第十六夜 琥珀のメモリアル

16-1 星々の願い


 風が鳴く。地が揺れる。轟く怒号が空を貫き、踏み鳴らす足音が荒野を駆ける。
 雄叫び。剣戟。砲撃。悲鳴と、そして鬨の声。立ち上る黒煙の足元で咆哮がこだまする。

「終わったようだね」
「みたいね」

 遠く戦場を見渡して、書の賢者・ワイズモンの言葉に気のない返事を放る。そんな私に賢者はふむと唸り、

「元気がないね。どこか具合でも?」

 そう、首を傾げてみせる。わざと言っているのだろうか。そんなもの、いまだ“ここ”にいること以外に原因なんてあるわけがない。あえて病名を言うなら、

「ホームシックとかぁ? 案外可愛いとこあるのね」

 横からしゃしゃり出て見透かしたように茶化すマリーに、私は大きく溜息を吐く。

 あの後――レディーデビモンの先導でどうにかこうにかセフィロトモンを脱出し、近隣の小世界まで辿り着いた私たちは、いまだこうして行動をともにしている。
 いや、それ自体に不満があるわけではない。マリーたちのことも、ゼブルナイツ改めゼブブナイツの面々も、仲間として付き合ってみれば思いの外好意を抱いている自分がいる。ここは、嫌いじゃない。
 不満と言えばまあ、帰る手掛かりがないに等しいことと、もう一つ。

「制圧完了致しました、ジェネラル」

 空より飛来し宙に跪く、闇色の竜にまた溜息を吐く。不満と言えばそう、なぜだか私がジェネラルなどと呼ばれてゼブブナイツの指揮官に祭り上げられているということ。

「ねえ、何度も言うようだけれど……私、ジェネラルじゃないから」

 もう何度目になるかも分からない、そんな私の言葉に、闇の竜・ダークドラモンが返すのもやはりいつもと同じ言葉。

「おお、またご謙遜を。我らを導く勝利の女神、もといジェネラルが貴女様以外の誰に務まりましょう」

 大袈裟に肩をすくめて首を振る。毎度ながら馬鹿にしているのか。いや、してるなこれは。そうに違いない。嗚呼、ひっぱたきたい! と、はっきり顔に殴り書きして口をへの字に曲げる。ダークドラモンはやれやれとまた首を振って、

「我らが王の命運を握るその御身、ぞんざいに扱おうなど毛頭……ただ、手にした力の価値はそろそろご理解いただきたいものですなあ、姫?」
「姫はもっとやめて」

 言い分は解る。解るけれど。くうと唸ってうなだれる。それもこれもすべては――

「おーおー、今度は何の騒ぎだ、ヒナタ?」


 暢気な声を上げながら割って入る“王様”に、私は姿を確認する間も惜しいと振り返りながらその名を呼ぶ。

「インプモン!」
「よう、ヒナタ。どうした?」

 目線は下へ。威厳皆無のちんちくりんな王様を睨みつけながら、私は石畳を踏み叩く。

「もう! いつになったら戻れるのよ!」
「戻るって……ヒナタが元の世界にか? それとも俺が元の体にか?」
「両方よ!」

 叫んでびしっと指先をインプモンの鼻先に突き付ける。インプモンは僅かに後退りながら、

「お、おぅ。まあ、ぶっちゃけどっちもさっぱりだな。俺の体は元にっちゃ元に戻ってるが」
「てゆーかヒナタ、キャラ壊れてない?」

 なんて茶々を入れるマリーは一先ず置いて、脳天気に頭を掻くインプモンに詰め寄る。インプモン……そう、インプモンだ。ベルゼブモンに戻れたはずのその体はしかし、戦い終われば空気が抜けたようにしぼんであら不思議。あっという間にこの有様、ちんちくりんに逆戻りだ。

「確かに“元に”だろうね」

 憤りにぷるぷる震えていると、ふと賢者が顎に手を当て思案するようにぽつりと零す。フードの奥の目が真っ直ぐにインプモンを見据える。

「やはり君はエイリアスなどではなかったのだ」
「あん?」
「その姿は可能性だよ。君本来のあるべき、ね」

 賢者の言葉に私たちは揃って眉をひそめる。私は首を傾げ、

「どういう意味?」

 問えば賢者はふむと唸って、一拍を置いて語る。

「生まれながらにベルゼブモンの名を、暴食のコードを組み込まれた以前の“君”ではない――仕組まれた運命から逃れおおせた本来の“君”。それこそが“インプモン”というわけだ」
「ええと……魔王に選ばれなかったらこうなってた、ってこと?」
「平たく言うならそういうことだね」

