■5周年リクエスト小説②:「-花と緑の-」IF設定番外編


-もしもの花と緑の-

【たとえばお姫様のように】






 たとえるならそれは、光差さぬ洞穴の奥より響く猛獣の唸り声。縄張りに踏み入る外敵を威嚇し、今にも襲い掛からんばかり。
 たとえるならそれは、曇天に渦巻く雷雲。空に浮かぶ龍の巣が如く、空気を震わせ低く重く轟く。
 たとえないならそれは、要するに腹の虫であった。

 文字に起こすなら「ごぎゅるるる」という盛大な音を鳴らし、余は空腹であるぞよと言わんばかりの顔で、雨宮花は熊と魔術師を見る。両者は顔を見合わせ、深々と溜息を吐く。
 時は“黒い歯車”を追って盗賊団の本拠地へと向かう最中。所は上空、ついさっき羽を生やした空飛ぶ熊の背の上である。

「いやいやいや……さっき食ったばっかやないかーい」
「というかこんな状況でよく……君は本当に肝が据わっているね」
「てへぺろ」

 などと可愛い顔をしてみれば、想いが通じたのか色仕掛けが効いたのか、熊は溜息を吐きながらずぼりと自らの口に手を突っ込む。溜息がどこから漏れているかは謎である。

「しょーがねえなぁ。ほら、さっき村で食いもんもらってきといたからやるよ」
「え? ほんと!?」

 しゅぽんと口から抜いた熊の手には干し肉やらの保存食。どこに入れてやがるとも思ったが、自分も金塊を仕舞おうとした前科があったのでハナは流すことにした。衛生面も、この際置いておくことにした。
 するとすかさず魔術師もまた懐から包みを取り出す。

「私も、こんなこともあろうかと思ってお菓子をもらってきておいたよ」
「ほわあ!? 用意周到! さすがね!」

 まさかデザートまで出て来るとは、とさすがに少々驚きつつもハナはそれらを受け取り、両手いっぱいに抱えながら「いただきます」と心の中で手を合わせる。
 だがその時、ハナは気付いてしまうのだった。緩やかな曲線を描く熊の背の上、風を受けながら大量の食べ物を一つずつ口に運ぼうとし、その誤算に。

「ああ!? 大変! 座り心地が悪くて食べ辛いわ!」

 などというのはさすがに図々しい気もしたが、一応言うだけ言ってみる。呆れ顔が目に浮かんだが、しかして熊と魔術師の反応は予想外のものだった。

「ふ、そんなこともあろうかと思って鞍をもらってきておいたぜ!」
「ふむ、私もそう言うと思って障壁の魔術で風圧を抑えるカーテンをこしらえるところだ」
「なんてこと! まるでお姫様ね!」

 熊が口からでかい鞍を取り出し、一瞬背中のハナを跳ね上げすちゃりと装着すれば、魔術師はその周囲を風のベールで包み込む。
 立派な鞍に腰掛けもたれ掛かり、風圧などまるで感じない障壁の中でハナは「まあ」とほっぺを押さえる。熊の体内が四次元なことは些細な問題であった。

 ハナは干し肉をぱくり。ビスケットをぱくり。スルメのような保存食やら干し芋もぱくぱくり。そうして、更なる誤算に気付いてしまうのだ。

「はっ!? 駄目だわ、乾きものばかりで喉が……!」

 だったらたらふく飲んでこいと、そろそろ眼下の河にでも叩き落とされておかしくない頃合いであったが、しかし熊と魔術師は怒るどころかすかさず懐から再び何かを取り出して、

「そんなこともあろうかと思ってジュースももらってきておいたぜ!」
「私もそんなこともあろうかと思って新鮮な果物をもらってきておいたよ」
「至れり尽くせりね!」

 むしろ人をなんだと思っているのだという話な気もしたが、そう思っているだろうとおりなので特に文句はなかった。

 その後も二人はハナ姫様の思考を先読みするように、次々とその要望を叶えていく。

「こんなこともあろうかと思ってね!」
「そんなことまで!?」
「こんなこともあろうかと思ってな!」
「もはや予知ね!」

 わいわいと、実に楽しそうな決戦前の旅路であったという――

 その頃、盗賊団の本拠地では見張り台から奇妙な物体の接近が目撃されていた。羽の生えた玉座、それを覆うオーロラのようなベール。空飛ぶマリー・アントワネット的な謎の物体をスコープで捉え、ピンクのお猿はそのアバンギャルドに戦慄する。
 襲撃者? 売り込みにきた大道芸人? それともシンプルに変質者? 否、何であろうと関係はない。奴らは完全に黒い歯車を追ってきている。ならば迎え撃つまでのことYO!

