7月21日 火曜日 晴れ

 今日から夏休み。
 昨日はずっとゲームをしてたから起きたのはお昼だった。母に怒られた。
 昼ご飯を食べて夕ご飯を食べてゲームをしてお風呂に入って寝た。おわり。


 7月22日 水曜日 晴れ

 朝ご飯を食べた。昼ご飯も食べた。夕ご飯も食べた。おわり。


 7月23日 木曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 7月24日 金曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 7月25日 土曜日 晴れ

 プールに行った。楽しかった。おわり。


 7月26日 日曜日 晴れ

 普通だった。


 7月27日 月曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 7月28日 火曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 7月29日 水曜日 曇り

 母に日記を見られた。怒られた。今度から隠しておこう。おわり。


 7月30日 木曜日 雨

 普通だった。


 7月31日 金曜日 晴れ

 普通じゃなかった。








デジモン観察日記









 卵だった。
 勉強机の上を半分以上占拠する20インチのモニタの中からずるりと這い出してきたのは、どこからどう見ても卵以外の何物でもなかった。
 恐る恐る、なんて言葉がぴったりなへっぴり腰で指だけ伸ばしてつついてみる。反応は無かった。
 何だろう。何で卵が出てくる。ウイルス? なわけないか。
 中学に上がった年、両親からプレゼントされた初めての自分専用パソコン。両親はパソコンなんてものが大の苦手で、元々家族共有のパソコンですら自分がほとんど占有していたようなもの。聞きかじっただけの知識でちょっと話せば、パソコンに疎い両親が偉く褒めるものだからついつい調子に乗ったりして、ビギナーズサポートとか言うのを断っちゃったりしたこともあったがきっと関係ない。多分大丈夫だろうって、ウイルス対策やら何やら、ちゃんとやってなかったりしたこともあったがきっと関係ない。
 うん。そうだ。全然関係ない。自分、全然悪くない。きっと。多分。
 関係ないけどだったらこの卵は一体何なんだ?
 再度つんつんつついてみるもやっぱり無反応。幾らつついても余りに反応が無いもので、次第に警戒心も薄れていく。一瞬だけ躊躇って、キーボードの上に落っこちたままの卵を拾い上げる。ちょっと暖かい。振ってみる。無反応。耳を当ててみる。何か聞こえる。小さいけれど、鼓動のような。
 しばらく卵と睨めっこ。ちらりと横手へ目をやると、カーテンの隙間から細く朝日が差し込む。気付けば夜は明けていた。視線を戻す。散らかった机の上で、白紙のノートが目に付いた。
 卵をベッドの上に置いて、カーテンを開く。低い太陽が建物の隙間を縫って部屋に日差しを投げ掛ける。気持ちのいい、朝だった。
 ベッドを振り返る。卵は、小さく揺れていた。
 机の前に立つ。白紙のノートを手に取って、もう一度卵を振り返る。
 今年の、自由研究のテーマが決まった瞬間であった。


 8月1日 土曜日 晴れ

 パソコンから卵が生まれた。大きさは大人の頭ほど。レンガ色の水玉模様という如何にも怪しいデザインの白い卵だ。
 夜中にパソコンから出てきたその卵は、朝になると孵化した。生まれたのは黒くて丸っこい毛むくじゃらの、なんとも形容しがたい生き物だった。これぞまさに世に言うUMAというやつだろう。ひとまずボタモチ(仮)と名付ける。
 しばらく観察していると腹の虫がなる。あんな体のどこに腹があるのか分からないが、やはり食事は必要らしい。何食なのかよく分からないのでとりあえずコンビニで色々と買い漁って与えてみる。何でも食べた。そのあとウンチした。掃除が大変だった。


 8月2日 日曜日 晴れ

 ボタモチ(仮)に早くも異変が訪れた。何て観察し甲斐のある奴だ。朝顔とかはこいつを見習うべきだ。
 昨日ボタモチ(仮)と名付けたが早々に名前を変えなければならなくなった。(仮)でよかった。元・ボタモチ(仮)はなぜか電子音っぽい音を上げて白っぽいようなピンクっぽいようななんとも言い難い色合いの丸っこい変な生き物に変身する。大きな目と口があって頭には触覚とも耳とも言い難い妙なひょろひょろが付いている。ボタモチ(仮)より幾らか生き物っぽくは見えるが、まだまだまともな生き物には程遠い。
 感触を確かめてみようと手を伸ばすと突然襲われる。顔に跳びかかって来た。まさか食われるのかとも思ったが違ったらしい。ただ顔に張り付かれただけだった。意味が分からない。何がしたいんだ。息苦しくなってきたので無理矢理引っぺがす。なぜか嬉しそうな顔をしていた。