 つまりはある意味でオリジナル。ベルゼブモンの死によって世界が押し付けた運命から解放され、“元に”戻った姿こそが今のこのちんちくりん。と、なると。

「で、結局はどうしたら再び“あの姿”になれると? 参謀殿よ」

 ダークドラモンが私を代弁するように同じ疑問を口にして、わざとらしく首を傾げる。賢者はふうと溜息を一つ。

「結論から言うなら、まあ、君たちの考えている通りだろうね」

 賢者が首を振り、皆の視線が一斉に私へ集まる。沈黙。私はゆっくりと目を逸らし、ただただ深ぁくうなだれる。


「結局ヒナタ頼りかぁ。まだまだ帰れそうにないね?」

 可哀相にとばかりにマリーは眉を八の字にしてみせる。どこか楽しそうなのは気のせいだろうか。私は唇を噛んでインプモンを睨みつける。

「いや、俺を睨んだってしょーがねえだろ」
「あーあ、あたしもっかいあっちのベル様にも会いたいのになー。ねえ、ヒナタぁ」

 ねえって言われても。というかベル様って何だ。誰だそれ。そのような方は存じ上げませんけれども?
 と、いう辺りまで胸中で呟いて、私は大きく溜息を吐く。いよいよ突っ込む気力も失せてきた。

「もういい。ちょっと休む……」
「ん? そうか。まあ、何だ。ゆっくりしてくれよ。あっちも終わったんだろ?」

 そう、インプモンが問えばダークドラモンが頷く。遠く黒煙の立つ地を見遣り、

「制圧は今し方。ただまあ、収穫はないに等しいのが正直なところで」

 肩をすくめて首を振る。
 アポカリプス・チャイルドに占拠されたある遺跡の奪取。それが今回の目的。だったのだが……申し訳程度の小競り合いで敵は早々に撤退を始め、拍子抜けするほどあっさりと戦いは決着した。
 奴らも疾うに「手掛かりなし」と見切りを付けていたのだろう。そう、残る二柱の一つ、いまだ歴史の表舞台に姿を見せたことすらない謎多き魔王――“怠惰のベルフェモン”へと繋がる手掛かりが。

「あんな枯れた遺跡を取り戻しに幹部どもが出向くこともありますまい」
「だな。もうここはいいぞ」
「はっ。聞こえたなエルドラディモン、引き上げるぞ!」

 私たちの今いる塔から眼下へ、生きた要塞・エルドラディモンへ向かって声を張る。と、ダークドラモンは思い出したように私をちらりと見て、

「ああ、姫君の寝室は余り揺らさんようにな」

 言ってにやりと笑う。それはもういいから。と言うのも面倒で、私は溜息を吐く。まったくいつもいつも、皮肉を言わないと窒息でもするのだろうか。やれやれと小さく首を振って、塔の螺旋階段をとぼとぼと降りてゆく。そんな時だった。

「ヒナタ様」

 唐突に私の名を呼ぶ声に、暗闇へ目を凝らす。闇から現れる様にも慣れてきたか、さして驚きもせず、

「どうしたの、レイヴモン?」
「灯士郎様が“直に着く”と」

 レイヴモンの言葉に、上階からインプモンたちが身を乗り出す。はっと、顔を見合わせて少し。私たちは螺旋階段を駆け降りる。


「灯士郎君!」

 息を切らして駆け寄る。燭台に照らされた薄闇の地下室の中、黒獅子の騎士は静かに私たちを一瞥し、ゆっくりと瞼を閉じる。

「よく見付けたね。確かかい?」
「ああ、間違いない。――“パンデモニウム”だ」

 賢者の問いに、答える声には緊張と僅かな疲労の色が混じる。私とインプモンとマリーに次いで、大扉からダークドラモンとスカルサタモンが姿を現し、皆の視線の中心で、黒騎士・レーベモンは小さく息を吐く。
 私たちがこくりと喉を鳴らした、ちょうどそんな時。黒騎士の傍らで鏡の貴人・メルキューレモンが舌を打つ。

「駄目だな。様子は窺えそうもない」

 肩をすくめる、その全身が光の帯に包まれて、メルキューレモンの姿が人間のそれへと変わる。

「やはりか。本も疾うに浸蝕されて僕も向こうへは行けない。頼みの綱は灯士郎……ベルグモンだけか」

 賢者も同様に肩をすくめて首を振る。賢者の書も、メルキューレモンの鏡も、存在することさえ許されない“闇の領域”。最も近い力を持つ黒騎士の操るエイリアス――“闇のベルグモン”でもなければここまでの潜行すら不可能だろう。とは言え、しかし、

「ぐっ……!」

 黒騎士が声を漏らし、膝を突く。真っ黒な火花がその全身に走る。

「灯士郎!?」
「ワイズモン、これ……!」

 ただならぬ様子に、マリーの上げた声は悲鳴にも近い。書の賢者が静かに頷く。

「ダークエリアの浸蝕だ。ダメージがフィードバックしているね。残念だがここまで……」
「まだだ!」

 慌てて駆け寄るマリーを片手で制し、黒騎士は声を荒げる。

「ちょっと、何言ってんのよ!?」
「まだ行ける。まだ、もう少し……!」

 譫言のように呟く。額には大粒の汗を浮かべて。黒い火花に震える体は半ば痙攣しているようにさえ見えた。

「灯士郎君! もういいから!」

 さすがにこれ以上は、と無理矢理にでも止めようと手を伸ばし――けれど。途端に黒騎士は一際大きく呻いて、弾かれるように石畳に倒れ伏す。

「あ……え、衛生兵呼んで来て! 早く!」
「だ、大丈夫だ。直前でリンクは切った。それより……」

 デジモンの姿を維持することもできなくなったか、人の姿に戻って少年・灯士郎は青い顔で上半身を起こす。とても大丈夫には見えないけれど。

「一瞬だが、確かに見えた。あれが、“大罪の門”……!」


 地球と同じ球形の構造を持つデジタルワールド。その中心に位置するダークエリアは地球で言えぱ核に当たる、本来は生き物の棲めぬ死の世界。

「“大罪の門”……!」

 それは七つの闇を統べる七柱の魔王の、その始まりと、あるいは終わりの場所。ダークエリアの何処かに存在する闇の眷属の源流たる“パンデモニウム”の奥深く、深淵へと到る路を鎖し、そこに眠る真の闇より世界を護る大いなる封印。

