
【蝶よ花よ】
私の姉はとても可愛い。
整った容姿とそれを鼻に掛けない穏やかで人当たりのいい性格。人を疑うということを知らず、少しばかり危なっかしいところもあるが、むしろそれが周りの庇護欲を掻き立てるのだろう。友人、知人、親族一同から、姉は猫可愛がりされていた。
私の家は、世間一般の感覚からすると多少は裕福な部類にあった。なんでもご先祖様は明治時代に名の知れた資産家だったそうだ。だからといって今の私たちがどうという訳でもないのだが、そういう目で見る人がいることは事実だ。そんな周囲の目に、姉の姿はまさに想像通り、理想通りの“お嬢様”として映っていたことだろう。無愛想な私とは、大違いだ。
姉のことは好きだ。けれど、姉と比べられることは好きではない。
別に「お姉ちゃんのようになりなさい」などと言われたことはないし、そんなそぶりすら両親は見せないが、そうあるべきではないだろうかと、考えもしないわけではなかった。
その日は、久しぶりに祖父母が尋ねてきていた。大学で教鞭を取っていたこともある祖父は見るからに厳格な人であり、普段はのほほんとした父も珍しく緊張しているようだった。義理の父、学生時代の恩師、考古学者としての大先輩、とまで揃えば当然の態度だったろう。
それが伝染するように私も少しばかり強張り、緊張をほぐすように深呼吸をしてから、とかく毅然とした態度で挨拶をした。
「ご無沙汰しております、おじいさま、おばあさま」
とお辞儀をする。にこやかに、おしとやかに、とは到底言えなかったが、個人的には及第点だったように思う。
祖父は「うむ」と頷き、祖母は「元気だったかしら」と微笑む。二言三言を交わし、私は、友人との約束がありますのでとその場を後にした。
はあ、と家を出てから私は大きな溜息を零す。やはり、姉のようにはいかないものだ。
◆
はあ、と孫娘が部屋を出てから祖父は大きな溜息を零す。
すんと、どうにも愛想のない孫娘に、厳格で通っている祖父は肩をすくめて絞り出すように呟いた。
「やれやれ、本当にあの子は……」
首を振り、眉間にしわを寄せ、そして、おじいちゃんは目尻を下げて口角を上げるのだ。
「お父さん、顔に出てますよ」
義理の息子が言えなかったことを妻に指摘されるも、しかし表情筋はいまいちいうことを聞いてくれない。
甘えてくれないのは寂しいが、そういうところもまた可愛い。無愛想は母親ゆずり、元をただせばその父である自分ゆずりか。そう思うとなお可愛い。要するに、もはや何をしても可愛いのだと、孫馬鹿おじいちゃんはかつての生徒たちが目を疑うような菩薩の笑みを浮かべる。
「日出雄君、最近あの子が何か欲しがっているものはあるかね」
「え? あ、ええと、いえ、そういうのはあまり……」
「あ、そういえばなんだかバイクに興味があるんだって」
とはもう一人の孫娘。妹と違ってにこやかに微笑む姉。勿論こっちも可愛い。
「ほう、バイクとは……幾らぐらいするものかね?」
「え、か、買うんですか?」
「む? ああ、そうだな。確かに事故も心配だ。即決はできんな」
「あ、いえ、そうではなくそんな高価な……」
「うふふ、だってもうすぐヒナちゃんの誕生日でしょう?」
「え? あ、まさか今日はそのために? まだ来月ですよ?」
「勿論来月も来るとも。今日は打ち合わせだ」
「う、打ち合わせ……いや、しかしそれにしても高校生にそんな……」
「日出雄君、人はなぜ働くのだと思うね」
「え? それは、国民の義務として……」
「そう、孫を甘やかすためだ」
「えええ!?」
これまでの人生、繰り返した労働の意味を見出だしたとばかり、おじいちゃんはきっぱりと言い放つ。
鬼だの閻魔だのと言われたあの葵教授はどこへいったのだと、かつての生徒である日出雄は思わず頭を抱える。
「ふふ、目に入れても痛くないのよね」
「ああ、問題ない。二人まとめて来なさい」
「あらあら。もう、おじいちゃんったら」
都合のいいことに目は二つある。孫は二人いる。ぴったりだ。どんと来い。
「お、お義父さん……!」
「やれやれ、まったく君は文句ばかりだな」
「そ、そうはいいましても……」
「じゃあ、お父さんは一枚噛まない?」
と娘に問われれば父はこう返す。
「いや、かむ」
他の葛藤はともかくそれ自体は即答であった。
ちなみに今まさに彼女を連れ出している“約束のある友人”こと住良木藍子も既にグルである。
知らぬは、当人ばかりであったという。
-終-