 8月3日 月曜日 晴れ

 徹夜で新しい名前を考えたが思い浮かばなかったのでこのままボタモチで貫き通すことにする。初志貫徹と言う奴だ。違うか。違うな。だがこれといってボタモチに変化は無い。暇なので躾けてみる。とりあえずはトイレからだろう。狭いベランダに古新聞を敷き詰めてここでやれと言ってみる。言った直後に部屋の中でウンチをされる。鬱だ。


 8月4日 火曜日 晴れ

 毎度部屋の中を汚されたんじゃ堪らないので頑張って躾けてみる。しつこくウンチウンチと言っていたらそのうちボタモチの奴もウンチウンチと言い出した。喋っちゃったよこいつ。お前ホント何?


 8月5日 水曜日 晴れ

 食べる、ベランダ、ウンチ、ぶり、あーゆあんだすたん? と身振り手振りを交えて教えてやるとあいと答えた。それからはちゃんとベランダでウンチをするようになった。どうやら知能は非常に高いらしい。ホントにどういう生き物なのだろう。
 考えているとウンチに行ったボタモチが中々戻ってこないことに気付く。ふと見るとボタモチはベランダから外を眺めていた。そう言えば生まれてから一度も部屋から出してやった事が無かった。ちゃんと言うことも聞くし、夜に少し散歩にでも連れて行ってやるとしようか。


 8月6日 木曜日 晴れ

 両親やご近所が眠りつくのを待っているうちに日付が変わってしまった。仕方ないだろう。こんな訳の分からない生き物をいきなり見せるわけにもいかない。
 とりあえずボタモチと散歩に行く。途中人とすれ違うが抱きかかえてぬいぐるみのフリをさせる。ちょっと笑われた。恥ずかしかった。でもボタモチは嬉しそうだった。
 帰ってきたら朝方。部屋に鍵を掛けて寝る。母が怒鳴っていたような気がするけど爆睡した。


 8月7日 金曜日 曇り

 再度ボタモチに変化が訪れる。青白く光って今度は小さな恐竜のように変身する。小さなと言っても1メートル以上はある。今度はさすがにやばいと思ったが中身はそんなに変わっていなかった。いつもどおり腹の虫を鳴らして食事を要求してくる。ほっと胸を撫で下ろしたがよくよく考えたら今度は食事代がえらいことになりそうだ。鬱だ。


 8月8日 土曜日 曇り

 一昨日が余程楽しかったのかボタモチがあからさまにうずうずしていたので今日も夜の散歩に連れて行ってやる。さすがにぬいぐるみで誤魔化すには無理があるので押入れをかき回して引っ張り出したコートを被せた。暑いと文句を言うが無理矢理被せてやる。というかいつの間にか普通に喋ってるし。しかもどんどん流暢になってやがる。恐竜に変身してから物覚えが急によくなった気がする。面白いので色々教えてみる。育ち盛りの子供を持った親の気分だ。和む。


 8月9日 日曜日 曇り

 今日も夜の散歩。ボタモチがネコを追っかけ回して遊具に突っ込んだりしたが、まあ特に何もない。うん。何もない。遊具がボタモチの頭の形にへこんでいるように見えるけど多分元々あんなもんだ。うん。何もない何もない。帰ろう。


 8月10日 月曜日 晴れ

 もう日課のようになった夜の散歩から戻り、爆睡していると母の大声に叩き起こされる。無視していたが今日はやけにしつこい。何か今日は登校日だとかなんだとか叫んでいる。面倒だがこのまま寝ているとドアを壊されそうなので仕方なく起きる。最近夜型になっていたから日差しがやけに眩しい。ヴァンパイアの気分だ。
 体を引き摺って学校に行くとクラスの半分くらいは似たようなものだった。朦朧とした意識で半日を過ごす。帰ってきて泥のように寝る。おわり。