「数は?」
「五つだ」

 賢者の問いに、灯士郎は小さく首を振って答える。

「“暴食”も見えた。間違いない」
「そうか……」

 暴食の魔王・ベルゼブモンは死んだ。それは、私たちの誰もが知っていた。ただ、ほんの僅かな可能性が残されていた。

「あるいは、ベルゼブモンの肉体ごとヒナタのデジヴァイスに……とも、思ったのだがね」

 それを確かめるために、闇の闘士にして分身体たるエイリアスというベルグモンに、これ以上ないほどの適任者にダークエリアまで出向いてもらったわけだけれど。

「結局、封印は解かれていたわけね」
「まあ、ともあれ一安心ってとこか」
「え?」
「そうでなきゃ、次の標的はヒナタだからな」

 言われて、嗚呼それもそうだと今更身震いする。いや、これで私自身の憂いは一つ減った。その、はずなのに。

「しかしそうなると……」
「余り、手放しで喜べる状況でもないようだな」

 腕を組んで唸る賢者が薄闇を見据える。と、不意にその言葉を遮った声は地下室の入口から。はたと、振り返れば息を飲んで、誰もが驚かざるを得なかった。何せそこにいたのは、

「ミラージュガオガモン!?」

 珍しく声を上げたのはレイヴモンだった。あの時、あの戦場で、自分たちを護るために力の限りを使い果たしたはずの親友の、平然としたそんな姿に動揺を隠せない。爆発自体は逃れたとは言え、そのために命すら削るほどの力を振り絞ったと、そう聞いていたのに。

「半死人が何してやがる」
「このような時に独りだけ寝てなどいられませぬ、王よ」

 跪くその様は疲労の色などまるで見せない。けれど……嗚呼、何て弱々しい音色。全快には程遠いだろう。
 私の表情から察したか、インプモンが肩をすくめる。

「いいから寝てろバカ。心配しなくても後でこき使ってやらぁ」
「王……」
「灯士郎もご苦労だったな。お前も寝てろ。と、ああ、それより――」


 翡翠の瞳が静かに揺れる。暖かな火を点して。私を見詰めるインプモンの目はとても強く、そして穏やかだった。

「な、何?」
「なんつーか、なし崩し的に引っ張り回すってのもいい加減どうかと思うんだよな」

 眉をひそめる。端から見ているマリーたちも同様に。ただ、そうした理由はきっと真逆だったろう。私は、インプモンの言わんとしていることを察していた。理由を聞かれれば何となく、としか言えないけれど。

「聞いた通りだ。要するに世界の危機だ。俺たちは、戦うと決めた。自分たちでそう決めた」

 結論の見えたそんな前置きは、じれったくて、けれどせっかちで、私自身どうしてほしいのかも判らなかった。聞きたいのか、聞きたくないのか。いいや、きっともう、本当は判っている。