 お猿が両の手を突き出し、雷の砲弾を放たんと構え――その間際だった。

「だだんだんだだん」

 などと背後で口ずさんだのは聞き覚えのない声。はたと振り返れば目前には宙に浮かぶ亀裂。時空の裂け目的なその中よりのそりと現れたのは黄色い熊だった。
 自分たちのボスに似たその容姿。しかしてボスなどでは決してない。黄色い熊はお猿をびしりと指差して、高らかに言い放つのであった。

「こんなこともあろうかと思って時を越えて助けに来たぜ!」

 お前は何を言っているんだ、とはお猿でなくとも思ったことであろう。
 どうやって? そんなもんオイラが知るか! とばかり、お猿が状況を理解する間もなく、理不尽と不条理の権化がその鉄拳を振るう。
 訳もわからぬままに強烈な一撃を見舞われ、お猿は為す術もなく見張り台から吹っ飛ばされる。

 そして同時刻、アジトの至る所でそれは起きていた。

「こ「こ「こ「こ「こ「こ「こ「こ「こ「こんなこともあろうかと思って!」!」!」!」!」!」!」!」!」!」

 異なる世界線の平行宇宙より現れ出るは十なる黄色き熊。
 何がどうなっているのかはもはや誰にもわからなかったが、事ここに至ってそれは瑣末な問題であった。
 次元を越えた襲撃にアジト内部は混乱を極めていた。響く奇声。轟く爆音。世の理を嘲笑うかの如く、傍若無人に奴はすべてを蹂躙する。

「おのれぇ……!」

 だがしかし、そこに立ち塞がる影が一つ。襲撃者によく似たシルエットのそれは颯爽と現れ、雄々しく名乗りを上げる。

「我が名はワルもんざえモン! 誇り高きグリードゴート眷騎士団の――」
『デジクロス!』

 が、勿論黄色い悪魔どもとまともな会話など成立するはずもない。
 熊と熊と熊と熊と熊と熊と熊と熊と熊と熊とは手を繋いで輪となって、まばゆい輝きに包まれる。光の円環は回転し、徐々に浮き上がり、端から見て何がなんだかさっぱりな状態で更にその光量を高め、やがて弾ける閃光とともにそれは姿を現す。

『メガ! ゴールド! もんっざえモンっ! スペリオルモおおぉぉぉぉぉーっド!!』

 光の中より現れ出るは巨大なる金色の熊。触れるすべてを焼き尽くさんばかりの太陽が如き灼熱を纏い、地獄のマグマにも似た深紅の双眸を揺らす。

『あーひゃーひゃーひゃーひゃー!』

 ずしんずしんと、我が物顔でその巨体がアジトを闊歩する。地を踏む振動と風圧さえ雑兵には為す術もない。一度腕を振るえば壁が砕け、柱が折れ、数十数百の兵が散る。あぎとを開けば地獄の業火が噴き零れ、万象の一切を灰燼に帰さんと猛り狂う。なぜ火を吹くのかは勿論誰にもわからない。
 それはさながら、天の高みより堕ちたりて地の底に君臨する堕天の使徒が如く。その身の内にたぎる焦熱が閃光となって照射される。

「こんな……馬鹿なああぁぁぁぁ……――!?」

 紅蓮の中に消えゆくワルもんざえモンの断末魔さえも、もはや金色の魔王の前では虫けらの吐息でしかなかった。

 一方その頃、目的地がそんなことになっているなど露知らず、優雅な空の旅を続けるハナはぽつりと元も子もない本音を零していた。

「はあ……てゆーか帰ってお母さんのご飯が食べたい」

 そればかりはさすがにこちらの熊と魔術師にも叶えられない。叶えられないが、それはあくまでこちらの熊の話であった。

「すぉんなあぁぁ! くぉとむぉぉぁ! あ・ろ・う・か・とおおぉぉぉぉ!!」

 既に盗賊団を殲滅したあちらの熊は、条理を越えた金色の魔王は何もない虚空に向かって咆哮する。固く鎖された扉を開こうとするような仕草はしかし、ただのパントマイムなどではない。

「今! 次元の壁を! こじ開けてるぜええぇぇぇっい!!」

 そう、もはや今の奴に不可能などない。すべては彼女のため、その望みを叶えるためだけに存在するその身に、彼女が願う以上はできぬことなどただの一つたりとてありはしないのだ。これまでの旅のどこにそんな忠誠心を抱く要素があったかは疑問であるが、そのような有り体の常識でこのぶっ飛んだ非常識を語るほうが馬鹿げているというもの。

「ディジトゥゲェェイ……ぅアァァープぁン!!」

 ごりゅんぬと、腕力一つで次元の裂け目を開き、「一仕事したぜ」とばかりに熊はいい笑顔で汗を拭う。

 こうして熊の活躍により人知れず、主人公さえ知らないところで誰も知らない野望は打ち砕かれ、世界の平和は守られたのである。
 そして勇者ハナの冒険もまた、ここに幕を閉じるのであった――


 花と緑の……完!


※本作はIF設定の番外編です。本編の結末とは多少異なる可能性がございます。