 8月11日 火曜日 晴れ

 よく考えたら昨日はボタモチのこと何にも書いてなかった。じゃあこの日記は何なんだって話だ。と言うわけで今日はボタモチのことを書こうと思ったが特に何もない。聞き訳がよ過ぎて何にもトラブルが無い。なのでおわり。


 8月12日 水曜日 曇り

 散歩に行った。おわり


 8月13日 木曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月14日 金曜日 晴れ

 財布がそろそろやばくなってきた。欝だった。


 8月15日 土曜日 曇り

 何かだれてきた。


 8月16日 日曜日 曇り

 いよいよ面倒になって来たところで遂にボタモチに変化が訪れる。計ったようなタイミングだ。しかし今度は変身というわけではない。いまいちよく分からないが何だか様子がおかしい。夜の散歩に行っても帰ってきても時々ボーっと空を眺めている。生まれてもなかった癖に故郷が懐かしいのだろうか。よく分からないがとりあえずしばらく様子を見る事にする。


 8月17日 月曜日 曇り

 日課の散歩の後布団に入ってうとうとし始めた頃妙な音が聞こえる。見るとボタモチが外を眺めながら絨毯を引っかいていた。止めようとしたが目が普通じゃなかった。鼻息も荒い。まるでこっちの声が聞こえていないようだった。ボタモチはしばらく唸り続けた後唸り疲れたのかいつの間にか寝息を立てていた。絨毯は悲惨な事になっていた。
 ちょっと、怖かった。


 8月18日 火曜日 曇り

 今日も特に何も無い。ボタモチは今日も夜になるとなぜか興奮しだすがそれ以外に目立った変化は無い。昼間は特に変わった様子も無いし、犬の遠吠えのようなものだろうか。
 とりあえず様子を見る。


 8月19日 水曜日 雨

 夜中に大きな音がして目を覚ます。日課の散歩に行くつもりで仮眠を取っていたら寝てしまっていたらしい。部屋を見ると窓がめちゃくちゃになっている。ボタモチの姿は無かった。


 様子を見に来てわめく両親を振り払い、外へ飛び出す。どこへ向かえばいいかはすぐに分かった。細い雨の間を潜り抜けるように駆けて、いつもの公園へ向かう。静かなはずの夜の町は、喧騒に包まれていた。
 一つ、また一つ。
 爆音が響いて黒煙が上がり、闇が炎に照らされ夜がざわめく。
 雨と喧騒を掻き分けるように辿り着く。燃え盛る木々の中、火の粉降る夜の公園に、あいつはいた。夜に沈んで炎に照らされるオレンジ色。体長1メートルほどの小柄な恐竜。瞳孔が縦に割れ、こっちのことなんか見てもいないケダモノのような目は、夜に見せるあの目。野生に満ちた双眸で虚ろな空を仰いで、恐竜の仔は大きな口を開く。咆哮にも似た鈍い音が響いて火花が散る。恐竜の仔は、開けたその口から炎を吐いた。
 辺りの雑木林を紅に彩ったのであろうその炎は、砲弾のように球形を保って空へ射出される。見る見る小さくなっていく炎。ぽっと、空に火が灯った。
 何だろう。何かに火が付いた。でもあんな何も無い空でどうして。
 瞬間、雷鳴のような咆哮が轟いて、空から青白い無数の破片が降ってくる。丁度火が灯った辺り、一瞬雷光に浮かび上がった鳥のようなシルエットから降り注ぐそれは、鳥の羽のような。刃のように鋭く、帯電しているように青白く発光する羽の雨。広場の中央目掛けて夜の闇から飛来する。
 ざ、ど、どす。
 刃物が地面に突き刺さる音。刃物が皮を裂く音。刃物が肉を抉る音。凶器が、生き物を傷つける音。
 訳が分からない。意味が分からない。飛び散る血飛沫も、か細い悲鳴も、血に塗れて倒れるあいつの姿も、何もかも理解の外。
 倒れる間際、あいつと目が合った。理性を宿さない野生の目。でもそんな目がなぜか、助けを求めて怯えているように見えて、思わず飛び出しそうになる。一歩を踏み出したところでしかし、その無謀を止めてくれたのは上空から飛来する第二射。はっとなって踏み止まる。狙いの甘い羽の一枚がスニーカーの爪先を浅く掠める。足元に突き刺さる凶器に目をやると、心臓を素手で絞られるような錯覚。怖くてそれ以上足が動かなかった。動かなかった、はずだけど。
 気付いたら何故だろう。目の前にボタモチがいた。
 風を切る無数の羽。既に倒れた恐竜へ、無慈悲に、執拗に放たれる追撃。恐竜を狙ったはずのその羽が、なぜか傍で見ていたはずの自分の頭上へも降ってくる。
 あれ、何で、来ちゃったんだっけ。
 真っ白な頭に漏れる疑問。見上げた空には凶悪な刃物。抱えた腕の中には小さな恐竜。
 嗚呼、意味が分からない。
 そして瞬間、熱風が吹き荒れる。体を襲うのは刃に裂かれる激痛ではなく浮遊感。次いで、ちょっとだけ痛かった。体が持ち上げられて放されて、尻餅をついたらしい。お尻を摩りながら立ち上がれば辺りが少し暗い。雑木林を燃やす炎の明かりが何かに遮られている。見上げればそこには黄昏色。見回せば同じ色の腕のような。黄昏色が少しだけ遠ざかり、思わず半歩下がればそこに佇むのは巨大な恐竜。
 恐竜の視線が、ゆっくりと夜の闇に紛れる何かを捉える。
 咆哮。そして荒れ狂う夜気。呼気が熱を帯びたその恐竜の咆哮は、そのまま熱風となって吹き荒ぶ。咆哮するそのままに、開いた巨大なあぎとが空を向く。それは宛ら天空に照準を合わせる砲身のように。牙の隙間から火花が漏れる。唸る、マグマのような響き。一際高く咆えたその刹那、炎が放たれる。
 天を射抜く炎の矢のように。立ち昇る火柱が上空の何かを穿つ。耳を劈く雷鳴の断末魔。それもやがて唐紅に消えて――気を保っていられたのは、そこまでだった。