「でも、ヒナタは違う。戦うためにここにいるんじゃない」

 心臓が小さく跳ねる。私は黙して、インプモンの言葉をただ待った。

「だから、ちゃんと頼みたい」

 インプモンが、右手をそっと差し出す。どこか照れ臭そうな笑みを浮かべて。

「俺に力を貸してくれ。やっぱり俺には――“インプモン”には、ヒナタが必要だ」

 眼差しは真っ直ぐに、どこまでも真摯に。なのに、どこか儚げで、弱々しくて。

「ずるい」

 私を見るインプモンと、マリーやダークドラモンたちへ目を遣って、少しだけ笑う。漏れた溜息は呆れてか、それとも安堵したのだろうか。

「そうだな。ずるかったな。ヒナタは……いい奴だもんな」
「捨てられた仔犬を思わず拾ったようなものよ」

 小さな手を握り返して、ふいとそっぽを向く。我ながら人がいいと、自嘲する。けれど、嗚呼、心は無性に晴れやかで。悪くないと、そう思える私がいた。

「改めて宜しくな、ヒナタ」
「はいはい。仕様がないから、もう少しだけ付き合ってあげる」
「ははは、それでこそヒナタだ」

 なんて、無邪気に笑う。小さく無垢な王様は、翡翠の眼を僅か研いで振り返る。成り行きを見守る騎士たちの目には、微かで、けれど確かな光が点る。

「聞いたなてめえら。今日この日が、ゼブブナイツの本当の旗揚げだ。俺たちのジェネラルをしっかり護れよ!」

 王の言葉に、騎士たちは仰せのままにと跪く。……って、いやいやいや。

「や、別にジェネラルをやるとは……」
「よおし、祝杯だ! ジェネラルに乾杯!」
「ちょおっとぉ!?」




16-2 明日の追風


 悪夢だ。そう零して、肩を落とす。いえーい、と無邪気にはしゃぐインプモンに溜息を吐いて、くすりと笑う。まったく、仕様がない子ね、なんて。

「ヒぃ~ナぁ~!」

 やれやれと肩をすくめていると、不意にそう叫びながらマリーが私に飛び付く。数歩ふらついて、抱きすがるマリーに思わず頓狂な声を上げる。

「ちょ、ちょっと、どうしたのよ?」
「う~、わがんない~」

 言ったマリーの顔は涙でくしゃくしゃ。何でこんなことで感極まっているんだこの子は。結局今まで通りなだけでしょうにと、呆れながらマリーの頭をぽんと叩いて――けれど、

「これからも宜しくね、マリー」

 気付けば笑う。嗚呼、自分で思う以上に私は、この子たちを好きになっていたのかもしれない。よしよしと、頭を撫でれば抱きしめられる。つむじの辺りがむずむずした。ただ、悪くない感覚ではあった。

「さあ祝うぞ。酒盛りだ。てめえら騒げ!」

 インプモンが叫べばうおおと野太い声が広くはない地下室に次々となだれ込む。というかどこから湧いた。

「こら、怪我人だらけでしょう。大人しくしてなさい。大体私たち未成年だし」
「ははは、構うな構うな! 無礼講だ!」
「だからそういう問題じゃないっての」

 段々調子に乗り始めるインプモンの頭に手刀を見舞い、不意の一撃に悶えるその姿を尻目に振り返る。と、

「ヒナタ様、二人は某が」

 いつもの調子で跪くレイヴモンに、別の意味で溜息が漏れた。

「そうね、お願い」
「はっ」

 灯士郎に肩を貸し、ミラージュガオガモンを促して地下室を後にする。ある意味でマイペースというか。レイヴモンたちの後ろ姿を見送って、私は息を吐く。

 さて、と。
 さあ、ああは言ったものの、これからどうしたものだろうか。開き直ればある意味で一番の近道を進めている気もするけれど。ジェネラル、か。“声”が聞こえるだけの私に何を期待しているかは知らないが……いいや、もう止そう。
 うだうだ言っても始まらない。何をできないかより、何ができるかを考えよう。私は、彼らとともに戦うと、そう決めたのだから。元の世界に帰るため、この愛すべきならずものたちと、頼りないちんちくりんのために。世界を救う、なんて大袈裟なことは言えないけれど、友達の力にくらいはなってあげたいから。

 そこまで考えて、また笑う。本当に――とんだ悪夢ね。


「すまない」

 暗く静かな石壁の回廊に、ぽつりと零した言葉はともすると、薄くか細く闇へと溶けてしまいそう。レイヴモンは呆気に取られたように少しの沈黙。灯士郎と顔を見合わせしばし、丸くした目の真芯にミラージュガオガモンを見据えて、ふっと笑う。

「何の話だ、友よ」

 言って、小さく首を傾げてみせる。ミラージュガオガモンもまた僅かを置いて微笑を浮かべ、首を振る。

「いいや、何でもない。友よ」

 頭を過ぎるのは追憶。幼きあの日の記憶。村外れの浅い谷、入り組んだ地形に差し込む陽が三日月を描く、二人だけの秘密の場所で交わした約束。大層なものではない。ただ、何があっても友達だと、旅立つあの日にそう誓ったのだ。たったそれだけの、他愛ない、大切な約束を胸にここまでやって来た。
 そうして、仲間を得た。希望を得た。
 進んで来たこの道に、悔いはない。迷いはない。ただ進もう、進み続けよう。友とくつわを並べて、どこまでも――

「やれやれ」

 と、そんなミラージュガオガモンたちに溜息を一つ。私は来た道を静かに引き返す。やはり心配だからと老婆心で追いかけて来たけれど、余計なお世話だったらしい。ジェネラルの出る幕はなさそうだ。

「どしたの、ヒナタ?」
「っ! マ、マリー?」

 踵を返して数歩、振り返った私の顔を覗き込んで問うマリーに、思わず悲鳴すら漏れそうになる。跳ねる胸を押さえ、息を飲んでどうにか堪えて、

「マリーこそ……どうしたの?」

 そう問い返す。よくよく見れば隣には鋼の闘士の少年・アユムの姿もあった。

「どうって、灯士郎大丈夫かなーって」
「そ、そう。意外と平気そうだったけど、心配なら着いていく?」
「そっかぁ。どうする、アユム?」

 くいと、小さく首を傾げるマリーに、アユムは眼鏡のフレームを中指で叩きながらふうと息を吐く。行動を共にするようになって何度か見た、そんな仕種は彼の癖なのだろう。薄暗い石造りの天井を仰いで、ふと、その目が私を撫でる。

「では見舞いにでも行くとしようか。宜しければジェネラルもご一緒に如何かな?」

 唐突にそう言われ、思わず面食らう。

「え……私?」
「お互い、交わすべき言葉がまだあるように思えるのだがね。これから同じ旗を掲げるものとして」

 気障ったらしく肩をすくめる。その言葉に、思考は僅か。

「そうね……分かった」


 地下室を出てしばらく。緩やかな勾配の回廊を進み、負傷者のためにと宛がわれた大部屋の奥で腰を下ろす。辺りには先の戦いで傷を負った騎士たちと、その治療に務める衛生兵の姿もあった。

