■5周年リクエスト小説④:「-花と緑の-」IF設定番外編


-もしもの花と緑の-

【もしもの続きの物語】




 薄暗い洞窟の中、虚は静かに口を開けていた。
 空間に穿たれた穴、壁面が幾何学模様に彩られたトンネルは、リアルワールドへと続く道。
 それは旅の仲間であるウィザーモンが、偶然に見つけ出した小世界の心臓部・コードクラウンを用い、あたしのために開いてくれた帰り道。
 恩人であるウィザーモンと、その師・ワイズモンに礼を伝え、あたしはもうひとりの仲間に、ヌヌへと視線を向ける。
 掛けるべき言葉はもうなかった。
 掛けてほしい言葉もなかった。
 ただお互いに笑い合う。それだけで、十分だった。

 踵を返す。トンネルへと足を踏み入れる。
 やがて視界は眩い光に包まれる。
 そうしてあたしの、雨宮花とヌヌの物語は、終幕を迎えるのだった――

 ◆

 気が付けばあたしは雑踏の中にいた。
 ひしめき合う鉄筋の摩天楼。行き交う人々。コンクリートジャングルの中に立ち尽くし、あたしは空を見上げる。遠く飛行機の飛ぶ見慣れた空に、灰銀の太陽は浮かんでいない。
 帰ってきたのだ。リアルワールド、元いた世界に。
 変わり映えのない街の景色は不思議な感覚だった。白昼夢から覚めたような、あるいはまだ夢の中にいるような、どこか現実味がなくて、足をついているのに身体はふわふわと浮いているよう。

「帰って、きたんだ」

 言い聞かせるように呟く。
 そんなあたしの言葉に、傍らの連れは目を見開いた。

「あれ?」

 その声に振り向いて、あたしもまた同じ言葉を口にする。

「……あれ?」

 あれあれ。おやおや。
 はてさてどうしたことだろうか。
 状況がわからないのはお互い様らしい。
 傍らに立ち尽くす連れ、連れてきた覚えのない連れは、ヌヌはただ、首を傾げるばかりだった。
 互いにしばらく無言で見つめ合う。
 ここはあれだ、どこだ、いやリアルワールドだ。
 ならばあれだ、なんだ、ヌヌはデジタルワールドにいるわけで、さっきお別れしたわけで、つまりはここにはいないわけで、あれれ?
 そしてあたしたちは、同時に絶叫する。

「「ぅええええええぇぇぇぇええぇぇ!!??」」



 ジャングルとか山とかにいる感覚で力の限りの叫びを上げ、注目をほしいままにしたあたしたちは、逃げるように場所を移すことにした。
 趣味の悪いぬいぐるみですという顔をさせたヌヌを抱え、人気のない路地裏まで逃げ込むと、ようやくあたしは一息を吐く。ヌヌを下ろしてその顔を覗き込むが、穴が空くほど睨みつけようとヌヌはヌヌだった。

「なんでいるの?」
「いやオイラが聞きてえよ。ここは、あれか? リアルワールドか?」
「そーだよ、帰ってきたの。寂しくてついてきたわけじゃないの?」
「じゃねーわ。ウィザーモンもいねえし、なんでオイラだけ巻き込まれたんだ?」

 どうやら本当に本人も心当たりのない事態であるらしい。ヌヌはない眉をひそめて辺りをキョロキョロとする。
 しかし、となるとどうしたものか。
 あたしが向こうへ渡ったのは「偶発的なゲート」といっていたか。同じように迷い込む人間がたまにいるらしいが、帰り道としてそれを探すのは到底現実的とは言えない。
 だからといって自力で開くだなんてできるはずもない。できるならさっさと帰ってきていた。

「またウィザーモンに開いてもらうしかない、よね?」
「だな。デジヴァイスは通じたりするか?」

 言われて取り出し、ぽちぽちといじってみるが、反応はなかった。

「駄目か……参ったなおい」
「目の前で消えたんだから状況は把握してるでしょ。なんとかしようとはしてくれてるんじゃない?」
「そうだな。できるかどうかはともかくだけど、助けを待つ以外にないか」

 ヌヌは大きな溜め息を吐いて、大通りへと目を向ける。
 ビルの隙間から見える景色はまたビルばかり。ジャングルで育ったヌヌには物珍しい光景だろう。その目は好奇心に満ちて、けれど奥には少しの寂しさと不安の色が見て取れた。

「よし、んじゃまあ、観光でもする?」
「いや呑気かよ」
「そりゃ呑気だよ、平和だもん。どうせやることもないでしょ?」
「むう、確かに」

 ヌヌはもう一度異世界の空を見上げ、うんと頷く。

「そうだな。悩んでてもしょうがねえし」
「呑気かよ」
「ハナのが感染っちまったぜ」

 なんて軽口を叩きながら、ポジティブ呑気二人は街へと繰り出すのであった。



 見慣れた町並みも、ほんの数日の大冒険の後ではどこか懐かしく思えた。
 微動だにするなと言っておいたヌヌもはじめて見る景色にまあまあちょろちょろする。ただでさえでかい謎マスコットを抱えて街中をうろつく不思議ちゃんムーブをぶちかましているというに、それがうにうに動き出した日にはいったいどんな目で見られることか。まあもうすでにすれ違う人々と多少のディスタンスを感じるのだけれども。

「まずはー……うん、腹ごしらえかな」
「安定の燃費だな。金あんのか?」
「今時のJCはキャッシュレスよ」
「じぇい……きゃっしゅれす?」
「いーからいーから」

 首を傾げるヌヌを抱えて街に繰り出す。向こうでは無一文だったがこちらではスマホがある。支払いは任せろってなもんよ。あ、先月買い食いし過ぎて残高ヤバいんだった。あの金塊持ってくればよかったな……。

