
【空蝉】
威風堂々と立つそれは、声をかけようが手を触れようが頑として動かなかった。
エイリアス、というものがある。余剰データを用いて自らの分身を作り出す技術の総称であり、その用途は戦闘から雑用まで多岐にわたる。
私の目の前にある“これ”も、エイリアスであることは間違いないだろう。ただ、その用途には首を傾げるばかりだった。
用途や生成者によってエイリアスは性能や生成過程が大きく異なる。
以前、旅の途中で出会ったデジモンは極小さなデータで見た目だけの人形を作り、戦闘の際に囮や目くらましとして用いていた。本人は「デジ忍法・空蝉の術」などと呼び、瞬間的に発動可能な戦闘技として確立していたが、これはレアケース。多くは何らかの施設や機材、少なくない手順を踏んで作り出すものだ。
おそらくはこのエイリアスも、それなりの工程を経て作られたものなのだろう。
町の中央広場に屹立するそれは、長らく彫像と思われていたそうだ。
かつてこの地を救った英雄を讃え、その勇姿を後世へ伝えるべく建造されたのだと、この町では誰もがそう思い込み、そう伝えられていた。
だが、調べていくうちにそれは間違いであるとわかった。
像の組成物は石でも土でも金属でもなく、限りなく生体そのものだったのだ。鈍く光る銀色は生体と融合する特殊合金・クロンデジゾイド。生物と鉱物、両方の特性を併せ持ち、鍛え抜かれた筋肉と融和したそれはまさに鋼の肉体を形作り、下手な武器ではかすり傷ひとつ負わせることすら叶わないだろう。
その希少金属まで本物と遜色ないレベルに模造し、この像は作られていたのだ。
このエイリアスにはデジコアがない。生物そのものではないのだから当たり前といえば当たり前だが、それに代わる器官をも持ち合わせてはいない。
生体を正確に模造しておきながら、その気になれば本物と変わらぬ動作が可能な構造をしておきながら、それを動かす術がないのだ。
これは、物言わぬ置物でしかない。
ならばこれには何の意味があるというのだろう。
文字通り身を削るほどの莫大なデータを費やし、役に立たないただの像を造る――果たしてそんな無意味なことをするものだろうか。
この地はかつて、魔王と選ばれし子供とが激闘を繰り広げた戦場であったともいわれている。
しかしその詳細に関してはあまり多くが伝えられていない。戦時の混乱に記録が失われてしまったか、あるいは何者かが意図的に隠蔽したのか。
私は、この像にこそ歴史の謎を紐解くヒントがあるのではないかと睨んでいる。
彼は何者であったのか。
彼は何を為し遂げたのか。
彼は何を思い、何を伝えようとしたのか。
時の流れに埋もれてしまった歴史の真実。それは大河の水底に沈んだ砂利にも等しく、すべてを解き明かすことは途方もなく困難なことだろう。
だが、私はあえてその困難に挑もうと思う。
それが真理の探究者たる魔術師の為すべきことであり、私というデジモンの変えようがない性分なのだから。
さあ、我が目を逃れられるものなら逃れてみよと、そう言わんばかり。
藍色の外套を翻し、探求の魔術師・ウィザーモンは果てしない謎へと立ち向かう覚悟を、ここに固めるのであった。
歴史の真実とやらを語るなら「わたしが町を救いました」というただの目立ちたがり屋の自己顕示なのだが、そんなことはさしたる問題ではない。
未知へと臨む勇気。諦めない強き意志。いつの時代もそれが道を切り開く鍵となる。光も差さぬ暗がりを越えた先にこそ、新たな時代はあるのだから――
-終-