「灯士郎、へーき?」
「ああ、少し疲れただけだ」

 簡素な木造のベッドに腰掛け、マリーに答えた灯士郎は顔色も悪くない。痩せ我慢というわけでもなさそうだけれど、まったく平気なはずもないだろう。横になるよう促して、そうして私は、傍らに立つ少年・アユムへ目を向ける。

「それで話って……ああ、レイヴモンたちはいいの?」

 大柄なデジモンたちのために造られた大型ベッドの並ぶ別室はこの大部屋のすぐ向かい。扉も窓もない、大小の石のアーチで区切られた向こう側には、目を凝らせば二人の姿も見えた。ただ、話をするには余りにも不便な距離なのだが。

「呼んできてもいいが、まあ、別に構わないさ。彼らに直接関わる話でもない」

 アユムは肩をすくめて首を振る。眉間をとんと叩き、さて、と私たちを順に見る。

「帰り方についての話を、しておこうと思ってね」
「帰り方……え? 知ってるの?」

 思わず詰め寄るように問えば、落ち着き給えとばかりに肩を叩かれる。私ははっと、少しだけ身を引いて、咳ばらいを一つ。

「どういうこと?」
「セフィロトモンとして得た知識さ。操られている間にだが」

 物言いはどこか他人事。しれと言い放ち、一拍だけを置いて続ける。

「何でも“役目を終えれば帰ることができる”のだそうだ」

 そう、語る口調は皮肉げで、自嘲するようでもあった。

「選ばれし子供の召喚は、この世界を護る柱たるものだけが行使できる世界との契約だ」
「契約?」
「そう、世界を護るために世界の理を少しだけ捩曲げろ、と。そうして外部より引き入れられた異物、イレギュラーを排するイレギュラー。それが選ばれし子供というわけだ」
「毒をもって毒を制す、みたいなこと?」
「そういうことだ」

 つまり、と言ったアユムの言葉を継ぐ。

「用が済めば毒は毒。さっさと出ていけってわけね」
「えー、何それ。酷くない?」
「例えよ、例え。それより、その役目って?」
「ああ、それが問題だ」

 何せ、と肩をすくめる。困ったものだとばかりに眉をひそめる。契約、役目――そうか、彼らをこの世界に呼び寄せたのは、

「ホーリードラモン……!?」


 いつかリリスモンが言っていた。帰りたいなら来た道を引き返せばいいのだと。答えは疾うに示されていた。ここへと到るそもそもの理由が、ここから帰るただ一つの方法。けれど。

「待って。なら、その“役目”って……」

 終末の魔神・サタンの復活。それによる世界の浄化、リセット。そのために、それを為すためにホーリードラモンは世界と契約し、選ばれし子供をこの世界に招き入れた。だとするなら、その選ばれし子供が果たすべき役目も当然、

「ホーリードラモンに、協力しなきゃ帰れないってこと?」

 ぐにゃぐにゃと眉を歪めてマリーが問えば、アユムはただ無言で頷いてみせる。

「え? それって……あれ? あたしたちどうやって帰るの?」
「それをどうしたものかという話を、今しているのだよ、マリー」

 小さな溜息。芝居がかった仕種で肩をすくめる。その目がそっと、彼方へ向く。

「クラヴィスエンジェモンであれば扉を開くことも可能ではある、が」
「あの鍵のデジモン? でも、素直に開いてくれる気はまったくしないけど」
「だろうな。そこで、問題はあなたというわけだ」
「え?」
「七大魔王もまた世界の柱。だと、するなら」
「私も、選ばれし子供だって言うの?」

 魔王とは闇を七つに別つ封印の器。世界の守護者だと、ワイズモンは確かにそう語った。語ったが、しかし召喚というなら私とインプモンの出会いはまるで真逆。やって来たのはインプモンの方なのだから。

「極めて希有なケースだろう。セフィロトモンのデータベースにあった過去の選ばれし子供たちの記録には、少なくともなかった」

 でしょうねと、声には出さず相槌を打つ。そもそも魔王が人間の子供に頼ること自体、これまであるはずもなかったのだろう。だからこそ、誰も私という存在の介入を予見できなかったのではないのか。

「私に、どうしろって?」
「どうもこうも、もし蝿の王との出会いもまた契約だと仮定するなら、その勝利こそが課せられた“役目”であるはず。つまり……」

 真っ直ぐに私を見るその目に、少しの思考。

「インプモンがアポカリプス・チャイルドを倒せば、出口が開くかもってことね」
「そういうことになる」

 溜息を吐きながら頷いてみせる。仮定に仮定を重ねた希望的観測。だとは思った。だが、誰もそれを口にはしなかった。
 悪夢はまだ、終わりそうもなかった。


「ねえ、それって……」

 少しだけ重く沈んだ空気の中で、マリーの上げた声だけはいつもと何も変わらない。顔付きは真剣だったけれどもどこかのほほんと。

「結局、今までと何が違うの?」
「え?」
「だって、どっちにしたってあいつら倒すんでしょ?」

 あっけらかんと、言い放つ言葉はしかし、これ以上ないほどに正論だった。ぐうの音も出ない。そんな顔でアユムはマリーを見る。呆れたのだろうか、それとも関心したのだろうか。君には敵わないなと、顔にはそう書いてあった。