「なんで一瞬で元気なくなったんだ?」
「はは、なんでも。あ、ご飯安いのでもいい?」
「金ないなら無理しなくていいぞ。つーか家に帰んなくていいのか?」
「もちろん帰るよ。でも少し距離あるから、帰り道にちょっとだけね」

 ふうん、とヌヌは興味深そうににゅっと上体を伸ばして辺りを見渡し、その目は車道で留まる。
 行き交う自動車はヌヌにはさぞ珍しいことだろう、なんて、思っていたのだが、

「さっきからデジビートルみたいのが走ってるけど、あれに乗れるのか?」
「デジビートル? って、車のこと? え、向こうにもあんな乗り物あるの?」
「おう、あるぜ。ど田舎のジャングルでなけりゃあな」
「へえ……そうなんだ」

 なんか勝手に中世くらいの文明レベルと思っていたが、いや、よく考えたらロボットっぽいデジモンもちょこちょこいたな。自動車くらいあってもおかしくはないか。どうせ迷い込むならデジビートルとやらがあるところにしてほしかった。こちとらずっと歩きぞ。脚太くなっちゃうわ。

「どっかの小世界じゃデジビートルのレースとかもあるらしいぜ。一回見てみてぇんだよなぁ」
「ふぇー、ほーらんあー」
「こっちでもそういうのって……いや待って、何食ってんの? あれ、いつの間に!?」
「ふぁん、もぐもぐ」

 過酷な旅に思いを馳せながら、今さっき買ったたこ焼きを頬張る。
 恐ろしく早い買い食い。あたしでなきゃ見逃しちゃうね。
 しかしちっちゃいことでいちいち騒がしいやつである。コマカイコトグチルモンですか。

「えい」
「あむん! あ、おいし」

 うるさいお口にたこ焼きを放り込む。ふーふーしてないたこ焼きはちょっとした凶器だが、まあヌヌだから大丈夫だろう。

「え、なにこれうっま。ちょ、もいっこもいっこ!」
「えー、仕方ないなー」

 鼻息荒く催促するヌヌに、あたしもちょっと気分がよくなる。
 こうしてあたしたちは街を練り歩いては食べ歩いていく。
 クレープ、唐揚げ串、トルコアイス、ケバブサンド、なんかお洒落ななんとかティー、等々。食べ合わせとかは特に気にしない二人は多国籍満漢全席を堪能する。まさに食の大航海時代である。目指せ世界の果てを。ヨーソロー!

「あ、残高なくなった」

 だが間もなく沈没する。世界の荒波は非情である。

「ザンダカ? え、もしかしてお金なくなったのか?」
「へへ」
「安いのでいいとかってくだりはなんだったんだよ。……ひょっとしてデジビートル乗るのもザンダカってのいるんじゃないのか?」
「ふふ、そこに気付くとはね。さ、どうしよっか?」

 わざとらしく肩をすくめて首を傾げる。
 どうだ、お前も食いまくった手前そんなに文句は言えまい。

「なんの自信が満々なんだよ……」
「てゆーか金塊って出せないの? もう消化しちゃった?」
「うーん、ほとんど進化のために取り込んだっぽいしな。カスぐらいは無理やり出せるか……?」
「いやそれもうただのウンコじゃん」

 お金がなくてウンコ漁るとか、さすがにそこまで落ちたくはない。
 と、眉をひそめたところでふと、ヌヌの言葉が引っ掛かる。あたしたちは顔を見合わせる。

「進化?」



「うおおおあおおあひゃぁああぁぁ!?」

 全身をバタバタしながら必死に羽ばたくヌヌ。そのゴールドヌメヌメボディを必死につかむあたし。金塊食って手に入れた金の翼であたしのお家を目指して空を行く。当たり前だがこの航空便に安全装置などついていない。運賃節約の代償が命の保障とはな。
 しかし耳元でうるさいやつだ。運んでもらっといてなんだけれども。熊着て飛ぶより身軽だろうが。

「おい、あたしが重いみたいなリアクションやめろ」
「いや、身体の大きさ考えて!? てゆーか冷静だなおい!」

 人に見られないよう地面は遥か下。このヌメヌメから手が滑ったらとてもやべえこと間違いなしである。でもまあこのくらいの命の危機なら何回か乗り越えてるからなぁ。

「あたしも強くなったもんだ」
「何か大事なものを失っただけにも思えるが……」

 言うじゃないかこの野郎。同感だ。

「てか運動したらお腹空いてきたな。なんかある?」
「あるように見えるのかこの空に。つーか動いてんのオイラだけなんだけど」
「ぶら下がってんのも疲れるんですー」

 体育館の天井に挟まってるバレーボールに油でも塗ってぶら下がってみろ。疲れるで済んでるあたしの人外っぷりが少しはわかるだろうよ。誰が人外だ。

「まあ、確かに腹は減ったなぁ」
「あんまり買えなかったもんねぇ」
「オイラ最初に食った丸いやつもっと食いてーな」
「たこ焼き? あ、うちたこ焼き機あるよ」
「タコヤキキ? え? もしかして自分で作れんのか?」
「お母さん、大阪出身だからね」
「よくわかんねえけどすげぇな、オカーサン!」

 帰ったら久しぶりに食べたいな。なんて考えながら遠く小さな町並みを見渡す。
 ヌヌのことはどう説明したものか。そういえばあたしって家出扱いなんだろうか。捜索願いとか出てたらどうしよう。とかはまあ、一旦置いといて。
 真上のおもしろ生物を見上げてくすりと笑う。
 どうやらまだまだ、退屈しない日々が続きそうだった。


-終-