B土田さん
平原の村の村長。趣味はお料理。その腕前は星の一つや二つは楽勝で取れる(ハナ談)くらい。
Cウィザえモン
行き倒れの魔術師。助けたらお礼に救世主の証をくれた。
Dモヒカンザコ
モヒカンのザコ。ベタモンと思いきや実はモドキベタモンである。
Eニセモグラ
男爵ヒゲのパチモンモグラ。偽物として生まれた己が宿命を歎いて盗賊に身をやつす。ヒゲくらいどうとでもなりそうな気はする。
F神
なんかやんごとなきお方。なんかよく分かんないけどなんかよく分かんない恨みを買った。