「まあ、確かにそうだけど」

 肩をすくめる。そう、その通りだ。今までぼんやりとしていたゴールらしきものがようやく見えたと、それだけの話だ。
 くすりと、私が笑えばマリーも笑い返し、すっと、その細い手を差し出す。

「え、何?」
「要するに、これからも一緒に頑張ろうねって話でしょ?」

 この上なく嬉しそうに笑う。この子はきっと、人が好きなのだろう。本当ならこんな戦場になど来るべきではない、そんな優しい子。私は知らず微笑んで、その手を取った。

「あたしは露崎真理愛。マリーって呼んでね。十四歳よ」

 遅くなった自己紹介は、固い握手と笑顔の中で。ほら、と促されて、灯士郎が小さく笑う。

「百鬼灯士郎。十五だ」

 やれやれと、アユムが肩をすくめた。満更でもない、といった顔だった。

「仙波歩だ。歳は同じく」

 マリーと、灯士郎と、アユムが私を見る。ふっと零れた笑みは気恥ずかしくてだろうか、嬉しくてだろうか。三人を見返せばその目に映る私が見えて、また笑う。

「葵日向よ。十六歳。何だ、私が一番上か」
「あ、やっぱそうなんだ。それじゃあ、ヒナタお姉様?」

 なんてからかうマリーに溜息を一つ。握手を交わす手をほんの少しだけ強く、

「もう、呼び捨てでいいから。ともかく……改めて宜しくね、みんな」

 願わくばこの手を繋いだまま、手と手を取り合ったままに同じ道を進めますように。同じ場所を目指して行けますように。と、祈りにも似た想いをいつか来る明日の夜明けへと馳せる。

 さあ、歩き出そう。飛び立とう。行き先は明日吹く風が知っている。
 果ての見えないこの悪夢も、仲間がいるなら越えてゆける。そうやって、私たちは昨日の悪夢を乗り越えて、光溢れる今日という日へやって来たのだから。大丈夫。これからもきっと、きっと――




16-3 非常の日常


 歌が聞こえた。幾百幾千の星の瞬きにも似た、重なり響く命の旋律。祈りを捧げるゴスペルのようで、戦士を鼓舞するマーチのようで、恋人へ贈るセレナーデのようで、極光のように揺らめく音色はまるで掴み所がなく、なのにどこまでも強く真っ直ぐに世界を駆け巡る。

 夢を見た。長い長い、夢だった。
 夢と現の狭間に彷徨う意識は朦朧と、霞がかった記憶は何か、何か大事なものをどこかへ忘れてきたと、そんな気がした。
 のそのそとベッドから起き上がる。カーテンの隙間から差し込む朝陽をぼけっと眺める。
 りん、と。どこからか涼やかな音が聞こえた。はたと振り返る。枕元でけたたましく目覚ましが鳴り響いていた。僅かに眉をひそめて、私は目覚ましを止める。
 記憶を巡る。朧月のように不確かな、夢とも現とも分からぬ記憶を。ものの数秒。ふ、と笑う。私は、すぐに考えることを止めた。

 壁に掛かった制服を手に取って、着替えを済ませて自室を後にする。階段を下りると朝餉のいい匂いが鼻をくすぐった。

「おっはよー、ヒナ!」

 リビングに入る。そんな元気な声に迎えられて、私は小さく溜息を一つ。

「おはよう」

 それだけ言って、洗面所へ向かう。
 ぱしゃり、と水が跳ねる。心地のいい冷たさに少しだけ頭が冴えてくる。

 リビングへ戻っていつもの席に腰掛ける。ふわ、と欠伸を一つ。煎れたてのお茶を一口すする。ふう、と息を吐く。

「何、してるの?」

 向かい側の席で出し巻き玉子を頬張る少女へ問い掛ける。少女は一瞬きょとんとしたように私を見て、

「朝ごはん、いただいてる」

 そう言ってお味噌汁をすする。私は「そう」とだけ返して、静かに手を合わせた。

「いただきます」

 玉子焼きは、今日も美味しかった。

 朝食を終えて家を出る。少し早いか。まあ、たまには朝の散歩もいい。伸びをしながら通学路をゆっくりと歩く。

「あーん、待ってよぉ」
「道違うでしょう、マリー」

 中学はあっちよ、と十字路の右を指して、私は振り向きもせず真っ直ぐに進む。

「大丈夫ー、まだ早いよヒナぁ」

 セーラー服の裾をひらひらとさせて、マリーは笑う。私はまた、溜息を零す。

「ねえ、というか、いい加減どうかと思わない? その呼び方」
「えー? だって呼び捨てでいいって言ったしー」
「そんなこといつ……」

 いつ、言った――?