 8月20日 木曜日 曇り

 真実って言うのは不変じゃない。多数決とは数の暴力で答えを勝手に決め付ける方法であって、正しい答えを弾き出す方法じゃあない。つまりは多数決を正義とする民主主義国家に置いて、真実って言うのは皆がそうだと決め付けたことに過ぎないのである。
 何が言いたいかと言うなら要するに、昨夜のあれはガス漏れ事故がどっかの馬鹿のテロごっこ辺りの真実に落ち着くであろうということで。目が覚めたら、そこには炎を吐く恐竜も、羽が刃物の怪鳥もいなかった訳で。
 不変の真実って言うのは、そんな訳の分からない事件に自分から巻き込まれに行って公園で気を失っていた自分が、親にこっぴどく怒られまくって泣きまくられたということだけなのである。


 そこまで書いてノートを閉じる。表紙には油性ペンでしっかり書いちゃった『ボタモチ観察日記』の文字。パラパラ捲れば凡そ1ヶ月、30ページ分の記録。数度眺めて溜息を一つ。
 夏休みは、まだまだ終わらない。
 最近おざなりなことをしてたけど、今日こそ遊びに行こうぜと我慢強い友人からのメールは今日も来ていた。壊れたベランダとか絨毯の下のフローリングまでしっかり残っちゃってる爪の跡とかの修理なんかもあるし。そう言えば夏休み中に祖母の家に遊びに行くとか何とか言ってたっけ。
 いつもどおりの、それなりに退屈で、それなりに楽しい日々がふと過ぎる。
 風通しのよくなった窓に目をやって、もう一度溜息。ノートを広げる。


 8月21日 金曜日 そろそろ晴れ

 普通だった。


 8月22日 土曜日 多分晴れ

 昨日と同じ。


 8月23日 日曜日 晴れでいいや

 昨日と同じ。


 8月24日 月曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月25日 火曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月26日 水曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月27日 木曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月28日 金曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月29日 土曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月30日 日曜日 晴れ

 昨日と同じ。


 8月31日 月曜日 晴れ

 宿題で大変だー。おわり


 10分も掛からずそれだけ書いて、また閉じる。
 空を眺める。灰色の雲が鬱陶しい日差しを遮っていた。この分じゃもうしばらくは晴れそうもない。晴れって書いちゃったけど、まあいいか。
 吹く風は少しだけ水気を帯びていて、心地がよかった。
 さあて、何しようかな。
 欠伸をしながら立ち上がる。そしてまた、いつもどおりの日常が始まる。






<完>


>>あとがき