
【逆光】
それはあるデジモンの、苦悩と挫折の物語であった。
夕日を背にして彼は立っていた。
茜色の逆光の中に浮かび上がるシルエットは凛と、彼方の空を祈るように仰いでいた。
何を見ているわけでもない。強いて言うなら終わりゆく今日だろうか。物憂げに、どこか悔しげに、彼は暮れなずむ空の果てに想いを馳せる。
まだ見ぬ明日は遠く、辿り着けるのかさえもわからない。この道がそこへ続いている保証など何もない。
それでも彼は、明日を目指して進み続けるのだ。それ以外に、選べる道などないのだから。
黄昏の一本槍、夕刻のマスカレード、タスク・オブ・ダスク――薄闇の中に立つ彼はいつからか、そんな二つ名で呼ばれるようになった。
彼は闇を好んだ。闇の中では己の姿さえもが不確かだった。だからこそ、彼は闇に身を置いた。
それは罪だった。
許されざる罪はけれど、彼自身が自ら負った十字架ではない。
それは神の過ちであった。
運命を司る神がいるとするなら、それは全知全能などではありえない。神もまた、間違いを犯すのだ。
そしてそれを正せるのは、自らの意志をもって立ち上がるものだけなのだと、彼は確信していた。
夕闇の中で彼は、敢然とその運命に抗う道を選んだのだ。
神に弓を引くが如き愚行であろうか。あるいはそれ以前に、こんなものはただの現実逃避に過ぎないのかもしれない。
その程度は自覚できていたのだ。できていたけれど、それでも彼は歩みを止めなかった。
憎いか。
誰かがそう問い掛けた。そんな気がした。
ならば憎め。
誰かがそう囁いた。それは誰かでなく自分自身だったのかもしれない。
今にして思えば、なのだけれど。
そして彼は復讐者となった。
憎しみに溺れ、悪しきに身を染めた。
いつしか道も己も見失った。
そんな時に、彼は出会うこととなる。
運命があるとするなら、その出会いこそがそうだったのかもしれない。
決して強くなどなかった。けれど、彼は敗れるのだ。信念を持ち、正義を胸に戦うものに、大義を失くしたものが敵わぬことは必然であったろうか。
そしてようやく、彼は正気を取り戻した。
敗者たる彼に戦いの後、勝者はある考えを口にした。
彼にとってそれは、まさに青天の霹靂とでも言うべき衝撃であった。よもやそのようなアプローチがあろうとは。かような手で運命を覆せようとは、今の今まで夢にも思わなかった。
闇の中で光に手を伸ばし続けた。だからこそ見えなかったのだ。光に向き合うものに、光に照らされたものは見えやしないのだから。
少し振り返ればそこに答えはあったのだ。とても簡単なことだった。
「形を、変えてみてはどうだろうか」
その言葉に彼は、ただ大粒の涙を零すのであった。差し出された薬剤を震える手で受け取った。
「何と言うことだ……!」
自身を自身たらしめるのは他ならぬ罪そのものであった。そのはずだった。だというに、こうも容易く、跡形もなく、消し去ってしまえるだなんて。
そして彼は気付くのだ。
所詮、その程度のことだったのだと。
人間世界から漂着した様々なデータを元に、人工物を自らの手で再現することを趣味とするそのデジモンが、用途もないのに作ったというそれ。ヘアワックス、もといヒゲワックスを大事そうに握りしめ、彼は、そっとヒゲを元に戻すのだ。
何故と問われ、これは戒めだと返す。そして、誇りでもあると。
気付かせてくれた貴方は恩人だと頭を下げる。いつか必ずこの恩には報いると、そう誓う。
そうして、彼の新たなる戦いが始まるのである。他の誰でもない、ありのままの自分自身と向き合う、果てのない戦いが。
そう、それはある――男爵ヒゲを蓄えたモグラ型デジモンの、苦悩と挫折と再起の物語である。
-終-