
【Q.E.D.】
「これさ、決め台詞とかにどう?」
ふすー、と鼻息荒く言ったマリーにアユムは一瞥だけをやり、すぐに読んでいた書物へと視線を戻す。なんの話だと、目も見ず問い返せばマリーはびしぃっと黒板を指差す。
ここはエルドラディモンの背の古城の地下に位置する大図書館。その最奥にある小さな部屋である。特定の書籍を定められた順に動かすことで仕掛けが作動し、本棚の裏から扉が現れるという、少年心をくすぐるロマンたっぷりの隠し部屋だったが、セフィロトモンのスキャン能力によってあっさり見付け出して以来、アユム専用の書斎のように使われている場所である。
どうやらあまりおおっぴらにはできない、所謂「禁書」のようなものが収められていたようで、最近では専らアユムとワイズモンの遊び場になっている。
後から持ち込まれた黒板には二人が楽しく議論を交わした後であろう数式やらが残されており、マリーが指差したのはその端に掛かれた三文字のアルファベットであった。
“Q.E.D.”――意は“斯く示された”。数式や理論の証明が完了したことを指す。今となってはあまり使われなくなったものではあるが、どうやら二人のどちらか、あるいは両方が好んで使っているらしく、黒板にはいつもその三文字が書かれていた。
「お前に勝てるって証明してやったぞ! 的な?」
などと続けたマリーに、ようやく言わんとしていることを理解し、アユムは「ああ」とだけ零す。
敵を倒すたびに勝利の決め台詞としてこれを言ってはどうだろうかと、そういう提案だったらしい。勿論ノーセンキューである。
「気が向いたらな」
面倒なのでそれだけ言って再び本を読み始める。
「むー、言う気ないなぁそれー」
なんてぷくうっと頬を膨らませるマリーに、しかしアユムはノールックで適当な相槌だけ打って溜息を吐く。マリーは眉間にしわを寄せながらそんなアユムに唇を尖らせ、けれどもすぐに腕を組んでころりと表情を変える。
「うーん、じゃあどんなのが……」
などと聞こえた呟きに、どうやら代案を考える流れになったらしいことを察し、アユムは頭を抱える。もっと格好いいのにしてくれ、とは一言も言った覚えがない。ぶっちゃけ邪魔だった。
さて、一体どうしたものか……。
こつんとこめかみを小突き、アユムはしばし思案する。そうして、ふむと唸って、
「なあマリー」
「鏡よ鏡~、世界で一番……ほえ?」
「とりあえずそれは却下だが、そうまで言うならまずは自分の決め台詞を考えてみてはどうだ?」
「え、あたしの?」
「ああ、まだないのだろう? 格好よく決めてみたくはないのか?」
びしっと指差し言ってやれば、マリーはわかりやすく表情を変える。
「はうあ! そうだね! あたしもなんか言ってみたいかも!」
「そうだろう? ああ、だが生憎と私はそういうセンスがないものでな。そうだな、ジェネラルにでも相談してみるのがいいだろう」
「ヒナかぁ! うん、そうだね、そうしてみる!」
ようし、善は急げだ、とばかりにマリーはぴょんと跳ねてすぐさま席を立つ。
「“水の闘士”の決め台詞だ。海軍の連中に聞いてみるのもいいかもしれんな」
「ああ、確かに! ありがとう、アユム!」
最後にそれだけ言葉を交わし、マリーは部屋から飛び出していく。その背を見送って、アユムは静かになった部屋の中でそっと禁書の頁をめくる。
関心を余所へ移してやれば一つ前のことは忘れる。それが露崎真理愛という人間であり、これがその正しいあしらい方というわけだ。ジェネラルたちには悪いがこの理論の礎となってもらうとしようか。そう、つまりこれで――
「“Q.E.D.”だ」
ふっと笑い、まんまと邪魔者を追い出したアユムは再び読書に浸る。
それはある日の、穏やかな午後の出来事であった。
-終-