 音が聞こえた。夢と現の狭間に垂れた蜘蛛の糸のような、余りにもか細く不確かなそれ。指先がそっと触れただけでも消え入りそうで、手繰り寄せることもままならない。私はただ、静かに耳を澄ました。

 夢を見た。夜明けのほんの一時に見た、短い夢だった。
 迷い惑う意識がまどろみに沈んでは浮かぶ。夢と現の境界までもが揺らぐようで、少しだけ気分が悪かった。
 ベッドから起き上がる。ひんやりと心地のいい石畳を数歩、石造りの窓辺へ腰掛ける。外を眺めて、見渡す限りの大海原にふうと息を吐く。

 記憶を巡る。今の今まで見ていたはずの夢はもう朧げで、けれど反面、現実の記憶は半ば寝ぼけている割に嫌にはっきりとしていた。
 そう、船旅を始めて今日で三日目。この大亀を船と呼んでいいものかは分からないが、ともあれ、順調に行けば今日の内には目的地が見えてくるはずだ。

 部屋に備え付けられた洗面所で顔を洗う。快適な部屋じゃなきゃ嫌だと駄々をこねてバスルーム等々と一緒に造らせたものだったが、思いの外よくできている。施工者には戦いが終われば大工にでもなれと今度言っておいてあげよう。
 寝室に戻る。壁に掛かった軍服を手に取って、寝巻から着替える。そうして、私は姿見の前でふっと笑みを零す。ジェネラルの正装も中々様になってきたものね、なんて。まあ、デザインには私とマリーが大いに口を出したのでそう堅苦しい格好でもないのだけれど。

「おっはよー、ヒナ!」

 部屋を出るとそんな声が横合いから飛んでくる。朝っぱらから元気なものである。私は振り返り、

「おはよう」

 とだけ言ってすたすたと歩き出す。マリーはそんな私を小走りで追い掛け、口を尖らせる。

「あーん、待ってよヒナぁ」
「待たない。お腹空いたもの」

 溜息を吐く。相変わらず楽しそうね。海へ来てからずっとこの調子だ。そりゃあ私も最初はちょっと楽しかったけれども、三日も経てばそろそろ飽きてきてもいいのではなかろうか。

「あ、今日の朝ごはん和食だよー。シャケだって、シャケ!」
「え? いるの、シャケ?」
「なんかねー、っぽいのはいるんだって」

 っぽいのって何だそれ。

「そういえば昨日、クジラっぽいのは見たけど」
「あれデジモンだよ?」
「じゃあ今から食べるのも……シャケモン?」

 想像に揃って顔をしかめる。実に平和な、ある日の朝であった。


「それが“があるずとおく”か……」

 呆れた風に外れたことを言う、そんな声に私とマリーは揃って振り返る。マリーが笑顔で手を振り、私は小さく溜息を零す。

「おっはよー、ベル様」
「どこでそんな言葉覚えたのよ」

 窓から流れ込む潮風に乱れる髪を片手で押さえ、私は目を細める。インプモンは頭を掻いてはははと笑う。私の腰にも届かないちんちくりんが上目遣いに私を見上げた。

「おはよ。おう、陸が見えてきたぞ。昼過ぎには着きそうだ」
「え、もう?」

 言われて窓へ駆け寄る。窓から顔だけを覗かせて、進行方向へ目を凝らす。エルドラディモンが目指すその視線の先には――ただただ水平線だけが見えた。

「あー、ほんとだー」

 どこに? と問おうとした声はマリーに遮られる。振り向けば、隣の窓から危なっかしく身を乗り出すラーナモンの姿があった。人間の視力ではまだ見えないというわけか。なんかずるい。というか伝説の英雄の力を望遠鏡代わりに使っていいものだろうか。

「つーわけだから、早く飯食って支度しとけよ。ああ、デジモンじゃねえから安心しろ」

 そんなインプモンの言葉に思わずきょとんとする。少しを置いて、マリーと顔を見合わせ笑い合う。

「はあい、行こっかヒナ」

 人の姿に戻りながら元気に声を上げるマリーに「ええ」と短く答えて歩き出す。腹が減ってはなんとやら、か。こんな平穏も今のうち。恐らく数時間後には――

「どしたの?」
「何でも。行きましょう」

 いまだ見えない水平線の向こう。遠い戦場を一瞥し、私は少しだけ拳を握る。
 目指すはアポカリプス・チャイルドの新たな拠点と目される場所。この果てしない大海原を越えた最果ての地にそびえる“薔薇の明星”なる古城。ワイズモンは三大天使の居城だったと言っていたか。袂を分かったアポカリプス・チャイルドに利用されるとは皮肉な話だが。

 ふ、と自嘲にも似た小さな笑みが漏れる。この胸の高鳴りは何であろうか。不思議と恐怖も不安もない。戦いに愉悦を覚えてしまったわけでもなさそうだ。鼓動に反してどこか、穏やかな気分ですらあった。
 私はまだ、この感情の名前を知らない。ここにいなければ、いずれ知ることもなかっただろう。
 嗚呼、心が軽い。空気がやけに澄んでいる。そして――こんな時だというにすんなりと喉を通った焼きジャケもどきは、中々に美味だった。




