
【死神】
それは実に陳腐で、有り触れた呼び名だった。
彼に目的はあったろうか。
何処かからまた何処かへ、幾程の死地を渡り歩いたのか。ふらりと現れて、ふと消える。まるで幻のようで、浮雲のようで、根無し草のようで。彼はどこからともなくやって来て、どことも知れぬ場所へと去っていった。
ただ、夥しいまでの死だけを置いて。
姿を見たものはいなかった。いなくなっていた。彼の姿を知るものは、誰一人としていなかった。
彼を最初にそう呼んだのは、ある国の騎士たちだった。野盗に占拠された国境近くの農村を取り戻すため、国より遣わされた討伐隊。しかし騎士たちが村に着いた時、そこに野盗の姿はなかった。村人の姿もなかった。
あったのは、屍だけだった。
デジモンは死してデータの塵と消える。脳であり心臓である電脳核の破損により、肉体を構成するデータは綻び、分解され、0と1の最小単位の羅列となって四散するのだ。
本来であれば屍などという概念すらもない。
だから、肉体として物理レイヤに留まりつつも生体機能を失ったそれが、なんであるかを理解できるものはいなかった。
屍の胸には虚があった。寸分の狂いもなく的確に、精密に、電脳核だけが破壊されていた。
電脳核を失っても直ちに肉体が分解されるわけではない。分解は世界の循環システムであり、電脳核に組み込まれたプログラムであった。それが起動する間もなく破壊されては正常に分解など行われるはずもない。
肉体データそのものの停滞による劣化、世界そのものの循環による風化によって、屍がゆっくりと灰燼に帰してゆく様は、えもいわれぬ悲哀と焦躁と、言い知れぬ不安と恐怖とを駆り立てた。
騎士たちがそれを目にするのはその一度きりではなかった。
ある時は旅のキャラバンが、ある時は遠征に出ていた騎士団の仲間たちが、大きな町から住人がねこそぎ消えたことも、隣国の王が衛兵も知らぬ間に標的となったこともあった。
場所も、時間も、標的の数も地位もまるで一貫性がない。そこには善も悪もなく、正義も欲望もなく、無慈悲なほどに平等な死だけがあった。
それはまるで疫病のようで、天災のようで、逃れられぬ運命のようであった。
ゆえに彼は、姿なき死の運び手はいつしかこう呼ばれるようになった。
死神、と。
あまりにも陳腐で、あまりにも有り触れたその名はけれど、これ以上なく彼を形容するに相応しいものだった。
世界には光があった。そして闇があった。
朝があれば夜があり、善があれば悪があり、正しきがあれば過ちがあり、繁栄があれば衰退があり、進化があれば滅びがあり、誕生があれば死があった。
生きるものがいる限り、死なねばならぬものがいる。
たった、それだけのことだったのかもしれない。
いつしか誰かがその死を受け入れた。
いつしか誰もがその死を受け入れる。
それがどれほど理不尽で、間違いだらけであろうとも。抗えぬと悟った時それは、一介の殺戮者から死神へと昇華されるのだ。
ただ――
嗚呼、なんと愚かしきことか。なんと醜きことか。なんと嘆かわしきことか。弱きものよ、汝の名は凡夫なり。
己を甘受するものたちを、けれど死神は否定した。
何故、抗わぬのかと。
彼に目的はあったろうか。大儀は、理想はあったろうか。あるいは、端から必要はなかったろうか。
暗き黄昏を生きる死神の騎士は――ダークナイトモンはそも何を思うのか。心のうちを知るはただ、死神自身のみだった。
彼は今日もまた、死を与えてはただ憂う――
-終-