
【晴耕雨読】
晴れた日には畑を耕そう。
土を掘り、種を蒔き、水をやる。害虫や害獣を追い払いながら丹精込めて世話をして、実れば丁寧に収穫する。
自然の恵みに感謝をし、我が身の糧としよう。
雨が降れば本でも読もうか。
温かいお茶を煎れ、茶菓子を用意して、日がな一日読書にふけよう。
想像の翼を広げて無限の空を旅しよう。知識の船を漕いで深遠の海を旅しよう。
生きることは戦いだと、誰かが言った。
だとするなら私は敗残兵だろうか。
都会の喧騒から逃れ、かと言って文明を手放すわけでもない。
ただ己が生きる為に生き、誰かと争うこともなく、それゆえ誰かを利することも害することもない。
私という生き物は、この自然界にあって利害も善悪も是非もなく、ただそこに在るだけの命でしかない。人間社会にとってはなおのこと、居ても居なくとも影響のない置物のようなもの。
私たちは、果たして選ばれたものだったろうか。
そこに為すべき使命はあったのだろうか。
世界には敵がいる。そしてそれを討つべくして生を受けたものがいる。生けとし生けるものの敵から世界を護るべく戦う救世主が、これまでに数限りなくいたのだという。
だが、そのすべてが本当に必要であったかは、誰にもわからない。
戦わねば世界が滅んでいた、だなんて、誰にも断言することはできないのだから。結論は、世界が滅んでみなければわからないのだから。
私たちの出会いは運命だったろうか。
神の如きものの手により引き合わされ、出会うべくして出会ったのだろうか。
だとするなら神はさぞご立腹であろう。
仮に“そうなる”はずであったなら、私たちは一体いつどこで、その分岐点を見逃してきたのだろうか。
あったかどうかも定かでなく、答えはまさに神のみぞ知るところだろう。ただ、もしそれが本当にあったとして、気付けていたのなら、私たちは一体どうしていたろうか。
あれから、早十余年の時が過ぎた。デジモンと出会い、デジヴァイスを手にしたあの日から。
ただの一度たりとも、世界の命運を懸けた戦いなどとは関わることもなく、ただ日々が過ぎた。遠い世界のどこかでは今も誰かが戦っているやもしれぬと、知りながら。
彼が私を批難することはなかった。
臆病者と、卑怯者と、罵ることなど一度もなかった。戦いを求めることも、私の元から去ることもなく、ただ共にいてくれた。
戦うことが彼らの本望であるなら、戦わぬことは何を意味するのだろうか。
戦うことが生きる為であるなら、戦わずして生きる術を見出だすことは、本能を超えた進化の到達点とも言えるのではなかろうか。
なんて、言い訳のような思考に苦笑し、雲間に覗く晴れ空を仰ぐ。
嗚呼、今日もいい日になりそうだ。
私たちは今日も明日も、戦いとは無縁の世界でただ生きてゆく。
-終-