16-4 永遠の物語


 古城が震える。重々しい足音を響かせて、エルドラディモンは荒波に揉まれた岩肌の海岸を前に立ち止まる。遠く、暗い空に輝く真紅の薔薇が見えた。

「あれが“薔薇の明星”……」

 荒涼たる大地を臨むエルドラディモンの背上で、目指す先を見詰めてぽつりと零す。誰にともなく漏らした独り言に、インプモンが小さく頷いてみせた。

「ああ、間違いねえ。あの薔薇の下に奴らの城がある」

 三大天使が一角たる座天使・オファニモンの主城“薔薇の明星”。起伏に富んだ地形ゆえ、城そのものはいまだ見えないが――私の耳へ届く遠い旋律が、姿なきその存在を告げる。ここまで接近しているのだ。向こうも疾うに気付いてはいるだろう。それでもいまだ不気味な沈黙を守る“薔薇の明星”に、私は息を飲む。とくん、と脈を打つ胸にそっと手を当てる。

「怖いか?」

 そう問うたインプモンに、私は首を振る。

「大丈夫」

 と、返した言葉は本心だった。そうか、とだけ言って、インプモンは小さく笑う。

「インプモンこそ、まだ進化の仕方も分からないのに……怖くないの?」

 少しを置いて問い返す。インプモンは、私と同じ言葉を口にしてみせた。

「大丈夫」

 心の底から出た言葉だと、迷いのない晴れやかな顔が語る。私はただ、うん、と頷いた。
 そう、大丈夫。きっと。どんな悪夢も、もう怖くはない。越えてゆける。どこまでも、どこからも。

「さあ、行こうか」

 撃鉄にも似た言葉が始まりを告げる。

「ええ、行きましょう」

 引き金にも似た言葉で応えて歩み出す。

 手を繋ごう。足音を揃えて、歌声を重ねよう。この胸の鼓動さえもが同じ拍子を刻む時、世界を変える旋律が今一度この空を統べるだろう。

 遠い、今はまだ遠い日の物語。

 いつか来るその日。私たちはきっと、固い握手を交わすだろう。泣きはしない。少なくとも、互いの姿が見えなくなるその間際までは。

 沢山の出逢いとサヨナラの物語。

 笑顔と涙。絆と決別。数え切れないほどの悲しみに傷付いて、数え切れないほどの喜びに支えられて、私たちの旅は続いてゆく。

 終わることのない永遠の物語。

 私の旅。私の夢。私の歴史。私が綴り、描くのは私自身。旅をしよう。夢を見よう。私の歴史に私を記そう。果てしないこの物語を読み耽よう。いつか来る、サヨナラのその日まで。

 さあ――




エピローグ


 音が聞こえた。そんな気がして、私はそっと瞼を開く。
 夢を見た。どんな夢かは忘れてしまった。悪夢だったろうか。けれど、醒めてしまえばこの胸に残るのは一抹の寂しさ。
 ぎゅ、と。胸に当てた手を強く、強く握り締める。

 あれから――“薔薇の明星”の戦いから、半年余りが過ぎた。

 秋を経て、冬は去り、春が来た。夏の終わりに見た夢は、炎天の陽炎のように儚く過去へと消えてゆく。いつか大人になった日に、私はあの夢を鮮明に思い出すことができるだろうか。辛いこともあった。悲しいこともあった。いっそ忘れてしまいたいことが、沢山あった。それでも――手放したくない思い出が、そこにはあった。

 私は、この思い出とともにこれからも生きてゆくのだろうか。この、リアルワールドで。
 リアル――そう、これが私のリアル。あの日見た夢は、黄昏に迷い込んだアンリアル。明けるべくして明ける夜。醒めるべくして醒める夢。常識外れのナイトメア。辿り着いたこの朝は、待ち望んで待ち焦がれたあの悪夢の果て。

 嗚呼……らしくないなと、自嘲する。

 前を向こう。そして時には、空を仰ごう。躓いたっていい。転んだっていい。明日を目指して、歩き続けよう。
 夜はいつか明けるのだ。夢はいつか醒めるのだ。そんな希望を胸に、私たちは戦ってきたのだ。これまでも。これからも。ずっと、ずっと。

 涙はいらない。ただ笑おう。お仕舞いはお別れではない。私たちは、サヨナラを言わなかった。どうしてと言うなら何となく。これが最後ではないと、そんな気がしたから。

 そう、きっと最後じゃない。確信めいた予感があった。だって、夜が明ければ朝が来るように、日が暮れれば再び夜が訪れるのだから。

 きっと――ほら、こんな風に。

 音が聞こえる。旋律が聞こえる。歌声が聞こえる。閉じた扉が再び開く。あの夜の夢の続きが、また始まる。
 見慣れたリアルに現れた、見慣れたアンリアル。その非常識なイキモノは、馴れ馴れしく私の名前を呼んで笑う。

 溜息を吐く。肩をすくめて、けれど笑い返す。新たな夜がやって来る。
 そう、終わってなどいないのだ。
 私たちが本当の夜明けを迎えるのはこれより五つもの戦場を経たその先。今はまだ知る由もないことだったが――それはまた、別のお話。

 だから、今はただこの言葉を口にしよう。

 嗚呼――

「悪夢だ!」
 


-NiGHTMARE-
-終-




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